番外編・梅雨の勇者(2)
夜の港に、大きな船が浮かんでいる。
見た目は豪華客船と呼んで差し支えないだろう。
しかし、ろくに照明をつけていない。よほど後ろめたいことでもあるのか。船はその図体を隠すように、ひっそりと闇の中にうずくまっていた。
「――あんまり気が進まねえなあ」
まったく、窮屈で仕方がない。
俺は久しぶりに結んだネクタイを、指で弾いた。レンタルのスーツを含め、馬鹿げたコスプレのようになっていないといいが――たぶん無理か。
「こいつは巨大な貸しだぞ、ジョー。絶対忘れんなよ。ってか今後、俺が定期的に貸しの有無をアナウンスするからな。忘れさせねえぞ」
「わかってる。恩着せがましいんだよ、テメーは」
ジョーは鼻を鳴らし、俺の背中を拳で強く叩いた。
「いいから背中を丸めんな、目つきも悪すぎるからよ。オレみたいにサングラスでもかけろよ。その不審者ヅラをアピールすんな」
「別にアピールしてねえ。失礼なハゲゴリラだな」
夜でもサングラスをかけている超不審ゴリラに言われたくない。
そう思いながらも、俺はせめて背筋を伸ばすことにする。
ジョーの言うことにも一理ある。これから俺たちは潜入するからだ――この、人目をはばかるような胡散臭い客船に。
「この船にはカジノが入ってる。もちろん非合法のやつだ」
と、ジョーは言った。
「《夏枯れの鏡》卿だとよ。そいつが経営してる。そこそこ手ごわい魔王だ」
「知ってる。《柩》のやつが消えて調子に乗りはじめたから、懸賞金がいまガンガン上がってるよな」
「そう。そいつだ」
ジョーは深刻そうな顔をした。こいつの深刻そうな顔というのは、とにかく手近な生命体を叩き殺そうとするような凶悪な面相のことだ。
「オレの妹が、学校だかなんだかの授業でやつを狙ってる」
「おう、そりゃ大変だ。早くそんな学校やめさせろよ」
「それができりゃ苦労しねえ。オレが兄貴だって名乗り出て、やめろって言うのか? 言えるかバカ野郎」
ジョーは吐き捨てるように言った。
「せめてなんとか、妹が危ない目に遭わないようにしねえと」
「自分から危ない目に飛び込んでるのに? 無理だろ」
俺は素直な正直者なので、率直な意見を述べた。
「こんな船に乗り込んで暗殺しようっていうからには、相当に危ない橋を渡ることになるんじゃねえの。《夏枯れの鏡》卿も、まあクソザコってわけじゃない」
「だからだ」
ジョーは厳めしい顔で、自分と俺を指さした。
「オレたちが密かに見守る。妹がヤバくなったら《夏枯れの鏡》卿を始末すりゃいい」
「あー……まあ、別にいいけどよ。それじゃあ妹のお勉強にならねえんじゃねえの?」
「クソ野郎のクソ学校のクソ勉強と、オレの妹。どっちが大事だよ?」
俺は何も答えなかった。
ただでかい船を見上げ、ポケットに手を突っ込んだ。こういう仕事には、ついでに楽しみも必要だ。
「……カジノで遊ぶには、ちょっと手持ちがねえな。一勝負できるかどうか……ジョー、貸してくれよ」
「いや。オレも持ってねえ」
ジョーは平然と首を振った。
「遊ぶ金は悪党から奪う。これが当たり前だろ?」
「確かに」
久しぶりにジョーと意見が一致した。勇者らしく、いざとなったら暴力で稼ごう。
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