城ヶ峰亜希の場合
アカデミーの歴史は、そう長くはない。
現代社会における勇者の質の向上を掲げ、アーサー王率いる《円卓財団》がイギリスに設立したのが四半世紀ほど前。しかし、いまでは世界に八つの校舎が存在している。日本での開校も四年前のことだ。
この機関の目的は一つ。
勇者という職業――つまり魔王を殺すことで報酬を得る、優れた殺人の専門家を育成することだ。
アカデミーに籍を置く者のほとんどが、その前提を大なり小なり受け入れている。例外がいたとしても、その九割は厳しい訓練か現実かのどちらかに打ちのめされ、意見を変えるか退学するかを余儀なくされている。
残った一割の例外がどうなるか。
城ヶ峰亜希とは、そうした例外中の例外を示す、貴重なサンプルであるといえる。
―――――――
「それでは、諸君」
その日、城ヶ峰は教壇を両手で叩き、高らかに宣言した。
「我々の未来を左右する実習授業に向け、これより必勝的作戦会議を始める!」
根拠のない自信にあふれた彼女の声が、空しく教室に響く。
放課後の教室に残っているのは、城ヶ峰自身を含めて三人の女子生徒だけだ。片方はどこか困惑した様子で、もう片方は気だるげに、最前列の机に腰かけている。窓から差し込む頼りない夕陽が、彼女らの影を長く引き伸ばしていた。
「諸君の忌憚のない意見を取り入れるため、自由に発言してもらいたい! では、まずは――」
「あのさ、その前に――ちょっといいか?」
困惑した様子の女子生徒が、城ヶ峰の発言を遮る形で手を挙げた。金髪に、青い目をした少女だった。その長身と顔立ちから、どこか大人びた印象を受ける。
彼女の名を、セーラ・カシワギ・ペンドラゴンといった。
城ヶ峰亜希にとってクラスメイトであり、それ以上に『実習授業』に挑むチームメイトでもある。
「その黒板に書いてある、その。それ」
セーラは黒板を指差して、躊躇うように唸る。そこに書かれている文字を読み上げたくない、という気配が明白に窺えた。
「それだよ。城ヶ峰亜希と――ってやつ。なんだそれ?」
「ああ。これだな」
城ヶ峰は振り返り、誇示するように両手を大きく広げてみせる。
黒板には、『誇り高き美少女・城ヶ峰亜希とその仲間たちによる正義の勇士団』と、力強すぎる字体で記されていた。
「ついに発表するときが来たか。これは私たちのチーム名だ」
「マジかよ」
「感激したか! やる気が出るだろう。このチーム名で授業登録しておいたぞ」
「いや、そうじゃなくて――」
セーラは額を押さえて、数秒だけ言葉を探した。城ヶ峰亜希という人物について考えるとき、セーラはしばしば頭痛を覚えることがある。
「亜希のことだからネタじゃなくて、完全に一から十までマジなんだろうな。一応抗議しとくわ。せざるを得ない。その名前ってすげー恥ずかしいんだけど、なんとかならない?」
「大丈夫だ。私がついている、セーラ。このチーム名に恥じぬよう、力を合わせてベストを尽くそう!」
「そういうこと言ってるんじゃなくてな! ――おい、雪音もなんか言ってやれよ。マジでこの名前になっちまうぞ」
「ん」
セーラの隣で頬杖をついていた、気だるげな少女がそこで初めて反応した。小柄な少女だ。顔立ちは整っているが、どこか無機質さを感じさせる。日本人形のようだ、と、セーラは思うことがある。
彼女の名前を、印堂雪音という。
城ヶ峰亜希、セーラ・カシワギ・ペンドラゴンとチームを組む、もう一人の少女である。
「別に」
と、印堂は短く答えた。
「チーム名はどうでもいい。それより、作戦」
「えっ、なんだこれ。この流れ」
セーラはひどく狼狽した。
「これ気にしてんの私だけ? あれ? マジでそれでいくの?」
「賛成多数により可決だ。異議があるなら再検討しよう。それより、さすが雪音だ! そう、いまチーム名はどうでもよい。必勝を期した作戦を立てるべきだ!」
黒板を拳で軽く叩き、城ヶ峰は高らかに声を張り上げた。
「我が『誇り高き美少女・城ヶ峰亜希とその仲間たちによる正義の勇士団』が進級にふさわしい成績を獲得するには、この実習授業を成功させることが大前提だ」
「やっぱり名前のこと考えねえ? 超長いんだけど」
「議論の妨げになる発言は慎むように! 我々の標的は、これだ――」
セーラの発言など聞こえなかったかのように、城ヶ峰はチョークを手に取った。勢いよく黒板に文字を書きつける。
「そう。《琥珀の茨》卿! 東京都西部において跳梁跋扈する、非常に邪悪なる魔王である!」
現在の東京都内には、数百の魔王がひしめいていると言われている。
アカデミーの『実習授業』は、勇者としてその魔王の一人の討伐を試みることだ。討伐する魔王の懸賞金や格の大きさによっては、成績に加点されることもある。
「ああ。やっぱりそいつにするのか? 《琥珀の茨》卿――リスク評価C」
セーラは顔をしかめて呟いた。
「最近、評価値が上がった魔王だよな。確かにうまくいけばリターンもでかい。そいつはわかる。でも」
アカデミーでは、個々の魔王をそのリスクの高低でランク付けしている。ここで評価されるリスクとは、その魔王が社会に及ぼす脅威の大きさを意味するリスクだ。必ずしも魔王本人の戦闘力を意味しているわけではない。
が、まったく無関係というわけでもない。
「《琥珀の茨》――やれるのか?」
自問自答するようなセーラの呟きだったが、城ヶ峰は力強くうなずいた。
「やれる。いや、やる。必ずだ!」
その言葉には、一切の迷いが感じられない。セーラはとんでもないモンスターの類を見るまなざしで、彼女を見た。
「そもそも我々の成績は、進級も危うい崖っぷちにある。このくらいの格の魔王を仕留めねば、我々に進級という未来はないだろう!」
「それはそうだけど」
セーラは再び印堂を振り返った。
「雪音はマジな話、どう思う? 私らの手に負えるかどうか」
「ん」
印堂はほとんど眠っているような顔でうなずいた。もしかしたら、本当に微睡んでいたのかもしれない。
「やれる」
一度、印堂は大きく目を開けた。が、すぐに眠そうに細まった。
「と思う。私がいるし」
「聞いたか。怖気づいている場合ではないぞ、セーラ! このまま成績不振が続けば退学を示唆されている現状――我々は起死回生の一手を打たねばならない!」
「ああ? いや、誰がだよ。私は別に怖気づいてねえよ」
机から身を乗り出し、セーラは城ヶ峰を睨んだ。
「わかってるって。このままじゃ退学だから、でかい成功が必要だってことぐらい」
「よろしい。我々の意志は一つだ。では、具体的な作戦を考えよう!」
「ぐ」
セーラは再び低く唸った。
彼女のチームメイトは好戦的すぎる。しかし、このようなリスクを踏み越えなければ、進級が覚束ないのも事実ではあった。
「幸いにして、《琥珀の茨》卿の居城はすでに割り出せている! 東京都、渋谷区。やつはオフィス街のビルを一つ買い取って、悪しき企みの拠点としているようだ」
「ほとんど私と雪音が調べたんだけどな。そのビル――名義は《琥珀の茨》卿が抱えてるダミー会社なんだけど、最近、やつがそこで仕事してるのは間違いない」
「うむっ。ご苦労だった! さすが我がチームメイト。その間、私は作戦を考えていたぞ。検討してくれ。まずは――」
城ヶ峰の手が教壇に置かれたノートを手に取った。ページをめくり、それを読み上げる。
「第一のプラン。作戦コードは『大いなる角笛』だ」
「あ、ああ」
城ヶ峰の誇らしげな宣言に、セーラは首を捻るしかなかった。
「響きからして、すでに嫌な予感がする……どういう作戦なんだ?」
「正々堂々と《琥珀の茨》卿の居城に乗り込み、決断的に猛攻を仕掛ける!」
「却下」
セーラはほとんど反射的に答えていた。
「あっという間に取り囲まれるだろ。まあ、雪音はどうにかするんだろうけど、こっちは無理だ。もっと真面目に考えろよ!」
「私はいつも真面目だ」
城ヶ峰はまったくの真顔でセーラを見つめる。あまりにもその目が真剣すぎて、セーラは居心地が悪くなった。
セーラが思うに、城ヶ峰の真面目さときたら、常軌を逸していると言ってもいい。頑固すぎて他にチームメイトが見つからなかったと聞いている。クラスでも浮いているのは間違いない。だから、セーラや印堂と組むことになった。
「勇者は希望だ」
と、城ヶ峰は断言した。
「常に誇り高くあらねばならない。勇者に対する社会の目が厳しい昨今だからこそ、地位向上のためにより善い戦いとは何かを考え、実践していく必要があると思う。誰かの手本となるような戦いが必要なのだ。私はそう教わった」
「あのなあ。いや――それはご立派だけど、勝たなきゃ意味ないだろ」
「そうだ」
呆れたようなセーラの言葉を、城ヶ峰は簡単に肯定した。
「この作戦会議の目的は、そこにある! 誇り高く、なおかつ勝利を前提とした作戦が必要だ。しかし私は策を練るのが苦手だと思う。たぶん」
「ええ……『たぶん』って、そのレベルの自覚かよ……」
「異論は後で聞こう! いまはとにかく作戦を成功に導くために、諸君の力を貸してほしい。互いに不得手な部分を補うべきだ。頼む!」
「まあ、そりゃ頑張るけどさあ」
頭を下げられる。こうなるとセーラは困ってしまう。ため息をつき、話を前に進めることにする。
「じゃあ、さっき第一のプランとか言ってたな。他に何かあるのかよ」
「無論だ。第二のプラン、『輝ける翼』。やつの居城の前で宣戦布告し、一騎打ちに誘い出す! 最もテクニカルな作戦だ」
「それも却下だ」
やはり、これだ。一から自分が作戦を考える必要があるかもしれない。セーラは気分が沈み込んでいくのを感じる。
「さっきと大差ねえよ。囲まれて袋叩きだ」
「そうか。では第三のプラン。『猛々しき咆哮』。これは最も攻撃的な作戦になる。戦力を三つに分け、迅速に敵陣に切り込み、電撃的に敵を打倒しながら《琥珀の茨》卿に接近し――」
「おい……いいか、雪音」
セーラは城ヶ峰の説明の途中で、隣で眠りそうになっている印堂をつついた。
「ん」
中途半端な返事が返ってくる。もはや半分眠っているような顔だった。眠気覚ましのために、セーラは彼女の肩を軽く叩く。
「亜希があの調子だろ。正直言ってこのチーム、雪音の戦闘力が頼りだからな。やれるのかよ?」
「大丈夫」
印堂は緩慢に片手をあげた。
「私が精いっぱい、がんば、る――ぅ」
「うわ、バカ。寝るな」
後半はほとんど寝息のようなものだった。細められていた目が完全に閉じて、印堂の小柄な体が前のめりに倒れそうになる。セーラは寸前でそれを支えなければならなかった。
「――つまり、こういうことだ!」
どうやら説明が完了したらしい。城ヶ峰が力強く宣言するのが聞こえた。
「我々は必ず勝つし、勝たねばならない。不屈の精神力で事に当たれば、必ずや道は開ける。万が一のときは、私の身に代えてでも諸君を守ると誓おう!」
そうして彼女は拳を頭上に突きあげる――その姿に、セーラは底知れない不安を覚えた。
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