セーラ・カシワギ・ペンドラゴンの場合
セーラ・カシワギ・ペンドラゴンは目を覚ました。
何か夢を見た気がするが、ほとんど覚えていない。最初に感じたのは喉の渇き。目を開ければ、いつも通りの自室、白い天井が視界に広がっている。彼女一人には、ちょっと広すぎるくらいの部屋の天井だった。
一度だけ、セーラはゆっくりと瞬きをする。
目蓋にわずかな抵抗を感じた――珍しい。
寝起きは悪くない方だと、自分では思う。
いつもの起床時間は、平日ならば六時半。休日は七時半。時間を計ったように眠りから覚める。目覚まし時計の世話になることもあまりない。鳴る前に起きることがほとんどだ。
それは長年の習慣のせいかもしれないし、自分の性格の問題かもしれない。つまり、この違和感のある眠さには、理由があるのだろう。ならば、それは何か?
セーラは視線を枕元に滑らせた。
誕生日、骨董品のように古めかしいデザインを気に入り、買うことにした置き時計がある。わずかに錆びたような音色のベルを鳴らす時計だ。その針が示しているのは七時十五分。
本日は日曜日であり、これは彼女にとってはやや早い起床ということになる。
「う――」
セーラは中途半端な唸り声をあげながら、布団を持ち上げ、ゆっくりと上半身を起こしていく。
そして時計の傍ら、同じく枕元に立つ一人の人物を視認する。
「おはようございます」
中世ヨーロッパ風のメイド服――セーラにとっては見慣れた衣装に身を包んだ、長身の女性だった。どういうわけか、笑いを堪えているかのような表情でセーラを見下ろしている。
「朝ですよ、セーラお嬢様」
静かな声だ。
セーラの記憶にある限り、彼女はいつも静かだった。声の音量だけの話に限らず、感情的な発言をしたことはないし、騒々しい物音を立てたこともない。足音でさえ抑制されている。
だから、セーラも彼女が枕元に立つまで気づかなかったのだろう。
「おはよう。……ケイさん」
メイド服の女性の名を呼び、セーラは自分の長い金髪を掻きむしった。
「頼む。『お嬢様』はやめてくれよ、もう子供じゃないんだし。真似して呼ぶやつがいるんだから」
「そうですね」
あくまでも静かに、ケイがうなずく。
「ではセーラさん、改めて。もう朝ですよ。起きてもいい時間でしょう」
「そうだけど」
セーラは欠伸を嚙み殺した。彼女の前では、なぜか礼儀正しい振る舞いをしたくなる。そういう気配が、ケイにはある。
「ケイさんが起こしに来るなんて、今日、何かあったっけ? また親父が文句言ってきたとか」
声に不機嫌な響きが混じるのを、セーラは自覚する。単なる眠さのせいだけではない。父親のことを考えたからだ。
彼女の父は、名前をアーサー・ペンドラゴンという。現代社会における勇者たちの最大の支援者、《円卓財団》の長。五百七代目のアーサー王。
彼は、一人娘であるセーラが勇者を目指していることに否定的だ。勇者養成校であるアカデミーに所属していることも快く思っていない。たまにこの家に帰ると、呼び出されて説教じみた言葉をかけられることがあった。
それもしばらく姿を見ていなかったので、もうすっかり諦めて黙認したのかと思っていた。
「それとも」
セーラはなんとなく窓の外に目をやった。白いレースのカーテン越しに、庭の緑と、よく晴れた空が見えている。
「ママがまた気まぐれで帰ってきた?」
「いえ。どちらも違います」
「じゃあ、なんだよ?」
「セーラさんにお客様ですよ」
珍しく、ケイは嬉しそうな気配をはっきりと声に滲ませていた。
「学校のお友達だそうです。初めてではありませんか? お友達が休日にいらっしゃるなんて」
「友達って」
セーラはまた金髪を掻きむしった。自慢ではないが、入学して以来、ずっと学校では孤立しているという自覚がある。友達と呼べる相手は、クラスにもいない。
そう名乗る者がいるとすれば――
「あ」
セーラは一人の女子生徒の顔を思い浮かべた。
「もしかして――そいつって、城ヶ峰って名乗ってなかった?」
「ええ。そういうお名前です」
ケイは抑制された笑みを浮かべた。思わず自分の顔が強くしかめられるのを、セーラは止められなかった。
「あいつ、マジに来たのかよ……しかもこんな時間に!」
「セーラさんは身支度をして、応接室までお越しください。せめてそのジャージは着替えた方がいいでしょう。できるだけ急いで。あまりお友達を待たせるものではありませんよ」
「いや、ちょっと待った。違う。そいつは別に友達じゃなくて」
「セーラさんにお友達ができるなんて」
セーラの弁解を、ケイは聞く耳も持たないようだった。
「私はとても嬉しいです」
こうなったケイには、何を言っても無意味だとセーラは知っている。
せめて不快感を表明するため、彼女は熊のような唸り声をあげてみせた。
――――――――
身支度を終えたセーラが応接室のドアを開くと、そこには予想した通りの少女の顔があった。
真顔だと、どことなく冷たいような印象を受ける顔立ちだ。が、セーラは何度か会話をして気づいたことがある。この少女の場合、冷たいのではなく呆れるほど頑固なのだ。その意志の強さが、普段の表情を形成しているに過ぎない。
「おはよう、カシワギ・ペンドラゴン!」
ソファを立ち上がり、セーラが辟易するほど清々しい声で朝の挨拶をしてくる。心の中に一片の悩みもない、とでもいうような挨拶だった。
一方のセーラは仏頂面で、頭を下げるというより軽く首を傾けた。
「……まあ、おはよう、なんだけど」
ケイが呼んだところの『友達』――この訪問者の名前を、城ヶ峰亜希、という。
アカデミーにおけるセーラのクラスメイトで、すなわち勇者候補生である。とはいえあまり親しくはなかった。
話をするようになったのも、ここ数日のことでしかない。
クラスで浮いている少女、という認識だけがあった――セーラと同様に。
「今朝は素晴らしい歓待に感謝する」
城ヶ峰は深々と頭を下げた。
「きみのご家族から、非常においしい紅茶をご馳走になった。きみからも礼を伝えておいてくれ。瓶詰のジャムまでいただいたぞ!」
「ああ。ロシアンティーな、それ」
セーラの目が机の上を見た。苺のジャムの瓶と、すでに飲み干された紅茶のカップがある。
「ジャムは紅茶と一緒に食べるやつ。ケイさんの中でブームらしい」
「なんと! そうだったのか。瓶ごといただくのは申し訳なかったので、何かお返ししなければと考えていたところだった」
「や、別に――そのジャムも、ケイさんが趣味で大量に自作してるやつだから。持って帰ればいいし」
「そういうわけにもいくまい! しかし、きみは大変に懐が深いな。寛大だ」
城ヶ峰は感心したように腕を組み、何度かうなずいた。
「やはり私の見る目は正しかった!」
「それな。そのことだけど――」
セーラは欠伸を隠すことなく、城ヶ峰の対面のソファに座った。
「やっぱり例の話か? 休みの日に来いって言ったけど、いくらなんでも朝早すぎるだろ」
「善は急げ、というだろう! 私たちにはきみの力が必要なのだ。心の底からだ!」
「ああ」
セーラはため息をついた。
例の話、というのは、アカデミーの『実習授業』に関わることだ。セーラたちが通うアカデミーは、勇者育成機関である。二年次の終盤には実習授業と称される試験があり、魔王を実際に討伐するプランを立て、実行に移さなければならない。
それも、単独ではなく三人編成のチームで、だ。
セーラはアーサー王の娘という特殊な立場であり、これまでもクラスで浮いていたところがあった。あえて親しく付き合う相手もいなかった。それ故に、気づいたら実習授業で声をかける相手もおらず、時間だけが過ぎ現在に至る。
もはや期限は差し迫っている。残り二日以内にチームを結成しなければ、実習不参加となる窮地に立たされている状況だった。
そして、同様の状況に立たされている者もいる。それこそが城ヶ峰亜希。それからもう一人、印堂雪音という二人の少女だ。現在、セーラはその二人からチームを組むように頼まれていた。
「その――実習授業なんだけどさ」
セーラは言いづらそうに口を開く。
「正直、かなり迷惑かけるから。止めた方がいいと思う」
「なぜだ? きみの剣技は見せてもらった。素晴らしいものだ。背中を預けるにふさわしい!」
「そうじゃなくてな」
セーラは城ヶ峰を睨んだ。あまりにも能天気な声と顔だった。
「私はほら――家がコレだろ。アーサー王の娘ってことで。親父からは勇者になることを反対されてるんだ。そもそも入学することだって、ダメだって言われてた」
アカデミーは、アーサー王を長とする《円卓財団》が多額の出資をすることによって成立した。その意向を無視できる者は、ほとんどいない。それでもセーラの入学自体が拒否されなかったのは、アーサー王自身の公正さを意味するのか、それともどうせ長続きはしないと考えているのか。
そのことについてセーラも考えたことはあるが、どんな推論も不愉快な結論に繋がるのでやめた。
「私がチームにいると、採点とか不利になると思う。親父が私の入学に反対してたこと、学校の先生ならみんな知ってるし。露骨に『別の進路』の話もされたことある」
というより、指導しにくい生徒なのだろう、と他人事のように思う。セーラはため息をついて、ソファにもたれかかる。
「だから今年の実習授業はパスする。期末の個人実技で、特別奨学生枠を狙ってみるつもりだ。あれなら実習の単位もらってなくても進級できる。要は実力で認めさせりゃいいんだ――親が誰だろうが、文句なしの成績で」
「いや、それは困る」
城ヶ峰の拒否は、鋼のように断固としたものだった。
「実習授業には挑んでくれ。私たちのチームにはきみが必要だ、カシワギ・ペンドラゴン! いま述べたデメリットなど些細なものだ、まったく気にならない。必要なら私たちがカバーしよう。約束する!」
「いや。あのさあ」
セーラは困惑し、返答に迷った。
「私の話、聞いてたか? 止めた方がいいって言ったし、迷惑かけたくねえんだよ」
「迷惑ではない。きみの力がどうしても欲しい」
「なんでだよ?」
「不利な状況にあっても折れない闘志。そして相手を気遣う精神。寛大さと優しさ。そうした心こそが勇者には必要だと考えている。まさに正義の魂! 私のチームメイトには、技術があるだけのメンバーは不要なのだ!」
やたらと力強く語る城ヶ峰の言葉には、一切の迷いがなかった。妙なやつがいるものだ、とセーラは思う。ここまで恥ずかしげもなく正義を語るとは。
「カシワギ・ペンドラゴン。きみの言動からは、確かな正義の魂を感じる」
まるで握手を求めるように、城ヶ峰は片手を差し出した。
「ぜひ頼む!」
「嫌だよ! ってか、別にそんなご立派な考え持ってるわけじゃねえし――」
「ええ? ――そんな! いまのは受け入れる流れだったはずだ! もう一度だ、どうか頼む!」
「お前、ゴリ押し以外に交渉の方法知らねえのかよ」
「そうだ。知らない!」
城ヶ峰は笑った。
「知らないので、教えて欲しい! 私を助けてくれ!」
よくも堂々とそんなことを言えるな、と、セーラは思った。
自分にはない強さだった。
同時に、遅かれ早かれ彼女はチームメイトにされてしまうだろう、という予感もあった。自分がいかに押しに弱いか、ということを、セーラは理解している。
城ヶ峰は深々と頭を下げた。
「頼む、カシワギ・ペンドラゴン! なんでもいいから私たちのチームメイトになってくれ!」
「チームどうこうの前に」
セーラは自分が露骨に不機嫌な表情をしていることに気づいた。
「まずその、私を苗字の方で呼ぶのはやめろ。嫌いなんだよ」
言ってしまった。
この調子では城ヶ峰のチームに入るまで、あと数分もかからないだろう――と、セーラは悲観的に自分の気持ちを観察していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます