レッスン5:勇者は反省しない

第1話

 再び呼吸を整えるため、俺達には時間が必要だった。

 強かに後頭部を打ち付けられた印堂はまだふらついていたし、セーラに至ってはもっと深刻で、精神的に大きなダメージを受けたらしい。壁に寄りかかり、そのままずるずると座り込んで、うつむいてしまった。

 懐中電灯の明かりだけでセーラがそんな姿勢をとると、独特の顔の白さのせいもあって、まるで亡霊のような佇まいになる。


「何をしてやがる」

 俺はせめてセーラを使いものにするために、そんな言葉をかけたつもりだった。怒りでも不満でもなんでもいいから、立ち上がることが大事だ。立てば動けるし、動くしかない。

「そんなところで寛いでる場合か? だが――わかるぜ。またビビッて動けなくなったんだろう」

 が、セーラはそれを手酷い罵倒の意味で受け止ったようだった。

「ああ」

 やつは短く、覇気の感じられない返事をした。

「――さっきのは、わかってる。私だ」

 金色の頭を抱えるようにして、掻きむしった。

「亜希を連れていかれた。動けなかったけど、動かなきゃいけなかった」

 なんとなく感じていたが、一度ネガティブな方向にレバーが入ると、セーラはとことん落ち込んでいく性質があるのかもしれない。

 俺は非常に呆れた。付き合いきれない。


「印堂。こいつをなんとかしろよ。反省会やってる場合じゃねえんだけど」

「何が?」

 印堂は、まったく意表をつかれたかのように首を傾げた。

「妥当な自己分析だと思う。セーラはたまにそうなる」

「まあ、そりゃそうだ」

 俺は肩をすくめた。印堂はもともとそういうやつだし、セーラにとっては追い打ちだったかもしれない。

 だが、それでも俺は言う。

「前から言おうと思ってたけど、セーラ。お前、勇者に向いてねえよ。やめとけ」

 少なくとも俺の周辺、勇者仲間の間では、誰かがミスをした場合は徹底的にコキ下ろされ、バカにされる。そんな面白いことは酒の肴にでもしなければ損だ。気を使ってもいいことはない。

 仮にも命をかけた現場で、協力する必要のある同業者なればこそ、特にそうだ。

 ミスをする勇者はさっさとその体質を改善してもらった方がいいし、ミスを引きずるような勇者は立ち直れないほど落ち込んだうえで、現場を去ってもらいたい。そうでなければ余計なリスクだけを抱えることになる。

 俺はまだ死にたくないから、こういうときは徹底的に叩く。勇者なんて止めておくに越したことはないからだ。

「できればセーラはそこで寝てろ。いますぐパパに迎えに来てもらえ。お前はどうだ、印堂? やれるか?」

 俺の悪意ある追撃に、セーラはさらにうつむいた。一方で印堂はそれほど気にする様子もなく、おもむろに立ち上がってみせる。


「やる」

 印堂はセーラの前に立ち、その腕を無造作につかんだ。

「行く。アキを取り返す」

 行こう、ではなく、行く。こういう言い草が実に印堂雪音だ、と俺は思った。あまりにも人付き合いに向いていない。

 印堂の言葉に、セーラの右の眉が引きつるのがわかる。泣きそうな顔にも見えた。

「行くから」

 印堂はセーラの返答を聞かなかった。断定的すぎて、セーラは言葉を返せないようだった。笑える光景だ。

「だから、自分で立って」

 印堂の言葉には容赦がない。セーラは完全に絶句していた。


「セーラ。お前が自分で選べよ。百パーセント向いてない勇者をやるか? それとも真人間に戻れるよう頑張るか、どっちでも好きにしろ」

 俺は他人に対して、あまり説教じみたことは言いたくない。俺自身お説教されるのはマジに嫌いだったし、説教は実に効果的に相手を嫌な気分にさせるからだ。しかしつまり、このとき俺は、セーラを効果的に嫌な気分にさせたかった。

「やるなら立て。勇者は反省しない。する暇があったら、ウダウダ言ってくるやつを黙らせる。そして屈辱の原因を速やかに殺害する」

 これは、俺の師匠が言っていたことだ。

 仕事で大きなヘマをやらかして、俺やジョーがせせら笑って遊んでいたところ、ビール瓶を振り上げて暴れながら喚いたことがある。


「あのさ――雪音とか」

 セーラはどうにか顔を上げることができたようだった。印堂の腕を借りて、ゆっくり起き上がる。

「まあ、亜希もそうだけど。マジに凄いよな……やる気っていうか、その……」

「頭が悪いんだよ、こいつら」

 俺は心の底からそう思った。

「賢明ならすぐに撤退してる。少なくとも援軍を呼ぶ。有象無象の学生どもはともかく、《トリスタン》卿がいるだろ?」

「それだと、無意味」

 途方もない頑固さを感じさせる声で、印堂は首を振った。

「セーラの成長にならないし、アキはいつも凄く間抜けなことをするので、そろそろちゃんと叱ってあげた方がいい」

「……保護者かよ、雪音は」

 セーラはほんの少しだけ口の端を強張らせた。たぶん笑ったつもりなのだろう。それから、印堂の腕ではなく、壁に肘をついて体を支えた。

 その青い目が俺を睨むように見つめてくる。


「確かに賢いやり方じゃない。そんなことはわかってる」

「そうだな」

「でも」

「なんでそこまでやりたがるのか、俺には理解できないな」

 セーラが言おうとした台詞の続きを、俺は素早く先回りした。

「お前には選択肢があるだろう? 勇者にならなくてもな」

 暗に、城ヶ峰や印堂は手遅れだと言っている。セーラは一瞬だけ黙り込み、もごもごと何かを呟いた。俺にはわからない何かだった。実際、セーラは俺が思った感想通りのことを口にする。

「――それさ。センセイには、たぶんわからねえよ」

 吐き捨てるような言いぐさだった。俺はその態度が気に食わない。さらにセーラを侮辱してやりたくなった。悪い癖だ。

「金持ちの考えは、確かに俺にはわからない。行き過ぎた道楽にしか思えないね」

「道楽か。それは――そうかも。私も結局、亜希と同じだ。ただ、そういう生き方をしている人間が、センセイみたいなのがいるっていう、それだけの――」

「ああ? 俺に喧嘩売ってんのか」


「だったら、なんだよ!」

 唐突に、セーラは声を荒らげた。怒ったような早口でまくし立てる。

「やるよ。やればいいんだろ。だからもうゴチャゴチャ言うなよ! センセイに馬鹿にされると、死ぬほどムカついてくるんだ。マジに腹が立つ」

「おっ、自暴自棄だな? そのテンションでどれだけやれるか、試してみるか」

 多くの未熟な勇者は、追いつめられると破れかぶれな気分になる。そして大体がそのまま死ぬ。たとえ捨て鉢な考えになったとしても、どこかで冷静な部分を保っておくことが必要だ。

 それができる勇者は、結構長生きしたりする。

 セーラがそういうタイプかどうか、この辺りで確かめさせてやった方がいいかもしれない。いつかは潜り抜けなければならない、無数の修羅場の一つがいま訪れている。今回は、そういうことにしておこう。


「じゃあ、行くか」

 俺はできるだけ軽薄に聞こえるように尋ねた。

「さっさとしないと、いくらあのオモシロ生命体の城ヶ峰でも死ぬかも知れないぜ」

「ああ――亜希は、まだ無事だよな」

 セーラはひどく疲れたように呟き、天井を見上げた。これに対しても、俺は楽観的なことも、悲観的なことも言いたくなかった。事実だけでいい。

「普通に考えれば、わざわざ攫って持って行ったんだ。殺すなら、あのときすぐに殺せば良かった。ただし、相手はあの城ヶ峰だからな……そのつもりはなくても、イラッときてつい手元が狂うこともあり得る」

「それはどっちかっつーと、センセイの場合の話だろ。っていうか、あいつらは何を考えて亜希を――」


「《E4》、でしょうね」

 意外なところから、反応が返ってきた。

 元・《嵐の柩》卿だった。何かを探すように、古びた壁に手を這わせながら喋り始めている。

「あの珍獣娘に希少価値があるとしたら、それしか考えられません。彼らの主がその性質を求めているのでしょう」

「――《E4》?」

 セーラが警戒するように元・《嵐の柩》卿を見た。

「《嵐の柩》。どういう意味なんだ? いま言ったことは、亜希の――例の、特異体質と関係があるのか?」

「恐らくは。ここの主にとっては、重要なことのようです」

 元・《嵐の柩》卿の手が、何かを探り当てたらしい。壁の一部に指をかけ、強く押し込んだように見えた。それと同時に、周囲がまぶしい光の白色に包まれる。俺は一瞬だけ目を細め、身構えかけたが、まったく過剰な反応だとすぐに気づいた。

 電気だ。頭上の電気灯が点灯している。


「そういえば、ここ」

 俺は誤魔化すように目元を擦った。

「元々はお前の屋敷だったな。こんな馬鹿みたいなギミックがたくさんあるのか?」

「ええ。多少は。しかしこの仕掛けの類は、私の前の主の趣味でもあります」

 元・《嵐の柩》卿は、窓から外をのぞき込む。電気照明を灯したことで、外界の闇はいっそう黒々と濃く、深くなっているように感じる。

「明治期の魔人信仰者。その研究成果を回収することも、私がこの屋敷を買い取った理由の一つでした。《E4》の精製に役立てるために。研究資料は、施錠した書斎に残してあります」

「何が言いたい?」

「つまり、現在のこの化け物屋敷の主もまた、そうした研究資料が目的だったのではないかと思うのです」

 どことなく嬉しそうに、元・《嵐の柩》卿は瞳だけで微笑んだ。

「だから、本人に聞いてみましょう」

 それはかつて魔王であった頃の、彼女の笑い方を思い出させた。

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