第4話

 城ヶ峰の防御は、あまり上等とは言えなかった。

 蜘蛛はバッタのように飛び跳ね、見かけよりもはるかに素早く襲い掛かった。薄気味の悪い脚――というより人間そっくりの腕を伸ばす。ずいぶんと長い。鎌のように払ってくる。

 そいつを、城ヶ峰は真正面から盾で受けた。

「軽いぞ、バケモノめ! その程度!」


「馬鹿め。たまには脳みそを使え」

 俺は容赦なく罵倒した。

 受けたということは、次の攻撃を許すということだ。こいつら幽霊相手に、バインド状態を仕掛けていくのは有効ではない。

 蜘蛛が身を低く沈めると、また別の腕が城ヶ峰の足元を狙って伸びた。

「ええい」

 城ヶ峰は飛び跳ねて避けた。

 こうなると、どんどん劣勢になっていくのが城ヶ峰という未熟者だ。さらに追撃を許す。次の腕が、さらに次の腕が、城ヶ峰を狙って伸びる。

 盾で受け、剣で払って切断を狙うが、そう上手くいく相手じゃない。

 城ヶ峰の刃が伸びきる前に、蜘蛛は飛び跳ねて後退する。片手剣の切っ先だけが、腕の一本を抉った。浅い。


「踏み込みが足りないんだよ」

 俺は貴重なアドヴァイスをしながらも、蜘蛛の動きを観察している。ただの野生動物ではない、という気がした。

 かなり知能がある。

 しかも、ときおり《E3》を使っているとしか思えない速度も見せる。そうすると、青白くたゆたう輪郭が揺れ、ぼぼっ、と空気が爆ぜるような音がする。あとは野生動物にしては動きがやや変則的なだけで、それほど面倒でもない。

 だが城ヶ峰には手ごわい相手だろう。


「注目するところが間違ってる、相手の動きを――なんていうんだ。全体で? よく見ろよ。なんなら覚醒していきなり強くなってもいいぞ」

 俺は壁に寄りかかってちゃんと休憩しながら、城ヶ峰のピエロじみた奮闘に声援を送った。

 ついでにポケットの内側の《E3》の数を数える。

 残り四本。これからの展開を考えると、難しいところだ。一本は元・《嵐の柩》卿に、一本は帰り道用に、もう一本はさらに《光芒の牙》対策に必要だった。最後の一本は予備のつもりだが、下手をするとあの怪物と戦うのに使う羽目になる。

 なので、俺はできるだけ城ヶ峰に任せるつもりで野次を飛ばす。

「お前が間抜けにも気絶したら、あとは何とかしてやってもいいけどな! そんなのに負けてたら未来ねえぞ」

「はい、師匠! 未来は私が切り開きます!」

 城ヶ峰の返事だけはいい。思い切り踏み込んで、思い切り空振りをする。大蜘蛛はこれ幸いとばかりに後退した。

 やつが俺と元・《嵐の柩》卿にも警戒を振り向けているところが城ヶ峰の救いだ。


「ですから、ヤシロ様」

 元・《嵐の柩》卿は、なおも無意味な主張を繰り返した。

「ここは私に任せるべきでは? ――あ、いまあの娘、触られましたね。動きが鈍りました」

「あいつの戦術って、基本が相打ち覚悟だったからな。ここらでその癖を治しておいた方がいい」

 俺は他人の喧嘩を眺めて、適当なコメントをするのが実はすごく好きだ。これだけでビールジョッキ三杯はいける。

「盾の扱いは悪くないんだが、カウンターを外しすぎだ」

 間合いをとるのが下手だ、とも言える。

 このあたりの勘は、俺は正直言って結構な天才だからあまり苦労せずに覚えたが、センスのないやつはなかなか身につけづらい。ざっと数えただけで三十個くらいある、城ヶ峰の弱点の一つでもある。


「彼女の剣の使い方、やや特徴的ですね」

 元・《嵐の柩》卿も、苦戦する城ヶ峰の観戦をはじめていた。

「構えが低い。アカデミーで教えている片手剣、基本はイタリア式なのですか?」

「それだけじゃない。足の運び方を見ると、たぶん近代スペイン式も――ん、ああ。やっぱりまだ無理か」

 また蜘蛛のバケモノに触られて、城ヶ峰の体がよろめいた。蓄積されたエーテル鈍化の症状が進みつつある。

 現実の人間のレベルアップは、そう都合よくはいかない。いきなり殻を破って強くなることは滅多にない、と俺は思う。少しずつを積み重ねるだけだ。城ヶ峰ではここら辺が限界か。

 俺は舌打ちをして、壁から背中を離しかけた。


 渡り廊下の向こうから、援軍がやってきたのはそのときだった。

「――亜希!」

 最初に飛び込んできたのは、長身の金髪。セーラだ。

 日本刀を鞘に納めたまま、床を蹴る瞬間だけは見えた。《E3》のない俺がまともに視認できたのは、だいたいそのぐらいまでだ。

「助けるから、耐えろっ」

「了解だ!」

 セーラの叫びに、城ヶ峰はやたらといい返事をした。さらに大きく踏み込んで、頭上から振り下ろされる蜘蛛の脚を、盾と剣で受け止める。かなりの負荷がかかったのか、激突の瞬間、城ヶ峰の体勢が大きく崩れた。

 だが、そのまま耐えた。

 一秒にも満たない時間であったが、大蜘蛛の動きを止めたのは重要なところだ。やはり、こいつらはちゃんと連携しての戦闘になると、かなりまともな殺人装置になり得るだろう。


「おぉあっ」

 と、セーラがよくやる意味不明な唸り声とともに、日本刀が鞘走った。

 まさしく、綺麗な一撃というやつだ。そいつは大蜘蛛の後ろ脚、というか腕を二本、まとめて斬り飛ばしている。

「あら、見事」

 元・《嵐の柩》卿ですら呟いたほどだ。もともとセーラにはそのくらいのポテンシャルはある。大蜘蛛は悲鳴もなく、空気の爆ぜるような音を立てて飛び跳ねた。両者から距離を取ろうとしたのだろうが、あまりうまくいかなかった。

 着地の際に、少しよろめいたのがわかる。動きが不安定になっていた。

 腕が二本ほど欠けたせいだ。


「いまのは、だいぶいい一撃」

 呟いたのは印堂雪音で、彼女はいつの間にかセーラの後ろにいた。懐中電灯を片手に、こちらは《E3》を使っていないらしい。妥当なところだ。奇襲を警戒するのは、セーラの方が適任といえる。

「やっぱりセーラは、こういうときは叫び声をあげながら行った方がいい」

 印堂は真剣な顔で、自分の言葉に二度ほどうなずく。

「恐怖心が紛れると思うから」

「雪音、うるせえよ! でも悪い、亜希。だいぶ遅れた」


「なんの」

 やや気まずそうなセーラの謝罪に、城ヶ峰は誇らしげに笑った。

「リーダーたる私抜きで、ここまで辿りついたのだ。きみたちの成長の証を感じられて、私も嬉しいぞ! さすが私のチームメイト!」

「てめー、こういうところで的確にイラッとくる台詞を――いや、それどころじゃない! こいつだ、センセイ!」

 セーラが俺を見て怒鳴った。かなり緊張しているのがわかる。

「私と雪音を襲いやがった、変な蜘蛛だ!」

 怒鳴って踏み込み、刃を横に薙ぐ。今度は蜘蛛もかわしたが、位置取りが変わる。城ヶ峰とセーラで挟み込む形が再びできあがった。間合いの取り方も、なかなかセンスがある。

「こんな見た目反則だろ、すげーびっくりしたんだけど!」


「まあな」

 俺は曖昧に言葉を濁した。セーラにも多少の名誉はあるだろう。たぶん。いまはそれより、柔軟なプランの変更が必要だ。

「城ヶ峰をとことん追い詰めてやろうと思ったが、仕方ねえ。二人がかりでいいから、さっさとやっちまってくれ」

「はい、師匠! 我々の絆による連携を――」

 城ヶ峰が片手剣を構え、何か御託を口にしようとした。

 その瞬間に、大蜘蛛が動いた。

 ゆらめく体の輪郭が、一瞬だけ膨れたように思う。蜘蛛の、たぶん口にあたる部分が、別の生き物のように蠢いた。

「あ、さっきの」

 俺の次くらいに印堂がその兆候に気づいたが、少し遅い。


 ぼっ、と、空気の爆ぜる音がした。

 蜘蛛の口元が青白く輝いて、煙が噴き出したように見えた。強い風が吹いた。俺までその衝撃を感じたほどだった。何をしたのかは、よくわからない。

 城ヶ峰は盾でそれを受けたが、かなり無様に尻餅をついた。セーラの方は裏返った悲鳴をあげて後退している。

 その瞬間に、蜘蛛は廊下を突っ切り、窓を砕いて飛んだ。風の唸る音だけを残して逃走している。追っている暇は、その直後に消えた。


「セーラ、そっちはダメ」

 印堂の警告は間に合わなかった。彼女の目は天井を見ていた。

 黒く、異様に細長い手足を持つ影がそこにいる。片手に剣を握り、首から上は猿の頭――さっきのやつか。

 飛びのいたセーラの、ちょうど真上の位置だった。

「え」

 セーラはそれを見上げて、顔をひきつらせた。ここまでの接近にセーラが気付かなかったとは、よほど大蜘蛛と対峙して緊張していたと見える。

「なんだこいつっ、うわっ!」

「危ないから。構えて」

 印堂は即応した。

 片手剣を引き抜き、頭上から落下してくるような猿頭の斬撃を受ける。とはいえ、いかに印堂でも《E3》なしでは筋肉的な限界があった。そのまま押し込まれて、突き倒される。

 印堂の小さな後頭部が床に叩きつけられ、鈍い音が響く。


「仕方ねえな。おい、これ」

 俺は電気式のカンテラを元・《嵐の柩》に押し付けた。ここから間に合うか。なんとかするしかない。《E3》のインジェクターを引っ張り出す。微妙なところだ。

 そして、こういう微妙なときに、余計なことばかりするやつがいる。

「雪音! いま助ける!」

 城ヶ峰が跳んだ。

 俺が止める暇もない弾丸の速度で、猿頭を叩き切ろうと刃を閃かせる。太刀筋も見えない。かろうじて俺が捉えることができたのは、猿頭が跳躍する瞬間だけだった。猿頭の青白い衣が翻る。金属音が一度だけ響く。

 たぶん、城ヶ峰の刃をかわしながら弾いたのだと思う。ついでのように、猿頭は城ヶ峰の首のあたりを掴んだ。

 その時点で勝負はついた。


「――は」

 何を言おうとしたのかはよくわからない。とにかく城ヶ峰は半端に口を開けたまま、急激にエーテル鈍化の影響を受けた。

 すでに大蜘蛛に何度か触られていたのも効いたのだろう。

 首根っこを、猿頭が持ち上げたように見えた。あいつ、幽霊のくせに人間を持ち上げるような芸当ができるのか――剣を手にしているところからして、もう『そういうやつ』として考えたほうがいい。


 俺は自分の首に近づけていた《E3》を使うことを諦めた。すでに間に合わなかったからだ。

「放せよ、おい!」

 セーラが慌てて斬撃を試みるが、青白い影をかすめただけだった。

 城ヶ峰を抱えた猿頭は、割れた窓ガラスから外に身を躍らせていた。

 それも下ではなく、上へ。どうやらあいつは、ヤモリか何かのように壁を這うことができるようだ。軽々と城ヶ峰を引きずり上げ、姿を消す。

 窓の外、夜の闇に青白い煙のような残光だけが残っていた。


 あとには、俺と元・《嵐の柩》卿。床から頭を振って立ち上がる印堂。

 そして刀を握ったまま呆然とする、セーラだけが残された。


「城ヶ峰だな、やっぱり」

 俺は主にセーラのために、ことさら軽薄に聞こえるように言った。

「いまのやりとりでは最高に愚かだったのはあいつで、よく考えるまでもなくあいつが一番悪い。やるんだよな、あいつは。ああいうことを」

 俺が何を言いたいのか理解したようで、セーラは強く顔をしかめた。日本刀を持った腕から力が抜けて、だらりと下がる。

 視線をそらさなかったことだけは、評価できる部分だろう。

「相手の力量がだいたい把握できて、勝てないと思ったなら、手出ししないのが一番だ。だからセーラ、お前の方が賢い」

 もちろん、これは皮肉で言っている。


「たいしたもんだよ――で、これからどうする?」

 セーラがどう答えるかはわかりきっているが、聞かずにはいられなかった。

 それが、いくらかの力にもなるだろう。

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