第3話

 予想外のことばかり起きるこの状況下でも、わかったことはある。

 この館がとんでもないオバケ屋敷であり、ひどい危険が潜んでいるということだ。

 自然と、俺たちの移動は慎重になった。


「この際だ――不法侵入と探索の作法について説明しとくか」

 城ヶ峰を先頭に立て、俺たちはやたらと軋む廊下を歩いた。二番手は俺。荷物持ちを担当する元・《嵐の柩》卿は最後尾につく。

「魔王のアジトに踏み込むときは、普通なら事前に調査を重ねて、魔王の居場所を特定してから侵入するのがセオリーになる」

 俺は喋りながら、ゆっくりと歩く。

 《E3》は使っていないが、できる限りの警戒態勢はとっていた。片手にカンテラ、もう一方の手には抜身のバスタード・ソード。白すぎるカンテラの光は、照らしきれない曲がり角の向こうをいっそう暗く際立たせる気がする。


「だから『探索』なんてするケースになること自体、プロの勇者にとっては悪手だな――俺たちはかなりヘマをしちまってる。いま、まさにな」

 元・《嵐の柩》卿の話によれば、この館の二階は東棟・西棟に分かれており、渡り廊下でつながっている。俺たちは一階から西棟に上がってきたため、印堂・セーラ組と合流するには、まず渡り廊下を目指す必要があるということだった。

「あらゆる曲がり角の先に敵がいると思え。損はないから。できればセーラのエーテル知覚が欲しかったところだが――城ヶ峰、さっきの猿野郎の心は読めたか?」


「はい、師匠。無理でした!」

 城ヶ峰は歯切れよく、しかしなんの役にも立たない返事をして、盾の位置を少し持ち上げた。顎を隠す程度にかかげる。そして、すり足で素早く角を曲がった。

 なにか勘違いしている気もするが、まあ、緊張感をみなぎらせるのは悪くない。こういう場面では、気を抜くよりマシだ。視認できる存在は何もなく、城ヶ峰は「クリア」と呟いてからうなずいた。


「私のエーテル知覚は意図しなくても読みとってしまう類のものですが、やつらの精神は、なんというか――くりぬいた石の内側をのぞき込む感じというか、あ、そうです! 木の、あれ――なんていうんでしたっけ。大きな木の、あれです。よく使う言葉ですよね? つまりくりぬいた石の――」

「おう、その辺にしとけ。お前の説明、たまに三十分くらいループするときがあるからな」

「なんと」

 城ヶ峰はかなり驚いたらしく、鼻から息を吹き出した。

「我ながらコミュ力の暴走が恐ろしいです」

「そうか」


 この悪名高い『城ヶ峰プレゼンテーション』が、放置するとどのくらい続くか実測してみたことがある。その間の俺はサッカー中継を見ていたので終わったことにも気づかなかったが、ストップウォッチを持っていた印堂によれば、おおよそ二十七分というタイムをたたき出した。

 疲れを知らないスタミナも脅威だし、本人がこれで『コミュ力がある方』だと思っているのがさらに恐ろしい。

 誰か適切に指摘してやるべきだと思う――俺は面倒くさいので、俺以外の誰かが。


「しかし、またあの怪物どもの正体がよくわからなくなったな」

 怪物オオカミ、猿頭。

 さらにセーラと印堂の方では、あの口ぶりからすると、また別のモンスターが出現したようだ。勇者はモンスター討伐をする職業ではないし、こんな展開は勘弁してほしかった。

「《嵐の柩》、お前、本当になんか聞いたことないのかよ? 《夜の恩寵》卿についてだ。仮にも極悪暴力集団のリーダーやってたんだろ」

 俺が振り返ったとき、元・《嵐の柩》卿は、何か考え事をしていたようだった。大きなリュックサックを背負い直し、口元から手を離して顔をあげる。


「さて」

 と、思わせぶりに微笑んだ彼女は、明らかに何かを勿体ぶっている気配があった。

「私よりも一つ世代が上の魔王ですね。彼が滅びた抗争の際には、私は参加していませんでした。仕事が忙しかったもので」

 元・《嵐の柩》卿が言う、『仕事が忙しかった』というのは、くだんの長野抗争に関東の魔王がかかりきりになっている隙をついて、魔王として勢力を拡大していたということだろう。

 ふと、こいつの実年齢が気になったが、触れるのはやめておくことにした。露骨な敵対行為であり、激しい拒絶反応を引き出すのは明白だったからだ。

 そうして俺が沈黙しているのをいいことに、元・《嵐の柩》卿は勿体ぶった笑みを浮かべたまま、こちらの顔を覗き込んできた。


「ヤシロ様はいかがですか? あの抗争には参加されていなかったので?」

「俺もそれどころじゃなかった。ちょうど勇者になり立ての時期で――業界に慣れるのに必死だった。毎日、剣を振り回してたよ」

 俺の勉強したバスタード・ソードという武器の扱いは、そこそこ希少な技術に分類される。独特な重心を持つ剣の構造を活かすために、相応の練習が必要になる武器だ。片手での取り回しも行うため、技術体系にはちょっとした格闘術まで含まれる。

 師匠は、この技術を《雁の戦技》と呼んでいた。由来は知らない。


「はっ。つまりそれは、師匠の修行時代!」

 俺の返答に、すごい勢いで食いついたやつがいた。

 城ヶ峰だ。

「ぜひお伺いしたいです! どんな修行をしていたんですか? あとで師匠の伝記にまとめようと思っています!」

「振り返るな。警戒してろ」

 俺は釘を刺したが、城ヶ峰は止まらない。

「私は父から、師匠が乗り越えたという《十二の難事》の片鱗を耳にしたことがあります。魔王の城塞深くに単独で切り込み、名乗りも高らかにあげ、何百もの敵を蹴散らしたとか」

「まあ」

 これには元・《嵐の柩》卿も、やっぱり喉を鳴らすようにして笑った。

「そのような逸話が?」


「知るかよ」

 なんだそりゃ、と思った。

「まず本人が聞いたことねえよ」

「えっ。他にも邪悪な魔獣を素手で仕留めた話とか、色々あるのですが」

「そんなもん――ああ」

 城ヶ峰の一言で、わずかに、かろうじて記憶の片隅に引っかかっていた部分が刺激された。


 魔王の城塞深くに、単独で切り込み。それから邪悪な魔獣。

 確かに、師匠からそんな感じの無茶な『訓練』をやらされた記憶がある。

 魔王の根城に大音量を響かせるラジカセを担いで侵入させられ、そこからどうにか魔王を殺して帰ってくるとか。獣に変化するエーテル知覚を持った魔王を素手で殺してくるとか。

 あの凄惨な訓練を、あのクソ師匠、そんな感じの美談に変えて娘に話したのか。最悪だ。

 よって、俺は記憶の底にあの日々を押し込めておくことにした。俺の昔話は、積極的に忘れたいことばかりだ。


「やはり師匠! 心当たりがあるのでは?」

「ねえよ。それより心当たりといえば、《嵐の柩》。お前の方こそ」

 城ヶ峰はまだ喋りたそうだったが、そんなに暇ではない。

「いま、なんか思いついてるだろ。なんだ? このアホみたいな事態の解決策か?」

「いえ。ちょっとした疑問がありまして」

 意外なほど素直に、元・《嵐の柩》は首を傾げた。

「《夜の恩寵》卿のエーテル知覚について。そもそも彼は――」

「あっ。警戒!」

 城ヶ峰が変な声をあげて、不意に立ち止まった。左右に窓ガラスが並ぶ、渡り廊下に差し掛かるところだった。


「マジかよ。いま、忙しいところなんだけど」

 俺も足を止め、白いカンテラの光を掲げる。これまでの経緯から、どんな怪物が出てくるかわかったものではないからだ。

「師匠。これは幽霊ではありません」

 城ヶ峰のその背中に、ある種の緊張が立ち上るのがわかった。エーテルが緩やかに励起され、静電気のような不気味な感触が伝わってくる。

「極めて邪悪な思念を感じます! どすぐろい紫色の渦がずるずると流れているかのような――」

「おう。わかった」

 俺は城ヶ峰プレゼンテーションを素早く停止させた。


「で、どこから?」

「はい!」

 城ヶ峰は剣を構えた。右手側の窓に向かって、だ。

「来ます! これは、さっきの――」

 最後まで言い切るよりも早く、その窓ガラスが砕けた。


「あら」

 元・《嵐の柩》卿は、芝居がかった仕草で口元に手を当てる。ただし、その表情が不愉快そうに曇るのがわかった。俺も同じ気分だった。

「《光芒の牙》卿?」

 砕けた窓から、真紅の人影が飛び込んでくる。

 そいつは空中で見事に二度ほど回転し、妙に軽快な着地を遂げた。翻る真紅の衣は、いまやその裾もぼろぼろに破け、曖昧にぼやけて見える。その衣の隙間から、まだ幼さの多分に残る少女のような横顔が覗いていた。

 俺には見覚えがある。

 《光芒の牙》卿が滅多に見せたがらない、本人の素顔だ。


 やつはこちらを振り返り、俺の顔を視認すると、途端に目を丸くして真紅の衣を引っ張った。明らかに慌てていた。ぼろぼろになった衣の裾がゴムのように伸び、再生し、本人の顔を覆い隠す。

「――ふ。はっ!」

 そして、高らかに笑い、真紅の衣を翻した。

「どうやら運命は我々を引き合わせるようだ、《死神》ヤシロよ! お姉様が私を導いているのがわかる。背約者である貴様を裁けと!」


「なんでもいいのですけど」

 こいつに対して、元・《嵐の柩》卿の声はどこか辛辣だ。魔王としての同族嫌悪でもあるのかもしれない。

「いま、あなたはそれどころではないように見受けられたのですが」

「黙れ、下郎。いま私はお兄様と話している。いますぐ己の喉を引き裂き、己の罪を償うがいい」

「親切心から申し上げたのですが――《光芒の蛇》ごときに使われていた小者が、ずいぶん偉そうな口を叩くものですね」

「なんだと? 貴様が先に死を受け取るか」

「まあ、怖い。ヤシロ様、《E3》をいただけますか?」

 元・《嵐の柩》卿は図々しくも俺に片手を差し出した。

「ここはヤシロ様のパートナーとして、信頼のおける実力と誠意をお見せします」


「なにっ。そんなこと――師匠! ここは私にお任せください!」

 城ヶ峰は過敏に反応した。盾を構え、一歩前に出る。

「相手は師匠に仇なす《光芒の牙》。相手にとって不足なし、パートナーとして私はがんばります!」

「いや、別にいらねえよ」

 俺が元・《嵐の柩》卿と《光芒の牙》の茶番に口を挟まなかったのには、理由がある。特に元・《嵐の柩》卿は、わかっていて茶番をやっていた。

「こいつ、すぐ退場するし」

 《光芒の牙》はそういうやつだ――一拍の遅れもなく、光芒の牙が飛び込んできた窓ガラスから、黒々とした異形の影が忍び寄っていた。《光芒の牙》は真紅の衣の内から何本もの刃を煌かせ、反応しかけたが、すでに手遅れだ。


「なんと! そういえば」

 反撃の刃はいずれも振るわれることはなかった。

「またしても邪魔が――」

 異形の影から、何本もの『手』が伸びたように見えた。

 次の瞬間、《光芒の牙》卿はそれに捕まり、振り回されて、反対側の窓にたたきつけられた。またガラスが砕けて、《光芒の牙》は落下していく。


 俺は特に感想もなくそれを見ていた。

 だんだんと《光芒の牙》のことを思い出してきたが、あまり深く回想するのはやめておこう。やつと組んで仕事をした時期に、いい記憶がほとんどないからだ。いまだに俺はあいつにどう接するべきか、態度を決めかねている。

 強いて再び忘れることにしよう。これもまたロクでもない昔話の一つだ。


「あの娘」

 元・《嵐の柩》卿は、憐れみのこもったため息をついた。

「ヤシロ様を見ると、自分の置かれている状況をすべて忘却するかわいそうな方なのでは?」

「魔王ってのはみんなイカれてるんだよ」

 皮肉のつもりだった。

 そしておそらく《夜の恩寵》卿もそうだったのだろう、と、俺は新しく現れた異形を眺めて思う。

 見た目は蜘蛛の幽霊だ。

 ただし二メートルほどの図体があり、生えている八本の脚は、どうやらすべて人間の腕のようだった。趣味が悪すぎる。青白くたゆたう輪郭で、音もなく床を這う。


「出たな、怪物め! 師匠の一番弟子、城ヶ峰亜希が相手になろう!」

 名乗りをあげ、剣を構えて走り出す――こんな怪物を前にして喜ぶのは、まさに城ヶ峰くらいのものだ。

 やはり、こいつがトップクラスでイカれている。

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