レッスン3:逃走こそ最高の戦術
第1話
結果として、俺の目論見は失敗だったと認めざるを得ない。
幽霊どもと乱戦になったどさくさに紛れ、城ヶ峰たち三人を撒くつもりだったが、あまりにも敵の数が多すぎた。
幽霊の集団は次から次へとおぼろげな影を現して、昆虫のように増殖し、執拗に俺たちを追ってきた。固まって突破しなければ、取り囲まれて面倒なことになっていただろう。
むろん、幽霊どもの一匹ずつは大した脅威でもない。それこそ昆虫の群れ同然に、たやすく切り払って追い散らすことができた。
「足を止めるなよ」
前進し、正面の青白い影を切り捨てながら、俺は後方へ怒鳴った。
俺を頂点に三角形を作る形で、城ヶ峰にセーラが追随しているはずだ。その中間に元・《嵐の柩》卿。やつが最も安全な位置で楽をしているのは気に入らないが、いまは仕方がない。
「囲まれると捕まるぞ」
バスタード・ソードに左手を添え、思い切り肘を伸ばして刃を振るう。
「動き続けろ」
俺が放った横薙ぎの一撃は、正面の幽霊の胴体を断ち切って、煙のように吹き散らした。手ごたえというものがない。
この幽霊どもに個体差はあるが、こんなところで群れて徘徊しているやつらは、いずれも知能は低い。
ただ生きている人間に近づいて、しがみつき、金縛りと体温低下で動きを鈍らせる。そうして最終的には低体温症で死に至らしめる、というのがやつらの習性だ。かなり迂遠な攻撃方法ではあるが、実際に集団で襲われると困る。
少なくともこいつらを生み出した《夜の恩寵》卿は、この群れをそのように設定したと思われる。
「聞いてるか、おい。城ヶ峰、セーラ」
「はい!」
間髪を入れず、城ケ峰の威勢だけはいい返事があった。
「不肖、城ヶ峰! いままさに奮戦しています。師匠の背後はお任せください!」
視界の端で、城ヶ峰の握る片手剣が閃く。思い切りのいい袈裟切りだった。ちょっと大柄な男の幽霊を肩口から綺麗に引き裂き、そのまま煙に変えている。
一撃か。
なんかムカつくが、なかなかやる。
この幽霊を的確に散らすコツは、攻撃を勢いよく当てること。それだけだ。砂でできた人形を破壊するのに似ている。四肢への攻撃はほとんど有効ではなく、ただ体幹部分を正面から破壊してやるだけでいい。
「これはまさに、城ヶ峰大活躍の夜ですね」
思いあがった城ヶ峰は、剣を振り上げて喚いた。
「いくらでも来るがいい、亡者ども!」
騒がしい。余計に亡者がよってきそうだ。
とはいえ実際のところ、城ヶ峰はうまくやっている。それも、異様なほどに。
生きた人間を相手にしていないからか。遠慮なく攻撃を行える時の城ヶ峰は、まさに教科書通りといった動きができている。盾で防ぎ、剣でカウンターを見舞う。いつもこのくらいのスペックを発揮してほしいくらいだ。
俺に追随しながら、隣を気にする余裕さえ見せた。
「セーラ、無理はするな。ここは絶好調の私に任せていいぞ!」
「うるっせえな」
セーラは顔をしかめながら、しがみつこうとする幽霊を叩き切った。いかにも力任せな一撃。というより、余計な力が入っている。
「このくらい、ぜんぜん、たいしたことないって」
とはいうものの、セーラの呼吸はずいぶんと乱れている。《E3》を使ってこれほどとは、どちらかといえば精神的な消耗の激しさを意味する。
「近づくなよ、くそ!」
やや上ずった声をあげて、セーラがまた日本刀を振り回した。足元に這い寄っていた幽霊を切り伏せる。
俺がことさら注視するまでもなく、セーラの動きは精彩を欠いていた。周囲を俯瞰して見ることができていない。正面の敵に注目しすぎるから、結果的に別の敵の接近を許す。そちらに対応を迫られて、さらに余裕がなくなっていく。
悪循環だが、理由は推測できる――さてはセーラめ、幽霊とか苦手なタイプだな。
ここの幽霊どもはホラー映画に出てくる連中とは、明らかに意味が違う。単なるロボットみたいなものだが、その外見は最新のCGが及びもつかない臨場感があるし、みんな死の直前の状況で固定されているから、かなりグロテスクなやつもいる。
頭蓋骨が割られて中身が見えているやつとか、内臓がはみ出して苦悶の表情を浮かべているやつとか。慣れないと精神的にきついものがあるだろう。
俺と印堂は免疫があるし、元・《嵐の柩》卿は言うまでもない。城ヶ峰は――まあ、城ヶ峰だ。
「攻撃の手さえ休めなきゃ、こいつらはそれほど厄介な連中じゃない」
俺はやつらに聞こえるように、簡単なアドバイスをしてやる。指導者としての才能の片鱗を見せるとしよう。
「ただし、絶対に触られるなよ。引き起こされる現象は金縛りというか、筋肉の麻痺だ。体温も下がる。これだけの数がいると、そのまま捕まって死ぬからな」
もう一匹の幽霊を切り伏せた俺は、バスタード・ソードを片手にぶら下げ、極力リラックスする。このレベルの多対一になれば、可能な限りの省エネルギーが必要だ。
「あとはまあ、気合だ。藁人形を切り倒すより楽だろ、こんなの」
「んなこと言ったって」
セーラは必死の形相で、俺の後を追ってくる。遅れたら死ぬ、という言葉が、非常に残酷な想像力を刺激してしまったらしい。
「なんかこう、やりにくいんだけど! ふわふわしてるっていうかさあ」
「数だよ、数」
仕方がないので、俺はとっておきのコツを教えることにした。
「数こなせば慣れる。とりあえず百ぐらい斬っとけ」
「慣れる前に死んだらどうすんだよ!」
俺にはその言葉に何も答えられなかった。死んだら何も残らないし、その後のことを考えても仕方がない。アドバイスって面倒くさいな、と俺は思った。
代わりに、城ヶ峰が無責任な慰めを口にする。
「大丈夫だ、セーラ。迷える魂を天に送るのだ、恐れることはない」
「だからビビってねえって! こいつら、微妙に間合いが掴みづらくて――」
「バッと踏み込んでグッと行けばいい。何事も必勝の信念さえあればうまくいく!」
「出たよ、亜希の城ヶ峰メソッド」
セーラは辟易した声をあげた。
「それでうまく行く方が珍しいんだよ! これ、マジでレアなケースだからな!」
連中のたわごとは耳障りではあるが、そういう冗談を言えるうちはまだ余裕がある。問題は、これだけ敵の数が多いと、その余裕も遅かれ早かれ消滅してしまうということだが――
「教官」
俺の考えの先を察したように、前方で印堂の影が跳ねた。
こいつこそ亡霊のような登場の仕方だった。空中から滑り出すように姿を現すと、幽霊の一匹の喉を掻き切り、静かな着地を果たしている。猫を思わせる動きだった。
「もう、すぐそこ。屋敷の門は開けてきた」
「おう」
俺もちょうど顔面の半分が砕けた女の幽霊を、正面から両断していたところだ。印堂には先行させて、目的地の様子を見に行かせていた。
「こいつらの相手も飽きてきたし、行くか。どうだった?」
「教官、私は単独行動だったし、非常に働いた」
「わかった、お疲れさん。これでいいだろ」
「心」
「こめてるって!」
軽口を叩きながらも、俺は仕事を休んではいない。右半身が血まみれの老人の幽霊を殴りつけ、首を刎ねる。
「屋敷を見てきたよな、印堂。幽霊どもはどうだった? 建物の中だ」
「すごく少ないと思う。理由は知らないけど」
印堂は喋りながらも、間断なく動き続けている。空間を跳躍し、次の幽霊へ襲い掛かり、首を刈る。まったく幽霊相手でも見事な殺し屋ぶりだ。
「幽霊たち、あの屋敷に近づきたがらない感じがする」
「ますますキナくさいな」
そういう風に誘導されているような気さえする。だが、いったい何のために? 気になることだらけだ。俺は元・《嵐の柩》卿を一瞬だけ振り返る。
「お前、何か隠してないだろうな?」
「信用がないのですね」
元・《嵐の柩》卿は、荒い息の合間に答えた。
「いまはパートナーなのですから、もう少し信じてくださってもよいのでは?」
どうにか顔には微笑を張り付けているが、ここまでの全力疾走で極度に疲労しているのは一目瞭然だ。エーテル強化のない肉体で、これほどの運動は堪えるのだろう。ザマァみろ。
「どちらにせよ、行くしかないか」
俺は正面に顔を向けた。もう、屋敷の門が見えていた。
かつて《躑躅屋敷》と呼ばれていたらしいそれは、月の光を浴びて黒々とそびえ立っている。西洋風の凝った外観のようだが、やや装飾過多のように思われる。レンガ造り風の壁はなんだか重苦しく、膨れ上がったバケモノみたいだ。
「よし、走れ!」
俺は後続に向けて怒鳴った。
「屋敷に逃げ込めよ、遅れるな」
「お任せを」
城ヶ峰が気勢を上げて、すぐに応答した。本当にイラつくが、いまのこいつは少しは当てになる。事実、踏み込みながらの斬撃で、行く手に突破口を開いた。しかも振り返り、頭上に剣をかざす仕草さえしてみせた。
「師匠、今日の私って輝いていますか?」
「調子に乗るのが百年早い」
俺は城ヶ峰を突き飛ばすように追い越し、彼女の背後に忍び寄っていた幽霊の首を切り飛ばした。
「いいから急げ」
他に言うべきことは無い――あとは、無言で走る。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます