第4話
夕暮れが近づくと、山の輪郭が煮え立つように赤くなった。
山鳥が頭上をかすめて飛び、どことなく不吉で耳障りな、赤ん坊に似た鳴き声を響かせている。
改めて言うが、ここは長野の山の中だ。本物の幽霊が出てもおかしくはない。木々が作る影は深まり、初夏とは思えないほど冷たい風がその隙間を縫っている。
もう、夜が来る。
アカデミーの学生連中にも夕食の時間が訪れたようで、駆け足で炊事場へと向かい、三人ひと組のチームで準備を開始している。どうやら料理もこの野外研修のカリキュラムの一環らしい。
しばらく観察しなくても、いちばん騒いでいるチームが自然と目に付く――不本意だが、よく知っている三人だ。
かなり面倒くさい茶番に関わらされるというリスクは認識していたが、俺はあえてその現場に近づくことにした。
情報収集の必要があったからだ。このため《嵐の柩》卿は部屋においてきた。あいつがいると話がややこしくなるし、探索に向けて準備も必要だった。
「おう」
かける言葉に迷ったが、ここはシンプルに切り出すことにする。自然さが重要だ。
「夕飯の時間か?」
「はい、師匠! 少々お待ちください!」
俺の接近を察知した城ヶ峰は、いち早く理解に苦しむセリフを口にした。
「ただいま、この私が! 師匠の分まで夕食を作成しています。すぐに完成する予定ですので、そこで座ってお待ちください。私の手際が見える位置がいいかと」
このときの城ヶ峰は頭に白いタオルを巻いており、その暑苦しい表情も加わって、頑固なラーメン職人のように見えた。手元で包丁をふるい、人参を切り刻んでいる。
城ヶ峰の発言について、指摘したい部分はいくつもあったが、今回はなにも言わないことにした。
俺には目的がある。
可能な限りこの三人を刺激しないように、情報を仕入れ、アカデミーの野外研修とやらとは無関係に今回の仕事を片付けたい。
「カレーか」
俺はそこに並んでいる具材から見当をつけた。
「失敗する可能性も低い。妥当なチョイスだ」
「はい! お任せ下さい」
城ヶ峰はカットした人参を鍋に放り込んだ。
なんだか腹の立つ話だが、城ヶ峰はこういう場面で妙に器用だ。寮での一人暮らしが影響しているのか、意外なほどまともな料理を作る。
「師匠はどうせ普段ろくなものを食べていないでしょうし、この私が披露する家庭の味で落涙すること間違いなしです」
「お前はなぜ自分のアピールで、わざわざ俺への悪口を混ぜてくるんだ?」
「師匠の不安もごもっともですが、大丈夫です! カレーは万能の調味料なので、絶対に美味しくなります。これが城ヶ峰プランニングです」
「お前は本当に人の話を――」
言いたいことがまたいくつも浮かんできたが、俺はどうにか堪えた。無意味だ。首を振って気分をリセットする。
「――まあいいや。そのプラン、重大な懸念材料があるんじゃないか。どう思うセーラ?」
「うるさいな!」
セーラは顔をしかめて、かなり焦った声をあげた。
「なんで私に言うんだよ」
こいつは自前の金髪をまとめあげ、そのうえ三角巾で律儀に包んでいた。真面目なやつだ。
しかしその手つきは本人の律儀さを完全に裏切っている。じゃがいもを包丁で切断する作業に集中しているが、あまりにも手慣れていない。包丁で斬撃をくわえるたび、カットされたじゃがいもの大きさは不揃いになっていく。哀れだ。
俺は彼女を叱咤激励する意味で、嘲りの言葉をかけてやることにした。ままならない今回の仕事に関する八つ当たりというわけでは、断じてない。
「無理すんなよ。とりあえずセーラの場合、おままごとセットを使っての練習から始めた方がいいんじゃないか」
「なめんな、カレーくらい作ったことあるって……!」
「セーラ、集中して」
反論しようとしたセーラの傍らから、冷たい叱責が飛んできた。印堂だ。こいつは腕を組み、セーラの師であるかのように仁王立ちしていた。
「包丁を使ってるし、料理は遊びじゃないから」
言い分はごもっともだが、印堂に言われると妙にダメージを受けるらしい。セーラはすごく複雑そうな顔をして、口を開閉した挙句、一言だけを返した。
「わかってるよ」
「わかってない。セーラは自分が料理できない方の人だということを、もっと理解すべき」
「いや私だって、そんなにネタにされるほどできないワケじゃねえって。あんまり慣れてないから――」
「まさにそれが問題だと思う」
印堂の指摘は容赦がない。
こいつが料理ならなんでも一通りできるのは、俺にとってはそれほど意外なことではない。幼少期は傭兵部隊で暮らしていた過去の持ち主だし、単純に一人暮らしの経験が長いからだ。
「そうだ雪音!」
と、変なタイミングで城ヶ峰が声援を送った。
「その調子でセーラを正しい方向に導いてやってくれ。二度とセーラの変な野菜炒めは食べたくないからな」
「うん」
城ヶ峰と印堂は、視線をかわすと同時に深くうなずいた。
「あれをシチューの予定で作っていたことが信じられない」
「違うって。あれはただ、シチューがちょっと難しそうだから、臨機応変に方針転換したつもりだったんだけど……」
「そういうのがよくない」
印堂は呆れたように顔を背け、なんだか遠い目をした。
「不出来な生徒を持つと、教師は苦労する……。なるほど。いま、私は教官の大変さを理解していると思う」
「大丈夫だセーラ! きみも努力すれば、いずれ私の領域に到達できる!」
つけあがった城ヶ峰の言葉に、セーラは頬を引きつらせた。一方的に城ヶ峰にマウントをとられるセーラなど、なかなかお目にかかれる光景ではない。
俺は笑ってしまった。これはいい茶番だ。
「まあ、まともなのが完成したら味見くらいさせてくれよ。それより、お前らのクラスだけど」
ここからが本題だ。俺は可能な限りさりげなく切り出すよう努力した。
「例の館、幽霊どもを掃除しにいくのは明日か?」
「はい!」
城ヶ峰はなんの疑問を持つことなく答えた。こういうときは重宝するやつだ。
「明日、太陽のある時間帯に掃討活動を行います。師匠も同行されますよね? 私の活躍を見るために!」
「授業参観かよ、やだよ」
反射的に答えてしまったが、こんなやつらと集団行動するなんて面倒くさすぎる。俺は学生の頃からそういうのが苦手だった。苦手すぎて、こんなところまで落ちぶれてしまった。
「まあ――そうだな。適当にがんばってくれ。ボランティア活動、ご立派じゃないか。一円の得にもならないとか、ヤバすぎるけど」
「なんか怪しいな」
セーラはさすがに小賢しい知恵が回る。細めた目で俺を睨む。
「ほんとにセンセイ、なんでこんな山の中まで来たんだよ? あの館になんかあるんだろ?」
「いや別に。なにも」
「嘘つけっ、絶対なんかあるだろ! おかしいじゃん、《嵐の柩》まで連れてきやがって――」
「うるせえな。料理してるんだから、そっちに集中しろよ。印堂先生、こいつをしっかり見張っててくれよな」
「セーラ」
『先生』呼びされて機嫌をよくした印堂は、強い鼻息とともにセーラを叱責する。
「しっかりやること。私語は禁止」
「待った、騙されてるぞ雪音」
「禁止」
セーラはため息とともに沈黙する。これでよし。
ひとまず、これをもって情報収集は完了した。
ここのクラスのやつらが動くのは、明日。ということなら、俺はやはり今夜中に行動を完遂しなければならない。
上等だ。これだけの人数が、あの教師《トリスタン》ラムジーとともに館に踏み込んだら、《嵐の柩》卿の隠し財産も危ない。
考えながら、なんとなく周囲を見回した俺は、いくつもの視線がチラチラとこちらを向いていることに気づいた。中には、なんだか楽しそうな顔でひそひそと話している生徒もいる。
これは落ち着かない。
というより、不愉快だ。
「なあ、城ヶ峰」
「はい、師匠! 私の明日の活躍についてですね? ご説明します! 私たちのチームは後詰として――」
「いや違う。お前の説明はマジで聞きたくない――で、さっきからお前のクラスの連中からの視線を感じるんだけど、なにが原因だと思う?」
「はい、それはもちろん!」
半ば予想はしていたが、清々しい答えが返ってきた。
「師匠が素晴らしい指導者であり、いつもお世話になっていること! それから卓抜した技量を持ち、数々の武勇伝を保有していること! 片手で魔王百人くらいをひねり潰せる実力の持ち主だと伝えてあります!」
「待てよ、おい」
「あ、大丈夫です。エーテル知覚のことなど、師匠やセーラや雪音に激しく釘を刺されたことについては、まだ誰にも内緒にしていますから。これでも気が利く、安心の城ヶ峰です!」
「なんだこいつ、ヤバすぎるだろ」
それで合点がいった。思ったよりひどい噂を流されているらしい。さらに具体的なところが気になったが、聞かない方がいいだろうという気もする。
俺はあえてなにも聞こえないように、聴覚を遮断しようとした。
耳を澄ませるほど、余計な情報が入ってきそうだった――その瞬間だった。
「ん」
俺は思わず顔をあげた。
底冷えのするような強い風が、木々の枝を揺らす。
なんとなく身震いしたくなる。妙に神経が鋭くなるような感覚。学生どもの噂話も耳に入らなくなりそうなほどだった。
「城ヶ峰。いま、なにか聞こえたか?」
「え。いえ、なにも?」
「そうか」
俺は風が吹き抜けていく木立の隙間に目をこらした。
なにか、子供のように小さな影が、その間をすり抜けていった気がする。俺は自分がバスタード・ソードの柄に手をかけていることに、少し遅れて気づいた。
風に乗って、俺には確かに聞こえた。
城ヶ峰は気付かなかった。
獣があげる断末魔のような、恐怖と怒りの入り混じった、低く陰惨な声だった。
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