第3話
茶番からの解放は、意外とすぐに訪れた。
やつら三人は野外研修という名目でこの場所を訪れている身であり、つまり学校の授業に従事する必要があったからだ。アカデミーが組んだスケジュールに従うしかない。
これが学生の不自由なところだ――しかし、俺の方だって自由なわけではない。
俺と元・《嵐の柩》卿は、ペンションの裏手に設けられた運動場の片隅で、やつらの訓練風景を眺めながら臨時の打ち合わせをしなければならなかった。
もともとこの運動場は、テニスの類のレジャー・スポーツをするための空間だったようだ。そこへ《円卓財団》が経営するアカデミーが出資し、このように前途ある若者が走ったり飛んだり、模造刀で殴り合ったりする場所に変化したのだと思われる。
俺たちは仕方なしに、太陽の光を避けるように木陰のベンチに陣取ることにした。
山の中だが、もうそろそろ初夏といっていい時期だろう。《白い尾の猿》卿は生意気にも直射日光の紫外線がどうこうとか言い始め、だいぶイラつかされたが、俺も燦々と照りつける太陽は苦手だったので利害は一致したというわけだった。
「だいぶ話がおかしくなってきたぞ」
俺はここまでの話を整理しなければならなかった。
宝探しの雲行きが怪しい。この件に着手する前は、隠し財産つかみ取りのようなものだと思っていただけに、このリスクの馬鹿げた増加は無視できない。
「まずは確認しとくか。元・《嵐の柩》卿、お前の別荘って幽霊屋敷だったのかよ」
「いいえ? まさか」
元・《嵐の柩》卿は、こんな状況下でも優雅に扇子を取り出し、そいつをパチリと開いてみせた。手錠をかけられているにも関わらず、器用なやつだ。
「ごく普通の物件でしたよ。避暑地として絶好の場所でした。初夏の庭園は特に見ごたえがありまして、躑躅が館を覆うのです――毎年、ヤシロ様もお誘いしていたと思うのですが」
「記憶にない」
マジでない。郵便物やメールの類などは、見ずに捨てる習慣がついている。どうせろくな知らせなんて来ないからだ。
元・《嵐の柩》卿は、これもまた非常にわざとらしいため息をついた。
「まあ、そういう方ですよね。いいのですけど。――屋敷のお話です。ここ一年ほど多忙で放置していたのですが、幽霊どもの根城になっているとは。驚きました」
「しかも、かなり最近だよな。何があった? やっぱりお前が残虐な拷問をあの館でやってたから、その怨念的なものが溜まってるんじゃないのか?」
「そのような事――しなかったとは申しませんが」
彼女は凄みのある微笑を、ほんの少しだけ浮かべてみせた。そこには確かに、かつての《嵐の柩》としての面影がある。なんかムカつく。
「ここ長野で観測される幽霊は、それとはまた別の事象です。ヤシロ様もご承知でしょう?」
「まあな」
幽霊には二種類ある。
実在するやつと、実在しないやつだ。
長野県では、《夜の恩寵》卿が死体から生成した幽霊が実在し、徘徊している。実在するからには、それほど脅威ではない――《E3》を扱う勇者にとっては。ここの幽霊は所詮、魔王が引き起こしたエーテル知覚の結果に過ぎないからだ。
つまり《E3》を用いれば、こちらから向こうに干渉し、破壊することができる。
エーテル知覚で定義された実体は、エーテルによる現実希釈で改竄可能、という理屈を聞いたことがあるが、本当かどうかは知らない。とにかく重要なのは、俺が何度か長野での仕事において、その手の幽霊を破壊した実績があるということだ。
「幽霊はそれほど脅威じゃない」
俺は断言した。
「だが、なんで集まってるんだ? 理由が気になるな。キング・ロブ陛下のサイン会でもあるのか?」
キング・ロブとは、俺やジョーやイシノオの界隈で流行しているカードゲーム、《七つのメダリオン》の世界チャンピオンのことだ。
現在、世界大会では破竹の四連覇を果たしている。常に新たな境地を切り開くプレイスタイルだけでなく、高潔な人格と親しみやすい気さくなファンサービスにより絶大な人気を誇る。俺みたいなやつにまでサインしてくれた。本当に凄い。
俺の私見ではあるが、たぶん世界でいちばん偉い人物だ。
「陛下がいらっしゃるなら、幽霊たちも大興奮間違いなしだからな。やべえな」
「前から聞こうと思っていたのですが、そのキング・ロブというのは、どこのどなたです?」
「お前の無知レベルには驚かされるな。キング・ロブは偉大な男だ。次から『陛下』をつけて呼べ」
「はあ。まあ、それはよろしいのですけど」
元・《嵐の柩》卿は、まったく取り合わなかった。パチリと音をたてて扇子を閉じ、その先端を俺に向ける。
「いずれにせよ幽霊の収束現象について、これを偶然と考えるのは、少々呑気がすぎるかと」
「――たぶん、誰かの仕業だろうな」
俺はベンチにもたれかかった。
見るともなしに、運動場でストレッチをしたり、掛け声とともに模造刀での打ち合いを繰り返したりする生徒たちを眺めている。その数は、ざっと三十人。うち男子は六名ほどで、やはり少ない。
こいつらはEクラスだという話だが、中には剣の扱いがそこそこサマになっているやつもいる。トップクラスは当然のように印堂で、セーラは自らの天分に振り回されている感じが強い。それと同レベルのやつが二、三人か。
驚かされるのは、城ヶ峰がこの手の型稽古ならば、割とまともに動けているところだった。典型的な実戦になると崩れるタイプ。やつの場合は自業自得だ。
「よし。もう一度だけ確認しとく。元・《嵐の柩》卿、お前以外に隠し財産を手に入れるのは不可能なんだな? 例の『扉』のやつだ」
「ええ。基本的には、そうですね」
どこか他人事のように、元・《嵐の柩》卿は呟いた。
「私のエーテル知覚以外で、『扉』を開けるのは困難です。もちろん、この世にはどんなエーテル知覚の使い手がいるかわかりませんけれど」
「なら、いい。先に奪われてたら、お前を奴隷商人に売り飛ばす」
「あら、怖い」
元・《嵐の柩》卿は、扇子を引っ込めて、唇に当てた。俺はさらにイライラしてきた。なにか侮辱的なことを言ってやろうと思ったが、考えている間に元・《嵐の柩》卿は言葉を続けている。
「では、ヤシロ様。その現象の原因が、他の隠し財産の探索者にあると考えるのはいかがでしょう? たとえば、《光芒の牙》卿。彼こそ、まさに隠し場所を嗅ぎつけていると聞きました」
「ん」
俺はそのとき、ちょっと変な顔をしたかもしれない。意外な発言だったからだ。
「元・《嵐の柩》卿。もしかしてお前、あいつ――《光芒の牙》と会ったことないのか?」
「ありますよ。パーティーの場で、ですけど」
「なるほど。あいつの人見知りも、ここに極まれりって感じだな」
「それは、どういう意味ですか?」
「めちゃくちゃ面倒くさいやつなんだよ。今回は戦闘になるかもしれないから言っとくか。あいつのエーテル知覚を知らないなら無理もないけど、《光芒の牙》ってのは――」
言いかけて、俺は口をつぐんだ。
背後から近づいてきた気配に気づいたからだ。むしろ、こちらに気づかせるように露骨な足音をさせていた。
「さあ――いかがですか、ヤシロ氏!」
あまりにも唐突で、かなり過剰にフレンドリーな声だった。
「私たちアカデミーEクラスの生徒は。今回の野外研修の引率担当としては、あなたの意見もぜひお聞きしたいですね」
振り返ると、満面の笑みを浮かべる巻き毛の男の姿がある。《トリスタン》ラムジー。さっき挑発的なまでの爽やかさで挨拶してきたやつだ。やつはベンチを回り込み、俺の前に立った。見下ろす形になる――いいツラの厚さをしてやがる。
いかにも間抜けなジャージ姿ではあるが、ラムジーの腰には剣帯があり、立派な両手剣が吊るされていた。アーサー王の配下ならば、そいつは《魔剣》の類である可能性すらある。
「ああ、《トリスタン》。あんたも暇そうだな」
俺はベンチから立ち上がらずに応じる。そうすることで、相手をイラつかせることができると思ったからだ。元・《嵐の柩》卿には、横目で黙っていろと合図する。
「ヒヨコどもの世話としては、上々の仕上がりなんじゃないか。あんなやつらでも、後ろから斬りかかれば魔王の一人ぐらいは殺せるだろうよ」
「ご意見、ありがとうございます」
俺の嫌味を、《トリスタン》ラムジーは笑って受け流した。
しかも、握手を求めるように片手を突き出してきやがった。
「お噂は伺っていますよ、《死神》ヤシロ氏。生徒がお世話になっていると。特にこの前の事件では、ずいぶんご活躍されたそうで」
「お世話どころじゃねえよ、死ぬほど迷惑かけられてるよ」
俺はラムジーの差し出した手を無視した。立ち上がって、正面から睨みつける形に移行する。
「あいつらの指導、もうちょいなんとかならないのか? 口の利き方もそうだが、人殺しとは思えないほど考えが甘いやつとかいるぜ」
「いえ。私は生徒の自由意思を尊重したいと思います」
ラムジーは笑ったまま、俺を正面から見つめる。
「アカデミーとしても、生徒には個人の自主性を育て、社会に貢献する人材になってほしいと考えています。私も同感ですね。勇者というイメージの改善には、個々人のメンタル面での変化が必要です」
「眠たい御託はいいんだよ。嘘くさすぎるぜ、お前ら」
「おっと、さすが」
ラムジーは妙な感心の仕方をした。
「アーサー会長が話題にするだけはありますね。豪胆です。いかがですか、《死神》ヤシロ氏」
上から目線のリアクションだったので、俺はさらに不快感を覚えた。
黙って睨みつけてやると、ラムジーは右足を後ろに引き、ちょっとした戦闘態勢をとった。
「私と一手、立ち会っていただけませんか? あなたの剣技に興味があります!」
「お前と?」
俺は嘲笑ってやった。
「やだよ。その顔がムカつくから」
首を振り、横を向いて通り過ぎる――と、いうのは見せかけだけのことだ。
何気なく体を捻った勢いをそのままに、右の裏拳を打つ。
《トリスタン》ラムジーの顔面に叩きつけてやるつもりだった。だが、さすがにやつは甘くない。
「素手ですか」
俺の裏拳は、ラムジーの掲げた腕でブロックされていた。視界の端で、元・《嵐の柩》卿が忍び笑いを漏らすのがわかった。あとで厳重注意してやる。
「いいですね、やりましょう!」
このくらいの至近距離から繰り出される技は、自ずと限定される。
アッパーやショートフックなどの手がそれにあたるが、このときラムジーが選択したのは肘だった。裏拳を打ったせいで、ガラ空きになった俺の脇の下にぶちこもうと考えたのだろう。
当然、こちらもそいつは読んでいたので、同様に左手の平で脇の下をフォローする形をとっている。
ぱん、と、乾いた音が響く。
我ながら惚れ惚れするほど的確に、ラムジーの肘打ちを受け止めることができた。さすが、俺。マジで嬉しくなるほどうまくいった。
互いに、互いの技を受け止めた状態。瞬間、視線が間近で交差した。ラムジーはまだ笑ってやがる。これ以上ないほどの至近距離。
ここから俺が選択するべきことは、ただひとつしかない。
「やめた」
俺は腕を引っ込め、まずありえない行動を選択した。尻餅をつくように後退する。すなわちそれは、ベンチに荒っぽく腰を下ろす動作になった。我ながら、これはしっかり意表をつけたと思う。
追撃をかけようとしたラムジーは、一歩踏み込んだだけで止まる。気勢を削いだというやつだ。俺はやつを馬鹿にするように、片手を振って笑った。
「疲れるだけだ、あんたとやるのは。ゴメンだね」
「そうでしょうか」
「続きをやったら報酬はいくら出るんだ? 一億くらい?」
「残念です」
ラムジーは腰の剣の柄に手を添えていた。
「《死神》氏の実力、拝見したかったのですが」
「俺はこういう戦いはしない主義なんだ」
それ以上、なにも答える気にはならなかった。
なぜなら運動場にいる学生どもが、そろってこっちに注目していたからだ。
中でも特に、城ヶ峰が嬉しそうに手を振っているのが見えたので、俺は完全に無視することに決めた。こんなところで晒し者になるのは耐えられないし、大事な商売道具である技の一部を披露するのは、もっと耐えられない。
元・《嵐の柩》卿がまた肩を震わせて笑った。
絶対に厳重注意してやる。
「残念です」
ラムジーは微笑み、もう一度だけ繰り返した。
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