レッスン2:勝てない相手とは戦うな

第1話

 長野県には、魔王の亡霊が徘徊している。

 という、《ソルト》ジョーの明らかにビビった態度は、実のところそこまで誇張された表現というわけでもない。


 すべては《信越霧海抗争》と呼ばれる、大規模な魔王間の抗争のせいだ。関東の魔王と、ロシアの魔王勢力から支援を受けた北陸の魔王――《夜の恩寵》卿がぶつかり、血で血を洗う戦いに発展した。

 この《夜の恩寵》卿がふるったエーテル知覚が問題だった。

 実際にどのような力だったのか、俺もよく知っているわけではない。だが、死者――あるいは瀕死者をなんらかの方法により、幽霊のような状態にすることができたという。

 おかげでいまでも長野県の人里離れた地域には、亡霊と化した魔王と、その眷属の姿が目撃されるケースがある。特に夜になると頻繁だ。幽霊には生きた人間を殺すほどの力はないらしいし、せいぜい吐き気をさせたり、軽い金縛りにかけたりする程度のものらしいが、だからといって積極的に会いたくはない。

 とくに車に乗っている間に金縛りにかかるのは、非常にまずい。


 こうした事情から、長野県の交通機関はすっかり衰退してしまっている。

 アーサー王率いる《円卓財団》が、近々掃討作戦を決行する予定もあるらしいが、果たして本気かどうか。

 とにかく、そんな状況のおかげで、俺は目的地までほとんど徒歩で移動せざるを得なかった。

 荷物を《嵐の柩》卿あらため、あずき色のジャージを着た新人バイトに担がせているとはいえ、これは相当に疲労させられた。

「私、考えたのですけど」

 と、新人バイトは登山用ザックを背負いながら、生意気にも不満のようなことを口にした。

 すでに息があがっているのに、喋り方や態度だけはずいぶんと余裕がありそうなものだ。さすが元・魔王、演技が上手い。青白く不健康そうな顔に汗を浮かべながら、髪の毛をかきあげてみせる。


「明らかに今回の仕事に不必要なものが、この背負袋の中に入っているのではないでしょうか? 重たすぎます。少なくとも、あの――ノートパソコンは不要なのでは?」

「馬鹿か。世間知らずめ」

 俺は新人バイトの常識を疑った。

 これだから魔王稼業にどっぷりと肩まで浸かっていた人間は、世間の一般的な物事を知らない。日本の通信事情は著しい発展を遂げているので、山の中でもインターネットが使える場所は多い。

 俺たちが向かっているペンションにしても、「インターネット環境/良好」と記されていた。


「俺は勇者としてビジネスの間口を広げるため、インターネットの世界に目をつけている。閲覧数を増やすには、毎日ブログを更新することだってジョーから聞いたんだ。旅行先でも怠らないのがコツだ」

「それはいいのですけど。ヤシロ様の、あのブログですか?」

「文句あるのかよ。確かにまだ人気ないけどな、現役の超一流勇者のブログなんだぜ。続けていればいつかはバズるはずだ」

 俺はジョーから聞いたありったけの知識と、希望的観測を開陳した。新人バイトは無表情に聞き返した。

「あのブログですか?」

「なぜそれを二回聞く。うるせえな! ほっとけよ!」


「まあ」

 新人バイトはくすくすと笑った。本当にこんな笑い方をするやつがいるとは、というくらいの芝居がかった笑いだった。

「怒られてしまいました。申し訳ありません、『ご主人さま』」

  新人バイトはまた俺をイラつかせるような口の利き方をする。

 ちっとも本気で言っていないだろう、という喋り方だ。俺はこの手の喋り方をするやつが苦手だったし、おそらく今度も永遠に慣れないままだろうと思う。


 こうして俺は甚だしく気分を損ねたので、目的地のペンションにたどり着くまではほとんど喋る気をなくした。新人バイトは色々と話しかけてきたかもしれないが、俺は生返事しか返したくなかった。

 これが狙いだとしたら、新人バイトのやつはうまくやったといえるだろう。

 くそっ。


 ――だが、ペンションに近づくと、そうした気分は引っ込めざるを得ないことに気づいた。

 明らかな人の気配があったからだ。

 それも、やけに大勢の。

「なんだ?」

 俺はペンションの手前の木陰から、その様子を観察することにした。

 ジャージ姿の、若い女――たぶん未成年の四人組が、ちょっと賑やかな笑い声をあげながら入口前を通り過ぎた。それだけでなく、あちこちから声が響いている。

 なんとなく、つい最近に北海道へ行ったことを思い出す。あのときは《神父》の野郎が『勇者温泉』なんていう気の狂った施設を経営していたから、ずいぶんとヤバい目にあった。まさか、と思い、即座に否定する。

 今回は、この施設の経営周りも調べた。俺は失敗から学ぶ男だ。


 ペンション《梢のさざめき》。

 俺たちがこれから攻略に挑む、《嵐の柩》卿の別荘であった洋館にそこそこ近いため、前哨基地に最適だと思った。少なくともキャンプ地よりはマシだろう。長野県の亡霊も、こういう施設には近づきたがらないようで、目撃例が大幅に低下する。

 なんの後ろめたい経歴もなく、怪しさもなかった、ごく普通のペンション。収容人数も多く、インターネット状況も良好で、様々な設備も整っている。そうした条件からいえば、そうだ、利用客は少なくないはずなのだ。

 とすれば、なんだか多すぎる人の気配も不思議ではないのか。

 ただ、それはそれで問題だ。


「ずいぶん繁盛しているご様子」

 俺の困った気配を察したのか、新人バイトは愉快そうに言った。

「いかがしますか? もしも彼女らに問われたとき、私たちはどのような関係だと主張しましょうか」

 本当に楽しそうだった。

「さあ、兄と妹にいたしましょうか? それとも、旦那様とメイドはいかがですか? 私としては、もちろん――」

「すでに考えてある」

 俺は上着の内側から、銀色に輝く手錠を取り出した。

 速やかに新人バイトの手にかける。右手、そして左手。

「えっ」

 新人バイトは愉快そうな顔のまま固まった。その顔が見たかった。


「お前はこのあたりの山奥を根城にしていた凶暴な魔王であり、俺はそれを護送中の勇者だ」

「はあ」

「名前は《白い尾の猿》卿だ。覚えたか?」

「本気でおっしゃっていますか?」

「ちなみに《白い尾の猿》卿は、たまに人里を襲って野菜とか金目のモノを盗んでいくケチな悪党で、古い山寺で猿どもを手懐けて暮らしていた。ゴクリ、ゴクリと喉を鳴らす習性がある。覚えたか?」

 これに対して、新人バイトあらため《白い尾の猿》卿は何のリアクションも返さなかった。ただ、数秒後にわざとらしく音をたててため息をついた。


「よし。チェックインするぞ」

 俺は歩き出した。その途中で、またジャージ姿の若い女が数名、駆け足で通り過ぎるのを見た。

「なんだろうな」

 やけに若い女が多い。着ているジャージも似ている、というか同じだ。

「林間学校か、野外活動か」

「さあ」

 新人バイトは皮肉っぽく、歪んだ微笑を浮かべた。

「《白い尾の猿》卿は、野蛮な山奥の民なので。よくわかりませんね」

 これも後から痛烈に後悔したことだが、このとき気づけたはずだった。

 この時点で回れ右をして、逃げおおせることができたかもしれない。そのジャージに見覚えがあることを、もう少し鋭く、注意深く観察していれば。

 いまでもそう思う。

 考えてみれば、あの三人と遭遇して以来、この手の後悔は数え切れない。


「――おおっと」

 と、不意に横から声をかけられた。

 そいつはなんだか、いやに爽やかな顔つきの男だった。俺以上の長身に、彫りの深い顔立ち。

 おそらくヨーロッパ系と思われる瞳の色と頬の白さ――それから、髪は麦わら色の巻き毛。そんな胡散臭いほど爽やかなやつが、やっぱりなぜかジャージ姿で、大きなリュックサックを抱えていた。

「これはどうも、こんにちは!」

 俺なんかが気後れしてしまうほど友好的な声で、そいつは挨拶をしてきた。馴れ馴れしさを感じさせない、暴力的なまでのフレンドリー感があった。

「勇者の方ですよね? 今夜はこちらに泊まられるんですか?」


「ん」

 めちゃくちゃ鋭い観察眼だと思ったが、よく考えると無理な推測でもない。

 ジャージ姿の女に手錠をかけ、荷物を担がせてペンションに泊まろうとする男性。こいつは《初代》イシノオや《神父》のように変な趣味の野郎でなければ、勇者に決まっている。ましてや俺は腰にバスタード・ソードを吊っていた。

 俺は少し警戒して、その男の顔を見つめ直す。

 そこにあるのは、ただひたすらに能天気そうな笑顔と、こちらに対するシンプルな好奇心。それしか感じられない。それだけに、やりにくい。

「まあ、その類かな」

 俺の答えは曖昧なものだったが、爽やかすぎる男は満面に笑みを浮かべ、こちらに手を差し出した。


「これは奇遇だ! 実は私も――いや、我々もそうなんですよ。ご一緒することになりますね。自己紹介させてください」

 俺はそのとき、この男の能天気な笑い方の奥には、それを可能にするだけの圧倒的な自信が潜んでいることに気づいた。


「私は《トリスタン》ラムジー・ヒギンズと申します。今日は私たちの学校の生徒を連れて、林間学校に来ているんですよ。野外訓練っていうのが正式名称ですけどね」

「《トリスタン》――学校? おい、そいつは、あんた」

「あ、そうですね、失礼。私は《アカデミー》の教師を勤めています。勇者の同業者ということになりますね! あとでまたご挨拶させてください。本日はよろしくお願いします」

 こうして《トリスタン》ラムジー・ヒギンズは一礼した。

 俺はついに彼と握手をかわすことができなかった。悪寒がしたからだ。


 嫌な予感がした、というレベルではない。

 俺は刺すような視線をみっつほど後頭部のあたりに感じた。振り返るのが恐ろしかったが、俺は意志の力をつぎ込んでどうにか自分の首を旋回させた。《白い尾の猿》卿は、実に楽しそうに笑い声をあげやがった。

 俺の悪夢をそのまま具現化したように、三人の女子生徒がそこにいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます