第3話

 エド・サイラスの店に着く頃には、もうすっかり夜が更けていた。

 レヴィのせいで、ずいぶんと時間を食ってしまった。

 あいつは無駄に話を勿体つけたがるし、余計な脱線やら、俺への挑発行為が多くて困る。そのうちまた痛い目を見せてやらなければ舐められてしまうだろう。

 そういう不愉快な気分での到着だった。


 店内に入ると、《ソルト》ジョーと《二代目》イシノオがすでに何杯目かのビールジョッキを片手に、カードゲームに興じていた。しかも、テーブルにはピザまで乗っている。

「おう」

 と、《ソルト》ジョーがジョッキを掲げて、機嫌良さそうに俺を振り返った。

 いかにも勇者らしく凶暴な面相をした、スキンヘッドの男だ。以前の職業はヤクザの殺し屋であり、いわば勇者稼業へのエリート・コースを歩んできたと言ってもいい。

 好きなものはビール、あとカードゲーム。

 つまりとりあえずアルコールとカードゲームさえ与えておけば、おおむね機嫌がよく、扱いやすくなる。


「死んでなかったのかよ、ヤシロ」

 ジョーは俺の名を呼んで、だらしなく笑った。

「いったい誰に追いかけられてたんだ? 借金取りか、おい?」

「イシノオと一緒にするなよ。俺はそんな間抜けじゃないぜ――ああ、わかってるって。ちょっと待て。エド、俺はビール!」

 店主であるエド・サイラスに文句を言われる前に、俺は怒鳴るようにして注文を済ませた。


「ふん」

 客が居るにもかかわらず、あろうことか文庫本に目を落としていたエドは、鼻を鳴らすと難儀そうに立ち上がった。

「立派な心がけだな、ヤシロ。メシはいるか?」

「いや結構だ。あんたの料理、ちょっと驚く程マズいから」

「そりゃあいい。二度とお前には作ってやらん」

 エドは吐き捨てて、乱暴な手つきでジョッキにビールを注ぎ始める。とても客商売とは思えない態度だった。

 風の噂によれば、彼もまた元勇者であったらしい。山賊の親玉のような風貌をしており、顔にある大きな火傷のような傷跡がその凶暴な気配を助長している。

「あまり長居はするなよ。お前ら貧乏人がいても金にならん」


 エドからはひどい台詞を言われたものだが、俺はビールジョッキを恭しく受け取った。この神聖なる液体とピザ、カードゲームさえあれば、俺は何もかも満ち足りた気分になれる。

「このビール、イシノオの奢りだから。よろしくな」

「うわっ、ひどいなあ」

 《二代目》イシノオは、ゲロを吐くようなうめき声をあげた。

「やっぱりあれ、ヤシロさんのお客さんでしたよね? その割には、ぜんぜん返り血とか浴びてないですけど、どうやって撒いたんですか?」

「俺を野蛮人だと思ってもらっちゃ困る。なんでもかんでも暴力で解決するわけじゃないんだぜ」

 俺はイシノオと、ジョーのテーブルを覗き込んだ。

「ちゃんと話し合いでケリをつけたさ。それより、いまはどんな感じだ?」


「見りゃわかんだろ」

 ジョーが偉そうにテーブルに肘をつき、イシノオを挑発した。

「オレの圧勝ムードだぜ。そうだろ、イシノオ? 大逆転してみるか? あ?」

「まだわかんないじゃないですか」

 テーブルの上にはピザと、それからカードが並んで現在の戦況を示していた。

 まあ、おおむねジョーの言うとおりの状況ではある。

 いまのところ、勝負は《ソルト》ジョーが優勢。前線にジョー自慢の突撃騎兵が展開しており、イシノオの装甲獣兵が防衛する王城を真正面から脅かしていた。

 このカードゲームを、《七つのメダリオン》という。少し前にアメリカで発祥し、日本にも入ってきて流行を生んだ。現在はさすがに人気も下火ではあるが、俺たちは飽きもせずにこのゲームに熱中し、顔を合わせれば決戦を挑むのが常だった。

 ただし、今日の俺にはその暇がない。


「ちょっと待ってろ、イシノオ。お前の仇は俺がとってやる。やることやったらな」

 俺は背負っていたリュックを下ろし、その中から一冊の地図帳を取り出した。

「なんですか、それ」

 あまりにも自分が劣勢な勝負なので、イシノオは現実逃避のためだろう、俺の地図に興味を示した。俺もちょっと先輩ヅラをしたい気分だったので、わかりやすく広げて見せてやることにする。

「宝探しに行くんだよ。いいか、絶対に城ヶ峰をはじめとした三人には言うなよ。死ぬほど面倒くさいことになるから。極秘な」

「いいですけど。宝探しってなんですか」

「かつて《嵐の柩》卿と呼ばれた魔王がいた。この界隈でそこそこでかい顔をしてた魔王でな。やつの失脚に伴い、隠し財産が放置されてる。そいつを回収したい」


「ああ――」

 イシノオの目が、カウンターの方をさまよった。

「そういえば、今日は新人バイトさんいないですね。絡みづらいから苦手なんですけど」

 新人バイトとは、いま話にあがった《嵐の柩》卿のことだ。諸事情あって、いまはこの店でほとんどタダ働きに従事している。

 その仕事ぶりについて、エドからは『ちょっと喋れる自動掃除機』、ジョーからは『ピザの配達員』と評されるほどあまり役に立っていない。修行が必要だ。そんなバイトを置いてやっている最大の理由が、この『隠し財産』の件だった。

「あいつにも、いま宝探しの準備をさせてる。少し遠出が必要だからな」

「はあ。遠出。どこまで行くんですか?」


「長野県、赤石山脈」

 俺は地図のそのページを開いた。すでに赤いマーカーでいくつかの書き込みをしてある。

「この山奥にある別荘に、やつが財産を隠したことはわかってる。いま無人のはずだから、あとはこっそり回収するだけ――だったんだけどな」


「なんかあったのかよ」

 ジョーがそれほど興味なさそうに尋ねた。

「言っとくがよ、オレはその話、手を貸さねえからな。長野って土地は縁起が悪い」

「ってか、ジョーにだけは手伝ってもらいたくないね。下手すると別荘ごと焼け野原になっちまう」

 この件については、俺も最初からジョーを当てにはしていなかった。

 こいつの《エーテル知覚》は派手すぎるし、加減があまり利かず、こういう仕事には向かない。

 それに隠し財産を山分けすることになったら、ジョーはかなりの額を要求してくるだろう。せっかくの取り分が半分になってしまいかねない。


 なので俺はもののついでに、イシノオに声をかけてみることにする。

「イシノオ、お前は手伝うか? 報酬の一パーセントくれてやってもいいぞ」

「どうかなあ。ヤシロさんの仕事の話に付き合うと、だいたいロクなことにならないってわかってきましたから」

「言うようになったな、この野郎。生意気だぞ」

「へっ、実際そうだろ。美味しい仕事だとか言って、いつも酷い目に遭わされるぜ」

「ですよね。それよりジョーさん、長野嫌いなんですか?」


「なんだ、イシノオ。長野での戦争を知らねえのかよ」

 ジョーはなにかとんでもなく悪臭を放つものを前にしたかのように、強く顔をしかめた。

「関東と北陸の魔王が連合組んで、長野でぶつかったんだよ。ちょっと前にな。オレも傭兵で参加したが最悪だったぜ。噂によるとな……いまでも成仏できない魔王どもが、山の中をさまよってるとかよ」

「ジョーはこんな見た目して幽霊とかダメなんだよな」

「なんだと、てめえ」

 ジョーは俺に対して凄んで見せたが、いまいち迫力がない。

 俺は取り合わず、地図に付箋を貼りつけながら、そこに書き込みを加えていく。


「まあ、ジョーはともかく、幽霊よりも危ないのは生きてる魔王だ。この宝探しに首を突っ込んできたやつがいる。《光芒の牙》卿っつってな」

「ん――ああ? 懐かしい名前だな、おい」

「誰です? 知り合いですか?」

「そんな感じだ」

 俺は曖昧に言葉を濁そうとしたが、ジョーはすかさず言葉を続けた。にやにやと笑っていやがる。

「ヤシロが前に、《光芒の蛇》って魔王をぶっ殺した話はてめえも聞かされただろ」

「はい。五回ぐらい」

「こいつ誰にでもやたら話したがるんだよ。で、《光芒の牙》ってやつはその眷属だった」

 ジョーは失礼なやつだし、イシノオも嘘ばっかりだ。イシノオに対して、俺はせいぜい三回くらいしか話した記憶がない。


「ボスを殺した。それだけで、そんな恨まれるものなんですか?」

 イシノオが疑うように尋ねると、ジョーは今度こそ声をあげ、愉快そうに笑った。こいつは俺の悪口を言う時はすごく楽しそうにする。

「《光芒の蛇》卿の愛人だったのさ、《牙》ってやつは」

「ああー、なるほど。そういう」

 イシノオはすべて納得がいったとばかりに、大きくうなずいた。


「痴情のもつれですね。一気にヤシロさんの仕事を手伝いたくなくなってきました」

「あのな。一言で言うと、そういうことかもしれないけどな」

 俺は説明に迷った。このあたりを語るには、かなり面倒くさい事情がある。

「それだけじゃない。《光芒の牙》ってのは変なやつで、とにかく関わりたくない――魔王ってのはみんなどこか狂ってるんだ。手術のせいでな。あいつのイカれた独自理論がなきゃ、俺はいまごろ命を狙われてる」

「そうそう! なんだったか――あれだ。《牙》のやつが言ってたやつ。『約束されたお姉様の偉大なる新世界』だっけ? へ! 笑っちまうぜ! あんまりにも真面目なもんでな」

 《ソルト》ジョーは似てないし、気持ち悪いモノマネをした。まったくもって悪意に溢れている。

 もともとジョーに品性を求めるのが間違っているのだろう。


 俺は一気にこの話題を続ける気力をなくし、肩をすくめた。

「いいから、勝負を続けろよ。イシノオ、さっさとジョーを叩きのめしちまえ」

「やってみろよ」

 ジョーは嘲笑った。

「できるもんならな。てめーの手番だぞ、イシノオ。え? 大逆転ってのは滅多に起きるもんじゃねえって、歴史が証明してるんだよ」

「ですね」

 イシノオはため息をつきながら、一枚のカードをテーブルに叩きつけた。

 途端に、ジョーの凶暴な目が滑稽なほど丸くなった。


「ぼくの戦略。《大河を渡る謀臣》です。これでジョーさんの騎兵は動けませんね」

 そのとおり。

 俺はイシノオの動きを見ていた。自分のカードの山から、一枚カードを引っこ抜いたイカサマを。ジョーは俺を馬鹿にすることで忙しかったため、それを見逃した。

 イシノオは、いかにも軟弱そうな笑みを浮かべた。

「ね、ぼく、なかなかやるでしょう」


 何事も、密やかに進行するべし、ということだ。

 そうでなければ、このような結末を迎える。ジョーの怒りの唸り声と、テーブルを叩く拳の音を、俺は傍らで聞いていた。

 思えばこのとき、この教訓をもっと正しく活かすことを考えるべきだった。

 いまなら認められる。


 俺は甘かった――調子に乗っていた、とも言う。

 勇者が仕事をする場合、万全を期してもなお届かない領域はある、ということだ。

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