第2話

 話をする場所は、慎重に選ぶ必要があった。

 理由は二つ。

 ひとつ、レヴィが俺をなんらかの形で引っ掛けようとしているなら、こいつの選んだ店には入りたくない。

 もうひとつは、俺にあまり手持ちの金がないということだ。


 レヴィは「奢る」と言ったが、この程度でも借りを作るのは御免だった。

 こうした事情を勘案した結果、俺は駅前のチェーンのファミレスに決めた。俺がよく使うやつだ。ドリンクバーさえ注文すれば、ほぼ無限に時間を潰せる。

 俺たちは示し合わせたようにまずドリンクバーを頼み、レヴィはそれにチキンドリアのサラダセットを加えた。


「なんだよ」

 レヴィの注文の仕方に、俺はやや驚いた。

「お前、ずいぶん羽振りがいいな。勇者は廃業したんじゃなかったのか?」

「人生の転機は突然に訪れる。特に、勇者にとっては」

 レヴィはまた、口の端だけで笑った。こいつの笑い方はなんだか神経を逆なでしてくる。

「失職したときのために、貯えもあったし、いくつも保険をかけておいた。六本木の《セプタ》――知っているだろう? そこにコネがあってね。安定した給与はいいものだ」

「そうか」

 と、俺は吐き捨てるしかない。


 正直なことを言えば、レヴィが少し羨ましかった。

 六本木の《セプタ》というのは、法人団体の名前だ。魔王による被害を専門にした、トラブル解決の大手事務所である。弁護士と、あと身元の確かな勇者どもと契約しており、いざというときには暴力を背景に魔王を脅迫して事態の解決を図る。

 やつらはこの仕事を『話し合い』と表現している。馬鹿げているが、世間的な評判は俺たちフリーランスよりはるかに上等だ。

 俺もこの超一流の腕前を売り込もうと考えたこともあるが、《セプタ》に勤める勇者には弁護士と同レベルの法律知識が必要と聞いて、すぐに諦めた。


「お前はつまり、そこで仕事してるのかよ」

「正規のスタッフではない。金払いは、いまのところ《嵐の柩》卿の方がマシだった」

「俺にも紹介しろよ、それ」

「お前が会社勤めに向いてるとは思えない。自分でもわかっているだろう?」

 レヴィは俺を正面から見つめていた。ちっとも笑っていない――俺は改めてその目を睨み返した。血で濁った刃物を思わせるような、負の感情を露骨に宿した視線だった。

 こいつも裏の稼業を転げ落ち、勇者になり下がったクチなのは間違いない。

 そして、そんな最底辺の世界をさらにもう一段、容赦なく突き落としたのは俺だ。

 間違いない。俺はその責任感に駆られて、ここはひとつ、こいつの精神をさらに引っ掻いてコケにしてやろうと思った。


「そういえば、お前の不出来で未熟な弟子たちはどうしたんだよ」

 精神的な余裕を誇示するべく、俺はドリンクバーで溢れるほど注いだアイスコーヒーをすすった。

「トモエとセキとか言ったっけ? あいつらもツイてないよな。お前のような三流の指導者から、半端な指導を受けるとは。師匠に似てクソ弱いし、前世でなんか悪いことしたんじゃないか」

 俺はレヴィの人格を徹底的に攻撃する。

 当然のことだ。俺は俺を誘拐しようとしたり、殴って気絶させたり、コケにしやがったやつには容赦しない。むしろ命を取らないでおいてやった、この天使のような心を褒めてもらいたい。


「やつらのことは知らない」

 レヴィは俺の誹謗中傷を受けても、ほとんど表情を動かさなかった。

「トモエは『武者修行』に出ると言っていた。九州へ向かったらしい」

「笑えるな、おい。あいつはイカれてんのか?」

「あれはほんの子供だ。善悪の区別もつかない」

「言えてる。アホだったからな。じゃあ、もしかしてセキも武者修行に出たのかよ」

「あの男は消息不明だな」

 レヴィの言葉には、その滑稽さを面白がる響きがあった。

「私の弟子の中では、もっとも素質がある男だった。ゆえに、まともな社会に戻れるはずもない」


「なるほど」

 俺は声をあげて笑ってしまった。

 自分を棚にあげて、よくそんなことが言えたものだ。

「お前もたいがいだぜ、レヴィ。裏稼業から足を洗えない。実家のパパとママが泣いてるぜ」

「それはどうかな。父は既に殺されているし、母は私が殺した」

 レヴィの頬が、はっきりと緩むのがわかった。

 いままでの歪んだ笑い方とは違う。昨日食べて美味かったメシの話でもするような、実に自然な微笑だった。

 幸せそうな、という表現すら似合いそうに思えた。


「そうか」

 俺は嫌気が差してきたので、かなり冷淡な返答をしたと思う。

 仕方がない。同業者と会話するとき、俺はたまにこういう気分になる。この業界には、どこかのセンスが手遅れなほどズレているやつが多い。そんなやつばっかりだ。

「私を歪んでいると思っているな?」

 レヴィは知ったふうな口を叩いた。

「ご想像の通り、性分でね。私は普通よりも、たぶん殺人が嬉しい。だがお前はどうだ? 《死神》ヤシロ。私の左手を切り落としたとき、お前は楽しそうだった」

「もういい、話を先に進めてくれ」

 俺はさっさとこの会話を打ち切ることにした。


 冷たいコーヒーを飲み込んで、湧き上がってきた不快感を喉に押し流す。必要以上に苦味を感じた。本題に入る前から、ずいぶんとイラつかせやがる。

「俺は忙しいんだ。これから友達とビール飲んでピザ食ってゲームして、宝探しの計画を立てるんだからな」

「笑ってしまうほどシンプルな人間だな。お前の方こそ、意外なものだ――あの《光芒の蛇》卿を殺した男が、なかなか慎ましい生活を送っている」

「うるせえよ。お前とお喋りする気分は、いまさっき失せたんだ」

「私はまだ話し足りない気分だが、いいだろう。仕事の話だ」

 レヴィはそこでようやく、温くなったチキンドリアにスプーンを突き立てた。意外に猫舌なのかもしれない。


「ヤシロ、《嵐の柩》卿の隠し財産を狙っているだろう?」

「いや、ぜんぜん。いまはじめて知ったよ」

「お前はしばしば無意味な嘘をつくが、それはジョークのつもりか? まあいい、とにかく他にも狙っている者はいる。当然のことだが」

 レヴィはスプーンの上に乗せたチキンドリアへ、念入りに息を吹きかけた。やっぱり猫舌だな。覚えておいて、そのうちバカにしてやろう。


「《嵐の柩》卿の、元配下だった。《嵐の衛士》として選ばれるほどの側近ではなかったが、そこそこの立場を持っていた魔王。いまは代々木公園界隈に縄張りを築いている」

「そいつ、隠し場所も見当がついてるのか?」

「恐らくはな。手勢を集めて、遠征の準備を進めていた」

「相手にならねえな」

 俺は余裕たっぷりに見えるように、偉そうに首を振った。

「俺は親玉の《嵐の柩》卿を、指一本で片付けたんだぜ」

「だったら、私の情報は必要ないな」


「値段次第だ」

 俺は正面のレヴィから視線を外さない。

 こいつはハッタリの効きそうにない交渉相手だが、それでも重要なポイントはある。弱気は見せないこと。こちらが何を重要視しているのか、決して明かさないこと。あとは気合だ。

 レヴィもまた、俺から視線を外さずに応じる。

「百万。それで売ろう」

「舐めてんのか、おい」

「《嵐の柩》卿の隠し財産には、その百倍でも足りない価値があると思うがね」


「あんまりふざけてると、残った右手も切り落とすぞ」

 あえて軽い調子で言って、俺はできるだけ陰険な笑い方をした。威嚇する。

「その代々木公園あたりで粋がってる小者なんか、五百円の価値もねえよ。めちゃくちゃなぼったくり方をしてきやがる。調子に乗るな」

「では、情報を追加しよう」

 レヴィの表情はまったく揺るがない。それどころか顔の片隅だけで笑うような、ムカつく微笑を深めてみせた。


「その小者は、とっくに殺されている」

 話が少し違ってきた。情報を吐いて死んだのか。そうでなければ、レヴィもこんな勿体ぶって話しをすることはないだろう。

 問題は、そう。

「誰が殺った?」

 俺の質問は、十分に余裕を含んだものだったと思いたい。

「お前か、レヴィ?」

「だったら良かったが。その男は、《光芒の牙》卿を名乗っている」

「――ああ? なんて言いやがった?」

「聞こえなかったか?」

 レヴィはとっておきの切り札を開示するように、テーブルを指で弾いた。そこには、一冊の小さな手帳があった。


「あの《光芒の蛇》卿の腹心、子飼いの魔王だった男だ。気になってきただろう?」

「いや、ぜんぜん」

「お前のジョークは理解しがたいと思っていたが、面白さはわかってきた」

 失礼にも、レヴィは嗄れた笑い声を漏らした。

「ご存知のように、やつは非常にお前を殺したいと思っている。私もお前に関する情報を売るべきかどうか悩んでいるところだが、どうだ? 聞くつもりになったか?」


 ようやくわかった。

 これはレヴィなりの俺に対する復讐だ――まさか、こいつと仲良くする必要があるとは。

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