番外編S2

レッスン1:準備は密かに、速やかに

第1話

 どうやら、尾行されているらしい。

 俺がそのことに気づいたのは、新宿区歌舞伎町のど真ん中、区役所通りの交差点でのことだった。


 ちょうど青信号が点滅を始めていた。

 人の群れが横断歩道を渡ろうと、足早に俺の傍らを通り過ぎていく。その流れに、違和感を覚えた。それがきっかけだった。


 勇者なんて商売をやっていると、尾行されるのはそう珍しいことではない。

 人に恨まれることの多い仕事だからだ。腕が良いほどその傾向が強い。俺のような超一流の勇者ならば、数え切れない程の憎悪を一身に受けているといっても過言ではないだろう。

 勇者とは、魔王を殺して金をもらう職業だ。

 純然たる暴力の世界である。

 たとえば殺した魔王の係累や、逆恨みした同業者、あるいは身の危険を感じた魔王自身。どんなやつが俺を付け狙う気分になったとしても、それほど不思議はない。


 ――つまりこういう場合、被害妄想気味なくらい慎重に行動をした方がいい。

 数秒ほど考えた挙句、俺はそろそろ点滅を終えかけた青信号を強引に横断することにした。これで謎の尾行者も、少しは動きを見せてくれるだろうと考えたからだ。


「どうしたんですか?」

 背後から、《二代目》イシノオの声が聞こえた。

「いきなり置いていかないでくださいよ」

 足を速めた俺に追いつこうと、小走りに近づいてくる。

「たまに挙動不審になりますよね、ヤシロさんは。怖いんですけど。何かありました? それともまた、気まぐれで?」

「どうかな」

 俺は曖昧に答えて、さらに足を急がせる。

 交差点を渡りきる頃には、すでに信号は赤に変わっている。

 視界の端で、人の流れがやや不自然に動いたように思う。案の定、尾行者は動きを見せた。


 上等じゃないか。

 やることが決まったため、俺はそこで立ち止まり、振り返った。

「イシノオ。お前、心当たりあるか?」

「え?」

 何をいっているのか理解できない、といった様子で、《二代目》イシノオは目を丸くした。

 髪の毛を明るい茶色に染めた、いかにも軟弱そうな若者に見えるが、今日もこいつの顔には傷がある。額にガーゼを貼り付けており、唇の端は切れている。この前の仕事でヘマをして、階段から転がり落ちた傷跡だ。

 俺たちの仲間内でもっとも新入りの勇者であり、もちろん腕前も相応に低い。いつも絶えない生傷がそれを証明している。


「なんですか、誰か知り合いでも見つけたんですか?」

 こういうときの反応も、このようにずいぶんとピントがボケている。勘のいいやつだと何かトラブルの気配を感じ取っているはずだ。

 しかし、いまはこいつしかいないので仕方がない。

 今日はこの《二代目》イシノオと、ちょっとした仕事の準備のために新宿を訪れていた。

 俺には遠出の予定のために物資を買い込む必要があったし、イシノオは前の仕事でへし折られた剣の代わりが必要だった。よって俺は巨大な登山用のザックを、イシノオは新品の剣を収めたケースを抱えている。

 こんな出で立ちの二人組は、歌舞伎町では非常に目立つ。

 よって俺はできるだけ好奇の目を避けるように、路地の日陰にイシノオを引っ張った。表通りから外れ、狭く入り組んだ路地へ足を踏み入れる。


「まだ気づいてないのかよ」

 声を低めて尋ねると、イシノオは怪訝そうな顔をした。

「気づくって、何にですか?」

 この回答には、大いに呆れた。

「お前、ちょっとは緊張感を持てよ。鈍すぎる。いいか? 超一流の俺はもうとっくに気づいてるんだけど、俺たちを――」

「ああ! わかった! 尾行してる人がいるってことですよね?」

 イシノオは俺の解説を遮り、しかも当たり前のように告げやがった。

 俺が黙った隙にイシノオは、背後の大通りを指さした。

「さっきからずっとつけ回してますよね。あの女の人」

 俺よりも先に、しかも性別まで判別していやがった。


 かなり腹が立ったので、俺はイシノオの額、ガーゼで覆われた傷口を指で弾いた。イシノオは大げさにのけぞり、そのあと体までよじって、痛みと不満を表明した。

「痛ぇっ!」

 耳障りな金切り声は、詐欺師みたいな痛がり方だと思った。なかなか堂に入っている。たぶん、これで当たり屋とかカツアゲみたいなことをやっていた時期もあるに違いない。

「ひどいじゃないですか。これ、この傷、絶対に重傷なんですよ。後遺症残るかも。《E3》でも治りきらなかったんですから」

「嘘をつけ。ただの擦り傷だろ」

 俺は断定した。《E3》――俺たちを勇者たらしめ、魔王に対抗する力をもたらす薬物は、その手の細かい傷を癒すのは苦手だ。

 要は認識力の問題だからだ。


 俺が専門家から聞きかじった話によると、《E3》は使用者の肉体からエーテルを引き出し、そいつで現実濃度を低下させる、らしい。

 現実が希薄になると、使用者の認識がそいつを上書きしてしまう。身体能力や頑健さは非常識なほど増大し、《エーテル知覚》と呼ばれる一種の超能力さえ可能とする。

 治癒力もこの効果によって高まる。どちらかといえば復元力、といった方が正確なのかもしれない。要するに、本人が認識している深い傷ほど治しやすい、ということだ。

 たぶん。

 俺よりもうちょい学歴のある、ただし胡散くさいドクターから聞いた話だから、もしかしたら騙されている可能性もある。


「それより尾行の話な。イシノオ、どの辺から追われてるかわかったか?」

「ええと、たぶん、あれです。ムジさんの店を出たあたりから、ですよね?」

「十分くらい前だな」

 俺は知ったかぶってうなずいた。

 ムジさん、とは、イシノオがさっき剣を買った武器商人の店だ。態度は悪いし、窃盗癖もあるが、刃物に関しては異常なほどのこだわりがあるらしい。とりあえず品質の面では信頼がおけるため、俺も贔屓にしている店だった。

 俺が思ったよりも、かなり前から尾行されているらしい。


 言い訳をするわけではないが、勇者という職業は、尾行の察知にかけては専門家とは言えない。

 魔王を殺すために尾行する側になることはよくある。

 一方で尾行される方に関しては、職業上の習性と注意深さにより、カタギの人間よりも多少は気づきやすいというだけの話だ。

 決して俺が勇者としてのスキルで《二代目》イシノオに劣っているわけではない。むしろイシノオの小動物のような気の弱さと臆病さが、周囲への反応力、察知力を高めているのではないだろうか――そうに決まっている。

 とはいえ、くそっ。生意気なやつだ。


「よし。俺の客かお前の客か、現時点じゃわからない。作戦を決めるぞ」

「いやあ、これってヤシロさんの担当じゃないんですか」

 イシノオは苦笑した。

「ぼくは恨まれたり、尾行されたりする要素ないですもん。潔白です」

「そういうことは、闇金の返済終わらせてから言え」

 この《二代目》イシノオは、勇者になってから日が浅い。

 おまけに前のアルバイト先をクビになって出てきたものだから、当座の生活費や、勇者としての武器のレンタル費用、《E3》の仕入れで借金をするしかなくなった。

 もちろん非合法な金利のところから借りたので、返済期日を延長しまくっており、何かとその辺りでトラブルを起こすことも多い。

 勇者という職業には、この手の後ろめたいトラブルがつきものだ。

 極限まで好意的に解釈すれば、退屈しない、ということでもある。

 こういうときパニックにならずに、冷静かつ大胆に行動できるわけだ。


「二手にわかれるぞ」

「ですね。お互い、変なことに巻き込まれたくないし」

「エドの店で合流な。追われてた方がビールを奢ってもらうってのはどうだ」

「嫌だなあ。どうせヤシロさんのトラブルでしょ」

「何かあって死んでたら来なくていいぜ」

「だったらヤシロさんが死ぬ方に賭けますよ。それじゃあ、また後で」

 そう言って、イシノオはすぐに背を向けた。表通りの方に向かって歩いていく。さっさと比較的安全なルートを通りやがった。俺が裏通り方面というわけだ。

 だが、腕前から言って、妥当なところだ。


 イシノオが表通りに出るのを見届け、俺はおおよそ一分間ほど待った。上着のポケットの中に《E3》の注射器があることを確かめ、腰の剣帯に吊った剣の柄に手をかけた。鯉口は切っておいた方がいい。

 そうして路地裏へと足を踏み出し、ほんの十歩も歩かなかっただろう。

 意外にも、そいつは向こうから姿を現した。


 小柄な人影。砂色のパーカーのフードを目深に被っている。その口元が、かすかに歪んだように見えた。

「《死神》ヤシロ」

 と、そいつはかすれた声で俺の名を呼んだ。

 極端にしわがれた、女の声だった。

 いびつに成長して、そのまま枯れてしまった樹木を思わせる、独特の不快な響き。その声はエーテル焼け、と呼ばれる独特の症状に違いなかった。《E3》のやりすぎによって喉がエーテルで潰れると、こういう声になる。

 その声にも、ひねくれた口元の笑みにも、俺は既視感を覚えた。

「久しぶりだな」

 小柄な女は呟くと、左手を見せつけるように掲げてみせた。その手首から先には何もなかった。


 なるほど。

 俺は彼女を知っていた。通称『レヴィ』。勇者くずれの傭兵――だか、ボディーガードだか、殺し屋だか。とにかくそんな生業の女だ。俺はこいつと成り行きで殺し合うことになり、その左手首を切断した。

「まだ生きているようで何よりだ」

 レヴィは感情の読めない、歪んだ笑みのまま言葉を続けている。

「あのとき、やはり私の雇い主はしくじったようだな」

「当たり前だろ」

 俺は余裕を見せるべく、偉そうに剣の柄を叩いた。

「俺を誰だと思ってやがる。その左手に聞いてみな」

「相変わらず、だな」

 この不謹慎なジョークに、レヴィはあまり反応を示さなかった。小さく肩をすくめただけで、表通りの方向を顎で示す。


「少し話をしないか、ヤシロ?」

「やだよ。お前、俺のこと殺したいと思ってるだろ。人を尾行しやがって」

「否定はしない。だが、私は現実主義者だ。それより金の方が重要ではある」

「勇者が現実主義者とか、すげえ笑えるぜ」

「勇者は廃業した。なにせ、この腕だからな」

 今度は、レヴィの方が挑発するように左腕を振ってみせた。

 片手を失って、勇者稼業を続けられないと判断したのか。そのことは別に不自然ではない。ハードな仕事だ。命を残して退職できるなら、それに越したことはない。

「いまは便利屋、情報屋、物資の調達と――まあ、手広くやっている。ヤシロ、お前にとって有益な情報を売ることができると思ったから、こうして接触している」

「それでも、断るね。お前のその笑い方が気に入らない」


「《嵐の柩》卿の隠し財産のことだ」

 レヴィは、まさに核心をついてきた。

「妙な奴らが狙っているぞ。知っているか? アレを掘り返すつもりだろう?」

 俺は沈黙で答えた。

 レヴィの言うことは当たっている。今日の買い出しも、そのための準備だった。

 可能な限り密かに、かつ速やかに計画を進める必要があった。誰が隠し財産を狙っているかわからないし、面倒なやつら――主に三人の自称・弟子にかぎつけられると、死ぬほど面倒なことになるに決まっているからだ。


 しかし、レヴィは隠し財産について何かを知っている。

 少なくともいまここで、俺を殺そうとするつもりはない、らしい。レヴィは黙っている俺を馬鹿にするように、笑みを深めた。

「情報を買うかどうか、話だけでも聞いてから決めたらどうだ。一杯くらいは奢ってやろう、《死神》ヤシロ。お前とは一度、落ち着いて話したかった」

「嘘をつけ」

 と、吐き捨てると同時に、俺はひとつだけ直感した。

 この話がどう転ぶにしろ、こいつは俺から徹底的にぼったくるつもりだ、と。

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