第7話

 すでに夜の森は包囲されつつあった。

 柳生の里を取り囲む鬱蒼とした森林は、炎によってぼんやりと照らされている。


 なるほどマルタの姿が消えて、一番先に疑われるのはよそ者の俺たちしかいない。事実、その通りではある。座敷から飛び出して、十歩も走らないうちに取り囲まれるのだから、こいつはかなり参った。

 さすがに柳生は動きが速い。


 印堂と城ヶ峰はうまく包囲を抜けているだろうか。いまのところ、そう信じるしかない。こっちはこっちで忙しいからだ。《初代》イシノオがいれば、こんな面倒はなかった――と、いまさらながら思い出す。いまごろ俺たちも密やかに脱出できていただろう。隠密の仕事をやらせれば、あいつの右に出るやつはいなかった。

 それも、昔の話だ。


「近づくんじゃねえぞ!」

 包囲の連中に対して、真っ先に《ソルト》ジョーが怒鳴った。

「てめえらのボスの首が飛ぶぞ!」

 これには周囲の注目を集めることになったが、同時に包囲を踏みとどまらせる効果もあった。

 ジョーは気分良さそうにマルタを抱え、わざとらしく掲げてみせる。その首筋に鉈のような刃物を押し付けていた。

「おう、一歩も動くんじゃねえぞ! 小指から順番に切り落としていくからな! ああ? わかったか?」

 その声には、本気でやるぞという響きがあった。こいつならマルタが相手の場合、マジで宣言した通りにするだろう。小指くらいは今回の迷惑料だ、くらいには考えているに違いない。


「助けてくれえ。殺されてしまう」

 マルタは大根役者もいいところの、棒読みの悲鳴をあげた。ジョーがさすがにイラついたのか、その頭をぶん殴る。もっと気合い入れて叫べ、という小声の指導が聞こえた。

 しかし、この一連の小芝居の効果はあった。俺たちを取り囲む行灯や、松明の火が止まった。混乱と怒りを含んだざわめきが広がっていくのがわかる。意外にというか、やはりというか、マルタはかなり慕われている頭領らしい。

 納得がいかない。


「ど、どうすんだよ」

 セーラが押し殺した声で聞いてくる。

「とっくに囲まれてるじゃん」

 その手はすでに日本刀の柄にかかっている。指先の白さから、かなり強めに柄を握り締めているのがわかった。緊張していやがる。

「これ、マジに突破するのかよ」

「まあな。ジョーの脅し文句も効果あると思うけど、きっかけが必要だな」

 マルタの身の安全と、このまま賊――つまり俺たちとマルタを逃がすことへの葛藤が均衡している状態だ。

 ジョーが本気でマルタの指とかを切り落とし、本気度を証明してしまう前に、ちょっとそのバランスを崩してやってもいいだろう。

「セーラ、お前に一番槍を任せよう。光栄だろ?」

「ふざけんなよ、冗談きついって! 相手は《柳生》だろ? センセイはいつもいつも無駄に過酷な――」


「あのさあ。そのへん、お前も印堂もそうだけど」

 おれはセーラの胸ぐらを掴んだ。

「かなり勘違いしてないか?」

 あまり認めたくはないが、このあたりを本能的にとは言え、理解しているのは城ヶ峰だけだ。あいつはやれと言ったら、やる。あの無意味に爽やかな返事の通り、無茶を振られたらマジでおっぱじめる人間だ。

 このことは、セーラも印堂も理解しなければならない。

 この状況は、いつもの授業やトレーニングと意味が違う。


「今回、勝手についてきたのはお前らだよな。俺たちの厄介事に首を突っ込むってことは、こういうことだ。関わったからには戦力になってもらう。半人前だからって容赦しねえからな」

 これは例えば、《二代目》イシノオの生傷が絶えない理由でもある。

 俺たちと組んで仕事をするからには、同じレベルの役割を背負ってもらう。だからこそ負傷もするし、正直、あいつにとって真面目な命の危険も十回くらいあった。

「強くなりたいんだよな? ツイてるじゃないか。いまがそのときだぜ」

 セーラの襟首を引っ張り、強引に前を向かせた。

「安心しろ。お前が死んだらアーサー王によって俺も殺されるからな。どうせ勇者なんてみんな同じく地獄行きだ」

「え――いや。それって、いちおう励ましてるんだよな?」

「だったらどうする? 気合い入ったか?」

「ああ。うん、まあ」


 セーラはこわばった顔で無理やり笑おうとして、ひどい顔になった。

 深呼吸をすると、柄にかかった指がわずかに弛緩する。及第点だ。こういうときにリラックスするのは悪くない。

「わかった。わかったよ。それじゃあ」

 それからセーラはすぐに動いた。

「やりゃあいいんだろ! くそっ」

 その長身が前のめりに傾いたと思うと、つま先が土を抉った。蹴飛ばされた小石のように飛び出している。金色の髪が、セーラの影を遅れて追いかけたように見えた。

 狙ったは、正面の柳生。片手に松明を抱えているやつ。妥当な判断だ。

 こいつは急激なセーラの突進に対して、脇差を抜こうとしたようだが、まるで間に合っていない。おそらく《E3》も使っていなかったのだろう。


 柳生の中にも、こういう馬鹿がいる。照明器具を片手に持っている非戦闘員にもかかわらず、前に出すぎており、《E3》も使っていない。

 そして、セーラならば誰がどのくらい弱いかを知ることができる。包囲の隙を見つけられる。やつのエーテル知覚はそういうものだ。こういう戦いでは非常に有利になる――だから印堂でも城ヶ峰でもなく、セーラにこの役をやらせることにしたわけだ。

 つまりセーラの仕掛けた勝負は、一瞬でカタがつく。


「うぅらっ」

 と、セーラのいまいち気の抜ける雄叫びがあがった。

 刀が抜き打ちに一閃して、松明を切り落とす。同時にその体を突き飛ばして、背後の柳生にぶつけた。これで一気に二人。包囲に小さな穴が空いた。

 上出来だ。


「てめえら動くんじゃねえぞ、おい!」

 思い出させるように、《ソルト》ジョーが怒鳴った。鉈のような刃がマルタの首に食い込み、かすかに血をにじませる。

 穴を塞ごうとした《柳生》どもの動きが硬直し、中にはビビって道を開けた者すらいた。

 やはりこの部分が一番手薄だったか。セーラのエーテル知覚は一対一で殺し合いをする局面よりも、こうした戦略的なところで活きる。それも血統というやつか。

 こうして作られた隙は、およそ数秒間。あまりにも長い。セーラがそのまま突破するには十分すぎた。俺もそこに突っ込んで、左右の《柳生》を殴り倒し、蹴飛ばしている。それと同時に、賢い俺は松明を奪い捕った。

 あとは走るだけだ。


「よし、急げ。全速力な」

「わかってるよ!」

 うるさそうに答えたセーラに続く。木立に突っ込み、山道を駆け下りた。俺の掲げる炎が木々の暗がりを束の間だけ拭い取り、枝の影を踊るように揺らめかせる。《ソルト》ジョーはやや遅れてついてくるだろう。

 ここからはスピードの勝負になる。夜の山道を下るのは、結構な危険を伴う。それでもあまり足を緩めるわけにはいかない。


「さっきのやつ」

 だが、しばらく無言で走り続けると飽きてくるので、俺はどうでもいい話をしてセーラをおちょくることに決めた。

「たいした暴力だったな。悪くない。さすがアーサー王の娘」

「るせえなっ」

 セーラの方はかなり息が切れており、それ以上答える余裕がなさそうな反応だった。セーラは必死に足を動かしている。俺は調子に乗った。


「他人に危害を加える才能があるよ、お前。よし。キャンプ場に帰ったら、俺の超うまい焼きうどんを食っていいぞ」

「――いや。待った。センセイ、料理とか、できるのかよ」

「お前とかエドよりマシだよ。この箱入り娘め。なんだあのカレーの作り方は」

 今夜、キャンプ場で作った夕食の話をしている。

 これなら確実に失敗しないだろうと思って、勝手についてきた三人に作らせたが、セーラの作り方だけは見ていて明らかに危険な予感がした。すぐに見学を命じてよかった。

「ちょっと手順間違えただけだろ! 私はフツーだよ、フツー! 城ヶ峰と印堂ができすぎるだけだって!」

「その辺がお前の――、お?」

「あっ」


 俺のエーテル知覚は、周囲のわずかな変化を察知し、奇襲に対して反応することに長けている。この点に関しては、原理は違えどセーラも同じだ。俺が速度を緩める間に、セーラは後方に跳躍し、抜刀まで完了している。

 なんて臆病なやつだ――だが、このときはその判断も正しい。

 急に行く手を塞ぐように飛び出してきた人影に、結局は足を止め、バスタード・ソードを抜く羽目になった。


「ここまでです」

 楓だ。松明も持たず、爛々と光る冷たい目でこちらを睨んでいる。その手には、すでに抜き身の日本刀が握られていた。

 その佇まいは、まさに鬼だ。

「やはり、あのとき首を落としておくべきでした。私たちの愛を妨げるとは――必ず孝宗様を取り戻してみせます」

「そうか。あんた、いいところで出てきたな」


 俺は楓を親指で示した。

「セーラ。こいつ交渉っつーか話が通じないし、ジョーもすぐに追いついてくるから、速攻でやっつけないとな。どうする?」

「え」

 呻いたセーラが、わずかに身をこわばらせるのがわかった。

「マジ?」

「マジ。どうする? やってみるか、セーラ? それとも相手が強そうだから、俺にパスするか?」

「センセイって性格悪いよな。なんだよ。ちくしょう。わかってる!」

 自らに気合を入れるべく、セーラが反抗期の子供のように吠えた。


「やってやる。そのくらい出来てみろってことだろ」

「まあ、ちょうどいいと思うぜ。こいつ、正面からぶつかれる格上の相手だ」

 松明も持たず、この夜の道を追いついてきた。

 ということは、この楓という女のエーテル知覚は《サイト》――感覚強化系のなにかだろう。かつて交戦したレヴィとか、あの辺の系列にあたる。印堂やジョーみたいな裏ワザはない。たぶん。おそらく。

 もしも何か奥の手があったとしても、それはいま逃げる理由にはならない。俺はセーラの背中を強く叩いた。


「もう一回聞くけど、強くなりたいんだよな、お前?」

「強くなりたいっつーか」

 別に俺に背中を叩かれたからでもないだろうが、セーラは一歩だけ前進した。

「認められたいっつーか、そんな感じだ。くそっ!」

 それから跳ねる犬のように駆け出す。

 こいつの攻撃行動は、いつも『ヤケクソ』という言葉がよく似合う。俺は思わず笑ってしまった。

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