第6話
敗北した俺たちは、もとの座敷に連行させられ、最悪に気まずい雰囲気を味わう羽目になった。
特に《ソルト》ジョーはマルタにたたきのめされてから黙り込んでいたし、印堂は表情こそほとんど変わらないものの、かなり気分を害しているらしかった。
「二人とも、反省するべきだと思う」
と、印堂はダメな妹でも見るような目で、城ヶ峰とセーラに告げた。
「もっと根性を見せてほしかった。特に、セーラ」
「……わかってるって」
セーラは気まずそうに印堂から目をそらした。
こいつは《柳生》の高弟と向かい合ったとき、すでに緊張でガチガチの状態だった。立ち会いが始まると最初から防戦一方で、たちまち打ち込まれまくって最後には木刀を飛ばされ、転倒していた。
直後、必死に武器を拾い上げた気合いは悪くないが、その隙に頭部に一打を受けて一本という形になった。
「でもな、あれはさすがに相手が強すぎ――」
「そういう言い訳はいいから」
印堂の糾弾は、非常に厳しい。
「まるで私と教官まで負けたみたいに感じる。なんか、非常に屈辱」
こいつ、さては団体競技とか向いてないな、と俺は思った。敗者に対して『ドンマイ』的な言葉が出てこない。他人の面倒を見てカバーできる局面ならいいが、今回のようにどこまでも一対一の形式だと極端に他者に厳しくなる。
とはいえ、印堂雪音が勝ち星を拾ったこと、それ自体は褒められるべきだろう。
足を止めずに打ち合いまくって、何度か被弾はしたものの、致命傷は防いでいた。それでも劣勢ではあったが、勝負を決めたのは唐突に上着の胸ポケットから飛び出した、黒っぽい昆虫だった。
クワガタムシだ、と気づくのは俺も少し遅れた。
そいつがいままさに木刀を打ち下ろそうとした相手の顔面に飛びつき、あろうことか眼球を襲った。その一瞬の混乱の隙をついて、印堂の木刀が胸部を打った形になる。
俺から見てもわけのわからない不意打ちであり、《柳生》の高弟といえども、これは参ったはずだ。だが、運も実力のうちではあるし、一瞬の隙を捉えた印堂の技量も評価できる。
「しかし印堂、なんでお前はクワガタなんて持ってたんだよ」
「オオクワガタ。森の中で拾った」
印堂は少しだけ眉間にシワを寄せた。
「貴重なサイズだったし、連れて帰る予定だった。逃がしたから残念……」
「お前はなんか予想外の角度の趣味を持ってるな。まあ、いいや」
俺は畳の上に寝転がった。かなり神経を使って運動した直後だから、軽い疲労感がある。
「負けたものは負けた。次の手を考えないとな」
「その通りです! さすが師匠!」
城ヶ峰はすばやく、かつ爽やかに同意した。
「ここは過去の敗北を数えるより、未来の勝利へ向かって進軍するべきだと思います!」
「お前だけはデカい顔をするなよ、一撃でのされたくせに」
俺は城ヶ峰の敗北を思い出させてやった。こいつにはそれが必要だ。印堂ではないが、少しは反省するべきだと思う。
城ヶ峰の戦いは、得意の泥仕合に持ち込む余裕もなかった。すれ違いざまに一撃、柄頭で顎を打ち抜く形で脳を揺らされる。それで終わりだった。わかりやすく実力差が出た形になる。
ついでに言うと、試合開始直後、俺を振り返って『がんばります』アピールをしたせいでもある。
「城ヶ峰、お前も少しは反省しろ」
「そんな! 私だって己と師匠の失敗には気づいています。立ち会いが始まった直後、師匠が『がんばれ』と声援を送ってくれれば、あのような醜態はさらさなかったでしょう」
「なんで俺の責任みたいにしようとしてるんだよ。じゃあ、さっきの試合でちゃんと勉強できたかテストな」
城ヶ峰というより、ほかの二人に対して、俺は授業をしておくことにした。
「俺が《柳生》の高弟に対して、慣れない武器にもかかわらず華麗に一本を取ったのは何が勝因だったと思う? じゃあ、まず印堂」
「ん……」
印堂は天井を見上げて数秒後、呟いた。
「木刀を投げるのが上手かった」
「それは百点満点中で十点くらいの答えだな。武器投げの技は練習すれば身につくけど、そりゃあくまで技のひとつで、それだけにこだわっても意味ねえよ。たぶん。はい次、セーラ」
「あー、その」
最近気づいたことだが、考え込むとセーラは首を傾けていく癖がある。このときはかなり深く考えたらしく、首が四十五度度くらいまで傾いた。
「相手の発想にない方法を使った、ってことか?」
「日本語的に上手な回答だから、五十点くらいやろうかな。ジョーから武器をよこしてもらったやつのことを言ってるなら、まあ半分は当たりでいいよ。でも重要なのはその前の段階で――」
「師匠! 私にも聞いてください! 師匠の勝因は、心の奥底に正義の心が――」
「重要なのはその前の段階で、相手の発想から武器投げとかの選択肢を遠ざけるところだ」
こういうときの城ヶ峰の回答には、まったく期待していないし、時間の無駄だ。
「相手側の気持ちになると、初手でぶつかったときは互角、次にぶつかったときは少し優勢。ってなると、まあ普通にやれば勝てるから、奇手を喰らわないようにヒット・アンド・アウェイ気味に戦いたくなる。特に俺は鍔迫り合い状態を得意としてる感じをアピールしてたからな」
しっかり間合いを管理して慎重に立ち回れば、その手の奇手も喰らいにくいと考えてもらう。そうして広めの間合いを取れば安全、なおかつ正攻法が十分に通じると思わせたところで、奇手を持ち込む。
この段取りが大事なところだと思う。
「決め手になるテクニックを用意するのも重要だけど、それを使いやすい状態に持ち込むのがポイントになるわけだ。と、これは師匠が言ってた気がする」
戦いはそれが始まる前に決している。
と言ったのは大昔の著名な勇者だが、決め手を打つときにはそれなりの準備を整えておくべきだと解釈してもいいだろう。
「まあ、授業はそんなところで――未来の勝利に向かって進軍とか始めるか。おい、ジョー!」
俺は部屋の隅で地蔵のようにうずくまっているジョーに声をかけた。
「あんまり拗ねるなよ。マルタが相手なら仕方ないだろ? 俺だって、《E3》ナシじゃやりたくねえよ。ってか無理だろ」
「うるせえっ」
ジョーは不機嫌さを隠すことなく唸った。
「もうあんなクソ野郎、放っといて帰った方が社会のためになる気がしてきたぜ」
「そりゃまあ、あいつが世間に解き放たれたせいで、少なからぬ無実の人々が取り返しのつかない被害を受けてるけど」
「だろうが。この際、《柳生》のやつらにちゃんと飼ってもらった方がいいんじゃねえか」
「常識的に考えれば、そいつは確かにその通りなんだが」
俺とジョーはどちらからともなく視線を外して、沈黙した。
マルタは友達だ。
それも、貴重な同業者であり、一緒にカードゲームを遊んで酒を飲むことができる。これを見捨てるようなクズ以下の人間ではありたくない。
何よりも俺たちは、今回に限ってはマルタのせいで迷惑をかけられまくり、おまけに一杯食わされた状態である。
このまま帰るのはまるで逃げ帰るみたいじゃないか。
せめてマルタに「こいつら、マジ最悪」とか、「こいつらだけは敵に回したくない」とか、思わせてから帰りたいものだ。俺もジョーも、その点、厄介な功名心を持て余している。
「……奥の手を使うか」
しばらくの沈黙の後、ジョーは意を決したように呟いた。非常に気が進まないような言い方なので、俺は不安を覚える。
「なんだよ、それ」
「エド・サイラスが、北海道から傭兵を招集して、いまキャンプ場あたりで襲撃体制を整えてる。あくまでも奥の手、というか最後の手段のつもりだったんだけどよ」
「待った。傭兵って、あれか? あの――名前忘れたけど、うすらハゲとか、そういうレベルなんだよな?」
「いや、《神父》がいる」
「なるほど」
俺は納得した。同時に躊躇もした。
「確かに……最後の手段だな。悲惨なことになるぞ」
俺が知る限り、《神父》ほど残虐な勇者はいない。明らかに殺人を愛好し、民間人でも喜んで殺すクズ以下の怪人だというのに、まだ警察にも捕まっていないという、あらゆる意味での異常者だ。
「やばすぎるだろ」
《神父》を解き放った上で、《ソルト》ジョーがそのエーテル知覚を完全に発揮し、エド・サイラス率いる傭兵が襲撃する。これなら《柳生》を徹底的に蹂躙することも可能――いや。
確実に可能かもしれないが、さすがに問題が多すぎる。
「しかし、もうそれしかねえだろう」
ジョーは人殺しの顔で言った。
「いや待て、もう少し考えてみろよ。さすがに倫理的に問題があるぞ」
「倫理もヘッタクレもあるか! こっちは友達が攫われてんだぞ。ヤシロ、お前のときにはマルタがどうしたか忘れたのかよ」
「それを言われると弱いんだが、あれも相当に問題あると思うんだよな。俺にもだいぶ罪悪感が」
「いやいや、気にしなくていいよ。あのときはおれも慌ててたから。恩に着せようと思ったわけじゃないし」
唐突に、妙な声が聞こえた。どこか気弱で、照れているような声だった。
「――あん?」
ジョーが顔をしかめ、急速に不機嫌になっていくのがわかった。
「でも、あんたらが来てくれて嬉しいよ。おれも真面目に友達っていいもんだな、って思ったさ」
ぎい、と、乾いた木材が擦れる音がした。座敷の中央の畳がひっくり返り、そこから薄汚くも小柄な男が顔をのぞかせる。
「うわあっ! なんだこれ!」
「あっ、マルタ氏! こんばんは! なぜここに?」
間近にいたセーラは仰天して後ずさったし、城ヶ峰も一周回ってちょっと常識的な反応を返した。印堂ですら目を見開いて、畳の下から這い出てくるマルタを観察していた。
「いやあ、この屋敷って色々な仕掛けがあるんだよね。はは。おれはよく知ってるんだ」
「てめえ、マルタ!」
ジョーが怒りの形相で立ち上がった。ふてくされる時間は終わったようだ。
「何しにきやがった」
「ああ――そりゃ、作戦を考えようと思って」
マルタは滑稽なほど真剣な顔で、その場に正座をした。
「おれ、本当にここから逃げ出したいんだけど、どうすりゃいいかなあ」
マルタの目には、涙まで浮かんでいた。
「酒もタバコもダメで、パチンコ屋も競馬もカードゲームもないし、楓はいるし、このままじゃ窒息しちまうよ。なんとか脱出したいんだ。ジョーもヤシロも高校とか卒業してるから、ほら、頭はいいんだろう? なんかいい方法ないかね?」
「おい、ヤシロ」
ジョーは不機嫌そうな顔のまま、俺を振り返った。
「たったいま、いい作戦を思いついたぜ」
「俺もだ。おい、セーラ、それよこせ」
「え? あ、これ?」
「そうだ」
俺はセーラから受け取ったビニール紐で、マルタの手首を背中側で縛る作業を開始した。できるだけ、きつく。足首の側を縛るのはジョーの役目だ。
「あれ?」
マルタは目を丸くした。何もわからない子供のように、俺とジョーを交互に見る。
「なにやってるんだい? あれ?」
俺はマルタを縛りながら、耳を澄ませる。座敷のあちこちで、慌ただしい足音が響き始めている。こいつの姿が見えないことに、誰か――たぶん楓あたりが気づいたのだろう。
急ぐ必要がある。
「印堂、城ヶ峰、お前ら先行してキャンプ地点まで戻れ。エド・サイラスに連絡つけろ。急げよ。スピードがすべてだからな。お前らならできると信じることにする」
「うん」
「はい、師匠!」
印堂も城ヶ峰もすばやく答えた。特に城ヶ峰は大いに発奮したようだった。
「師匠に頼られたからには、仕方ありませんね! 私にお任せ下さい!」
ここで印堂と城ヶ峰をセットにするのには理由がある。主に城ヶ峰の面倒を見ながら、この作戦を成功させるのは難易度が跳ね上がるからだ。印堂をつけておけば、まあ――たぶん迷子にはならないだろう。
「エドの方から迎えをよこしてもらうだけだからな。間違えるなよ」
重要なところだ。
早まって《神父》あたりを解き放たれると、悲惨な大事件に発展する恐れがある。必要なのは、あくまでも脱出の足だけだ。
「そしてジョーはお前、さっきヘボかったから最後尾でいいよな。マルタを抱えてついてこいよ」
「けっ」
《ソルト》ジョーは忌々しげに舌打ちをして、両手両足を縛ったマルタを抱え上げた。死体を担ぎ上げるような容赦の無さだった。
「おら、マルタてめー大人しくしてろよ。暴れたら投げ落とすからな」
「ええと、これはつまり、どういうこと?」
状況がわかっていないマルタのことは放っておいて、俺はなんだか落ち着かない様子のセーラを指さした。
「――で、決め手はここだ。俺とセーラで突破する。先行する印堂と城ヶ峰に誰も追いつかせない。同時に、ジョーがマルタを担いで脱出する穴をこじあける。ここまで全然活躍してないお前に、絶好の特訓機会を与えてやろう」
「うえっ」
セーラはただでさえ白い顔をさらに白くした。
「あの、それマジな話で? 私とセンセイで?」
「生徒には均等に活躍のチャンスを配る。やっぱり俺って指導者の才能あるよな」
俺は上着のポケットから《E3》を取り出す。首筋に打ち込む。世界が鈍化し、俺の意識は鋭く尖る。
つまりこれは人質作戦ということになる。
こんな状況に陥っているのも、元はといえばマルタのせいだ。
せいぜい役に立ってもらおう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます