第4話

 驚くべきことに、柳生の道場は先ほどの座敷よりもさらに広かった。

 その冷え冷えとした暗がりを照らすには、並べられた燭台の炎はあまりにも頼りない。板張りの床に足を踏み出すと、かすかに軋む音がする。


 燭台の炎の隙間が作る闇のあちこちに、人の気配があった。俺はそこに潜む人間を数えようとして、すぐに諦める。《E3》無しでは、数が多すぎる。そしてどいつもこいつも、気配を殺すのが上手い。

 その中でも一際異質な気配を持っているのは、道場の奥に並ぶ七人。楓もその中に含まれる。おそらくやつらが柳生の『高弟』なのだろう。噂に聞く四人よりも多い――これも時代の移り変わりなのか、よくわからない。

 誰が出てくるか。俺はやつらの姿を凝視して、少しでも実力を図ろうとした。七人のうち誰であれ、柳生であるからにはそれなり以上には使うのだろう。


「まあ、ヤシロにしてはよくやったんじゃねえか」

 俺の隣で、《ソルト》ジョーが小声で呟く。

「五本勝負で、三本勝ちゃいいんだろう。ずっと単純になったぜ。いつも面倒事ばっかり持ってくるヤシロとは思えねえファインプレーだ」

「お前は複雑なことが苦手だからな」

 あまりにもジョーが失礼なことを言うので、俺は辛辣な罵倒で答えることにした。

「ジョーにでも理解できるルールで遊ぼうと思ったわけだ。でもなかなかやるな、お前、三つ以上の数を数えられたのか。褒めてやるよ」

「喧嘩売ってんのか、おい」

「お前が先だろ」


 俺は《ソルト》ジョーとほんの数秒だけにらみ合い、すぐに互いに顔を背けた。こいつの顔を見ていても、少しも楽しくないし時間の無駄だ。

 だが、正直なところを言えば、《ソルト》ジョーがこの『決闘』の頭数に入っているのは助かる。

 確実な勝ち星の一つとして計算できるからだ。五本勝負の三本先取なら、これは大きい。

 俺と《ソルト》ジョーで勝ち星を二つ。

 あとの一つは――こいつだ。

「印堂、任せた」

「うん」

 俺が背中を叩いてやると、印堂は鼻から息を吹き出し、心なしか強めにうなずいた。

「任された。私と教官と、あと《ソルト》ジョーとで三勝。計算、合ってる?」

「おう、合ってる合ってる。お前も算数できるようになったな」


「待ておいこら、そこのチビ、なんかオレがヤシロのついでみたいな言い方するんじゃねえ」

 《ソルト》ジョーはぎょろつく目玉で、印堂に対して凄んでみせた。

「てめーがヘマしたら終わりだからな。気合い入れろよ。負けたらぶっ飛ばすぞ」

「うん」

 ジョーに睨まれても、印堂はさすがに少しも動揺しなかった。それどころか、ブイサインを掲げてみせる余裕すらあった。

「教官に訓練を受けているので、楽勝だと思う」

「けっ」

 《ソルト》ジョーはせせら笑った。

「それがいちばん不安だけどな!」

「おっと、ジョー、俺の指導者としての腕前を疑ってるな? いずれ勇者向けのハウツー本でも出そうかと思ってるほどの教え上手だよ、俺は。だいたい――」


「師匠!」

 唐突に思えるタイミングで、城ヶ峰が切羽詰まったような声をあげた。

 律儀にも挙手までしていた。

「すみませんが、雪音にばかり期待をかけるのは不公平かと思います」

 いったいどこから、この自信にあふれた声が出ているのか。

「ここは師匠の一番弟子である私が! 華麗に柳生の高弟を討ち果たしてご覧に入れましょう。これで勝ち星は四つになる計算ですね! セーラも勝てば全勝です」

「お前、柳生を完全に舐めてるだろ」

 あきらかに身の程を理解していない城ヶ峰の発言に、俺は愕然とした。

 しかも声が大きすぎて、道場内の柳生の一同にも聞こえたことだろう。周囲の殺気がいっそう強くなり、俺は居心地の悪さを感じた。


「仮にも日本最高クラスの剣術集団だぜ、あいつら。だいぶイカれてるけど」

 そもそも印堂からして不安はある。やつらに勝てるかどうかといえば、たぶん、贔屓目に見ても四割というところだろう。

 俺が考えるに、この『決闘』の条件を考えると、単純な技の比べ合いでは勝目がない。

 印堂がこれまでの戦歴で培った意表をつく奇手や、俺が教えた裏ワザのような一撃で、うまくやつらを、なんというべきか――『びっくりさせる』ことができるかもしれない。そうすれば、試合上の勝ちを拾える可能性はある。

 この点、カウンターと泥仕合に徹する城ヶ峰では、まず無理だ。

「お前よりもセーラの方がまだ可能性はある。五パーセントくらいはな」


「え」

 セーラはこわばった顔で振り返った。

「な、なんだよ。私が?」

 俺たちのやり取りを、ほとんど聞いていなかったらしい。この緊張の度合いからして、通常の実力の半分も出せればいい方だ。

 天性の資質と、アーサー王直伝の技という要素があるにも関わらず、勝率は一割もないと考えるのはセーラのその性格による。でかい舞台になるとビビりすぎて本来の実力が出せない。命のかかった場所でなら開き直る可能性もあるが、いま賭けられているのはマルタの釈放だ。どうしようもない。

「大丈夫だ、セーラ。気にすんな」

 俺はせめてリラックスさせようと試みた。


「お前と城ヶ峰にはぜんぜん期待していない。練習のつもりでやってみるのがいいんじゃないか? たぶん綺麗にぶっ倒されるから」

「いや……わかってるけどさ。ムカつくな、その言い方」

 セーラは口を尖らせた。

「もしも勝ったらどうするんだよ?」

「その通りです、師匠」

 城ヶ峰まで同調した。

「我々が勝利した暁には、然るべき報酬を要求します」

 こいつは相手が柳生ということを理解していないか、理解していても、それでも勝てると本気で思っているのか。よくわからない。

 いずれにせよ、俺からのアドバイスは一つだけだ。


「そういうことは勝ってから言え。相手が相手だからな」

 俺は道場の奥に目を凝らす。

 少し動きがあった。楓が袴を翻し、こちらに進み出てくる。こちらに突き刺さりそうなほど、敵意に溢れて尖った目をしていた。


「――確認します。決闘は五本勝負」

 楓は順番にこちらを眺め、その視線でひとり残らず突き刺した。城ヶ峰と印堂は気にしていなかったが、セーラが顔をしかめるのがわかった。

「三本先取で勝利とします。決着は頭部か胸部への有効打、もしくは降参を宣言するまで。使用するのは、互いに真剣ではなく木刀」

 楓は片手を掲げた。やや長めの木刀が握られている。

「よろしいですね?」

 あまりにも図々しい確認だ。俺は鼻で笑うしかない。

「なかなか不利な条件を押し付けてくれるじゃねえか。柳生は勝ちに手段を選ばないってことだな」

「無礼なことを。この仕儀は当然です」

 楓は涼しい顔で首を振った。

「あなたたちが柳生の掟を破らんとして、我々に挑むのですから」

 何が柳生の掟だ、と思ったが、これ以上は触れても意味のないことだ。


 木刀を使う。

 この『決闘』において、それが最も不利なポイントの一つだ。セーラを除いて、この手の武器はみんな使い慣れていない。しかも鈍器だ。例えば俺が得意とする剣の両刃を活かしたフェイントや、間合いを潰して突き刺す印堂の接近戦術、そうした諸々の技術が使えないことを意味する。

 柳生にしては、せこい手を押し付けてくるものだ。何がなんでも勝ちに来ている――とはいえ、確かに刃物で斬り合うわけにもいくまい。

 そしてここは《柳生の里》だ。日本刀を模した木刀以外に、模造剣があるはずもなかった。せいぜい槍や薙刀くらいのものだろう。

 結局、向こうの土俵でやるしかない。


「上等だ」

 と、《ソルト》ジョーが言った。

 やつの声にもまた、みなぎる敵意があった。ジョーがテンションを上げ始めている。

「こっちが吹っかけた喧嘩だからな。乗ってやるよ。どんな怪我しても文句言うんじゃねえぞ」

 言外に、『死んでもしらねえぞ』と言っている。さすが暴力の専門家。脅し方がサマになっている。だが木刀でも人は殺せるということぐらい、柳生の連中もそれは理解しているはずだ。

「ええ」

 当然のように楓はうなずく。

「これは決闘です。覚悟の上でしょう――お互いに」


「――はい! 心配は無用です」

 これに素っ頓狂な答え方をしたのは、城ヶ峰だった。

「我らも存分に力を示すのみです。貴殿の愛の力、拝見致します! 無論、私も負けるつもりはありません!」

「結構」

 楓はまるで城ヶ峰の話を理解したかのようにうなずいた。

「いい目をしています。城ヶ峰と言いましたね? あなたとはいい勝負ができそうです」

「はい! 恐縮です」

 城ヶ峰はこっちの癇に障るほど爽やかに、一礼して下がる。そして振り返る。

「師匠、話はつきました。さあ、始めましょう! 我々ならば、相手が柳生の精鋭といえども恐れることはありません!」

「お前が交渉役をやってるのがマジで怖いよ」

 俺は城ヶ峰のドヤ顔を押しのけて、前に進み出た。


「それじゃあ、先鋒は俺だ」

 道場に入るときに渡された木刀を掴み、柄の握りを確かめる。重量のバランス、長さともに違和感は否めないが、使えないことはない。

「どういう風に勝つか見とけよ。滅多にないぞ、こういうの」

 主に、印堂に対しての言葉だ。あまり参考にはならないだろうが、『工夫』のきっかけぐらいにはなるかもしれない。

 俺は木刀の柄が顎の横に来るよう、ちょっと大げさなほどの上段に構えた。

 これは日本の剣術でいう、『八相の構え』に近い。ドイツ剣術では、『屋根の構え』という。俺の師匠はもっと単純に、『斜め上の構え』と呼んでいた。たぶん正式名称は別にあると思う。


「誰でもいいから、かかって来な。手加減してやるから」

 俺は挑発的な言葉を続ける。

 これに対して、道場の奥から楓とは別の人影が進み出てくる。ぎょろりとした目つきをした、やっぱり藍染の羽織の男。俺より少しだけ身長は低い。どことなく顔がタヌキに似ている、と思った。


「柳生が高弟、庄田克秀」

 一礼はしたが、名乗りは簡潔にそれだけだった。

 そいつが顔の真正面、こちらにつき出すように木刀を構えると、立ち並ぶ蝋燭の炎がわずかに揺れた。お互いの間の闇が深く、濃くなったように感じた。

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