第3話

 不毛に思えるほど入り組んだ屋敷の、最も奥まった座敷だった。

 『無想の間』、と書かれているのを横目に見た気がする。ジョーはそこで肩をすくめ、「入れ」と目で示した。自分はマルタと会うつもりはないらしい。その理由はのちほど、すぐにわかった。


 座敷に入ってみれば、これもまた時代劇の大名を思わせるバカみたいな部屋で、下手をすると野球でもできそうなほど広く感じた。

 もしかすると照明器具が蝋燭しか存在しないために、室内の暗闇が濃く、なおさらそう錯覚させる効果があったかもしれない。座敷には燭台がずらりと並び、まるで百物語のような雰囲気すらある。

 そうしてマルタはその座敷のいちばん奥、座布団の上で、居心地悪そうに体を縮めて座っていた。


「やあ」

 マルタは気まずそうに第一声を発した。

「なんか悪いね、わざわざ来てもらって」

「なんだ、それ」

 俺はやつの姿を見るなり、吹き出してしまった。

 マルタまで時代劇の衣装に身を包んでいる。藍色に染めた羽織に、仰々しい袴。傍らには日本刀。これで髷でも結っていたら完璧だった。住所不定で洗濯をする機会が滅多にないマルタの、いつもの薄汚い身なりとは大違いだ。

 しかもその装束が全く似合っていない。

 宴会の余興でそんな格好をすることになった、どこかの酔っ払いのように見える。マルタという男は、そういう間の抜けた気配を発生させることに関して、ずば抜けた才能のようなものを持っている。


 なるほど、と俺は思った。

 これはジョーが入ってこなかったのもうなずける。見たら笑ってしまうからだ。

 だが、ほとんど風呂に入らないマルタの髪が小奇麗になり、ヒゲもきっちり剃られているのには驚かされた。

「やっぱりそのファッション、この山奥じゃ流行してるのかよ。すげえな。写真撮っていい?」

「やだよ、恥ずかしい」

 マルタは本当に恥ずかしそうに頭を掻きむしった。

「おれだって嫌だって言ったんだよ。ジョーにも笑われたし。でもさあ、これ着ないと怒るんだもんな、みんな」

「いやほんと、スゲー面白いから、絶対写真撮った方がいいって。だって、お前その見た目で――」


「孝宗様」

 不意に、マルタの背後の暗がりで声がした。

 俺はそちらに注意を向ける――さきほど、山道で俺たちの前に立ちはだかった女だった。

 生真面目を通り越し、鋭利な酷薄さすら感じさせる目つきで、俺を睨んでいる。

「あまり威厳のない物言いをなさってはいけません。この下郎とかつて親交があったことは存じておりますが、いまの孝宗様には次期当主としての立場がございます」

 女の口調には、取り付く島も感じさせない硬質さがあった。

「居場所をようやく突き止めたのです。残念ですが、あなたたちと孝宗様では、住む世界がちがうのです」


「待てよ、次期当主?」

 俺はまた驚いた。

「マルタが? 柳生の? マジで頭大丈夫か、あんた」

「孝宗様、です。無礼者め!」

 女は凄まじい剣幕で訂正させようとしたが、俺はその手には乗らなかった。混乱させて、イニシアティブを握り返してやる。


「じゃあ通称マルタでいいよ、こいつを当主にするつもりって本気か? このぼんくら野郎は百を超える職場から追い出されたと言われる男だぞ。仕事はできないし、ちょっと気に入らないことがあると上司とか殺すし。在籍させてるだけで組織に被害を及ぼすこいつが、当主なんてできるわけないだろ。それともあんたらがそれ以上の危険人物なわけか? だったら正直言って死んだ方がいいぜ」

 俺が一気にまくしたてる間に、女の表情がさらに鬼のように変化していくのがわかった。

 それだけではない。

 周囲の暗がりから、たくさんの濃厚な殺気が向けられてくるのを感じている。座敷に入った時に気づいていたことだが、あちこちの暗がりに武装した柳生の人間が控えているようだ。


「――おいっ、センセイ!」

 俺の背後から、セーラが肩を掴んでくるのがわかった。明らかに慌てている。

「やばいって。完全に囲まれてるし、そんなこと言いまくったら――」

「なんだよ。またビビってるのか、セーラ」

「そういう問題じゃねえだろ。ここ、柳生だからな。あの《柳生の里》だからな!」


「セーラは声が大きい……」

 印堂がひっそりと呟いた。やつはいつの間にか、俺の隣で正座している。

「教官、いますぐ戦う? いつでもいい」

「お前は殺意が高すぎる」

 俺は印堂の左手を抑えた。その手が、ナイフの柄を逆手に握っているのがわかったからだ。ついでに、釘を刺しておかねばならぬ相手もいる。


「城ヶ峰、お前マジで余計なこと言うなよ。口を挟むなよ。また猿轡噛ませるからな」

「はい! わかりました!」

 なんの保証にもならない城ヶ峰の爽やかな返答が、広い座敷に響き渡った。

「委細、承知しました。師匠はマルタ氏を連れて帰りたい。そして恐らくですが、柳生の者どもはマルタ氏を返したくないのでは?」

「いまさらそれ認識したのかよ。お前は何しに来たんだよ」

「それは無論、師匠の力になり、これによって好感度を稼ぐためです。――よろしいか、柳生の方々!」


 不意を打つように、城ヶ峰は大声をあげた。その声は、座敷の闇に場違いなほど明るく響いた。

「すまないが、私の師匠があなた方の長を連れ返したいと仰っている。ここはひとつ、我々の主張に従ってもらえないだろうか。その代わりに、我々はあなた方に一切危害を加えないことを約束しよう! 勇者として誓う!」

 完全に言い方が脅迫だ。

 俺はこいつの猿轡を外したことを大いに後悔した。


「話になりませんね」

 案の定、尖った目つきの女は、ため息混じりに目を閉じた。よほどイラつくことを聞かされたのだろう。気持ちはわかる。

「お引取りください。孝宗様は我らの次期当主として、ここで暮らすことになりました」

「あのさあ、マルタ」

 俺はこの女との交渉を諦めた。交渉とは、まともに会話できる方とするべきだ。

「こいつマジで言ってるのか? 次期当主やるわけ?」

「いや、おれは一言もそんなこと言ってないよ」

 マルタは平然とした顔で首を振った。

「ここ、酒飲んじゃダメだって言われるし、おれもそろそろ帰りたいんだけど、帰るって言うとめちゃくちゃ怒るんだよね。みんなが。どうしたらいいかわかんなくってさあ」

「お前は小学生かよ! だいたい、柳生の現当主はどうしたんだよ。何があった?」


「現当主、篤之様は――」

 そこで初めて、女は言いよどんだ。

「持病のぎっくり腰が悪化し、市内の病院に入院しました。退院は明日になるとのことで、現在、治療に当たっています。万が一のことを考え、孝宗様を呼び戻すべきと私は判断しました」

「なんだそりゃ」

 俺は率直な感想を述べた。


「っていうか、あんたは何者だよ。柳生の高弟か? マルタの姉貴とか?」

 柳生流には、『高弟』と呼ばれる制度がある。

 一定以上の技量に達した者を四人選び、特別の腕前の持ち主として『高弟』と呼ぶ。これが常に四人選ばれることから、『四高弟』と呼ぶこともある――俺は時代小説を読んだことがあるから、あれが本当ならば、こいつがその『高弟』かもしれないと思った。

「私ですか」

 聞いて驚くな、とでも言いたげな顔で、その女は背筋を伸ばした。

 実際、悔しいことに本当に驚かされた。


「孝宗様の妻で、柳生四高弟が一人、木村楓と申します」

 俺も、おそらく背後の三人も、顎が外れるほど驚いただろう。

「――ええっ?」

 だが真っ先に反応したのは、意外にもマルタ本人だった。首の骨がぐきりと鳴るほど、勢いよく振り返っている。

「ちょっと待った、おれ、それ初めて聞いたんだけどさ。まだ許嫁じゃなかったっけ? あれ、おれって結婚してたんだっけ? あれ?」

「しています」

 楓、とかいう女は平然とうなずいた。

「法律上はまだですが、精神的、本質的にはすでに結婚しています」

「そうだったのか、やばいな。どうしよう」

 マルタは本当に困ったような顔をした。馬鹿か。


 俺は声を低め、マルタに忠告してやることにした。

「なあ、マルタ、どう考えてもこいつやばいぞ。お前はアホだから知らないだろうけど、結婚ってのは普通、お互いの同意がないとできないんだぜ」

「マジで? ヤシロ、めちゃくちゃ詳しいな」

「だから、俺の提案するプランはこれだ。さっさと帰ったほうがいい。イシノオのやつがビール冷やしてるから、《メダリオン》のケリをつけようぜ」

「おっ、ビール? いいねえ、さすがヤシロ! 手回しがいい! それじゃさっそく――」


「なりません」

 楓の声は冷たく、容赦というものが感じられない。

「孝宗様は次期当主となられるお方。今後、この里を離れることは禁止します」

「え? いや、困るよ。おれはどうすりゃいいの?」

「どうしようもありません。ダメです」

「そんな、ひでえよ――」

 マルタはひどく困惑していた。こいつが何でもかんでも人の言うことを鵜呑みにする性格だから、これはひたすら困るだけだろう。


 仕方がない。

 超一流の勇者である俺はこの事態を打開するため、こいつらをペテンにかけようと思った。そして作戦を練り、言葉を発しようとしたところで、それを台無しにすべく声をあげたやつがいる。


「――では、こうしましょう!」

 城ヶ峰だ。

 俺は振り返って印堂とセーラを睨んだ。あいつらは露骨に『しまった』という顔をしていた。

「楓殿、あなたのマルタ氏に対する愛はよく伝わってきました。気持ちはわかります。ですが、夫婦には試練が必要と相場が決まっております! それでこそ愛の証明となるのではないでしょうか」

 意味不明な論理展開。俺は城ヶ峰を止めようと思ったが、すでに遅すぎた。


「ゆえに、ここはいかがでしょう。勇者らしく、正々堂々とした決闘で是非を決するというのは!」

「おい、城ヶ峰」

 俺は城ヶ峰の襟首を掴んだ。

 静かにさせるつもりだった――やはりそれも遅すぎた。


「――なるほど」

 と、楓は少し感心したように呟いた。

 鋭い目が見開かれ、何かを悟ったような表情になった

「外界にも、なかなか物の道理を弁えた者がいるようですね。一理あります。確かに夫婦には試練がつきもの。私の愛を証明し、孝宗様にはいますぐにでも次期当主になっていただきたい」

「何言ってんだこいつ」

 俺は思わず声に出して言ってしまった。

 楓がまったく俺の言葉を聞いていなかったのは幸いだ。


「その挑戦、受けましょう」

 楓が立ち上がると、蝋燭の炎がその影を亡霊のように揺らした。

「決闘です。我ら柳生の門弟と、あなた方。五本勝負といたしましょう」

「ええ! 正々堂々、決着をつけましょう!」

 城ヶ峰は爽やかな声で宣言した。


 俺は振り返り、印堂やセーラと顔を見合わせる。

 どちらも揃って、わけがわからない、という顔をしていた。印堂はすぐに諦めたような顔をしたし、セーラは助けを求めるように口を開閉させ、結局何を言えばいいかわからず、また沈黙した。


 いま確かなことはただ一つ。

 城ヶ峰の意味不明な論理展開が、なぜか楓の精神に突き刺さったらしい。

 それはつまりこの楓という女が、城ヶ峰並みの狂人であることを意味する。


 この座敷に《ソルト》ジョーが入ろうとしなかった、本当の理由がよくわかった。

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