第2話

 そもそも、なんで俺たちがこんな山奥の物騒な場所までピクニックに来たかといえば、それはすべて《もぐり》のマルタという男のせいだ。


 やつが誘拐された、という意味不明な情報を持ってきたのは、《二代目》イシノオだった。

 それを最初に聞いたときは、本気でイシノオの方の正気を疑った。マルタは俺が知る勇者の中でも、《E3》を使わない状態での腕前は五本の指に入る。そんなやつを、どうやって誘拐できるというのか。


「マジなんですよ」

 と、《二代目》イシノオは煙草をふかしながら言った。

 俺はその目を覗き込み、ついでに煙草を点検して、なんらかの違法な薬物をやっていないかチェックせざるを得なかった。たぶんやっていなかった、と思う。

「ほんと、一瞬のことでした」

 イシノオのやつが目撃した情報を整理すると、以下のようになる。

 まずは時代劇のような衣装を着た連中が、大型ワゴンに乗ってやってきて、仕事帰りのイシノオとともに歩いていたマルタに声をかけたという。

 マルタはすごく驚いたような様子を見せたが、最初はフレンドリーに会話しようとしたらしい。

 ワゴンから出てきた時代劇の連中は、そんなマルタをあれよあれよと言う間に囲み、胴上げでもするようにして車内に詰め込んだ――というのが、イシノオの話だった。


「柳生がどうのこうのとか、久しぶりとか言ってました。あれ、なんなんですか?」

 すごく困惑していた、イシノオの疑問ももっともだ。


 マルタの実家は、《柳生の里》という。

 奈良県の山奥にある、全国的にも有名な勇者剣術の流派のひとつ、柳生新陰流の宗家である。

 この家系は戦国時代から魔王殺しの剣として名高く、狂ったような修練の果てに、自らエーテル知覚を発現させた者も多かった。柳生十兵衛をはじめとして、その手の逸話には事欠かない。

 要するに、マルタという男は、いわゆる名家の御曹司という立場だ。

 なぜ実家を出奔したのかとか、触れたら面倒くさそうなことについては、俺たちの誰も聞いたことがない。

 どうせ山奥にはパチンコ屋がないとか、思う存分ビールが飲めないとか、理由はそんなオチだろう。そこの部分には確信がある。


 だが、なぜいまさらマルタを実家の連中が連れ戻しに来たのか。

 その事情は良くわからないが、貴重な勇者の友達、しかも一緒にカードゲームをできるようなやつが居なくなるのは困る。

 俺と《ソルト》ジョー、そしてエド・サイラスは、友達を取り戻すべく即座に行動を開始した。


 ――という言い方をすると、まるで俺たちが連携のとれた作戦を発動したように聞こえるが、実態は別だ。

 ジョーはおもむろにバイクで奈良県へと向かい、エド・サイラスはさっさと一人で新幹線を予約していた。イシノオは留守番だ。どいつもこいつも、勝手なことをしやがる。

 俺は仕方がないので、ひとりで長距離バスに乗り込むしかなかった。

 あの三人の弟子もどきがついてきたことについては、俺もよくわからない。俺もマルタの誘拐に焦っていたし、落ち着きをなくしていた。それは認める。そのどさくさにまぎれてついて来やがった。

 その結果が、これだ。

 ――いま、俺たちは柳生の屋敷に軟禁されている。





 それは案内というより、連行と呼ぶべきだったと思う。

 俺たちが通されたのは広い座敷だった。

 家具の類が一切ないから、余計にそう感じるのかもしれない。畳が敷き詰められ、ただ部屋の中央に配置された大型の行灯だけが、ぼんやりとした火の影を投げかけている。暗い。


「電気じゃねえのかよ」

 俺は思わず呟いてしまった。

「こりゃ本格的に時代劇だな。さすがマルタの実家、やばすぎる。現代日本にあるまじき異世界だぜ」

「っていうか、センセイ」

 俺の隣で、セーラがささやくように言った。

「ここって、マジにあの《柳生》なのか? あのマルタっていう人が、《柳生》の御曹司だって?」

 まるで天井裏か畳の下に、柳生の手の者が潜んでいると疑うような小声だった。俺もその可能性は否定できない。


「まあ、そうらしいんだよな」

 俺は没収されなかったバスタード・ソードを抱えて、行灯の傍に腰を下ろす。

 武器を奪わなかった理由は、それだけの自信があるということなのかもしれない。実際、《柳生の里》で武器を持って暴れるやつは、間違いなく三分とかからず始末されるだろう。切り抜けることができるのは宮本武蔵くらいではあるまいか。

「驚きだろ。マルタのやつ、こんな場所で育ったから現代日本の法律とか常識とか、ぜんぜん分かってないんだよな」

「驚きっていうか、そりゃあの人、ヤバいヤバいとは思ってたけどさ」

 セーラは複雑な顔で唸り、腰を下ろしてくつろぐべきかどうか迷っているようにも見えた。

「なんていうか、私のオヤジが言ってたんだけど。《柳生》は剣術だけなら、アーサー王の系譜よりもよほど洗練されているとかって」

「ああ。たぶん、間違いじゃない」


 俺の師匠もそう言っていたし、他でもない、アーサー王自身がそう言うのならば。

 東洋で発展した勇者剣術は、西洋とは違う独自の発展を遂げた。剣の技法が貴族階級――武士の必修項目となり、その研鑽が進むことになった。《柳生》は間違いなく、日本における勇者剣術の最高峰の一つだろう。

 俺たちの間で、マルタの剣術が別格である理由はそこだ。


「――《柳生》って、強いの?」

 こういう話題になると、割り込んでくるのが印堂雪音というやつだ。いつの間にか俺のすぐ横で、体育座りになっている。

「教官よりも?」

「マルタのやつを基準に考えると、互いに《E3》を使った場合、まあ俺でも十本中四本は取られるかもしれない」

 俺にもプライド的なものがあったので、少し誇張した。俺の感覚からいえば、マルタとは五分五分というところだ。

「だが、結局は状況次第だ。実戦ってのはそういうものだしな。場合によっては俺が確実に勝つこともあるし、逆もあり得る。だからお前も、工夫ってものをもう少し覚えろ」


「うん」

 印堂の無感情な目が、障子戸越しに外を睨んでいた。そちらは静かなものだ。カエルの声だけが遠くに聞こえる。

 だが俺は、おそらく印堂も、そちらの方向に人間の気配があることを感じている。間違いなく、それは柳生の見張りなのだろう。俺たちを自由に出歩かせるつもりはないというわけだ。

「戦うときは、私もやる」

 印堂は俺を見上げた。

「柳生に勝てば、もっと強くなれる?」

「そんな物騒なことにならなきゃいいけどな」

 俺は心の底からそう思った。

 そもそも、あいつらは俺たちをここに軟禁してどうするつもりなのか。いまいち意図が読めない。マルタを取り返されることを警戒しているのか?

 とにかく、柳生と正面から戦うのは得策ではない。


「お前らという荷物もいるしな」

「――もがっ!」

 入口あたりの畳の上で、くぐもった声があがった。城ヶ峰だ。さっきから猿轡をされたまま、唸り声をあげている。ひどく暴れるので、まだ縄でぐるぐる巻きにされていた。

「もがっ、もがっ」

 城ヶ峰は畳の上で、狂ったエビのようにもがいた。本人は飛び跳ねようと思ったのかもしれない。


「あのさあ、センセイ」

 セーラが気の毒そうに振り返った。

「そろそろ猿轡だけでも外していいだろ? 亜希のやつ、もうさっきから『もがもが』しか喋ってないじゃん」

「アキの反省として、そのくらいがちょうどいいと思う。さっきは邪魔されたし、非常に迷惑した」

 印堂はひどいことを言った。こいつの場合、一度機嫌をこじらせると、かなり長く根に持つタイプだということがわかってきた。


「しばらく黙らせておこうかと思ったが、これはこれでうるさいな。よし」

 俺は片手を振った。

「セーラ、特別にそいつの封印を解いていいぞ。悪魔を復活させるのだ」

「……センセイのそのノリに咄嗟についていけるの、スゲー少数だと思うよ」

「んがっ!」

 セーラによって猿轡を解放された途端、城ヶ峰はゴリラのような声をあげた。

 そこから間髪入れず、一気に喋りだす。


「師匠! この仕打ちはあまりにも酷いと思います! 私は奮闘しましたよ。キャンプを襲った柳生の手の者どもを相手に、ロープで全身ぐるぐる巻きにされて身動きもままならない中、セーラに警告するとともに華麗にテントから転がりでて、果敢にもやつらに対して名乗りを――」

 あまりにも怒涛の弁舌だったので、俺はやっぱり猿轡を噛ませておくべきだと思った。たぶん顔色と表情を見るに、セーラも印堂も同様だった。

「聞いていますか! まだありますよ、私の活躍は。師匠にはぜひ知っておいてほしい!」

 勢いよく語りながら、城ヶ峰が一瞬だけ息継ぎをした瞬間だった。


「おう、ヤシロ」

 障子戸が乱暴に引き開けられ、スキンヘッドの大男が踏み込んできた。

 そして、城ヶ峰の背中を踏んづけた。

「ん? ああ。何やってんだ、お前ら。新しい拷問の練習かよ」

 間違いなくそれは《ソルト》ジョーだった。

 城ヶ峰は木から落ちた猿のような悲鳴をあげたが、ジョーはほとんど気にせず部屋に入ってくる。基本的にジョーは彼女のことを、俺が拾ってきた珍獣だと考えている節がある。


「ジョー!」

 俺は反射的に立ち上がっていた。

「お前も捕まったのかよ。このバカめ! あとはエドしかいねえじゃん。それにその顔、まさか誰かにボコボコにされたのか?」

「この顔は生まれつきだよクソ野郎。それにオレは捕まったんじゃねえ」

「あ? じゃ、なんでここに?」

「マルタの名前を出したらな」

 ジョーは自慢げに笑った。

 明らかに俺を馬鹿にする笑い方だった。

「やつらが案内してくれたよ。やっぱり正面から行くのが一番だったな」

「なんだそりゃ、俺たちなんて囲まれて脅されたんだぞ」

「お前らが不審者に見えたからだろ」

 ジョーにそんなことを言われるのは納得がいかない。俺とジョーのどっちが不審者に見えるかは、一目瞭然だと思う。

 しかし、セーラと印堂が顔を見合わせ、無言でうなずいたのが少しだけ気になる。


「それよりさっさと来いよ、ヤシロ」

 ジョーは顎で俺を促した。

「マルタが待ってるってさ。謁見を許すとか言われたぜ、あいつホントにここのボンボンなんだな。話があるとか、なんとか言ってたよ」

「マルタが?」

 あいつ、誘拐されたんじゃなかったのか。

 どうも妙な雲行きになってきたぞ、と俺は思った。

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