補講3:勇者の旅立

第1話

 夜の山中に満ちているのは、まず濃密な闇。草と土の匂い。虫の鳴く声。周囲を取り囲む木々が、春風にざわめく葉の音。

 それから、冷え冷えとした殺気だった。


 俺にはそれがわかる。

 職業柄、いつもそうした世界に身を置いてきた。この業界で生き延びようと思えば、他者からの殺意には敏感にならざるを得ない。《E3》はとっくに使用済みだ。

いまこちらを包囲しているやつらの足音、息遣い、間合い、すべてに意識を向ける必要がある。

 さらに言わせてもらうなら、ここまで鮮やかで無機質な殺意を抱くことができるのは、素人ではありえない。闇の中に潜んでいるのは、こちらとおなじくプロの殺人者に違いない。

 おそらくは、勇者。

 しかも複数。


「くそっ」

 俺は悪態をついて、闇の中をゆっくりと歩く。ほとんど獣道に近いような山道だ――走ることはできないが、足を止めてもいけない。手元の電気式ランタンは頼りなく感じる、どころか、危険ですらある。向こうからはこちらがよく見えるだろう。

 非常に困った。

「とっくに囲まれてるぞ、印堂」

 俺は背後からついてきているはずの少女に声をかける。

「うん」

 短い答えだが、動揺した気配はない。

「これ、私たちにだけ? アキと、セーラの方には?」

「わからない」


 城ヶ峰とセーラは、少し離れたキャンプ地点に残してある。

 あまりにも物騒な場所に侵入しようとしているので、俺と印堂が先行して偵察しようとした。その判断が間違っていたかどうかは、まだわからない。

 いま俺と印堂を取り囲み始めた殺気が、単に『あいつら』の警戒領域に入ったことだけが理由なのか、それとも他に原因があるのか。そのあたりの事情を推測するには、俺はあまりにも『あいつら』のことを知らなかった。

 俺はいま改めて、こんな秘境みたいな山奥までやってきた自分の愚かさを後悔しはじめている。


「教官」

 印堂は後ろから、俺のジャケットの裾を引っ張った。

「人数、だいたい六人ぐらい?」

「俺もそんなもんだと思う。ちょっと多いな」

「合ってた」

 印堂は何かを期待しているらしい。少し足を速めて俺の隣に並んでくる。その意味するところは、なんとなくわかる。

「教官の推測と、人数が合ってた」

 推測、というよりは、俺の場合はほぼ確実だ。あえて曖昧に言ってあるが、包囲している人数は確実に六人。《E3》を使っているときの俺の感覚処理は、この手の人数当てを間違えない。そういう練習もしている。

 その俺と同じ結論に至ったなら、印堂もまあ大したものだ。褒めてやってもいい。


「わかった、よくできたポイントを一点やろう。この人数が減ってくれれば、もっと楽しい気分になれるんだけどな」

「人数、減らす?」

 印堂の声には躊躇いとか、ジョークのような響きが一切なかった。

 こいつが『人数を減らす』と言うからには、殺す、という意味だ。

 印堂もまた《E3》を使っているが、こいつの場合は薬がもたらす攻撃衝動の昂ぶりのせいで、そういう発想に走っているのではない。いままでの人生がそういうものだったからだろう。

 俺は印堂の肩を掴み、首を振った。

「やめとけ。魔王の眷属じゃなければ、法律ってのがあるんだよ。向こうは仲間も多い。俺たちがこいつらを殺しても、他の連中がやってきて余計に面倒になりそうだ」

「そう?」

 印堂が首をかしげた。電気式ランタンの白すぎる光が、その横顔を照らす。

「向こうは、こっちを殺すつもりで囲んでいる」

「そうみたいなんだよな」


 いっそのこと手を出してきてくれれば、正当防衛が成立する可能性がある。法律の問題はクリアだ。しかし一人でも殺せば、『あいつら』と本気で事を構えることになるだろう。それは死ぬほど面倒くさいし、たぶん俺もタダでは済まない。

 あいつら――すなわち、《柳生の里》の勇者どものことだ。

 こんなところ、来なければよかったと俺は思った。すべては俺の友人である、《もぐり》のマルタのせいだ。

「しかし、里に近づいただけでこれかよ。物騒すぎるな、さすがマルタの実家だ。あいつは教育環境が最悪ってことがよくわかった」

「教官」

 印堂が俺のジャケットの裾を、今度は少し強く引っ張った。

「前を塞がれた。また二人くらい増えた」

「わかってる。大歓迎って感じか」

 俺も足を止めるしかない。

 これで合計八人。印堂がいれば、まあ捌けない数ではないだろう。

 こいつを連れてきてよかった、と思った。ついでに城ヶ峰を縄で縛ってテントの中に転がしておいてよかった。セーラが見張っているから、万が一も有り得ない。


「ここでやるつもりかもしれねえぞ」

 俺は闇の中に感覚を集中させる。右手は剣の柄にかけていた。

 警戒すべきは、まず飛び道具だった。魔王ではなく、勇者が相手ならば銃火器の掃射もそれなりに有効となる。弾丸を回避すれば、動きを制限することができる。

「印堂、あんまり殺すなよ。正当防衛が成立するように、腕と脚だけを狙え」

「――どうしても危ないときは?」

「甘えるなよ、おい。これも訓練だ」

 俺は印堂に対して、これが強化訓練の一環――という名目であったことを思い出させることにした。そうしないと、こいつは効率最優先主義だから、特に危なくなくても殺しにいく。

「強くなりたきゃ、そのくらいやってみろ」

「うん。わかった」

 印堂は右手で片手剣を、左手でナイフを構える。こいつは人差し指を失ってから、このスタイルでの戦い方を、少しずつ学んできた。ちょうどいい実践の場になるだろう。

「こういうの、なんか楽しい」

 印堂はぞっとするようなことを呟いた。まるで戦闘中毒のような台詞だ。

「教官と一緒だし」

「印堂、お前は――」

 俺はこいつを窘めようとした。


 その瞬間に、周囲の暗闇に動きがあった。山道の前方、木々の間で、人影が動いた。俺はそちらに電気式ランタンを掲げる。

 白すぎる光は、異様な装束を身にまとった人物を真正面から照らす。

 そいつは低く、しかしよく通る声で警告しやがった。

「そこで止まってください」

 意外にも、そいつは女だった。

 まるで時代劇の登場人物のようだと思った。というより、とても現代社会に適応している人物とは思えない。藍色に染めた羽織と、袴まで身に付け、腰には日本刀。ランタンの光に照らされた顔は、なんとなく鋭利で、全体的に尖っているような印象を受ける。

 身なりといい、顔つきといい、明らかにヤバいやつだ。

 この印象はそう簡単には変わることはないだろう。夜の山道で出くわす相手としては最悪レベルで、こういう分かりやすい状況でなければ、江戸時代の幽霊を疑っていてもおかしくない。


「なんだ、その格好は」

 俺はまず素直に、彼女のファッションについて問題提起することにした。

 話題を変にずらすことによって、イニシアティブを握ろうとしたわけだ。この手の駆け引きは、印堂には任せられない。黙ってろ、と身振りで伝えて、喋りだす。

「この山奥だと、その格好が流行ってるのか? それともあんたの個人的な趣味で? じつは俺はその手のファッションに興味があってね、ちょっと取材しようと思ってここまで来たんだ。知ってる? 東京じゃけっこう有名な雑誌なんだけど――」


「《死神》ヤシロ」

 俺の発言はまったく無視された。しかも、その女は俺の名前を呼び捨てにしやがった。

「そうですね? 若君が、きっとあなたも来ると仰っていました」

「あ、一瞬でバレたな」

 俺はジョークのような雰囲気を醸し出すべく、無理をして笑った。

「じつは雑誌記者じゃないんだ、俺は。勇者だよ。同業者。で、若君ってのは、もしかしてマルタのことか? あいつはまた――」


「若君は、丁重にあなたたちをお迎えしろと命じました」

 この女は、まったく俺の言葉を聞くつもりがないらしい。俺のいい加減な弁解も意味がなさそうだ。

 それと同時に気づいたこともある。こいつは不快感を押し殺しながら喋っている。俺と会話すること、それ自体を嫌悪しているようだった。

「どうぞ、ついてきてください。武器はこちらに預けていただきますが、若君の下まではご案内しましょう」

「待てよ、武器は勇者の魂なんだ。そう簡単には他人に預けるなって、俺の師匠も――」

「彼女たちは素直に従ってくれました」

「あ?」


 暗闇の奥で、また人の気配がした。

 足音は二人分――だが、重量は四人分。これが意味するのは、二人の人間に抱えられている、また別の二人の人間ということだ。

 そして抱えられている側には、俺も印堂も見覚えがある。


「マジかよ、お前ら」

 ランタンを掲げる腕から、力が抜けるのを感じた。その光が照らしたのは、他でもない、キャンプ地点に残してきたセーラと城ヶ峰だった。

 セーラは両手を縛られただけだが、城ヶ峰の方は全身をぐるぐる巻きにされ、ついでに猿轡まで噛まされている。

「ふがっ!」

 城ヶ峰は俺を視界に捉えるなり、大声でなにか喚いた。しかしもちろん、何を言ったのかはわからない。こいつに猿轡とは、なかなかクレバーな判断じゃないか。俺も助かる。

「わ――悪い、センセイ」

 さすがにセーラは城ヶ峰と違って、気まずそうな声をあげた。

「捕まっちまった」

「見りゃわかるよ、くそっ」

 こいつは意地を張っても意味がない。俺は印堂と顔を見合わせた。印堂の眉間に深いシワが刻まれているのがわかった。


「……二人とも、反省してほしい。すごく邪魔された気分」

 印堂は俺を振り返った。

「せっかく、いいところだったのに」

「同感だ。お前らあとで反省文書かせてやる」

 俺はカンテラを地面に置き、両手を挙げた。

「わかったよ、柳生の人。抵抗しないから連れて行ってくれ。マルタ、そっちにいるんだろ」

「若君を、そのような名前で呼ぶことはやめてください」

 時代劇衣装の女は、殺意すらこもった目で俺を睨んだ。


「若君の名は、柳生捨丸孝宗様です」

 このとき、俺は初めてマルタの本名を知った。

 なんて大げさな名前だ、こいつは偽名を使いたくもなる。

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