第4話(終)
アカデミーの演劇部から借用した着ぐるみは、まさに抜群のデザインセンスの賜物だった。
「すげえな」
俺は思わず唸った。
「よくこんなダサい着ぐるみを見つけてきたな。さすが印堂。あいつに任せて良かったよ」
たぶんトカゲの怪獣で、ドラゴンか何かをイメージしているのだろう。翼があって、尻尾もある。
ただし、全体的にどこかチグハグな印象を受ける。地方のゆるキャラの域を脱していない、というべきか。瞳は焦点が合っていないし、牙の生えた口は常に半開きで、笑っているように見える。
そうしたデザインのトドメになっているのは、ピンクと緑のまだらに塗装された体毛だと思う。
「あの」
と、着ぐるみの中から声がした。
かつてこの女の名を《嵐の柩》卿といった。エドが経営する《グーニーズ》の新人バイト。いまはその名前を取り戻すときだ。
「本当にこれでやるのですか?」
極めて不機嫌そうな声だった。
「ステージの上に? 私が?」
「そうだよ。嬉しいだろ」
俺は嫌味を言ってやった。
「ここから出たら、お前は再び邪悪な大魔王《嵐の柩》だ」
俺は出口の方を指さした。
こいつの着ぐるみの装着のため、アカデミーの大講堂の裏手にある、物置小屋を使っていた。勝手に、という言い方の方が正しい。今日は新入生歓迎行事ということで、部外者でも簡単に入り込むことができた。
「俺に感謝してもいいぞ」
「ここまで異形化している魔王は滅多にいませんよ」
《嵐の柩》卿は、いまだ己の姿について不満があるようだった。
「私が知る限り、せいぜい異形化マニアの《壊死の冠》卿くらいです。あまりにも実情とかけ離れているのでは。もう少しばかり、スマートな解決方法があったのではないでしょうか?」
「どうでもいいんだよ。そのくらい誇張しとけ」
実情がどうとかは、この際関係がない。ちびっ子にとってわかりやすい怪獣的デザインの方が優先されるべきだ。
「いえ。ヤシロ様。誇張というのならば、むしろ」
《嵐の柩》卿は、ずんぐりとした腕を持ち上げてみせた。
「もっと凶悪なデザインの方がよかったでしょう。ええ。これはマヌケすぎるというか、愛嬌がありすぎるというか」
「いや、十分凶悪だろ。大丈夫。かつての《嵐の柩》卿の恐ろしさそのままだ。ちっともマヌケじゃないさ」
俺が素直に答えてやると、《嵐の柩》卿は沈黙した。不快をアピールしているのか、呆れたのか、異議を申し立てる気にもならなかったのか。
どれでもいいが、もう少しこいつには演技というものが必要だった。いつもやっていたことだろうし、簡単なはずだ。少し指導してやろう。
「よし、《嵐の柩》卿。ショーの流れのおさらいだからな」
「はあ」
「なんだその返事の仕方は。ぶっ飛ばすぞ。気合を入れろ。お前はいま、凶悪マヌケ魔王怪獣《嵐の柩》なんだよ」
「いま、マヌケって言いました?」
「だから口答えすんな! 役になりきれ。それでも元役者か」
「役者ではなく、魔王――」
「黙ってろ。《初代》イシノオを殺した分際で、態度でかすぎんだよ」
俺は少しだけ、本当の気持ちで《嵐の柩》卿と向き合うことにした。それだけでいい。それ以上は必要がない。
周りに他のやつがいないことも幸いだった。
「あ? あんまり舐めてんじゃねえぞ。いまのお前が喋っていいのは鳴き声だけだ。おい、やってみろ。『ピギャーッ』。ほら復唱」
「ピ」
言いかけて、《嵐の柩》卿は憂鬱なため息をついた。
だが、結局は鳴き声をあげるしかない。この場から解放される手段が他にないことは、よくわかっているだろう。
「ピギャー」
「おい、腹から声出せ」
「……ピギャーッ」
「まだ自分の立場をわかってねえな。マジに殺すぞ。もしくは、その前にマルタとか《神父》の野郎に引き渡す」
「ピィィィーーーギャァァァァーーーーッ!」
「よし」
さすが、元・魔王。迫真の演技と言えるだろう。俺は拍手をしてやった。
物置小屋の入口が勢いよく開いたのは、それとほぼ同時だったと思う。外からのまぶしい光が、鮮やかに《嵐の柩》卿のピンクと緑の体毛を照らし出す。
「――師匠!」
入口を引き開けたのは、面白い格好をした城ヶ峰だった。
「そろそろ出番です! そして蘇りし《嵐の柩》卿よ、本日は貴様の社会復帰のため、私たちの劇の相手を務めてもらおう!」
こいつは演劇部から借りた、中世ヨーロッパ風の勇者の衣装を着込んでいた。派手なマントと上着に身を包み、羽飾りのある帽子まで被っている。
男装だ。腰には幅広の模造剣。
これこそは、中世に流行したヨーロッパの勇者のファッションだった。このように派手な見た目で往来を闊歩して、喧嘩上等を掲げ、魔王認定を受けた人間を見つけ次第にぶち殺していた時期がある。勇者の剣術のレベルが飛躍的に向上したのも、ちょうどこの時期だという。
歴史上の人物でいうと、三銃士とかシラノ・ド・ベルジュラックが活躍した時代だ。
「いかがですか。師匠」
城ヶ峰はマントを翻してみせた。いかにも手馴れていない仕草だった。
「この装い。演劇部の者に手伝ってもらいました。似合いますか!」
「おう。マヌケっぽくていいな。新手のチンドン屋みたいだ」
「ありがとうございます!」
城ヶ峰は皮肉をほとんど理解しない。羽飾りで重たそうな帽子を抑え、一礼すると、《嵐の柩》卿の尻尾を掴んだ。
「さあ、《嵐の柩》卿よ、今日こそは貴様が世のため人のために貢献する第一歩。更生のときがやってきたのだ」
「それは別に、いいのですけれど」
《嵐の柩》卿は、どたどたと足踏みをしながら振り返る。
「この着ぐるみの構造上、尻尾を引っ張られると、私は後ろ向きにしか歩けないのですが」
「師匠! 我々の勇姿、絶対に見ていてくださいね! 私はがんばります!」
「おう。録画もしとく」
「ああっ……、なんと! 録画!」
城ヶ峰は一歩だけよろめいた。
「か、感激です! すごいやる気が出ました。絶対です。絶対見ててください」
「うん、見てる見てる」
「絶対に見ててくれないと、私のみならず雪音やセーラも暴動を起こしますからね」
「お前ら簡単にテロリズムに走りそうだよな」
とはいえ、勇者とはそういうものだ。城ヶ峰は爽やかに微笑んだ。
「師匠が見てくださっているならば、無敵です! さあいくぞ、《嵐の柩》卿よ。出陣のときだ!」
「なるほど――この娘、本格的に話を聞かないのですね。徐々に思い知ってきました」
そこは完全に諦めてもらうしかない。
「さらばだ、《嵐の柩卿》」
俺は両手をあわせて、《嵐の柩》卿の成仏を祈った。
物置小屋の入口に引っかかりながら、騒がしく両者が出て行くと、あとは俺だけが残った。手元にはエド・サイラスから借りたビデオカメラ。これであの《嵐の柩》卿の演技を録画して、後ほどみんなでバカにして笑うことができる。
我ながら名案だな、と思った。
まだまだ《嵐の柩》卿には、重大な罪の精算をしてもらう必要がある。やつには今後しばらく、できれば永遠に、おもしろピエロ人間として余生を全うしてもらわねばならない。
そのための、このイベントだ。
俺はビデオカメラの調子を確かめるべく、入口に向けて構え、レンズを覗き込んだ。
「――あ?」
その視界いっぱいに、ボコボコに腫れた、気弱そうな男の顔が映し出された。
すわ、妖怪変化か。俺がかつて殺した魔王の怨霊か、とすら思った。
「うお」
俺は危うくカメラを取り落としかけ、その男が《二代目》イシノオであることに寸前で気づいた。
「あ、いた。ヤシロさん」
イシノオは腫れ上がった唇で喋った。また仕事で、あるいは別の件でヘマをしたらしい。毎回この調子だ。基本的にこの男から生傷が絶えることはない。
「探しましたよ。たいへんだったんですから。この顔のせいで、教師とかに捕まりそうになったし」
「そりゃお前がヘボいだけだ。しかもなんだよ、お前だけか? つまんねえなあ」
実のところ、今日はジョーやマルタ、エドにも声をかけていた。《嵐の柩》卿のアホみたいな姿を見られるぞ、と。
「いやあ、それが」
と、イシノオは言いにくそうな素振りを見せた。
「ちょっとアクシデントがあったんで」
「なんだよ、ついにジョーが死んだとか」
「いえ、なんか、マルタさんが、あれです。誘拐されたみたいなんですよね」
「はあ?」
わけのわからない台詞だと思った。
あのマルタが?
仮にも俺の勇者仲間であり、剣の腕だけなら、俺たちの間でも頂点を争う。というより、あいつより剣術のできる勇者は、一部の例外を除いてちょっと思いつかない。
「で、それを聞いたら、ジョーさんがふらっと店を出て行っちゃって」
俺がぽかんとしている間に、イシノオは続けている。
「エド店長も今日は店じまいで夜の営業もナシだって言うから」
「うーむ、なんかよくわからんが一大事だな。よし、悪いがやつらに付き合っている暇はない」
俺はイシノオにビデオカメラを押し付けた。よくわからないながらも、イシノオは反射的にそれを手にする。
「え? なんです、これ?」
「録画しといてくれ。もうすぐ始まる。俺はマルタを探しに行く。あいつメチャクチャ悪いやつだけど、友達なんだよな」
「マジですか」
イシノオはすごく嫌そうな顔をした。ただでさえバケモノみたいに腫れた顔が、さらに魑魅魍魎の気配を深める。
「嫌だなあ。ヤシロさんが見てなかったって言ったら、あの人たち、すごいバッシングしますよ。確実に。それもなぜか、これを押し付けられただけのぼくに対して」
「じゃあ一緒に行くか。駅前でラーメン食って作戦会議しようぜ。第一に、なんであのマルタが誘拐されるんだよ。一文無し同然の浮浪者だろ」
「それはマルタさんの実家の――あ、ラーメンいいんですか? ぼく、二十円しか持ってないんですけど」
「誰が奢るか。お前は水だけ飲んでろ。黙ってついてこい」
「はあ」
イシノオは『このケチ野郎』と言いたげな顔をしたが、それはお門違いも甚だしいし、ここに残るよりマシだと判断したらしい。
「でも、大丈夫ですかね」
「なにが?」
「あの三人、ていうか、特に城ヶ峰でしたっけ。あの人、絶対ブチ切れると思うんですけど。すごい面倒くさいことになりそうですけど」
「かもな」
それでも、俺は入口を引き開けた。
「だが、こいつは友達のピンチかもしれない。しょうがねえよ」
このあと、俺はあの三人と《嵐の柩》卿に手ひどく罵倒され、マルタに関するろくでもない事件に関わる羽目になる。
が、それはまた別の話だし、今度また皆が酒でも飲んだときに話すことにしよう。
とにかく、このとき俺が学んだことはただ一つ。
あんまり他人をバカにしようとすると、なんらかの呪い的な運命により、厄介事に巻き込まれやすくなるということだ。因果応報というやつかもしれない。
それでも、俺の性分というやつだ――こればかりは、やめられそうにはない。
この商売は、本当に退屈だけはしない。
おわり
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