第3話

「時は征歴五〇七年、精霊がもたらす恩恵《秘蹟の詩》によって繁栄を謳歌するヴール=ノル神聖皇国は、蘇りし暗黒の魔王により、滅亡の危機にあった」


 城ヶ峰は滔々と流れるように、かの恐るべきノートを読み始めた。

 かなり読み慣れていやがる。さては朗読の練習をしたのではなかろうか。


「世界の外にある《虚無の月》から復活を果たした魔王は、北部峡谷ロン・フォレナの城塞を破壊し、皇都に迫らんとした。怯え逃げ惑う無辜の人々! 邪悪なる玉座に帰還する魔王!」

 徐々に城ヶ峰のテンションが上がってきたので、嫌な予感がしてくる。

「しかし! ここに立ち上がった勇敢な二人がいたのです! この二人こそはかつて魔王を封印した聖女と英雄の転生した姿。その名を《謳う剣》の聖女アキーヌと、その夫であった英雄王――」


「よし、この辺にしとくか」

 俺は城ヶ峰の手元から恐るべきノートをひったくった。

 すごく体調が悪くなりそうなストーリーが続いていそうだと思ったし、実際そうだろうという確信があった。このとき、印堂もセーラもたいへん安堵した表情を浮かべている。

 俺はきっと正しいことをした。


「城ヶ峰の考えたストーリーラインはともかくとして、ちびっ子向けの演劇ってのはまあ、いいんじゃないか。先生からのウケも良さそうだし」

 俺はノートを丁寧に閉じる。できればガムテープか何かで、厳重に封印してやりたい。

「なぜですか、師匠!」

 俺の手にあるノートを取り返すべく、城ヶ峰は手を伸ばして軽く飛び跳ねる。が、その程度で邪悪なノートを奪還されるような俺ではない。

「私のストーリーが即座に却下とは、理不尽を感じます」

「複雑すぎるし壮大すぎるし、あとお前の個人的な願望が多分に含まれていそうだからダメだよ。脂汗が出たぜ」


「そんな!」

 城ヶ峰は再びテーブルを叩いた。

「それは憶測です。この劇には師匠も出てもらおうと、キャスティングも考えて練り上げました。ぜひ一読してください」

「ほらな! 絶対やだよ、一読もしたくねーよ」

「三日三晩くらい考えた設定資料集もあるのですが――ああ、もちろん! 雪音とセーラにもいちおう出番を与えておいたぞ!」

「いらない」

「うん。絶対ろくな出番じゃないよな」

「えっ。私はまだ何も言っていないのに!」

 このとき、印堂とセーラの答えには迷いがなかった。城ヶ峰はこの二人にまで否定的な意見を述べられ、一瞬だけ硬直する。


 話題を変えるなら、いましかない。俺は隙を見逃さない敏腕マネージャーだ。

「やっぱりちびっ子向けの劇をやるなら、既存のストーリーから持ってくるのが手っ取り早いな」

 すかさず、その他の二人の意見を取り入れる方向に舵を切る。

「セーラ、それと印堂、何かあるか」

「あー……」

 セーラは腕を組み、眉間にシワを寄せた。

「劇やるなら、普通にシンデレラとか」

「おっ。さすがセーラ、普通ってのをわかってんな」

「な」

 セーラは顔を引きつらせた。

「なんだよ、その感想! ぜったい褒めてないだろ!」


「とにかく、そのくらいシンプルな方がいいんじゃねえの。わかりやすいし。でも勇者学校の出し物っぽくないよな。勇者養成学校ならではの、エンターテインメント性っていうの? そういうのが欲しいよな」

「うおっ、センセイがなんか急に監督っぽいこと言い始めた」

 セーラが失礼な驚き方をしやがった。多大な疑念の混じった目で俺を睨んでくる。

「なんか……相談する相手を間違えたような気がしてきたけど」


「なんだと、おい。お前には見えないのか、俺の敏腕マネージャーとしての素質が。じゃあ次、印堂。アイデア出してみな」

「うん」

 今度は印堂が手を挙げた。こいつはすでに、カバンの中に手を突っ込んでいる。

「私は、これとか」

 取り出したのは、一本のDVDパッケージだった。やや昔の映画作品のようだ。いかにも凶悪そうな顔をした二人の男が、刀を構えてにらみ合っている。そのどちらの俳優も、いまでは『ベテラン』と呼ばれる大御所である。

 タイトルは俺にも見覚えがあった――『修羅たちの墓標・挽歌編』。

 勇者と魔王がちょっとした因縁から互いの家族を殺したり、舎弟を拷問したりしながら追い詰め合い、最後には一騎打ちになるという作品だ。容赦ないゴアシーンや殺伐とした展開が人気を博し、第一作が売れまくったため、シリーズ化されている。


 印堂は珍しく自信ありげにうなずいた。

「いいと思う。勇者っぽい」

 恐らく印堂は幼少時代を傭兵どもの間で過ごしたため、感性がかなりそちら寄りになっているのではないか。

「まあ、確かに勇者っぽい」

 それでも、俺は思わずうなずき返してしまった。

「名作だしな。ってか印堂、そのDVD持ってたのか。昔の勇者モノって、最近だと規制が厳しくて復刻しねえんだよな」

「教官なら、特別に貸してもいい」

「それなら上映会やろうぜ。でかいスクリーンで――」


 俺は急に楽しくなってきたが、こういうときに水を差し始めるやつがいる。優等生セーラと、クソ真面目の城ヶ峰だ。

「おい、急に仲良し始めんなよ。センセイも脱線してんじゃねーって」

「そうです! 新入生歓迎会の出し物です!」

 城ヶ峰はまたしてもテーブルを強く叩いた。こいつは議論が自分の望む方向にいかないと、やたらテーブルを叩く癖があるらしい。迷惑なやつだ。

「雪音の提案したストーリーは、勇者としてのイメージを著しく傷つけ、ちびっ子や新入生によからぬイメージを与える恐れがあります!」

「あと、そんなんフツーに学校から許可降りねーよ」

 確かに。

 城ヶ峰とセーラの意見はまっとうだ。あまりにも勇者の実情に迫りすぎており、理想という虚構を掲げるアカデミーの経営スタイルとは真っ向から対立してしまう。


「じゃあ、どうするつもりだって?」

 不満そうな雪音は置いておくとして、俺は話をもとに戻すことにした。

「他になんかアイデアあるか?」

「あー……まあ、そうだな。まず、劇ってのは悪くないかも」

 セーラはやや消極的ながら、賛成の意向を示した。鉛筆でメモ帳に『劇』と書き込みながら、喋る。

「そんで、ちびっ子どもを相手にするなら、最初に城ヶ峰が言ってたやつと、雪音のやつを、こう――それっぽく変えて、ヒーローショーみたいにして見せた方がいいんじゃないか? すごいシンプルなやつ」


「そうか、ヒーローショー」

 その単語に、城ヶ峰が反応した。

「それだ! セーラ、きみは天賦の才能があるな。城ヶ峰ポイントを五点ほど進呈しよう」

「や、それは別にいらねーけど」

「遠慮するな。しかしヒーローショーか。うん。いいぞ。衣装は演劇部から借りられるな。配役を工夫すれば――クラスに案が受け入れられなくても、この三人だけでもできる――よし! もちろん私が魔王を征伐する勇者の役を担当しよう。脚本は任せてくれ」


「――なんで?」

 これに対して、印堂は素早い反論を返した。

 強い眉間の歪みが、いまの彼女の意思を代弁している。

「実力と、殺陣の動きでいったら、私が勇者をやるのがいいと思う」

「くっ、雪音が増長している!」

 城ヶ峰が唇を噛んだ。

 弁護するわけではないが、別に印堂は増長していない。事実を言っているだけだ。城ヶ峰がやるより殺陣の精度は高くなるだろう。いくら城ヶ峰でも、それは認めざるを得まい。


「では、この案はどうだろう?」

 それでも城ヶ峰は退かなかった。

「私と雪音が二人で主役の勇者をやる。セーラには残念ながら魔王の役をやってもらうとして」

「ええー……私が? 魔王役?」

 セーラは金髪をかきあげ、椅子にもたれかかった。これは『不満があるが、トータル的に状況を考えると、要求を飲むしかない』の構えだ。

「まあ――別に、やってもいいけどさあ」


「いやいや。待てよお前ら。なんで学校経営者のアーサー王の娘に、一人だけ魔王役やらせてんだよ」

 俺はあまりにもこいつらが忘れがちな事実を、改めて思い出させてやることにした。危ないところだ。

「イジメだと思われるだろ」

「ふむ」

 城ヶ峰は腕を組み、考えこむ様子をみせる。絶対に考えるフリだけだ。

「では、チームやクラスの出し物からあぶれた不幸な生徒を捕まえて、魔王役をやってもらいましょう。誠心誠意頼めば、きっと」

「やめろよ、残酷すぎるぜ。もっと適役がここにいるじゃないか」

 そこで、俺はカウンターの奥を指さした。

「外部の人間でも良ければ、こいつだ。着ぐるみでも着せときゃバレねえよ」

 三人の学生の視線が、カウンターの奥に向かった。そこには、カウンターを掃除する、ひとりの新人バイトの姿があった。

 やつは急に注目を浴びて、怪訝そうな表情を浮かべる。


「はい? 私が、なにか?」

 恐らくここまでの会話を全く聞いていなかったのだろう。俺は温情を示してやった。

「よかったな、新人バイト。もう一度、魔王やっていいぞ」

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