補講2:魔王の帰還

第1話

 いまひとつ冴えない、生ぬるい風の吹く夜だった。

 せっかくの月曜日だというのに、俺の他に客がいない。

 例えば《ソルト》ジョーは金欠のためしばらく来ないようなことを言っていたし、マルタは相変わらず所在や予定が判然としない。《二代目》イシノオは三日ぐらい前に仕事でヘマをして、病院送りになっている。


 そしてエド・サイラスですら、近所の寄り合いだとかで留守にしていた。

 やつが『近所』という言葉を口にするとき、その意味合いはまったく平穏なものではなくなる。

 魔王の縄張りが重なるこの渋谷区界隈で、夜間営業の飲食店を営むならば、みんなそれなりの自衛手段が必要となるからだ。どの魔王が勢力を拡大しているか、どの魔王に警戒するべきか。つまり『近所の寄り合い』というのは、そのための情報交換の場だった。

 ただでさえ渋谷区は状況の変化が激しい。特にここ最近はちょっとした事件があったせいで、東京西部の魔王どもの勢力図は一変してしまった。

 エド・サイラスは、そうした変化をもたらした事件の真っ只中にいた。いまはこんな流行らない店でバーテンをやるよりも、情報を売る方が金になる状況だろう。


 だから、このとき店にいたのは新人バイトがひとりだけ、という有様だった。

 女子中学生のようなあずき色のジャージの上から、ブサイクなカエルのキャラクターがプリントされたエプロンを着ている――彼女の名を、かつては《嵐の柩》卿といった。

 東京西部において、最強の魔王。

 いまはこの女に名前などない。


「あのさあ」

 ひとりで酒を飲んでいてもつまらないので、仕方なく俺は元《嵐の柩》卿――新人バイトに話しかけることにした。たとえこの女でも、壁に向かって話しているよりはいくぶんマシだ。

「この客の少なさ、どう思う?」

 俺の質問に、新人バイトはカウンターを掃除する手を止めた。わずかに眉をひそめて、首をかしげる。

「はい?」

「いや、この店のアルバイトとしてだ。客の少なさが気にならないか?」

「アルバイトと言われましても」

 新人バイトはゆっくりと首を振り、恨みがましく俺を見た。すこしわざとらしい。

「私、まったくこの店に思い入れがないのですけれど。はやく潰れればいいとすら思っています」


「舐めてんのか」

 なんて意識の低いアルバイトだ。

 俺が店長なら、いまので即座に減給を決めている。

「真面目に考えろよ。俺がツケで酒を飲める店なんて、そうそうないんだぞ。勇者専門の営業タイムも重要なんだ。ここがなくなったら、俺はどこでカードゲームすりゃいいんだよ」

「ヤシロ様」

 新人バイトはため息をついた。

 これもまたわざとらしい。そういう仕草が身についてしまっているのだろう。魔王として振舞う時期が長すぎた。

「私が不本意ながら労働しているということを、まさかお忘れでは?」

「そうか? お前に職業選択の自由はないんだ、残念だったな」

 俺はそこでビールを呷った。


 やっぱり俺は、ひどく退屈していた。

 このいちいち芝居がかった新人バイトを会話のサンドバッグにしていても、あんまり爽快感がない。

「ですが、ヤシロ様」

 新人バイトは、不意にカウンターから身を乗り出してきた。

「いかがですか? 私をビジネス上の相棒にしてみるというのは」

「ああ?」

「勇者の仕事をお手伝いさせてください。私のエーテル知覚はご存知でしょう? 《E3》さえあれば、きっとお役に立ってみせますよ。ね?」

「あ、そう」


 おそらく新人バイトは、いたずらっぽく微笑んだつもりだったのだろう。

 俺は今夜の退屈を紛らわす方法ばかり考えていたので、あまり聞いていなかった。こんな夜は退屈極まる。せめて誰か友達か、知っているやつが来ないものか。

 不覚にも、俺はそう思ってしまった。

 そして、そういうときに限って、招かれざる客がやってくるものだ。


「――師匠!」

 と、入口の方から無意味に爽やかな声が聞こえた。

「来ました! 私と、私の仲間たちです!」

 三人の少女が、図々しくも店内に踏み込んでくる。俺は視界の端でそれを捉えた。城ヶ峰は堂々と、印堂はひっそりと、セーラはやや控えめにドアを潜る。

「ああ」

 俺はすぐに立ち上がろうとした。

「急用を思い出した。ちょっと漫画喫茶行ってくるわ」

 今日はやつらにレッスンを施す予定もなかった。というより、お楽しみの月曜日には、よほど割のいい仕事でも入れたくはない。

 だからこのとき、三人娘はなんらかの厄介事を持ってきたものと推測できた。アポイトメントも無しに俺と会おうとするとは、生意気なやつらだ。さっさと退散するに限る。


「――師匠、お待ちを!」

 城ヶ峰は大きく両手を広げ、俺の前に回り込んだ。鶏が相手を威嚇するような仕草だった。

「そこをどけ、俺は忙しい」

「師匠はいつも忙しいですよね! 私たちが来た時にだけ! もしかして、ウソなのでは?」

「ってか亜希、マジだと思ってたのかよ」

 セーラが口を半開きにした。驚愕している――そいつを横目に、印堂が肩をすくめるのがわかった。

「教官の言いたいこともわかる。アキはいつも面倒くさいことばっかりするから。私たちまで同類だと思われる……」

 印堂は恐ろしいことをいった。こいつ、まさか自覚がまるでないのか。言うまでもなく三人は同類だ。程度の差はあれど、そこは変わりない。

 だが、俺が指摘を入れる前に、城ヶ峰が的のズレた反論をしていた。

「なにを失礼な。今回に関しては、雪音もセーラも賛成していたはずだ! ここは一つ、師匠の知恵を借りるべきだと!」


「まあ、そうなんだけど」

 どうやら不本意なことではあるらしく、セーラは顔をしかめた。

 さすがにこいつは、無料で俺の時間を、よりにもよって月曜日に侵害することに対して罪悪感があるらしい。少しぐらいは。これでアーサー王の娘でさえなければ、かなり付き合いやすい部類の人間ではないかと思う。

「なあ、センセイ。ほんと申し訳ないってか、悪いんだけど、ちょっと相談聞いてくれないか? いろいろあって、まあ困ったことになって」

「お前らいつも困ってるよな」

 俺はせせら笑った。

 どうやら、切羽詰まった荒事の類ではなさそうだ――俺はちょっと興味が出てきた。殺伐とした要件でないなら、こいつらを馬鹿にして暇を潰せるかもしれない。

 それから、小遣い程度のあぶく銭もせびってやる。

「よし、新人バイト! 今日はこいつら学生の奢りだ。俺にビール!」


「はあ」

 新人バイトはつまらなさそうに返事をした。

「いいのですけど。別に。ええ。珍しく誰もいないところだったのに」

「私語を慎め、そしてさっさとビールだ。《初代》イシノオを殺した分際で、偉そうに文句言ってるんじゃねえ! ――で」

 一通り新人バイトに教育の言葉を与えてから、俺は三人の学生に向かい合った。

「今日はまた、誰を殺す相談だ?」

「ぜんぜん違います!」

 城ヶ峰は鼻息荒く否定する。態度だけは力強く、清々しい。

「新入生歓迎行事です、師匠!」

「ああ?」

「これは我が校のモットーを対外的に明示するため、なおかつ新入生を歓迎するという意図の両立をはかり――あ、いえ、まだあります。社会的な存在であることを知らしめるため。ん? いや、少々お待ちを。いま資料を確認します。他にも主旨として謳われている理念があったような――」


「アキの説明は聞くだけ時間の無駄」

 印堂はいつのまにか俺の隣に腰を下ろしている。

 彼女は一枚のチラシを掲げて見せた。

「これ。アカデミーの新入生歓迎行事。もうすぐ私たちもやる」

「文化祭みたいなもんだよ」

 こちらは言葉が少なすぎる印堂を、セーラが横から補足する。

「新入生だけじゃなくて、校舎を開放するから一般のお客さんも来るんだ。クラスとかチーム単位で集まって、なんかの企画をやらなきゃいけないんだけど」

「そういえば、この前聞いた気がするぞ。城ヶ峰の言うことだから、真剣に聞いてなかったけど」

 あれはジョーとメイド喫茶に行った後の、面白い夜のことだった。

 こいつらも学生だから、そういうイベントに関わらねばならないのだろう。俺は自分の高校時代をふと思い出した――そしてろくな思い出がないので、すぐに忘れた。


「で、それがどうだって? クラスの出し物でもやればいいんじゃないか」

「私らのクラス、Eクラスだって言っただろ。低評価集団なんだ。みんなやる気がないか、協調性がないかのどっちかでさ」

「おう。お前らもそうだからな」

「うるせっ」

 セーラは吠えるように言った。それから、ちょっと恥ずかしそうに金色の髪の毛をかきあげる。

「でも、何かやらないといけないんだよな。少なくとも、私らのチームは。これ、ちゃんと評価基準に含まれるから、これ以上成績落としたくないしさあ」


「特に、アキは実技も筆記もかなり危険」

 印堂は憂鬱そうにうなずいた。テーブルに頬杖を突く。

「私は筆記が非常に危険……」

「雪音は赤点だけは免れろよな、マジで! ちゃんと教えるから! ヘタするとチームで連帯責任とか言われそうだし。で、まあ、いろいろ考えてたんだけど」

 すこし気まずそうな目で、セーラは印堂と城ヶ峰を見た。

「このメンバーで話し合ってると、ものすごい勢いで迷走するし、意見まとまらないし、もう第三者の意見を聞こうってことで――亜希はセンセイの話ぐらいしか聞かないんだ。マジで。印堂はこういうの、さっぱり役に立たないもんな」

「いや、待ってほしい。セーラと雪音が私の主張に賛同してくれれば、クラスをまとめあげるのも容易く、手っ取り早いと思うのだが」

 城ヶ峰は真剣な顔で言ったが、十中八九それはやめておいた方がいいだろう。城ヶ峰の主張がまともである気がしない。


「そうかそうか、よしわかった」

 俺はいいアイデアを思いついた。ちょうどいい暇つぶしになるかもしれない。今夜は誰か友達がやってくるまで、こいつらを馬鹿にして遊ぼう。

「任せろ。諸君にふさわしい企画を、天才プランナーである俺が考えてやるよ」

「おおっ――さすが師匠!」

 城ヶ峰は感極まったように叫んだが、印堂とセーラは無言で顔を見合わせた。その表情が語っている内容はわかる。

 なにが不安だというのか、失礼なやつらめ。

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