第8話(終)

「――そうして、正義の使者こと《ソルト》ジョーは、大事な妹を助けるために奮闘したわけだ」


 その翌日の夜、俺は非常に上機嫌だった。

 《もぐり》のマルタが競馬に勝った金でビールを奢ってくれたし、《二代目》イシノオはまた仕事でヘマをして、顔面ボコボコのままエド・サイラスの店に現れた。

 こうして酒盛りを始めたわけだが、やつらは俺と《ソルト》ジョーが秋葉原に行った話をどこかから嗅ぎつけており、その理由をしきりに聞きたがった。

 こんな愉快なこと、友達に話す以外に道はないだろう。


 俺は笑いながら、もう三度目になる最後のオチを口にする。

「まあ、その妹ってのが、アカデミーの勇者志望だったんだけどね」

「ひでぇなあ」

 マルタはもう三度目にもかかわらず、喉を引きつらせるようにして笑った。こいつは一回目のときなんか、鼻からビールを吹き出すほどだった。

「この世ってのは、まったく救いがないよな! しかし、正義の使者――正義の使者か、《ソルト》ジョーが? よく我慢できたもんだね、ヤシロ」

「我慢できなかった。最高に笑った」

 俺はビールを大きく呷った。


 酒があって食べ物があって、笑える話があった。

 この夜は何もかもが満ち足りていた。カウンターの内側では、エド・サイラスが黙って新聞を広げている。しかし、こちらの話に耳を傾けているのは確実だ。話がオチの部分に差し掛かるたび、彼の肩が震えるのがわかった。

 なので、俺はますます上機嫌になった。

「早くも今年のマヌケ大王候補だろ。マルタ、お前の王座も危ないぜ」

「いやあ、本当に。こりゃ早くもマヌケ大王の賞品を用意しとかないとね」

「そうだ、派手なやつ!」

 俺とマルタはまったく同時に笑った。いい夜だと思った。それから俺は、さっきから気まずそうにしている新人を振り返る。


「ああ、イシノオもよく覚えとけよ。重要なことだ。メイド喫茶とかアカデミーとかにはできるだけ関わらないほうがいいぜ、ひどい目にあう」

「はあ」

 イシノオは気の抜けた顔で生返事をした。

「でも、大丈夫なんですか? なんだか《ソルト》ジョーさん、顔色がドス黒くなってますけど。あれ、絶対に怒ってますよね」

 怖がるような顔で店の奥を見る。

 そこにはなるほど、邪悪な力に汚染された仁王像のような顔で、こちらを睨みつけている《ソルト》ジョーがいる。今夜のジョーは、俺たちのテーブルに近づいてこようとしなかった。

「さあ?」

 それでも俺はあえて、軽薄な態度を崩さないようにしようと思った。

「なんか拾ったものでも食ったんだろ。それかエドの料理とか」


「聞こえてるぞ、ヤシロ」

 カウンターの奥で、エド・サイラスが新聞をめくった。今日は最近入った新人アルバイトに、食材の買出しから便所掃除、店の奥のガレージの手入れまでさせているため、比較的暇である。

「言っておくが、俺の店で暴れるなよ」

 エド・サイラスは釘を刺す。

 たぶん、俺とジョーの両方に向けたものだ。

「こっちはちょうど腕の骨も治ったところだ。手加減せんぞ」

「わかってる、わかってる」

 口にするまでもない。俺にはよくわかる。こんな夜だ、ジョーは暴れる気分にもなれないだろう。


「なあ、ジョー! そろそろエドもこう言ってることだし」

 ジョッキに残ったビールを飲み干し、俺は立ち上がる。

「こっちに来いよ。カードで決着をつけようぜ。《七つのメダリオン》だ。イラついてるんだろ? なんでもいいから八つ当たりしたいだろ。かかって来やがれ」

「――言いやがったな」

 案の定、《ソルト》ジョーは乗ってきた。

「ぶっ殺してやるよ、ヤシロごときが調子に乗ってんじゃねえぞ」

 気持ちはわかる。

 妹が勇者志望のアカデミー生徒だった。そのこと自体はどうしようもない。《ソルト》ジョーには変えようのない事実だし、そういう妹の進路に干渉することなど、やつの性格から言って絶対にしないだろう。

 だから、できることはひとつだけしかない。

 八つ当たりの憂さ晴らしだ。まさに、それこそ俺たちにふさわしい。俺にはその気分がよくわかる。

 俺も似たような人間だからだ。


「だ、大丈夫なんですか? なんか機嫌悪くないですか?」

 《二代目》イシノオは怯えたような声をあげたが、マルタはビールを傾けて笑い飛ばす。こいつは酒が入ると気が大きくなるタイプだ。

「ジョーならいつも機嫌悪いよ。大丈夫、大丈夫」

「そうだ、来いよジョー。決着つけようぜ」

 俺はカードのデッキを抱えて煽る。

 これでジョーも、いつもの調子に戻るだろう。辛気臭いことはあったが、今日は実にいい夜になりそうだ。


 ――そう思ってしまったのが、俺のいつもの欠点だ。


「失礼します!」

 こんなときに限って、余計なやつがやってくる。わかっていたはずだが、油断していた。たぶん酒のせいだ。

「来ました、師匠! 私です!」

 無意味に滑舌のいい城ヶ峰の挨拶。入口のドアを軋ませて、規則正しい足音で踏み込んでくる。

 城ヶ峰亜希は、いつもの白々しい笑顔でやってきた。学校帰りらしく、カバンに制服という出で立ちだった。しかし、ひとりで来るとは。他の二人が見当たらない。


「帰れ」

 俺は考え得る最善の方法をアドバイスした。

「俺はいま非常に忙しい」

「まあ、そうおっしゃらずに」

 図々しい、とはこいつのことだ。城ヶ峰は速度すら緩めることなく近づいてくる。

「本日は、相談事があるのです! 非常に重要な!」

「忙しいっつただろ! お前の監視係どもはどうした。せめて印堂は?」

「雪音は補習授業です。この前の筆記テストで、極めて悲惨な成績を獲得していました。それとセーラは――」

「ああ、そういえば。学級委員の仕事だったっけ?」


「えっ」

 城ヶ峰はそこで初めて足を止めた。

「なぜ師匠がそれを」

「いや、昨日の夜に電話で聞いた。なんか学級委員になったから、たまに放課後忙しいんだろ」

「昨日! き、昨日の夜? なぜ! セーラに何の用があって電話を! それとも何の用もなくても電話するような? まさか!」

「うるせえな、こいつ」


 実際のところは、パソコンの初期設定の仕方がよくわからなくなったからだ。

 本来なら、こういうことはジョーに聞く。だが昨日のジョーはひどい有様で、役に立ってくれるとは思えなかった。

 消去法でセーラに電話してみたが、やはり予想通り、やつはそこそこパソコンにも詳しかった。ブログまでやっていたし、各種SNSも使いこなしていた――なんとなく、そういうタイプのような気がした。

 印堂では、こうはいかない。あいつはスマートフォンの扱いにも手間取るほどで、特に電子機器に関しては異様なほどの不器用さを発揮する。

 ちなみに俺は、城ヶ峰に説明を頼むほど阿呆ではない。


「それより相談事ってなんだよ。さっさと言って、さっさと帰れよ」

「いまのはどうでもよくないのですが。セーラといったい何の話を? セーラとする話を私としてみるというのはいかがでしょうか? 試しに!」

「パソコンだよ、パソコン。買い換えたんだ。そんなの城ヶ峰に聞いても仕方ないだろ。インターネットつなぐまでスゲー時間かかったぜ」

「――なるほど。IT関係への詳しさ……そんな手段が……! 勉強しておきます。次回はぜひ私に! で、相談事ですが」

 驚く程の意識の切り替えで、城ヶ峰は快活に手をあげ、生意気にも俺の隣の席に腰をおろした。

 こいつ、まさか居座るつもりか? 迷惑甚だしい。すでに奥のテーブルでは、俺を無視してマルタとイシノオとジョーがカードを並べ始めている。寂しすぎるだろう。

 さっさと片付けなければ。


「ご説明しましょう。まず私たちの通うアカデミーでは、もうすぐ新入生歓迎行事があります」

「へー」

 城ヶ峰は手元のメモを読み上げる形で説明をはじめたが、俺はまったく集中できなかった。はやくカードゲームやりたい。思っている間にも城ヶ峰の説明は続く。

「対外的なアピールのために、学生らしく、なおかつ勇者らしい出し物を企画して、クラスやチーム単位で発表するのですが」

「ふーん」

「真面目に聞いてください、師匠。我々も何か企画することになりました」

「聞いてる。で、なにをやるって?」

「私は勇者らしく資料展示か演武を提案したのですが、セーラの思いつきが予想以上にクラスの賛成票を獲得してしまったのです」


「セーラが?」

 なぜだか、嫌な予感がした。

「あいつ、なにを提案したんだ?」

「はい」

 城ヶ峰は不服そうに唸った。

「メイド喫茶です。どう思われますか?」


「やめとけ」

 俺は即答した。

「少なくとも、二度とここでメイド喫茶の話はするな」

 ほかにアドバイスのしようがなかった。



おわり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る