第5話

「ちょっと待った」

 と、俺は《ソルト》ジョーを抑えるべく、できるだけ小声で言った。


 こいつはアホなので、怒りのままにあの魔王を虐殺し、妹を助けるために、周囲の被害を考えない戦い方をするだろう。もしもアホじゃなかったら、勇者なんて職業に転がり落ちていない。

 問題は、俺がジョーの『攻撃』に巻き込まれかねないということだ。

「頼むから落ち着けよ。無差別殺戮はやめろ。確実にお前の妹にトラウマが植えつけられることになるぞ」


「……わかってる」

 絶対にわかっていなかっただろう。《ソルト》ジョーはテーブルの端を、砕けんばかりに握り締めていた。

「だが、あの野郎は俺がいたぶって殺す」

「そりゃ譲る。けど、ちょっとは考えてくれよ、万が一お前の妹になにかあったら困るだろ」

 とにかくジョーが暴発する前に、なんとかしなければなるまい。ジョーを牽制しながら、俺は周囲を観察する。これこそ俺の得意分野だ。


 まず、飛び込んできた魔王。

 異様な長身、細長い腕、青白い顔。賞金首としての見覚えはない。でかい翼を生やしているが、それはほとんどコケおどしで、エーテル強化手術の副産物に過ぎないだろう。この天井の低い屋内ではあまり有効活用できないはずだ。

 コンディションは、かなり疲労しているようだった。

 呼吸が荒い。

 黒衣はぼろぼろで、いくらか手傷を負った形跡もある。それらの負傷は治りつつあるが、何かに追われてきたのだろう。血走った目で店の外をやたらと気にしている。


 続いて、その魔王の視線の先にある、店の外。

 大きな騒ぎになっており、警官たちも集まりつつあった。特筆すべきは、その中に緑色の制服を着た連中が混じっていること。

 やつらは《等外剣官》という。

 明治時代の警官の役職名を流用して設置された。文科省所属の、いわば公務員の勇者であり、魔王犯罪に対する治安の維持を目的とする。

 たとえば、住処を追われ、市内をうろつく野良魔王を狩り出すこと。秋葉原では、たまにこういう捕物がある――そしてごく希に失敗して、民間人を人質に取られたりもする。恐らくこれは、そういう事件なのだろう。


 最後に確認したのは、魔王に捕まっている《ソルト》ジョーの妹だ。

 やはり相当な度胸の持ち主だと思う。魔王の細長い腕で掴まれ、片手剣の刃を喉元に突きつけられているのに、取り乱した様子はあまりない。

 むしろ、顔をしかめて魔王を睨んでいた。そこにある感情は、恐怖や混乱ではなく怒りに思えた。

 なるほど、こいつは確かにジョーの妹だ。恐ろしく気が強い。


「手を頭の上に載せろ!」

 魔王は木の板が軋むような、やや甲高い声でまた同じ命令を叫ぶ。

「早くしろ! 全員だ!」

 戸惑いながらではあるが、店員も客もその指示にのろのろと従う。


「――だいたいわかった。《ソルト》ジョー」

 俺はテーブルの下で、一本の薬剤を準備しながらささやく。《E3》。勇者の力の源。万が一のため、このくらいは常にポケットに忍ばせている。

「特別に、俺が注意をひいてやる。豪華な陽動だろ?」

 俺はジョーに対して恩を着せてやろうと思った。

 頭の上に手を乗せる動きの中で、首筋に手を触れさせた瞬間、インジェクターを使って薬剤を注入した。視界が一瞬だけ歪んだ気がする。世界が入れ替わる。

「だから、安全な方法でやれよ。大事な妹の心に傷を残したくないだろ」


「偉そうに言いやがる」

 ジョーの掴んでいるテーブルの端が、みしみしと音を立てていた。

「ヘマをしやがったら、てめーも一緒に殺す」

「決まりだ――おい、なあ! 魔王陛下! ちょっと待ってくれ!」

 俺は大きな、しかもできるだけ明るい声をあげて立ち上がった。

 やつの注意が外に向いている間に、奇襲をかけるという手もあるにはある。

 しかしそれは、あいつのエーテル知覚の正体がわからない状態でやるものではない。俺は奇襲がほとんど通用しないエーテル知覚の使い手を何人か知っている。

 だからまずは、交渉から入ることにした。

「聞いてもらいたいことがある! じつは――」


 俺は適当な言葉を続けようとした。

 しかし、魔王の血走った目が俺を睨み、返ってきたのは罵倒だった。

「動くなと言ったぞ、愚か者め。私が許可するまで喋るな!」

「違う。俺はただ」

 この魔王は相当に興奮している。

 言葉で釣るのは無理だ。俺の十八番、いい加減な嘘八百がちっとも通じそうにない。なので、俺は当初の予定を全部捨てて、強硬手段をとることにした。


「見ろよ、あっちが――」

 そこで言葉を止めて、よそ見をする。窓の外だ。

 もちろんこんな安っぽいトリックで、魔王の意識が逸れることを期待したわけではない。魔王はむしろ憎たらしげに俺を睨んだ。

 ごちゃごちゃ喋るなら、お前から殺すぞ、という意志を感じた。

 だから俺は、その期待を半分だけ叶えてやることにした。


「えっ?」

 と、俺はできるだけ間抜けに聞こえる声をあげた。

 そして、思い切り横へ飛んだ。

 何かに吹き飛ばされたように見えるように、自分から店の奥へ突っ込んで、壁に顔面をぶつける。《E3》によって強化された脚力で、ほぼ全力でぶつかっていく。これは本当に、ものすごく痛い。

 鼻骨が潰れて、目の奥に火花が散った。


「――いてぇ」

 思わず呻くが、魔王は壁に激突した俺の方など見ていない。

 思いやりのない野郎だが、当然だ。

 やつが警戒すべきは、もともと店内ではなく外だった。すぐに反応し、窓の外に視線を向けている。

 妥当な判断だ。

 このメイド喫茶を包囲している《等外剣官》――勇者の誰かが、何かのエーテル知覚を使って、いま俺を吹っ飛ばしたのかもしれない。何のために? 何を仕掛けてきているのか?

 追いかけられている魔王ならば、そう思うだろう。


 その瞬間、魔王の疑念に応えるかのように、俺たちの席の窓が予兆もなく「爆発」した。

 まるでその窓ガラス、それ自体が爆発物であったかのように、炎をあげて吹き飛ぶ。店内に悲鳴が満ちた。その影響は窓際付近の客にとどまらない。ガラス片が炸裂し、俺のところにまで飛んできた。

 これがジョーのエーテル知覚だ。

 あいつには、すべての物体に導火線が見えるらしい。やつはそれを『切る』ことで、どんなものでも爆発させることができる。


「バカか、あいつは」

 そうして俺は毒づきながら、身をかがめる。飛んできたガラス片のせいで、俺は危うく負傷するところだった。

 やっぱり、と俺は思う。

 《ソルト》ジョーの野郎、完全にブチ切れてやがる。妹の命以外は何も考えていない。大事な妹の顔に傷が付くとか、ダメージが残るとか、その手の配慮すら意識の外だ。

 さすが破壊の化身、《ソルト》ジョー。

 誰か他の人間を気にして戦ったことなど無いのだろうから仕方がない。俺はさらに身を縮めて、テーブルの陰に隠れた。どうにか間に合った。


 それから爆発は連続して発生した。

 立て続けに二度だ。店の奥の厨房。壁際。魔王の視線は目まぐるしく、その爆撃を追うことになった。一歩分だけ後退し、悪態をつく。

「おのれ」

 魔王は右手の剣を、どういうつもりか床に向けた。それは、ジョーの妹の首から切っ先が離れた瞬間でもあった。

「やつら、人質など構わんというのか」


「――おう、こら」

 魔王が窓の外と、連続する爆発に気をとられたのは、そう長い時間ではない。

 だが、《E3》がもたらす身体能力の向上は、その隙を致命的なものにすることができる。

 つまり《ソルト》ジョーは、すでに魔王の傍らに立ち、その襟首を掴んでいた。


 この奇襲の成否は、すでに確認が取れていた。

 まず俺が吹っ飛んだふりをしたとき、あの魔王が窓の外を警戒したこと。相手の心を読んだり、未来を予知できたりする魔王なら、そんなことはしない。そもそも俺の目論見などお見通しだろう。

 そうした事情を考えると、この魔王のエーテル知覚は、突発的な事態に即応できるものではないことがわかる。


「てめーはグチャグチャにして殺すからな」

 地獄の底から響くような声で、《ソルト》ジョーが断言した。

 すでにそのスキンヘッドの頭部は、銀行強盗が使うような目出し帽で覆われている。よほど妹に自分の顔を印象づけたくないらしい。無駄な努力だとは思う。滑稽なほどだ。

 当の妹は、状況が理解できない――もしくは速すぎて認識できなかったせいで、呆気にとられて目を瞬かせた。


「誰だ?」

 名も知れない魔王は、《ソルト》ジョーを訝しげに睨んだ。

 やはりこいつは二流だ。

 それを聞く前に、左手に力をこめて、ジョーの妹の首の骨をへし折るべきだった。とはいえ目の前に現れた大男が、この人質のメイドの兄だなんて、そいうエーテル知覚の持ち主でない限りわかるはずもない。

 あるいは、急展開した状況に思考の処理能力が追いつかなかったのか。

 とにかくこのとき、名も知れぬ魔王は、すごくバカみたいなことを聞いた。

「貴様、勇者か」

「――違う」

 わずかな逡巡があったが、ジョーは唸るように言った。


「正義の使者、馳夫ストライダーだクソ野郎! 死ねっ!」

 あまりにも笑える名乗り上げとともに、ジョーはその頭を魔王の顔面にぶつけた。この攻撃をヘッドバットという。

 魔王はさっきの俺とそっくりに鼻を潰され、のけぞる。ザマァ見ろ。


 しかし、正義の使者、馳夫ストライダーとは。やつが

 どうしても妹の前で『勇者』だとは言いたくなかったのだろうが、面白すぎる。俺は鼻血を吹き出して笑ってしまった。

「最高だ! がんばれ馳夫ストライダー!」

 今年に入って以来、最高のジョークだった。

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