第6話

 魔王は《ソルト》ジョーのヘッドバッドを受けて、思い切りのけぞった。

 しかし、さすがに人質であるジョーの妹の首根っこは放さない。追撃をかけようとするジョーを牽制して、片手剣を振りあげた。なかなか鋭い斬撃。


 しかし、頭が沸騰しているジョーにはあまり有効ではない。

「舐めてんじゃねえ!」

 ジョーは迫る剣に構わず前進した。タックルに近い。

 極端に間合いが狭いため、魔王の剣はジョーを傷つけることができなかった。突き飛ばされて、今度こそジョーの妹から手が離れる。耐え切れずに倒れこむ。

 もちろんこの瞬間に、ジョーは素早くマウントポジションを奪っている。


 勇者の格闘術の主流は、それぞれ洋を東西に分かつ二つの戦技流派に求められる。

 どこで学んだか知らないが、ジョーが得意とするのは西洋戦技のパンクラチオンと呼ばれる流派のもので、古代ギリシアの《勇者団》に端を発するという。

 素手で魔王を殺すための技術だ。

 いくら頑丈で高い再生力を誇る魔王であっても、人体の構造の限界を利用してダメージを与える打撃が特徴とされる。

 それは例えば脳を揺らしたり、目を潰したり、金的を打って痛みを与えたりという類のものだ。関節技と絞め技を主体とする東洋戦技――俺やマルタが勉強したそれとは、根本的な思想が違う。

 制圧するのではなく、本当に打撃で、素手で殺す。

 特にジョーの拳はアホみたいな日頃の訓練によって恐ろしく硬くなっており、こいつで頭を殴られでもすると目の奥から火が出る。


「後悔しやがれ」

 無感情に宣言して、ジョーは凶器のようなゲンコツを握り締めた。

「正義のタコ殴りタイムだ」

 そして、肉を叩く音が響く。魔王の顔面に、ジョーの右拳が打ち込まれた。

 マウントからの殴りつけは、東洋・西洋を問わず勇者の格闘技術の基本とされている。たとえば城ヶ峰のような間抜けでも、この形に持ち込めば格上相手にも勝利が見込める。

 そしてジョーは、認めるのはいまいち癪だが、まあ仮にもそこそこの腕前の勇者だ。戦いはまさに一方的なものになる。


 俺はその光景を見ながら、どうにか起き上がる。

「――ひでえことをしやがる」

 いままさに執行している、ジョーの『正義のタコ殴りタイム』のことだ。

 魔王の再生力を考えると、あの方法では死ぬには相当な時間がかかる。ジョーは根気強く続けるだろう。

「しかも、また派手にやりやがった。自分の妹まで巻き込むところだっただろうが」

 ジョーは人の話をまるで聞かない。

 もはや、それは仕方がない。


 不意に痛みを感じ、俺が頭を抑えると、指先が赤く濡れた。ガラス片のせいで額を切ったらしい――が、俺はまだいい。

 店内の客の中には、爆破の影響で机の下敷きになり、うめき声をあげているやつもいる。骨が折れているかもしれない。中には死んでいるやつもいるのではないか。しかし勇者の戦いとはそういうものだ。

 つまり、もう八割方勝負はついた。

 大きく息を吐きながら店内の惨状を見回すと、ちょうど《ソルト》ジョーの妹が目に入った。

 魔王から突き飛ばされるようにして解放されたとき、あるいは足首でも捻ったのかもしれない。顔をしかめて、彼女もまた起き上がろうとしている。


 こんな機会は滅多にあるものじゃない。

 ジョーが残虐な拷問に専念している隙に、俺はすかさず声をかけることにする。

「よお」

 ジョーの妹は、頭を軽く振ってこちらを見上げた。目が丸くなる。

「いや、さっきのは違う」

 俺は弁解することにした。

「俺は別に、壁に顔面をぶつけるのが趣味なわけじゃなくて、みんなをびっくりさせたかっただけ。サプライズ。わかるか?」


「あの――」

 ジョーの妹は、少し慌てたようにメイド服のスカートの裾を叩いて直した。

「すみません。もしかして、助けてもらったんですか?」

「正義の使者、馳夫ストライダーがな」

 俺は魔王をタコ殴りにしているジョーを指さした。

「カッコイイだろ。マジで頭にきてるな、あいつ」


「ええと」

 彼女は明らかに困惑していた。眉をひそめ、ジョーの妹は俺と、正義の使者こと《ソルト》ジョーを交互に見た。

「あの人は――」

「あの人はあれが趣味なんだ。ほっとけ。それより災難だったな、店員さん」

 俺は彼女の疑問を鮮やかに打ち切り、非常に重要な質問をすることにした。今後、末代までジョーを馬鹿にするために必要な情報を手に入れるためだ。

「名前を教えてくれないか?」

「え」

 ジョーの妹は、なぜか驚いたように俺を見た。ひどく慌てているのがわかった。

「あ、えっ。名前……あの、私のですか?」

「そうだよ。さあ、一緒に正義の使者、馳夫ストライダーを応援しよう。がんばれ、馳夫ストライダー! みんなの応援の声がやつの力になるのだ。なるんじゃねえかな。まあいいから復唱してみな」

「えっと」

「やり方わからないか? こうだよ。がんばれ、馳夫ストライダー!」

 俺は調子に乗って、ジョーを景気づけるために拳を突き上げた。絶対にこれは笑えると思った。

 その瞬間だった。


「おうっ?」

 ジョーの馬鹿みたいな叫び声があがった。

 発生したのは混乱そのものだった――しかし、俺にはそのとき、なにが起きたかはっきりと認識できた。

 まずは全てに先駆けて、地面に強い振動があった。

 地震、に近い。店内にはまた悲鳴が響いたし、テーブルも椅子も転倒して、食器が床に転がった。俺もジョーの妹も、体勢を崩して転ぶことになる。

「クソ野郎っ」

 ジョーの巨体が、悪態を残して吹き飛んだ。マウントを外され、魔王に殴り飛ばされたのだと、やつの巨体を見送りながら理解する。


 ジョーの野郎、油断したな、と俺は確信した。

 マウントポジションをとり、優勢を確保したところで、魔王が持つエーテル知覚によってはこんな逆転もありえる。床に押し倒して、一撃で殺さなかったところが最大の失敗だ。

 普段のジョーならばまずやらない、致命的なミスだった。


 仕方のないやつだ。これだから、ジョーはヘボ野郎と言われるのだ。

 あいつが得意なことは何もかも破壊し尽くすことだけだというのに、時として向いていないことをしようとする。

 誰かを助けたり、誰かのために怒ったりすることなんて、《ソルト》ジョーのキャラクターに合わない。

 ――バカめ。


 要するに、ここは真の凄腕である、俺がなんとかしてやらねばならないだろう。

 今回もまた、《ソルト》ジョーは幸運だったというわけだ。

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