第4話
「こんな有様で、兄貴だなんて言えるわけねえだろう」
《ソルト》ジョーは不愉快そうに窓の外を見ながら語る。
「あいつがまだ、ほんのガキのうちに実家を出たからな」
どうやら、こいつも実家にいた頃はスキンヘッドではなかったし、サングラスもかけていなかったらしい。
ついでにその厳つい顔面も、俺が知る限り最低二回は整形したせいで、もはや原型をとどめていない。
「っていうか」
俺は素直な気持ちを語ることにした。
「お前、妹とかいたのか。ぜんぜん似てないな」
「オレもこの店で働いてるってのは、最近知った。《初代》イシノオのガレージを漁ったことあったろ。あのとき『お楽しみメモ』って見つけたからよ、遺書じゃねえかと思って読んだら、その中に書いてあったんだよ」
「マジかよ、イシノオあの野郎。死してなお最悪レベルに気持ち悪いな」
なにが『お楽しみ』なのか、そのメモには他にどんな秘密が書かれていたのか、気になったが聞きたくはなかった。
イシノオのやつは《ソルト》ジョーの妹の勤務場所を知って、いったいなにを企んでいたのだろう。永遠に明るみに出て欲しくない。ちょっと類を見ないくらいの不気味さと、えげつない気持ち悪さがある。
「まあ、なんだ。とにかくオレは裏稼業から転がり落ちて、こんな商売やってる。兄貴が勇者――プロの人殺しなんて、最低じゃねえか。絶対に言うなよ」
「そうかもな」
ジョーの気持ちは、それなりにわかる。
俺だって、いまさら家族と顔を合わせる気にはなれない。『プロの勇者やってます』なんて、笑顔で言えるやつは正気じゃないだろう。俺は一人だけそういう人間を知っているが、あいつは正気じゃない。
つまり、そういうことだ。
俺たちは仕事で人を殺したり、暴力を振るったりするが、決して趣味でやっているわけではない。他に適性がないから、やむを得ずにこの仕事をやっている――という言い訳を、どこの誰が真面目に聞いてくれるものか。
考えるだけで辛気臭い気分になってくる。俺は辛気臭いのが嫌いだ。
だから俺はあえて軽薄に、ジョーの真面目さを茶化してやることにした。
「それで、こうやってたまに接近して、たったひとりの妹をビビらせてるってわけだ。泣かせるじゃないか、《ソルト》ジョー。勝手にお前の妄想の中で、あの子を妹だと思い込んでるんじゃなければ」
「うるせえ。殺すぞ」
ジョーは低く脅すように悪態をついたが、やはり声が小さい。店に迷惑をかけまいとする意図が感じられた。
「なあ」
俺はちょっとからかってやりたくなった。
「妹の名前、なんて言うんだ? お前に似てなくてよかったな。ちょっと話しかけてみようぜ」
「てめーには絶対に教えないし、話しかけさせねえぞ。この薄汚い人殺しが! 妹が汚染されたらどうしてくれんだ」
「いいじゃん、ちょっとぐらい。あ、そうだよ、メイド喫茶ってメイドさんがゲームとかしてくれるんだよな? 《メダリオン》やってもらおうぜ! それならジョーも遊べるだろ」
俺はまさに名案を閃いたぞ、と思った。
《メダリオン》は、俺もジョーも熱心に遊んでいるトレーディング・カードゲームである。互いに軍隊を指揮して、敵の首都を落とし、諸王の証であるメダリオンを奪い合う。
これがまた、実に繊細な駆け引きや戦術を必要とするため、世界的にも非常に人気が高い。
「俺の山岳騎兵の強さを見せつけてやるぜ。大丈夫、ジョーが妹の前で無残な姿にならないよう、ちょっとは手加減してやるよ」
「ふん。このど素人のにわか知識のヤシロ野郎。レッスンしてやる」
ジョーは『何もわかってねえな、こいつ』とでも言いたげに、大きくため息をついてみせた。
「まずメイド喫茶がゲームやるっつってもな、《メダリオン》なんてやらねーよ。メイドさん相手に山岳騎兵の強さなんざ見せつけるバカがいるか」
「ちょっと待った、じゃあどんなゲームやるんだよ。ボードか?」
「アホか。それ以前に、ここは客とゲームするとか、そういうタイプのメイド喫茶じゃねえんだ。エンタメ系ならアリな店もあるけどな。まず、この本格派の雰囲気でわかれよ。センスねえな。これだからヤシロは」
「なんでそんなボロクソにこき下ろされなきゃいけないんだ」
ここまで言われる筋合いがあるだろうか。
しかし、この手の店に詳しいジョーが、そう言うのならば仕方がない。俺は取り出しかけていた《メダリオン》のデッキを引っ込めた。
「だったら、普通に話しかけるか。ジョー、聞きたいことがあったら、シャイなお前に代わって俺が聞いてやるよ」
「やめろクソが」
ジョーは真剣な顔で俺を睨んだ。
「脳みそをカチ割るぞ」
「なんでだよ、世間話するくらい問題ないだろ」
「妹に人殺しを近づかせるわけにはいかねえ」
本当に苦しそうに、ジョーは窓の外にまた目をそらす。ジョーの「妹」だという店員と、目が合いそうになったのかもしれない。
「いいんだよ、これで。文句あるか」
「あるけど黙っとく」
意外な発見だ、と俺は思う。ジョーがここまで妹思いだったとは。
俺は《ソルト》ジョーと、あの店員とを交互に見る。やはりぜんぜん似ていない。あっちの見た目をリスとかハムスターとかの小動物とするなら、ジョーは地獄の使者だ。かろうじて共通点を探すとすれば、それは度胸のあるところだろう。あとは気の強そうなところ。
「おい、あんまりジロジロ見てんじゃねえぞ」
かなり真剣な口調で、ジョーが俺に警告してきた。
「三秒間以上は許さねえからな」
「過保護すぎるぜ」
俺は《ソルト》ジョーをもうちょっとコケにしてやりたかった。再びできるだけ軽薄に笑って、次におちょくるネタを思いつこうとした。今日は愉快な日だ。久しぶりに気晴らしができる。
だが、厄介事とは、油断した瞬間に訪れるものだ。
「――どけ!」
最初は、何が起きたかわからなかった。
異様なほど長身の人影が、わめき声をあげながら店内に飛び込んできた。
それは比喩でもなんでもない。そいつは文字通り、背中から翼を生やしていた。巨大なコウモリに似た、黒い翼だった。
黒いボロ布のような黒衣を身にまとい、頭から目深にフードをかぶっていたが、死人のような白い横顔がちらりと見えた。そいつは入口のドアを破壊しながら入店し、そのまま床に墜落して、転がる。
マジかよ、と俺は思った。
こいつは魔王だ。
この異形、この青白いツラ、この独特のかすれた声。間違いない。
エーテル手術にプラスして、魔王の中では見た目の恐怖感を高めるため、あるいは単に利便性のため、化物じみた動物の器官を移植することがしばしばある。角だとか第三の目だとか、翼だとか。
ただし、それらの器官の実用性は極めて低い。
特に翼なんて、人間の体を飛翔させようと思ったら、相当な工夫が必要だ。こいつの場合は体重を極端に絞ることで、短期間の滑空ならできるようにしてあるかもしれない。
そして、そんな小細工は二流どころのやることだ。
秋葉原には、この手の野良魔王が相当な数存在する。地下に構えたねぐらから、魔王同士の抗争で追い出されたか、あるいは勇者に狩り立てられたか。そういう事情を抱えた輩だ。
この魔王の場合は、どちらかよくわからないが、どうやら相当に切羽詰っているらしい。そうじゃなきゃ一般人の集う店に転がり込んでこない。何があったのか。
そんなどうでもいいことを考えていたので、俺もすっかり対応が遅れた。
「――動くな!」
起き上がりながら、翼の生えた魔王は右腕を振り上げた。職業柄、俺には一瞬でその手に握られているものがわかった。
剣だ。片刃の長剣。
「貴様ら、全員だ。命が惜しければな」
そいつは大声をあげながら、今度は左手を伸ばす。近くの店員を捕まえ、力任せに引き寄せる。ずいぶんと強引な手口だ。しかもなかなか素早い。
長剣を不幸なメイドの喉頚に押し付け、あっという間に人質を確保してしまう。
「両手を頭の上にあげて、伏せろ! 殺すぞ!」
遅ればせながら、店内に悲鳴があがった。異形の魔王は、もしかすると威嚇のためだろうか、翼を大きく羽ばたかせて見せる。黒い翼が幕のように広がり、店内がすこし陰ったように思えた。
だが、なんてこった。
その魔王が捕まえた人質の気の強そうな横顔を、俺は呆然と見ていた――もちろん、こんなときは最悪のケースが発生する。
そいつはジョーの妹だった。
よりにもよって、彼女を人質に選んでしまうとは。
「おい、ジョー!」
そして呆然としている場合ではないことに気づいて、スキンヘッドの勇者を振り返る。
こいつはまずい。
ジョーの顔が、邪悪な怨霊のように歪んでいた。あまりにも歪みすぎて、俺にはちょっとだけ笑っているようにも見えた。
俺は知っている。
こうなった《ソルト》ジョーが、ほとんど手のつけられない悪魔的な破壊を振りまくことを。残虐にして情け容赦もない。その場合、周囲のことはほとんど考慮されない。以前に何度か、カードゲームでイカサマをされたとき、この状態になったことがある。
俺は何よりもまず、《ソルト》ジョーの暴発を防ぐ必要があった。
ヘタをしたら、店ごと爆破して皆殺しだ。
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