第3話

 目標のメイド喫茶に近づくにつれ、ジョーの口数は徐々に減っていった。

 どうも明らかに緊張しているようで、店の前まできた時には殺人鬼のような面相になっていた。

 常日頃から修羅場に身を置いている、《ソルト》ジョーのような見た目の男が緊張していると、もはや何の誤魔化しも効かない。スーツを着ていることで余計な威圧感もある。隠しきれない暴力の匂いが漂う。


 よって、俺たちを出迎えた店員たち――予想外にクラシックなメイド服に身を包んだメイド連中は、大いに気圧されたようだった。

「おか――」

 それでも歓迎の文句を口にできたのは、さすがというべきだと思う。

 俺たちを見た瞬間に、入口近くにいた店員たちが固まった。一瞬だけ視線を交わし合い、そして声を揃えた。

「お帰りなさいませ、ご主人さま」

 実に丁寧なスマイルを浮かべる。

 たぶん反射的なものだろうが、研修が行き届いている。

 あまりジョーをじろじろと見ることもなく、席まで案内された。その代わりのように俺が観察されたが、このくらいは必要経費だ。たぶん俺はジョーの子分のように思われたのではないか。


 そうして席に腰を下ろしてみれば、思ったよりも落ち着いた内装の店内だった。

 しかも騒がしくない。

 俺はテレビやニュースでしかメイド喫茶を知らないが、もっとファンシーでメルヘンで、ピンク色を基調としたものだと思っていた。

 しかし、このクラシックな店の落ち着きようは、中世ヨーロッパ趣味であり、いっそ《嵐の柩》のような魔王どもが好みそうな気配すらある。ゴシック様式というやつかも知れない。勇者にとっては見慣れたものだ。


「おい、ジョー、すげえな」

 俺は率直な感想を口にすることにした。

「お帰りなさいませ、だぞ。本格的なんだな」

 それでも、なんだか少し落ち着かない。

 メイド服の店員が、ちらちらとこちらに視線を向けてくるのがわかるからだ。その理由は明白だろう。《ソルト》ジョーのせいに違いない。

「驚いたかよ」

 このとき、なぜかジョーは自慢げに笑った。

「これが本格系メイド喫茶ってやつだ。己の愚かさも理解したか? どうせテレビのニュースぐらいでしか知らなかったんだろ」

「おう、理解した。悪かったよ」


「いいか。未熟者のお前に教えといてやる」

 と、ジョーは偉そうな顔で俺にレッスンを施すつもりらしかった。

「メイド喫茶は大別してエンタメ系と本格系の二種類に分類される。あくまでも傾向だし、もちろん例外やハイブリッドなんかもあるが、この基本は覚えとけ」

「それ、なにがどう違うんだよ。ちょっと難解なんだけど」

「エンタメ系は、メイドの衣装を着た店員との交流を売りにしている。客とのゲームや会話も主力サービスの一環だ。一方で本格系は、より落ち着いた環境と、あくまでも喫茶店としての質を重視する傾向がある」

 一息に語ってから、ジョーは鼻を鳴らす。


「まあ、習うより慣れろだ。次は実践してみろ、まずは注文からだ。てめーに日本語さえ読めれば難易度は低い」

「お前、詳しいけど偉そうだな! まあいいけど」

 この野郎、俺のほうが指導者に向いているのに、と思った。

 俺はそこで視界の端にメニューを発見し、自分がそれなりに空腹であることに気づいた。ついでに喉も渇いている。

「じゃあ、とりあえず俺はビールでいいや。あとカレー」

「てめー、舐めてんのか?」

 テーブルに身を乗り出した、ジョーの首筋に血管が浮き上がるのがわかった。


「ビールなんてあるわけねえだろ。しかもカレーだと? いい加減にしろよ、このヤシロ野郎! メニューを読めやっ、メニューを! この低難易度すらクリアできねーのか!」

「あん? いや、待てよ」

 俺はメニューを開き、ジョーの眼前に開いた。喫茶店にカレーがないなど、俺は信じることができなかった。

「ふざけんなよっ、ジョー! あるじゃん、カレー! ほら!」

「それは湖の妖精と踊る白鳥のカレーだ」

「お、おう」


 ジョーがあまりにも真剣に言うので、俺は問い詰める気力を削がれた。

「詳しいな、おい。初見でそんなスラスラ言えないぞ。こっちの写真見ろよ、これなんて完璧にカツカレーだろ?」

「そっちは星の女神と遊ぶペガサスのカレーだろうが! ちゃんと読め、殺すぞ! てめーの家ごと爆破してやろうか? ああ?」

 ひどい剣幕で怒られた。さらに脅迫までされたので、俺はジョーの言葉の意味を理解しようとした。

 なるほど、確かに。

 俺が選んだカツカレーは、メニューによれば『星の女神と遊ぶペガサスのカレー』と書かれていた。写真にはずいぶんと小ぶりなライスが横たわり、円形のトンカツが被せられている。いったいこれのどこが星の女神やペガサスを意味しているのかは、俺にはわからない。

 店の内装は本格的にクラシックなだけに、このファンタジックなメニューとのギャップには驚かされる。


 メイド喫茶というのは、こういうものだったのか。

 それとも、これが最近の流行なのか――俺にはよくわからない。

 むしろ、こういうカルチャーをジョーが理解しているのが驚きだ。こんな、近所の雀荘とかパチンコ屋の変化ぐらいにしか縁がなさそうな男が。なんだか裏切られたような気分だった。


「まったく」

 ジョーは吐き捨てた。

「俺に恥をかかせるんじゃねえよ」

「なんでお前が恥をかくんだよ。ジョー、お前、今日はなんかおかしいぞ」

 そろそろ、俺は核心に触れようと思った。

「いったい何があった?」

「ああ――」

 ジョーは難しい顔で首をひねった。喉の奥が低く唸る。

 これはたぶん何かを考え込んでいるつもりだろうが、まったく似合わない。人殺しが一仕事を終えたあと、興奮を抑えきれずに唸っているようにしか見えない。

「それがな」


 沈黙が降りた。

 五秒――十秒。

 俺はジョーが切り出すまで、メニューを片手に待った。しかし長すぎる。しびれを切らして、再び訪ねようとしたところで、横から声をかけられた。


「失礼しますっ、ご主人さま」

 やや上ずってはいたが、快活な発音だった。

 一人のメイド服の店員が、銀色のトレイを片手に立っている。おそらく未成年であろう。若い、というより幼さすらある、気の強そうな顔立ちをしていた。

 実際のところ、この《ソルト》ジョーのいるテーブルに注文を取りに来るあたり、なかなかの度胸の持ち主だろう。

「ご注文はお決まりですか?」

 彼女は銀色のトレイから、水の入ったコップを俺たちのテーブルに載せた。そのトレイやコップ、テーブルクロスに至るまで、なんとなく高級志向を感じる。その辺のファミレスとは素材が違いそうだ。

「よろしければ、お申し付けください」


「おっ、悪いな」

 メニューの名称を完全に発音するのは、俺には無理だ。難易度が高すぎる。その代わりにメニュー表を差し出して指差す。

「俺はこのペガサス的なカツカレーと、熱いコーヒーで。なあ、ジョー、お前は?」

 俺が振り返ると、ジョーはなぜか思い切り顔を背け、頑なにこちらを向こうとしなかった。返答もしない。ただ、奇妙な緊張感だけを張り巡らせていた。


「おい」

 俺はまた、ジョーがふざけているのかと思った。

「どうすんだよ、ジョー。店員さん困ってるだろ。ごめんな。あと、俺のカレーは福神漬け抜きで頼む」

「かしこまりました、ご主人さま」

 どうやら、語尾に『ご主人さま』をつける規則でもあるらしい。俺はまたしても感心した。よく訓練されている。しかも店員は驚くほどの満面の笑みを、《ソルト》ジョーに向けた。

「そちらのご主人様は、ご注文はお決まりですか?」


 今度は、三秒ほどの沈黙があった。

 が、ジョーは決して店員と目を合わせないままに、ぎこちなく、かすかに口を動かした。

「……月のプリンセスが微笑むカルボナーラ。と、ホットカフェラテ」

 まるで、獣が威嚇するような唸り声だった。

 それでも店員は笑顔を曇らせることなく、深くお辞儀をしてみせた。たぶん、心臓が鉄でできているのだろう。なんらかの特殊な訓練を受けていると思われる。

「かしこまりました、ご主人さま! ありがとうございます!」

 そうして踵を返すと、軽快な足取りでキッチンスペースへ向かっていく。


「ううむ」

 俺は思わず腕を組んだ。

「凄いな、ここの店員。お前のような極悪マフィアゴリラ野郎に対して、あの毅然とした態度とは」

「まあな」

 なぜだか、ジョーは威張るように鼻を鳴らした。俺の悪口も耳に入らなかったらしい。さきほどまでの緊張感が嘘のように、またいつもの野蛮でふてぶてしい態度に戻っている。

「大したもんだろ」

「だから、なんでお前が偉そうにするんだよ」

「そりゃあ、まあ」

 《ソルト》ジョーは声を低めた。

 こいつにしては珍しいことだ。俺は少し奇妙に思ったが、その次の台詞で疑念も吹っ飛んだ。


「いまのは、オレの妹だからよ。本人は知らねーから、でかい声出すなよ」

「お」

 愕然とした。

「お――おう。わかったぞ。そういうオチかよ!」

 ひどい茶番を見せられているような気がした。

 そして新たな発見もあった。《ソルト》ジョーは、見た目よりもずっと年齢が若いらしい。

 何か余計なことに首を突っ込んでしまったのかもしれない、と俺は思った。

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