第3話(終)
結局、エド・サイラスの店が営業を再開したのは、四月に入ってからだった。
まだまだ風は冷たく、ときおり神経まで凍りそうな雨が降った。
雲の多い初春で、いまだ強硬な冬がこびりついているような天気だった。
西部東京の抗争は収まったものの、勢力拡大に乗り遅れた三流の魔王が起こすテロ事件のせいで、なんとなく騒々しい日々が続いていた。
俺はといえば、天気が悪いせいで何も仕事をする気にならず、なんらかの楽しみや気晴らしが必要だった。
エド・サイラスの店の営業再開は、これ以上ないグッド・ニュースには違いなかった。夕方頃に起き出して、完全に日が暮れる前にエドの店へ向かうことにした。
近道は通らない。もうあんな面倒に巻き込まれるのはごめんだった。
「ずいぶん早かったな」
エド・サイラスは、俺を見るなり憂鬱そうな顔をした。
「店を再開して早々、客が来るとは。しかも貧乏人か」
「ひどい言い草じゃないか」
俺はカウンターの隅に腰掛ける。店内にまったく人の姿はなかった。
少し早すぎたかもしれない。まるで俺がものすごく再開を楽しみにしていたように思われてしまう。俺はカウンターの奥にある時計を見た。
「早すぎた。どこかで時間潰してくるかな」
「やめておけ。どうせパチンコだろうが、また負けるだけだ」
「いつも負けてるような言い方するなよ。じゃあ、ゲームしようぜ。カード。賭けるのは――」
「それもまた、負けるだけだな」
エド・サイラスは、失礼にも嘲笑った。
「お前が俺にまともに勝ったことがあるか? 金のない客は客じゃない。俺に負けたら、お前にはさっさと出て行って貰うぞ」
「エド、あんた、退院してからさらに口が悪くなったな」
もともと、客を客とも思わない部分があった。
エドは日に日に偏屈になっていく気がする。エドはここの常連である勇者という職業自体に、なんらかの嫌悪感を抱いているのは確かだ。
それでもこの店を閉じないということ、勇者専用の営業時間があるということは、エドの中にも何か諦められない部分があるのだろう。
「でもまあ、許してやるよ、エド。俺は機嫌がいいんだ。今週末はキング・ロブの戦いを観に行くんだからな。サインもらってくるから、見せびらかしてやる」
「お前には勿体無いチャンスだな」
エドは憎まれ口を叩くが、羨ましがっているのは一目瞭然だった。俺はすっかりいい気分になりつつあった。
「なあ、うまいこといったら、キング・ロブをこの店に連れてきてやろうか? ファンサービスでゲームしてくれるかも」
「妄想はそのへんにしておけ。キング・ロブにも迷惑がかかる」
エドは他人の幸せを喜ぶことができない人間性であり、おまけに性格が冷たいので、俺のハッピーな計画を一言で打ち切った。
「それよりお前が客なら注文しろ、そうでなければ消えろ。俺は暇じゃない」
「ひどいな。どうせ客なんていないくせに」
「何を言いやがる」
猛獣のような目で、エドは俺を睨んだ。
「お前が連れてきたあの連中が、うちのガレージを使っている。次の実習の準備だとよ。金さえ払えば客だがな、あの騒々しさはどうにかならんのか」
「おっと」
俺は即座に立ち上がった。
「俺は急に用事を思い出した。また今度な」
「――師匠!」
こういうときは、きまって都合の悪いタイミングで、見たくもない顔が現れるものだ。店の奥から三人分の人影。まずはゴキブリのような素早さで、真っ先に滑り込んでくるやつがいる。俺は顔をそらした。
「エド・サイラス、お前、わざと俺が聞くまで黙ってただろ」
「この珍獣どもの面倒は、お前の担当だ」
「冗談じゃねえ、俺はパチンコ打ってくる」
「お出かけですか、師匠」
城ヶ峰は、素早く俺と出口との間に立ちふさがっていた。真面目くさった顔だった。
「開店初日に待ち伏せしていれば、必ずお会いできると思っていました。お出かけなら、この私もお供します! 社会見学ですね。映画館とかどうですか?」
「そこをどけ」
俺は静かに告げた。
「俺はパチンコ打ってくるから忙しい」
「やめとけよ、センセイ。どうせ負けてくるだろ」
セーラが失礼なことを言った。どうやら学校の帰りのようだ。三人とも制服を着ている。こんなバーに現れるような格好ではない。ぜひ帰って欲しい。俺はハエを追い払うような仕草で、手を振ってやった。
「先月末にじゅうぶん負けたから、今月は勝つ」
「ってか、センセイが勝ってるの見たことねえし。負けても絶対貸さないからな!」
「えっ」
城ヶ峰が驚愕の表情を浮かべた。
「師匠、セーラから……金を? それはかなり……いや、非常にまずいのでは。ぎりぎりのラインを超過してしまった感じがします」
「借りてねえよ!」
あまりにも不名誉な話になりそうだったので、俺は断固として否定することにした。
「冗談で一度言ってみたことがあるだけだろ! セーラも誤解されるようなこと言うなよ!」
「はあ。そうですか」
生返事をした城ヶ峰は、すばやくセーラと目配せを交わした。小声で囁く。
「……本当に冗談だったのか、セーラ」
「いや、どうかな……あのとき、マジで切羽詰まっていたような……」
「おい! 聞こえてるんだよ。イラッときたぞ」
わざと俺に聞こえるような小声を出すのも、その小芝居にもうんざりだ。
「もう帰れ、お前ら。俺を不愉快にさせるために来たのかよ」
「はっ。そうです、師匠。今日は重要な相談があって伺いました!」
城ヶ峰が神妙な顔で言うので、あまり重要な相談ではなさそうだ。
「何度も言わせるなよ、別に俺は暇じゃないんだけど」
「ははは、ご冗談を。相談というのはですね、私たちのアカデミーで定期的に課される実習の――あ、定期的とは年に三回のタイミングということです。各自のチームで時期が違うのですが、私たちの場合は――」
「――アキの説明は、ぜんぶ聞いてると一時間くらいかかる」
印堂雪音の声が間近で聞こえた。
いつのまにか、俺の隣の席に腰掛けている。こいつの身長では、カウンターの椅子は少し高すぎる。足が浮く。
「実習授業があるから、その計画を立ててるところ。教官にも手伝ってほしい」
「ああ、そう。俺にいい計画がある。まずはセーラがヘマをして魔王の手先に捕まるだろ、そしたら城ヶ峰が路地裏に落下してくるだろ。あとは」
「わかったから、センセイ、もうその話やめろよ! 真面目に相談してるんだって!」
セーラが思い切り顔をしかめ、印堂が小さくうなずいた。
「少し厄介なミッションになりそう。教官の意見が聞きたい」
「面倒くさそうだな。関わりたくない」
俺はつい正直に言ってしまった。どうせ本当に面倒くさい話に決まっている。
俺は助けを求めて、カウンターの奥のエド・サイラスを見た。やつは山賊の親玉のような顔で俺を――というより、俺たちを睨む。
「なんでもいいが、もしもお前らが客で、ここに居座るつもりなら」
その口調で、明らかに苛立っているのがわかった。
「何か注文しろ。三人とも。お前もだ、ヤシロ」
「はい! 私はカルピスをお願いします!」
「あー……えっと、いや、コーヒーで」
「牛乳」
「なんだこいつら、ファミレスのドリンクバーかよ」
俺は鼻で笑ってやった。だが、エドの店にはふさわしい。どうせたいして高級な酒なんて置いていないのだ。
「じゃあ、俺はビールだ。それと腹が減ってる――おい!」
俺はそこで、カウンターのさらに奥、ささやかなキッチンスペースに向かって声をかける。
そこには、俺が来店したときから、ずっと仏頂面で黙り込んでいた女がひとりだけいる。
「新人アルバイト! 駅前でケバブと餃子でも買ってこい! ついでに、これからジョーとかマルタが来るはずだから、でかいピザも三枚くらい注文しとけよ。あとで取りに行くこと」
「……はい」
明らかに不満のありそうな声。安物のジャージの上から、変なカエルのような絵がプリントされた、間抜けなエプロンを着用している。
かつて、この新人アルバイトの名前を、《嵐の柩》卿といった。
「わかりました。けど」
かつての魔王、《嵐の柩》卿は、憂鬱そうに立ち上がる。
「せっかくキッチンスペースがあるのに、なぜ私が買い物に?」
「エドの料理はまずいんだよ。いいから口答えしてないで、さっさと行ってこいよ」
俺は一万円札を一枚、カウンターに放り出した。
「さもないと、起爆しちまうぞ。てめーに人権はないんだよ」
《嵐の柩》卿の処分は、我ながら手の込んだものになったと自負している。
まずは、やつを魔王たらしめているエーテル増強器官の切除手術。これでだいぶ大人しいやつになったはずだ。これは本当のこと。
それから、二度と俺たちに迷惑をかけないように、腹部に小型の爆弾を仕込んだ――という嘘をついた。そんな金はなかったからだ。
「ここまで寛大な処置をした俺に感謝しつつ、十分以内に買ってこい」
もっとも、この嘘については、《嵐の柩》卿が信じているかどうかは怪しい。
「はい、はい」
《嵐の柩》卿は、一万円札を回収し、出口へと向かう。
「寛大な処置に感謝していますよ。《死神》ヤシロ様」
ずいぶん皮肉げな口調だった。《嵐の柩》卿が出ていくのを見送って、俺はエド・サイラスと顔をあわせた。笑う。
「あいつがいまの金を持って逃げたら、次は本気で殺すしかないな」
「お前の考えることはよくわからん」
エドは首を振りながら、カウンターにグラスを並べていく。城ヶ峰は嬉しそうにカルピスを手にとった。
「いえ、さすが師匠です。私は感動しました。まさかあのようにして改心させるとは。社会復帰の手伝いまで!」
「なんか、そういう問題じゃない気がするけどな。本当に大丈夫なのかよ」
「教官、なんかあの手のタイプに甘い気がする……」
セーラはコーヒーカップを手に取り、印堂は一本欠けた指で牛乳のグラスを掴んだ。それから印堂は嫌になるほど真剣な顔で俺を見上げた。
「実際、どうなの」
「なにが『どう』だよ」
あまりにもくだらない質問なので、俺は適当なことを答えようとした。
店の入口のドアが開いたのは、そのときだった。
賑やかというより、うるさいくらいの声で交わされる会話。乱暴な足音。明らかに背筋の伸びていない歩き方。俺はそれがどんな種類の人間のものか知っている。
「お、来た」
俺は思わず立ち上がる。ふたり分の猫背の人影が、遠慮なく店内に入り込んできた。
「――おい、ヤシロ!」
《ソルト》ジョーは、開口一番に耳がおかしくなりそうな大声をあげた。
「いま、《嵐の柩》がすげえ間抜けな格好でパシリに出てただろ。最高だな、あれは。思わず笑っちまったぜ」
「めちゃくちゃ睨まれたけどね、俺らは」
《もぐり》のマルタは、相変わらずの薄汚い風体で、エド・サイラスに頭を下げた。
「どーも、店長。見舞いに行けなくてすまんね、警察とかに追われてたもんで」
「気にするな。期待していない。それより注文しろ」
「おう! ビール三つだ!」
エドの容赦ない請求に、《ソルト》ジョーが代わりに応えた。俺は思わず首を傾げる。まさかこの男、もはや計算もできなくなったか。
「どうした、ジョー」
俺は注文したばかりのビールジョッキを掲げてみせる。
「俺はこの通りだけど、もしかして奢ってくれるのかよ! すげえな、聖人か!」
「そんなわけあるか。今日は新入りがいるからな。面白いんだぜ――おい、入れよ!」
《ソルト》ジョーが背後に声をかけた。
小柄な、やっぱり猫背の若い男が、恐る恐るといった様子で入ってくる。
若い、というより、幼くすら見える。ヘタをすると未成年かもしれない。特筆すべきは、その顔面だった。アザだらけで、切り傷もある。ひどい喧嘩をした後のように見えた。
「……どうも、失礼します」
と、その若者は呟いた。少し怯えたような声だった。
なんだか頼りない印象を受けた――足元がふらついている。俺は当然の疑問をぶつけることにした。
「なんだ、そいつ? マルタの浮浪者仲間か?」
「いいや、よく知らねえけど、とりあえず勇者なのは確かだ」
ジョーは無責任で、いい加減なことを言った。
「こいつ、魔王が経営してる賭博場に乗り込んで、強盗しようとしたらしいんだよな。で、完全に失敗して、さっき路地裏でボコボコにされてた――な、面白いだろ!」
「なるほど、笑えるな」
ジョーが声をあげて笑ったので、俺もつられて笑った。
「よりによって、魔王の賭博場で強盗かよ! センスあるな」
「いや、本当は強盗なんてするつもりじゃなくて――」
顔面がボコボコになっている若者は、慌てたように両手を振った。
「金目のものだけ盗んで、こっそり抜け出す予定だったんです。でも、鍵を開けるのに手間取っちゃって、警備員も来たから暴れて逃げようと思って」
「すげえ、バカだ」
俺は非常に感心した。ひどい間抜けがいたものだ。この若者に対して興味が沸いてきた。
「もっと他に笑える話とかないのか? あるだろ? こっち来いよ。お前、名前は?」
「あ、ええと、カズマです。神宮――」
「勇者が本名を名乗ってどうする。偽名くらいあるだろ?」
「いえ、その、先月末で工場をクビになって、勇者になろうとおもったばっかりで、それが今朝――」
しかも、アマチュアの勇者ときた。マルタと変わらない。免許もなければ、社会的な保証もない。
俺はまた笑ってしまった。
「いいぞ。そうだな、お前の偽名はイシノオでいいや。お前、今日からイシノオって名乗っていいぜ。カードはできるか? 《七つのメダリオン》!」
「え? なんです、それ?」
「心配すんな、教えてやるって」
「へっ! やめとけ、ヤシロに教わるようじゃ上達しねえぞ」
《ソルト》ジョーは横槍を突っ込んできた。
「オレが教えてやるよ、真の男の戦いってのをマスターできるぜ。オレが師匠になってやる」
「何を言ってやがる、俺の方がずっと教え上手だ。ジョーよりも俺の弟子になっとけ。カードだけじゃないぞ、三日あれば勇者としても一流に――」
「――あの。師匠。ちょっと、待ってください」
城ヶ峰が、立ち上がりかけた俺の肩を掴んでいた。顔がこわばっている。
「いま、なんとおっしゃいましたか? この、いきなり現れた新入りの、どこの馬の骨かもわからない人物を、弟子にすると?」
「そうだけど」
「か――簡単すぎる! 扱いが違いすぎませんか!」
「そうだ! 私らのときと、扱いがぜんぜん違う!」
不意に声を荒らげたセーラまで、ひどく憤慨しているようだった。
「おかしいだろ、その流れ! 私らなんて指導料まで払ってんのに! ここまでの、あの――積み重ねというか、訓練とか、なんだったんだよ!」
「教官はそういうところある……」
印堂もかなり機嫌を悪くしているらしい。眉間に深い谷間ができている。
「ダメな相手ほど可愛がる」
そうして印堂は城ヶ峰と、新入りの男を交互に見た。ため息をつく。
「やっぱり私がちゃんとしないと」
「そうだ! 私たちがしっかりとしなければ。師匠、私は認めませんよ」
城ヶ峰は俺の肩を思い切り揺らしてくる。
「師匠の一番弟子として、このような馬の骨を弟子入りさせるのは反対です!」
「やめろ、うるせえよ。静かにしとけ」
激しく揺さぶられながら、俺はエド・サイラスの顔色の変化に気づいていた。
あまり騒ぎすぎると、そろそろエド・サイラスの逆鱗に触れるだろう。
それに何より、ジョーやマルタと、新入りのイシノオはすでに奥のテーブルに席を構えようとしている。カードが並べられ始めているのがわかった。
ゲームの時間だ。
俺はうるさい城ヶ峰を黙らせるべく、一喝しようとした。
だがその直前で、エド・サイラスの好む落ち着いた静寂は望むべくもなくなった。
今回に限って言えば、そこから始まる一連の騒動は、俺のツキの無さとは関係ないだろう。そう思いたい。
――銃声と、怒鳴り声とが、入口のドアを蹴飛ばして踏み込んできた。
「あのガキはどこだ!」
サングラスをかけた、体格のいいスーツの男。拳銃で武装。怒り狂った形相。
部屋の奥では新入りのイシノオが身をすくめ、すばやくテーブルに隠れようとしている。
俺は状況を即座に理解した。恐らくそれはジョーもマルタも、エド・サイラスも同様だっただろう。
こいつは、新入りの追っ手だ。
「てめえら、動くな! あのクソガキを出せ! そうじゃねえと――」
サングラスの男は脅し文句を言い切ることは許されなかった。
《ソルト》ジョーが椅子を投げつけた。マルタはビール瓶。エド・サイラスは、どこに隠し持っていたのか投げナイフだった。
結果は、すべて命中。
サングラスの男は滑るように足をもつれさせ、倒れこむ。沈黙。
だが、さらに外から乱れた足音と、怒声と、車の音が聞こえる。こういう手合いは、一人を見かけたらあと十人はいる。まだ追っ手が乗り込んでくるはずだ。
「よくあるやつだ」
俺は城ヶ峰たち三人を振り返り、できるだけ軽薄に笑った。
「いい実習授業になりそうだな」
俺は三人の反応を待たなかった。
どうせ城ヶ峰はいつもどおり、返事だけは爽やかだろう。セーラは困惑しながらも悪態をつくだろうし、印堂ははただ無表情でうなずくだけだろう。新しい騒動が始まりつつあることを感じる。
そのとき俺は思いついた。
まだ探し始めたばかりだが、勇者稼業には、とりあえず一つだけ良い面がある。
退屈をしないことだ。
(おわり)
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