最終レッスン:偉大な仕事だって言ってくれ
第1話
アカデミーを訪問するのは、思った以上に簡単だった。
俺が注目したのは卒業式の日で、この日は卒業生と在校生による模擬演舞が行われることになっていた。父兄が自由に参観できる。
以前に城ヶ峰が言っていたが、どんなみすぼらしい見た目でも問題ない、と。
舐めやがって。
俺はいちおうスーツを借りて、ついでに印堂雪音の後見人を務める『叔父』、という肩書きまで捏造しておいたが、それを活かす機会はなかった。参観者の列に紛れるだけでよかった。
アカデミーの校舎を昼間に見るのは初めてのことだったが、さすがに巨大であり、金がかかっているように思われた。何もかもが真新しく、各所に電子ロックが採用されていた。
俺はあえてこの場所を避けてきた。こいつら三人と関わりながら、アカデミーそのものとは、可能な限り徹底して距離を置いてきた。
理由はいくつもある。
勇者という仕事に人生を費やそうとしている連中を見たくなかったこと。そんな連中からの視線に耐え切れないだろうと思ったこと。すごく惨めな気分になるだろうと思ったこと。
だが、一番の理由は恐れていたからだ。
俺はその原因と対峙しなければならない。
「ここまででいいの?」
と、印堂雪音は教室棟の手前で足を止めた。
「他にも案内できる」
印堂は窓の外に目を向けて、俺の手を強く引っ張った。
「重要な施設はほかにも多数ある。大議事堂にはあのアーサー王の円卓のレプリカも飾ってあるし」
「いらねえよ」
正直なところ、俺は疲労を感じつつあった。
ここまで『仲のいい叔父と姪っ子』という身分の偽装のため、印堂は俺の手を引っ張ることを提案し、そのアイデアの採用を強硬に主張した。
結果、こうやってあちこち引きずり回される羽目になったが、あまりいい気分にはならなかった。
印堂のクラスメイトと思しき連中が指差してくるし、驚かれるし、印堂の手を引っ張る力は強かったので肩が痛い。
「授業参観じゃあるまいし。ここまででいいよ。俺は時間潰してくる」
「時間を潰す場所なら、いい場所がある。屋上。私は案内できる」
「そこ、ビール飲んでもいいのか? カードゲーム用のテーブルある?」
「――アカデミーをなんだと思ってるんだよ、センセイ」
横合いから、セーラ・ペンドラゴンが口を挟んだ。
なんだか朝から不機嫌そうな態度で、やけに文句が多い。理由はわかる。今日は卒業式であると同時に、彼女らにとっては終業式だ。
ここまで大きなイベントになれば、いやでも彼女の父親と顔を合わせなければならないだろう。
「酒を飲んでもいい場所なんてあるわけねえだろ。学生だし」
「だったら、お前らどこで飲んでるんだよ」
「未成年だから飲まねえよ! ってか、もういいだろ。雪音、そろそろ手を離せ。教室行くぞ。今日はかなり出番が早いだろ」
「そのとおり! いますぐ手を離すべきです!」
うるさいやつが大声で同意した。
城ヶ峰だ。こいつのボコボコになった顔の傷は、すでに九割ぐらい完治しつつある。そして騒がしさも変わらない。
「というより、師匠、なぜ雪音の親戚関係を装う必要性があったのかわかりません。私の兄という設定にするべきだったと思います」
「生理的な拒絶感があったんだ。悪いな」
セーラの親戚を名乗るのは、この学校では論外だった。消去法で印堂しかない。だが、この回答が気に入らなかったようで、城ヶ峰は唸り声をあげた。
「ぜんぜん悪いと思っていませんね!」
「よく気づいたな。お前、まさか人の心を読めるのか?」
「それも全然褒めていないですね。師匠! 私たちは模擬演舞のために、精神統一をはじめとした準備が必要なのです。ご配慮を!」
「わかった、わかった。印堂」
この手の話し合いはいつだって不毛なので、俺は印堂の肩をタップした。
手を離す。印堂は迷惑そうな目で城ヶ峰とセーラを見た。
「――アキとセーラの出番は、かなり後の方だけど」
「いまからウォームアップするんだよ」
セーラは早口に答えて、拳の骨を鳴らしてみせた。少し笑ってみせたが、かなり凶暴な笑い方になった。
「相手してくれよ、雪音」
「そうだ。今日は雪音に勝利して、勢いをつけておきたい」
城ヶ峰の回答は思い上がり甚だしく、かなりピエロじみていた。
「そして、師匠の前で華々しい勝利を飾り、進級を果たして見せよう!」
「思い上がり甚だしい……」
印堂が聞こえるように呟く。そのとおり。城ヶ峰が印堂と組手をやって、勝ったことは一度もない。俺は印堂の背中を強く叩いてやった。
「まあ、殺さない程度にやればいい」
「そうする」
そうして印堂は俺を見上げる。
「ちゃんと見てる? 模擬戦」
「ああ」
「じゃあ、がんばる」
印堂は深くうなずいた。こいつの『がんばる』は、いまだに程度がつかめない。
一方、セーラはクソ真面目なので、手首を回し、ストレッチを始めていた。
「あのさ、ヘボいことやったら、あとで変な罰ゲームとかないよな?」
「勝てばなんでもいい」
「お任せ下さい!」
途端に、城ヶ峰が無意味な自信を溢れさせた。
「師匠の弟子として、完勝を誓います」
「おう」
俺は城ヶ峰の脛を蹴った。
「そういうのは、本当にケリをつけてから言え。どんなときもだ」
城ヶ峰が痛みの悲鳴と、ついでに反論のようなことを口にした。
だが、俺はもう聞いていなかった。かける言葉も他にない。三人に背を向けて歩き出す。やるべきことがあった。
これから適当に時間を潰す、というのは嘘だ。
目的がある。
あの三人の模擬演舞だかなんだかを見学する、という名目は、ついでに過ぎない。俺がやるべきことは、あの三人の誰にも話すことができなかった。
校内の見取り図はすでに記憶している。事前の調査によるものだ。この役を俺が買って出たとき、いちばん悔しがったのは《ソルト》ジョーだった。しかし、この役ができるのは俺しかいない。
今日この日、確実にこうやって校舎に入れる可能性が高いのは、やっぱり俺だ。
二階の渡り廊下を抜けて、本棟の階段を昇る。
屋上までは出る必要はない。すれ違う教職員には、適当に会釈しておく。決して急ぎ過ぎないように歩く――最上階の、最も奥まった場所に、その部屋がある。電子ロックの類はなかった。その部屋の主にとって、必要がないからだ。
その部屋には、
『会長室』
と、簡素な札がかけられていた。
俺はそれを引き開ける。
どうせ鍵などかかっていないと思っていたし、ノックも意味がないだろう。そんな気分になれない。少し乱暴な入室になった。
「――時間通りだったな」
その男はやっぱり簡素なデスクに肘をつき、強い意志を感じさせる青い目で俺を見ていた。かなり大柄だ。金色の髪はわずかに後退がはじまっている。
しかし顔つきは若い――というより、これは自信や、プライドがみなぎっているとでも言うべきだろう。それが加齢による衰えを、完全に封じ込めている。
見回す限り、室内には『その男』の他には誰もいなかった。
俺は余計に緊張させられた。これはいったい、どういうわけか。単なる自信の表れか。それとも別の意味があるのか? じつは誰かが潜んでいるのか。
「《死神》ヤシロ。入ってくれ」
その男、つまりアーサー・ペンドラゴンは、極めて落ち着いた声で促した。
「他の職員が来たら面倒だ。その前に終わらせよう」
「アーサー王は未来が見えるのか?」
俺は促されたとおり、後ろ手にドアを閉めた。可能な限り軽薄に聞こえるよう、質問を重ねる。動揺を誘う。できるかどうか。
「あんたは娘みたいなボンクラじゃないって?」
俺は部屋を観察する。
ただひたすらに実務的、という言葉がぴったりくる部屋だ。デスクとキャビネット、本棚。それだけ。あとは古ぼけた甲冑と――本物の伝説の剣、エクスカリバーが、壁に備えられている。
あれこそはアーサー王の象徴だ。俺たちが使う、ひと振りいくらの剣とは違う。真の魔剣の一つ。こうして見るだけで特別な武器だとわかる。アーサー王として、王位の継承を証明するものでもある。
「余計な話題は必要ない。お互いにそうだろう」
真の勇者、学園の主は、まっすぐ俺を見つめていた。
「実のところ、私も娘と同じく、『脅威』を感知できる。それだけだ」
動揺は感じられない。
アーサー王は、デスクから肘を離し、胸ポケットを探った。
「しかし、その精度に差がある。いまのところは。私はその『脅威』がどんなものか、いつ、どうやって訪れるかわかる――それだけだ。きみが探しているのは、これか?」
アーサー王は、胸ポケットから引っ張り出した何かを、指で高く弾いた。そいつはデスクの上で跳ね、澄んだ音をたてて転がる。
『半分のドラゴン』のバッヂだ。
俺は一歩、アーサー王に距離を詰めながらうなずいた。
「ドラゴンはアーサー王の象徴として使われた、って伝説があったよな。そういう遊びか?」
「きみに言わせれば、そういうことだろう。単なるジョークだと。しかし、これを始めた初代は真剣だったと思う。私もそう考えている」
アーサー王は、いかにも重々しげに立ち上がる。
「私が《ハーフ・ドラゴン》の長だ」
「そうだろうな」
俺は中指を立てた。
俺には、まだケリをつけるべき事柄が残っている。
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