第4話

「私を殺そうと? 《死神》ヤシロ様。それは、私のエーテル知覚の限界を暴いたから?」

 この期に及んでもなお、《嵐の柩》卿の微笑みは冷たく、どこか浮世離れした印象を受ける。彼女はちょうどセーラの頭を蹴り倒したところだ。

 再び長剣を突きつけることのできる構図。《嵐の柩》卿の刃の切っ先が流れた。

「少し、思い上がっているのでは? あなたが本当の意味で、私を滅ぼせると?」


「ハッタリです、師匠」

 城ヶ峰が唸った。

「師匠がよく使うやつです。こんなやつは、恐れる必要など一切ありません!」

 空気が少し揺れたように思った。

 城ヶ峰の左腕が、どす黒く膨れ上がっていた。震えながら膨張し、骨が軋み、肉がちぎれるような湿った音が響く。

 この肉体的な変化には、相応の痛みを伴っているのかもしれない。城ヶ峰の顔には脂汗が浮き始めていた。

 しかし、この変化――これは見たことがある。

 なるほど。

 ドリットにできることなら、完成形の城ヶ峰にできないはずがない。


「真の勇者の前に、滅びぬ悪などない。常に正義は勝利しなければならないのだ。いまこの時と、これから訪れる全ての時のために」

 いびつに膨れた城ヶ峰の左腕が、緩慢に動く。


「それから――この変化は、やってはみたけど死ぬほど痛い! 許さん!」

 理不尽な城ヶ峰の怒り。ぎこちない巨腕の旋回。

 だがその馬鹿げた動作は、自身を押さえ込んでいた西洋甲冑を、いともたやすく打ち崩した。

 振り払う。甲冑の兜やら、籠手やら、胴体部分やらが外れて、吹き飛ぶ。その隙間から、城ヶ峰が這い出していく。


「愚かさも度が過ぎると、腹が立ってきますね」

 《嵐の柩》卿は引きつった表情で、バックステップで距離を保とうとする。

「逃がすかよ」

 しかし、セーラの追撃がそれを止めた。彼女は日本刀へ飛びつくように拾い上げ、そのままの勢いで下腹部への刺突を見舞う。《嵐の柩》卿は、顔に張り付いたような微笑みのまま、余裕でそれを弾く。

 金属質な快音。


 俺はあくまでも平凡なスピードで近づく。

「まだだ、セーラ」

 城ヶ峰が崩れた甲冑の下で、ゴキブリのようにもがきながら叫んでいた。

「もう一歩右だ、殴れ、セーラ! 蹴飛ばせ!」

「できるかっ」

 セーラは刀に力を込めた。あまり意味はない。

 セーラの腕力が卓越しているといえど、それは徹底的にエーテル強化している《嵐の柩》卿ほどではない。簡単に対抗され、逆に体勢を立て直させてしまう。あとは押し返されるだけだ。

「そんな余裕、あるわけないだろ!」


 泣き言を言うセーラに対して、俺は危うく口を出してしまいそうだった。その寸前で、セーラが少しは工夫する気になったようだ。

「おうっ」

 と、ドスの効いた雄叫びが、セーラの喉から絞り出された。

 その瞬間の攻防は、実に目まぐるしい。

 セーラは刀を滑らせ、逆に一歩引いた。誘い込む形になる。

 以前までのセーラならば決してやらなかっただろう。カウンターを狙うのは勇気がいる。特に真剣勝負のときには。


 この誘いに、《嵐の柩》卿は一瞬だけ追撃を試みかけた――自分の膂力と、技量ならば、セーラごときのカウンターなど押し切れると踏んだのかもしれない。

 というより、実際にそうだろう。

 この罠に《嵐の柩》卿がかかっていれば、そこでケリがついていたかもしれない。が、さすがに《嵐の柩》卿は慎重で、警戒に長けている。


 踏み込む、と思った瞬間、《嵐の柩》卿は身を翻して長剣を振るった。剣閃が見事な円弧を描き、背後の空間を切り払う。

 かすかな火花。

 剣戟の音が二度。

 小柄な印堂の体が、空中から溶け出すように現れ、地面に叩き落とされた。


「あと一歩、右だった!」

 城ヶ峰はやかましく騒ぎながら、甲冑の山から抜け出してくる。

 左腕が赤黒く膨れ上がり、ゆっくりと脈打っていた。その腕を引きずり、よろめきながら歩き出す。

「雪音、無事か。寝ていて私たちの活躍を見守っていてもいいぞ! 無理はするな。きみが痛みを感じると、私も痛い!」


「大丈夫」

 印堂は転がりながら体勢を立て直す。片手剣を握り直し、血の混じった唾を吐き出した。《嵐の柩》による追撃は、再び踏み込んだセーラが止めている。

「私も活躍する」

 印堂が喋ると、脇腹から血がにじみ出るのがわかった。


「やめとけって!」

 セーラは刀を袈裟懸けに打ち込み、《嵐の柩》卿の手元を釘付けにする。

「雪音、顔色が餅みたいだぜ」

 間抜けな比喩だが、なるほど印堂の顔色はいつも以上に悪い。動きは精彩を欠いている。

 しかし、それ以上に追い詰められているのは《嵐の柩》卿だろう。

 彼女は舌打ちをしながら、セーラの太刀を弾き返し、転倒させる。その一撃で距離をとりたかったように見えたが、印堂がいる。

 城ヶ峰も、まあ一応、甲冑どもの群れから自由になった。


 そして俺は印堂の再出現を機に、浮遊していた剣が床に落ちるのを見ていた。

 この『自立行動するオブジェクト』は、その自動操作の完全性ゆえに、至近距離に敵がいるときは極めて使いにくい。

 長距離から相手を削り、中距離で一方的に物量攻撃を仕掛ける場合は有効ではある。しかし一メートルか二メートル以内にターゲットがいると、今度は自分自身を巻き込んでしまいかねない。


「目障りな――」

 《嵐の柩》卿は、印堂とセーラから仕掛けられた同時の斬撃を、ほとんど同時に防いだ。

 見事。精彩を欠く印堂の突撃に対しては足を引っ掛けて転ばせ、セーラの斬撃に対してはまともに打ち合わない。受け流して、突き飛ばす。離れ際に刺突――セーラの二の腕を浅く切り裂く。


「待っていろ、援護する!」

 城ヶ峰が生意気なことを吠えた。巨大化した腕を振り上げる。

「いや」

 セーラが首を振った。飛び離れる。

 これに対して、《嵐の柩》卿は追撃しなかった。できるはずもない。その場で足を止め、ただ長剣を構え直しただけだ。

「センセイがじゅうぶん近づいたみたいだ」


 そのとおり、俺はすでに足を止めていた。

 《嵐の柩》卿とは、たった四歩分の位置にいる。

「そういうことだな。邪魔するなよ――さて」

 俺は《嵐の柩》卿に最後通告を与えることにした。

「何か言っておくべきことはあるか?」


「理解に苦しむことが、一つ」

 《嵐の柩》卿は、いまだ微笑んだまま俺を見る。

 呼吸は平静だ。落ち着いている。騙されるな、と、俺は思った。魔王は虚勢のエキスパートだ。嘘とハッタリでメシを食っている。

「あなたのやっていることには、まるで一貫した論理性がありません」


「そうかな?」

 俺は剣を正面に構えた。柄を両手で握り、刃を突き出すような格好。《嵐の柩》卿は、まだ微笑みを消さない。

「俺ほどわかりやすいやつはいないよ」

「ご自分でもわかっているでしょう? その場しのぎの職業倫理、無駄な戦い。それほど安価に殺しを請け負っていては、勇者稼業からは足抜けできませんよ」

「カネは大事だな、確かに。あと将来への展望も重要だ」

 タイミングを計る。

 《嵐の柩》卿も、こちらと鏡合わせのように、まっすぐ長剣の切っ先を突き出している。互の鼻先で切っ先が光っていた。


「でも、俺が勇者稼業をやってる理由は、そんなものじゃない。まず、お前みたいなやつが絶望する顔を見たいってこと。次に、お前らに恐怖を与える存在が必要だってこと。第三に、お前らみたいなやつの人生をメチャクチャにしてやりたいってこと。それから、あとは――」


 《嵐の柩》卿の、長剣の切っ先が震えた。

 その攻撃の初動を、これほど早く見切って反応できるのは、やはり俺しかいないだろう。

「お前、イシノオを殺しただろ?」

 《嵐の柩》卿が選択した初手は、刺突。

「あいつは友達だった」

 そして、最後の一手でもあった。


 俺はその刺突に対し、自分のバスタード・ソードを合わせた。

 受け流すように刃を滑らせ、前進する。弾丸の速度となる。《嵐の柩》卿は、ここぞとばかりに押してくる。

 圧倒的な膂力で、俺の剣を押し込んでこようとした。


 相手にしてはいられない。

 エーテル増強された魔王の腕力と、まともに戦うべきじゃない。似たような得物で、なおかつ自分より腕力が上の相手に対して、勝利する近道はひとつ。

 動き続けて、形勢を変化させ続けること。

 刹那以上の時間をかけた鍔迫り合いは厳禁。

 勝機は流動の中にある――まさに。


 俺はただひたすら前へステップしながら、左の掌底で《嵐の柩》卿の長剣を打ち上げた。狙うのは剣の平。

 こんな芸当ができるのも、まず俺みたいなエーテル知覚の持ち主しかいないだろう。例外でマルタ。

 この一打で、《嵐の柩》卿の体勢がわずかに崩れた。

 力の向きを少しずらされると、魔王の腕力といえどもこんなものだ――俺は速度を緩めない。刺突の勢いのまま、魔王の背後へ踏み込み、駆け抜ける。


 《嵐の柩》卿が振り返ろうとする――振り返りざまの一撃――だが、俺はそこにはすでにいない。

 肉体が加速する。

 思考はもっと勢いよく加速している。時間が止まるほどの速度。

「こんな」

 《嵐の柩》卿は何か言おうとしたのかもしれない。

 だが、俺は聞いていなかった。俺の方が圧倒的に速かったからだ。

 《嵐の柩》卿が俺の姿を視認するより早く、また背後へ回り込む。眼球の速度よりも俺の方が速い。


 そして斬撃、立て続けに二度。

 一度目は正確に《嵐の柩》卿の右腕の腱を断ち切り、骨まで削った。

 二度目は大腿部。鋭利な一撃は筋繊維を勢いよく引き裂いて、血飛沫とともに《嵐の柩》卿をその場に倒れ込ませる。

「あ」

 《嵐の柩》卿の短い苦痛の声が、すべて終わったあとに響いた。


 ――《E3》で増強した運動能力を本気で扱うのは、ほとんどの人間は一瞬程度が限界だ。

 弾丸の速度を出すには、物理法則をごまかしながら、自分のバランスやエーテルの出力、肉体の動かし方を調整しなければならない。ある程度の時間を維持しようとすれば、想像を絶する集中力が要求される。

 普通ならば、そうだ。


 時間を果てしなく細かく切り刻み、無限に近い集中の時間を確保できる俺にしても、ほんの数秒程度が限界だった。すごく神経を使うし、下手をすると失敗する。

 確実にいけそうなのは、およそ三秒。

 それだけあれば、近距離戦で俺に勝てるやつはまずいない。

 もっとも、これもあまり広く知られてしまえば、超スピードに対処する方法なんていくらでもあるので、おいそれと使える手ではない。


「終わりだ」

 俺が告げる決着の瞬間は、セーラも印堂も、城ヶ峰も沈黙していた。俺はただ大きく深呼吸した。

 やっぱり俺はこういうのが好きだ。

 あまりにも俺が強すぎるために、言葉もなくなる瞬間。

「どうする、《嵐の柩》?」

 俺はその女を見下ろし、最後通告を続ける。

「いま最も慈悲のある選択肢は、お前を殺してやることだ」


「師匠!」

 城ヶ峰が口を挟んだ。俺は片手を振って黙らせる。

「わかってるよ。断末魔を録音するレコーダーもない」

「そういう問題ではなく、師匠!」

「だから、わかってるって。正義のためだろ」

「ぜんぜんそう思っていませんね。心を読むまでもなく、わかります! 師匠! 勇者とは憎悪を連鎖させるものではなく、彼女を改心させることで世界をより良い方向へ――」

「そうだな。だが、何より、俺はそれほど慈悲深くない」

 適当な相槌と同時に、俺は断言した。


「二つ目の選択肢だ。ただ単に、お前をここに置いていく」

 《嵐の柩》卿の表情は見えない。顔を伏せたままだ。ゆっくりと太腿からの出血が、ドレスを濡らし、床に広がっていく。

「いま、俺の友達が、この館で暴れているわけだ。もうすぐここに来るだろう」

 《ソルト》ジョーならまだ幸運だろう。断末魔をちゃんと録音するために連れて帰るだろうし、それほど遊ぶこともなく命を終わらせてくれる。

 マルタはいい加減だし、倫理観がところどころ欠如しているから、昆虫を捕まえたときのように遊ぶかもしれない。

 エド・サイラスはよくわからない。《神父》は論外だ。


「そこで特別に第三の選択肢をやるよ、《嵐の柩》卿」

 俺には、まだやることがある。

 一連の騒動には、然るべき結末が必要だった。《嵐の柩》卿はドミノの一枚にすぎない。残っていることは、決して多くはないが、しかし気が重いことではある。いまは気晴らしが必要だった。


「十五分だけくれてやる。いまからダッシュでピザとビール買ってこい。それと餃子も忘れるなよ」

 俺は《嵐の柩》卿の背中を蹴飛ばし、可能な限り軽薄に見えるように笑った。

 さぞやムカついただろう――《嵐の柩》卿は顔をこわばらせた。

 死では、あまりにも生ぬるい。

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