第3話
沈黙があった。
ほんの数秒。
城ヶ峰が剣を握りしめたのがわかった。
「知っている」
短い答えがあった。
「私は一度死んだ。恐らく、元の城ヶ峰亜希とはかけ離れた存在かもしれない。そんなことは知っている」
セーラも、印堂雪音ですら、すこし驚いたような顔をした。
そして、《嵐の柩》が眉をひそめるよりも先に、矢継ぎ早に言葉を連ねた。
「私のエーテル知覚をなんだと思っている。私の父が考えることは認識できた。だから、父が私によって救われようとしたように、私も父によって救われることにした。私にとっての父は、偉大で、清廉であり、名誉を重んじ、常に邪悪に立ち向かう。本物の勇者。私がそう決めた」
城ヶ峰の全身が緊張しているのがわかった。震えている。
あの状態から、本気で立ち上がろうとしているのか。どう考えても無理だろう。
「たとえ捏造でも、でっち上げだろうと構わない。そこに何の違いがある? 希望があれば戦える。自分が少しでもマシになれるような希望があれば――そうでしょう、師匠?」
いきなり城ヶ峰に同意を求められて、俺は笑った。
城ヶ峰、こいつは、思ったよりもたいした根性だ。はるかにロクでもない。
強いってのはこういうことか。こいつを精神的に叩きのめすことは、たぶん誰にもできない。
思えば、同じ人物から教えを受けたのだから、考え方が似てしまうのは道理だ。なんてことはない。師匠が俺に教えたことと、城ヶ峰が教わったことは、本質的には同じようなことでしかない。モノは言いようだ。
城ヶ峰の綺麗事も、俺が『最低のクズ以下にだけはなりたくない』と思っていることも、大きな違いはない。
俺だって、やりたいと思った時には、城ヶ峰のほざく綺麗事と大差ないことをしてしまう。
そろそろ自分の中の偽善者を認めてやるべきだ。俺もなかなか良いやつなのかもしれない。なるほど。ただの時間稼ぎにすぎないこの会話にも、意外な収穫があった。
しかし、もういいだろう。
「ゼンマイ仕掛けです、師匠」
城ヶ峰が唐突に告げた。それまでの会話と、あまりにも脈絡がなさすぎて、《嵐の柩》卿は反応が遅れた。
「物体にネジが見えるようです」
このために会話を引き伸ばしていた。心を読める城ヶ峰ならば、《嵐の柩》卿のエーテル知覚を暴くことはできているはずだった。
ただし、城ヶ峰のクソ下手な説明を聞くのは命取り以外の何者でもない。
だから俺は思考のみで問いかけ、城ヶ峰に簡単なイエス・ノーだけで回答を求めた。バスタード・ソードの柄を握ればイエス、緩めればノーだ。
「《嵐の柩》はネジを巻き上げることで、運動エネルギーを付与――いえ、これはあまり正確ではありませんね、むしろ運動エネルギーを引き出す、というべきでしょうか。抽出――」
「だってよ、セーラ!」
もう十分だ。《嵐の柩》卿が忌々しげに顔を歪めるのを眺めながら、俺は怒鳴った。《嵐の柩》卿の視線が、一瞬だけセーラに向けられる。
それだけあれば、俺はジャケットの内側からナイフを引っ張り出すことができた。
「いいな?」
俺は三人の不出来な生徒たち、全員に対して告げた。
「勇者ごっこやろうぜ」
滑らかに、素早く、ナイフを投げ放つ。
《嵐の柩》卿は、もはや憎悪を隠そうとしていない。それを迎え撃つ。散らばった剣が勢いよく浮かび上がった。決着までは何秒もかかるまい。
それから俺の知覚が加速した。
思考が唸りをあげ、渦を巻くような感覚。久しぶりに絶好調だ。俺はすべてを見ることができる。
まず《嵐の柩》卿は、俺の放ったナイフに対処せざるを得なかった。これは容易い。軽々と振るった長剣で弾く。
だがその一手は俺たちにとって、喉から手が出るほど欲しかった一手だ。
ほんの一瞬だけ、セーラが自由になった。
「なめてんじゃねえっ」
セーラ・ペンドラゴンは吠えるような声をあげ、《嵐の柩》卿の右腕に飛びついた。輝くような金色の髪が流れ、セーラは歯を剥き出す。そして、押し殺すような《嵐の柩》卿の悲鳴。長剣を握る《嵐の柩》卿の手に、セーラの犬歯がくい込む。
とはいえ、さすがに《嵐の柩》卿が、それだけで長剣を手放すことはない。
「身の程を――」
罵倒の文句の後半は聞き取れなかったが、《嵐の柩》卿はセーラのみぞおちを蹴り上げた。
セーラは顔をしかめ、反射的に身体を丸めようとする。
それでも《嵐の柩》卿の右腕をはなさない。これに対処するため、《嵐の柩》卿はさらなる打撃を余儀なくされた。
その間に、印堂が変な猿のような絶叫をあげていた。
脇腹に浅く刺さった剣と、太腿のやつを引き抜く。流血。《E3》の治癒能力がどれほど役に立ってくれるか。死の淵ぎりぎりで動くことになる。
そこまでの打算は印堂にはなかっただろう。もともと印堂には自分の健康・安全に関する意識が薄すぎる。
ただ印堂は、自身に向かって再び殺到する無数の剣に向けて、むしろ倒れこむように足を踏み出した――瞬間、その姿が消える。
宙に浮いていた剣は、その途端に標的を見失った蜂の群れのような、曖昧な機動を見せた。俺に襲いかかってくることも、《嵐の柩》卿の手元に戻ることはない。
印堂もよく気づいた。つまり、《嵐の柩》卿が大掛かりなコケ威しを使って演出していたのは、たったこれだけのトリックだ。
《嵐の柩》卿は、城ヶ峰の発言を信じるなら、物体の『ネジを巻く』ことで、その物体を自立的に動作させる。まさにゼンマイ仕掛けであり、本人の操作も必要ない、完全な自立行動。
そこには制約がある。
極めて単純な行動しかできない、ということだ。
おそらくは、ネジを巻くときに予め与えた行動を実行するだけ。標的の変更はできない。あとはゴー・ストップの命令程度ではないだろうか。
空港からのドライブのとき、あの下手クソな粘土の犬どもは、公園で執拗に俺に襲いかかってきた。城ヶ峰やセーラの戦いの邪魔をさせていれば、もっと手早く片付いていただろう。
あの犬どもは俺を見つけたら襲う、それだけのことしかできない連中だった。
いま印堂を狙って攻撃していた剣にしても同じことだ。
フェイントを交えるなり、同時に多方向から攻撃するなりすれば――俺にはあまり有効な戦術ではないとはいえ、もう少し困ったことになっていただろう。それに、攻撃のターゲットを印堂だけでなく、俺にも向けるべきだった。
これらの推測から導き出される仮定は、『《嵐の柩》卿は命令の途中変更ができない』。これだ。
《嵐の柩》卿のエーテル知覚は、物体に完全な自立動作を可能とさせるが、本当にそれだけだ。予め与えられた命令以外は、まったく応用が利かない。城ヶ峰がもっとアホになったような存在だ。要するに俺の敵じゃない。
《嵐の柩》にとって、ただひとり遠慮なく殺害できるのが印堂だけだった。
だから印堂だけを集中して狙う行動が仕込まれていた。標的の姿が見えなくなれば、このとおりだ。
よって、俺は無造作に足を踏み出す。《嵐の柩》卿へ向けて、駅の改札を通過するくらいの、何でもない速度だった。
俺の最高速度を見せてやるのは、まだ早い。
どこまでも平凡なスピードで、ただ足を進める。
勇者の仕事を見せてやる。
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