レッスン7:俺が勇者をやる理由

第1話

 魔王が自分の居城にいる限り、奇襲は滅多に通用するものではない。

 襲撃を察知した場合、魔王は自分のエーテル知覚をもっとも活かせるような場所で迎撃するものだし、常日頃からそうであるように整えている。

 そうでなければ、さっさと逃げるだけだ。


 《ソルト》ジョーと組んで仕事をする場合、このあたりが大雑把で困る。

 初手の爆破で相手の居城を中途半端に破壊してしまうと、ターゲットにした魔王はほとんどの場合、尻尾を巻いて逃げる。良くも悪くも、あいつの能力は強力すぎるのである。

 たまに逃げ出さない魔王もいるが、そういうやつは俺たちを返り討ちにできるほどの自信があるということだ。

 つまり、それほどの強力な魔王を相手にすると、かなり面倒なことになる。

 どうやら《嵐の柩》卿は、その手合いのようだ。


 開け放たれた食堂はバカバカしいほど広い。

 まだ炎も煙も回っていなかった。

 高い天井で黄金色のシャンデリアが黄金と炎の色を放っている。なんたる西洋貴族趣味。だが、うんざりすることに、その手のものはいくらでもあった。

 壁際に並ぶ鋼色の西洋甲冑。真紅のカーテン。鷲の剥製。暖炉。巨大な円卓――その上座に腰掛ける《嵐の柩》本人ですら、貴族趣味を体現しているかのようだった。


「ようこそ」

 と、貴族趣味の化身、《嵐の柩》卿は優雅に挨拶までしてみせた。

「思ったとおりの、迅速な到着でした」

 整ってはいるが、爬虫類のように温度のない微笑み。賞賛しているつもりかもしれないが、立ち上がるつもりはないらしい。

「レヴィとその生徒では相手になりませんね。あなたは《死神》。速やかに死をもたらす。そろそろレヴィにも退場してもらう頃合でした。エーテル依存症。遅かれ早かれ、精神に――」

「食事はないのか?」


 俺は《嵐の柩》卿の言葉をほとんど無視した。

 単に俺の気分の問題だが、主導権を渡したくはなかった。俺の気分。すなわち、激しく深い怒り。

「腹が減ってるんだよ。まずはビールだ。それからピザ。餃子も買ってこい」

 俺は無遠慮に食堂に踏み込む。すでに剣は抜いている。

 片手でぶら下げるように構える。

「お前の茶番に付き合わされたんだ。俺は怒っている」


 片手で、背後の三人に合図する。城ヶ峰とセーラが俺の左右に並び、少しずつ距離を詰めはじめる。実際のところ、《E3》の使い手にとって、この程度の間合いはほぼ一瞬でゼロになる。

 そして印堂は俺の背後についたまま動かない。呼吸の気配すら感じさせない、理想的な待機。

「なんでこんな茶番を考えた? 言えよ。ヤクザどもの親玉になって、何か楽しいことでもあるのか? 死ぬまでこんな貴族ごっこの遊びを続けたいのか?」


「秩序」

 《嵐の柩》卿は、もったいぶってその一言だけを返した。

「せめて自分の管理する庭だけは、綺麗にしておきたい。それだけです。わかりますか? 貴族ごっこも楽しいものですよ。勇者ごっこも楽しいでしょう?」


「遊びではない!」

 真っ先に、城ヶ峰が反応した。ひどく憤慨した様子で、バスタード・ソードの切っ先を《嵐の柩》卿に向ける。

「私利私欲のために、無辜の民を苦しめる魔王め。貴様が起こした騒動を償え」


「――ね? 勇者ごっこ、楽しそうですね」

 《嵐の柩》卿は城ヶ峰ではなく、俺を見つめてまた笑った。

 俺は城ヶ峰が黙ってくれることを願ったが、叶うはずがない。むしろさらに語気を強めている。

「私は真剣だ。一片の戯れもない」

「ですが、私を殺しても、この騒動は収まりませんよ」

 うるさそうに、《嵐の柩》卿は片手を振る仕草をした。

「むしろ私に協力するのが、世のためというものではありませんか? 勇者ごっこをしたいのなら、せめてそれらしくしなさい。あまりにも浅はか――自分の行いがどんな結果を生むのか、少しは考えたことがありますか?」


「浅はかなのは貴様だ」

 それでも城ヶ峰は、まったく怯む気配がない。

「そういった理由で一度でも不正を許せば、必ずや後に続く者が現れる! 誤魔化さずに、貴様は貴様の罪を償え。そうですよね、師匠!」

 俺は恥ずかしかったのでなにも答えなかった。《嵐の柩》卿は微笑んだまま、反論の必要性すら感じていない。

 少しの沈黙。緊張が徐々に張り詰めていく。


 セーラがそれに耐えかねたように、《嵐の柩》卿に対して声をあげた。

「あのさ――亜希に対して、そういうちゃんとした理屈、ぜんぜん意味ないぜ」

 よほど緊張しているらしい。声が少し震えていた。

「もっとマシなやり方があるって、何度言っても聞かないんだよ。な――センセイ」

「かもな」

 仕方なく、俺は軽くうなずいてやる。セーラも少しは勉強しているらしい。

 このようにくだらない、戦闘にはまったく関係ないことをしゃべることで、緊張を緩和する。開戦の瞬間をコントロールする。そういう意味がある。

「セーラはその調子で喋りまくれ。思いついたことを片っ端からでいい」


「また」

 城ヶ峰は露骨に不愉快そうな顔をする。俺を振り返るな、と言いたい。

 喋りまくるのはいいが、相手から視線を切るべきではない。

「師匠、セーラに対して甘すぎませんか」


「同感」

 背後から印堂の呟きが聞こえた。どこか鬱屈とした響きがあった。

「教官は、セーラを甘やかしすぎ」

「よく言った、雪音。たしかにダメな子ほど可愛いという諺もありますが、師匠、私は優等生でも十分に可愛いはずです」

「アキは思い上がり甚だしい」


「いいぞ」

 俺はこの二人の馬鹿げた会話を褒めた。《嵐の柩》卿が鼻で笑ったからだ。まずは、少しでも揺さぶっておく。

「城ヶ峰も、印堂もわかってきたな。このレベルのくだらないことでいいんだよ。ほら、もっと続けてみろよ、セーラ」

「――私の父親はアーサー王だ」

 セーラは喋りながら、徐々に距離を詰めていく。刀は鞘に収まったまま。居合の一撃を、間合いぎりぎりから試すつもりらしい。

「だから、そう、私に手を出すとオヤジが黙ってない」


「これは、なかなか」

 《嵐の柩》卿は、ついに声をあげて笑った。

「ヤシロ様、うまく教えていますね。彼女は自分の最大の強みが何か、わかっているようです」

「だろ」

 俺は肩をすくめてやった。

 セーラは複雑そうな顔をしたが、紛れもなくそれは彼女の進歩だった。自分の境遇を受け入れて、長所短所を使えるようになる。

 蟻の一歩のようなチンケな進歩だが、まずはそれができなければ話にならない。


「やはり、あなたが欲しくなってきました」

 《嵐の柩》卿が、俺を正面から見る。

 やはりその表情は、どこか爬虫類に似ている。

「ちょうどレヴィが欠けたところです。あなたなら、その穴を埋める以上の働きをしてくれるでしょう? 本物の、私の騎士として」

「レヴィか。あいつが《嵐の衛士》だったのか?」

 噂には聞いていた。《嵐の柩》卿が抱える、精鋭中の精鋭。てっきり、俺はこの部屋にこそ配置していると思っていた。

 が、《嵐の柩》卿はあっさりと首を振った。

「あれはただの飼い犬です。あなたとは違う。私が真に伝えたい意味を理解していただけますか? 私は本当にあなたを高く評価していますよ、《死神》ヤシロ様。いまとは比べ物にならない暮らしを提供できるはずです」

「お前、実は頭悪いな?」


 まったくのナンセンスだ、と俺は思った。

 この《嵐の柩》卿の下で働くということは、定期収入の代わりに、永遠に最低のクズの世界から抜け出せないということだ。

 暴力を商売にして、殺し合いを強制させられる。その生活は、いまの境遇となにも変わらない。


 それどころか、もっと悪い。

 紙一重の差ではあるが、現状の方がまだマシだ。

 大金を稼いで足を洗う夢も持てるし、気に食わないやつから命令を受ける心配もない。誰にも文句を言われずに、夕方まで寝ていられる。そしてエドの店に行けば、ピザとビールとカード・ゲームで遊ぶことができた。

 つまるところ《嵐の柩》卿の勧誘文句は、まったくの的外れであり、なんら魅力的な要素のない白けたメッセージに過ぎない。

 そして何より、


「俺は偉大なるキング・ロブ以外の人間を、王として認めない。あの人の護衛なら喜んで志願するけどな。お前の手下なんて死んでも嫌だね」

「そう」

 ささやき、首をかしげた《嵐の柩》卿の表情は、まったく変化したようには見えなかった。青白い顔で微笑んだまま、指先でテーブルを叩いた。

 それが開戦の合図になった。


「では、死ぬまで追い詰められたら、いかがでしょうか?」

 世間話でもするような口調。

 だが、すべてがその瞬間に動き始めた。

 壁際に並んでいた西洋甲冑が、滑らかな動作で一斉に腕を振り上げた。その手には剣が握られている。

「ご紹介します。我が《嵐の衛士》たちを」

 そっちがそう来たか。このくらいのことは、部屋に入ってから予想していた。どういう原理か知らないが、やはり《嵐の柩》卿は物体を、なんらかの方法で動かせるようだ。

 俺は瞬間的に西洋甲冑の数を数えた。あわせて十二。


「センセイ!」

 真っ先に動いたのは、セーラだった。脅威を感知するエーテル知覚で、その攻撃の発生を感知したのかもしれない。

「思ったとおりだ。やばいって、この部屋」

 このとき、セーラは攻撃ではなく防御を選んだ。

 西洋甲冑どもが、振り上げた剣を一斉に投げ放ってくる。すこし数が多い。

 セーラの居合は、その一本を叩き落とし、返す刀で二本目を打ち払った。三本目からは、床に転がって逃れるしかない。城ヶ峰はもっと無様で、何本かの剣に浅傷を負った挙句、ほとんど倒れこむようにして身をかわした。

 だが、それだけでしかない。


「教官、だいたい予想通り」

 印堂が空間を跳んだ。

 俺の左側面を補うように、片手剣を滑らせ、飛来する剣を弾く。わずか十二。驚きはしたが、こんなものはたいした障害でもない。

 印堂は猟犬のように感情のない瞳で、地を這うような構えをとっていた。

「防御は任せて。フォローする」

「そうか」

 短く答える。フォローするとは大きく出たものだ。こいつもまた、少しは進歩しているということか。


 俺も剣を下段に構え、《嵐の柩》卿との距離を一気に縮めようとした。

 相手はいまだ薄い笑いを浮かべ、椅子からようやく立ち上がろうとしているところだ。まずは距離を詰める。《嵐の柩》がどんなエーテル知覚を持っているにせよ、近距離こそが俺の間合いだ。

 近づけば、絶対に勝てる。


 その瞬間に、印堂が足をもつれさせた。

 その体が大きく傾いている。

「う、ん」

 印堂がかすかに呻く。

 左の太腿に、剣が突き刺さっていた。


 ――防御し損ねた? 印堂が?

 違う。

 俺は床に撃ち落とされた剣を見た。

 震えながら、再び浮き上がろうとしている。二段構えのトリックだった。部屋に入った時からわかるような、バレバレの初撃を防がせて、本命がこれか。《嵐の柩》卿が動かせるのは西洋甲冑だけではなくて、剣それ自体――単純すぎる。

 俺は自分に腹が立った。

 そして、それ以上に《嵐の柩》卿に対する殺意も沸いた。


「つまり、これが」

 《嵐の柩》卿は、むしろ悠然と動いた。

「我が精鋭たる《嵐の衛士》です。よくご覧になってください」

 ただの剣が、それかよ。偉そうに言いやがって。

 しかし実際、精鋭ではある。こいつらは痛がることもしなければ、怯むこともない。ブラフも交渉も通じない。勇者を殺すためだけなら、あるいは護衛としては、そこそこ役に立つと言えるだろう。


 脚を刃に貫かれた印堂が、ゆっくりと床に倒れる。その脇腹にもう一本――印堂は身をよじり、片手剣で弾こうとしたが、急所は外せたかどうか。

 それ以外の剣も、印堂に殺到していく。

「くそっ」

 セーラが口汚く罵る声。日本刀を振り上げる――その眼前に、《嵐の柩》卿が間合いを詰めている。やつが腰の剣帯から引き抜いたのは、両手用の長剣。両刃。それを、片手で軽々と振り上げる。

 さすが東京西部において、最強の魔王の一角というのは伊達じゃない。


 こういうとき、形勢は一瞬で決まる。

 《嵐の柩》卿の長剣は、生き物のようにしなやかに伸びた。セーラは初撃を捌こうとして、そのまま押し込まれた。

 刃が吸い付くように止まり、鍔迫り合いとなる。《嵐の柩》は微笑んだ。

「さすが、アーサー王のご息女ですね。この膂力。でも――」

 鍔迫り合いは一瞬で終わった。

「私もなかなか強いでしょう?」

 一気にセーラの体勢が崩れた。《嵐の柩》によって、強く押されただけだ。それはどうにもならない膂力の差を意味している。


 よろめいたセーラの右腕、肩の付け根を、《嵐の柩》刃が抉る。痛みに耐えるかのように、セーラは唇を噛んだ。攻撃に移れないまま、一瞬の間にこれだ。技量でも、腕力でも圧倒されている。

 あるいはそれは、精神的な差であるのかもしれなかった。


「あなたの弱みはこれですよ。ヤシロ様」

 《嵐の柩》卿は歌うように言った。それから身を翻し、柄で一撃。これも痛烈だ。刃の動きだけを追っていたセーラは、かわしきれず床に叩きつけられる。

「人質。実に効果的です。すぐにあなたは私に忠誠を誓いたくなりますよ」


 なるほど。

 印堂はすでに床に倒れこみ、動かない。いくらかの血液が傷口から溢れている――剣は、明らかに彼女を狙っていた。

 そいつらを忙しなく叩き落としながら、俺は考える。考えることしかできない。打ち払っても剣は次から次へと飛んでくる。この状態では、考えることだけが俺の取り得る選択肢だった。

 しかし考えるまでもなく、決まっていることも一つだけある。

 あの女には、死よりも激しい地獄を見せてやらねばならない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る