第7話

 血を拭って、剣を納める。

「だいたい理解できたか?」

 何度も繰り返した動作だ。いまでは、ほとんど無意識にできる。


「コツは、相手を一時的にでも優勢にしてやることだ。手強い相手は、そのままだと面倒くさい。お前らも、自分に向いてる戦い方がわかっただろ?」

「はい、師匠!」

 城ヶ峰が、ふらつく足取りで起き上がっていた。

 どう見ても疲労困憊。足元ではトモエとかいう女がぐったりと伸びているが、マウントを取りながらでも反撃を何発か食らったのだろう。ボコボコだった城ヶ峰の顔はさらに腫れ、鼻血が出ている。

 それでもこいつは、どんな精神構造をしているのか、拳を固めてガッツポーズをしてみせた。


「勝ちました! しかし、その、心なしか地面が揺れているような」

 喋りながら、よろめいて倒れかける。その寸前で、セーラが背中をたたくように支えた。ひどく疲れたような顔。

「揺れてんのは亜希のアタマだよ。しっかりしろ。心配させんな――ってかセンセイ、もっとちゃんと教えてくれよ」

 そう言うセーラ自身も、かなり息があがっていた。

 わずか数秒の打ち合いだったが、《E3》を使って命のやり取りをすれば、普通はそうなる。まったく呼吸を乱していない印堂の方がおかしいのだ。

 印堂はただ無言で、床に転がるレヴィを見つめている。


「つまり、あれだろ」

 セーラはどうにか城ヶ峰を立たせると、何度か咳き込んで、俺を見上げた。

「油断させろ、っていうことだろ? そういうこと先に言ってくれれば」

「うるせえな。実戦で覚えるのが一番早いし、スリルがあって楽しめるだろ」

「ちっとも楽しくねえよ!」

「馬鹿め、俺も師匠からそう言われたんだよ。この手の訓練で百回くらい死ぬかと思ったし。次はお前らが苦しむ番だ」

「センセイ、あんた、ほんと性格悪いな」

「ま、それは今度、そのうちな。いまは――」


 俺はレヴィに近づいた。

 彼女は左腕を押さえ、止血を試みながら俺を見ていた。睨むのではない。そこには痛みと、恐怖に近い『警戒』があった。

 終わりだ。

 もはや格付けは済んだことが、こいつにもわかっているだろう。もう逆立ちしても俺には勝てない。


「理解できたか?」

 俺は片手を柄にかけたまま、レヴィを見下ろす。

「この程度のやつらですら、お前の生徒に勝てる――なあ、レヴィ? これでどっちが指導者としても優秀かわかっちまったな」

 なにも答えはない。

 ただ、失われた左手首を強く握り直しただけだ。


「お前はザコだから、どうせたいしたことは知らないだろう。が、いちおう聞いてやる。お前や《嵐の柩》卿は、《半分のドラゴン》とはどう関わってる?」

 答えはない。

 俺はさらに一歩近づいて、質問を重ねる。

「お前も一員だ。しらばっくれるなよ。俺は《半分のドラゴン》に対して一切の容赦をしないことにしている。黙秘を続けるつもりなら、もっと楽しく――」


「魔王どもの世界にも、秩序は必要だ」

 さすが勇者くずれ。プライドなどない。

 レヴィは額に脂汗をにじませて、しわがれた声を絞り出したようだった。こういう場面で意地を張っても、一円の得にもならないことをわかっている。

「魔王も――商売だからだ。魔王の間の抗争を効率的に処理、する――ための協定。《ハーフ・ドラゴン》。力ある魔王による――」


「御託を並べて時間稼ぎしても、いまさらお前の飼い主は助けに来ない」

 俺は積極的にレヴィの精神を攻撃した。

 今度はお前が苦しめ。

「軽快に答えて、さっさとその傷を止血した方が健康のためだと思うね。いいか、半分のドラゴンだ。そいつらがなんで《E4》を開発したり、こんな茶番みたいな騒動を企画したんだ?」


「やつらも色々と、必死にやっているのさ」

 痛みと失血のせいか、レヴィの回答は徐々に簡潔な、しかし曖昧なものになっていく。

「つまり、不老不死に近づくこと。肉体の再生。馬鹿げているが、しかし――それが自分たちの支配を強固にすると考えている。《E3》の改良には期待がかけられて――しかし、適応者は少なく――」


「――それ。あの《ネフィリム》も?」

 どこか尖った声で、印堂が口を挟んだ。横顔からは、感情らしきものは窺えない。

「このドリットも。巨人たち。こいつら、あなたたちが?」

「ドリットは、そう――失敗作の中では、上出来の部類だな」

 レヴィは無理に笑おうとした。頬が引きつっただけだ。ただ咳き込む。

「その目。怒っているのか? 私を殺したいのか?」

「別に。私は」


「そうだ。怒っている!」

 なんの脈絡もなく、印堂の回答に、城ヶ峰が割り込んだ。

 印堂は迷惑そうな目で城ヶ峰を見た。しかし、そこに決して嫌悪感の色はなかった。俺はとても奇妙に思った。こいつらの関係性も、相当に訳がわからない。

「貴様らの行いが、どれだけ無辜の市民を危険にさらしているか! それがわからないのか?」

 城ヶ峰はおおげさにわめいて、胸のあたりを握り締めるような仕草をした。

「その暴挙、許すわけにはいかない。罪を償わせ、改心させてやる!」


「お前が?」

 今度こそ、レヴィは笑った。今度は咳き込まなかった。しわがれた喉が痙攣しているような、乾いた笑い方だった。

「あまり笑わせるな。ただの木偶人形の分際で」

「なんだと?」

 城ヶ峰が意表をつかれたような顔をした。


「ふ」

 レヴィは床で身をよじり、笑顔を深めた。せめて最後に一矢報いてやろうという笑顔だった。

「お前は、所詮――」

 レヴィは喋りながら、もう一度身をよじった。

 彼女の無事な右手が、いつの間にか背中側に回っていたことに、俺は気づいていた。小ぶりな銀色の刃が滑り出る。


 ぐぐ、と、レヴィのかすれた呼気が吐き出された。

 その手にあるのはククリナイフ、と呼ばれる種類の刃物で、湾曲した刀身が切断性能を高める。接近戦に向く。

 レヴィは床を蹴り、城ヶ峰に一撃を加えようとした。セーラと印堂が十分の一秒ほど遅れて動いた。遅すぎる。

 俺は反応しなかった。

 できなかった、のではない。俺にその手の奇襲は通じないし、このときについては完全に無意味だった。


 銃声が一度だけ。

 俺の目にはしっかりと弾丸が見えた。それは一歩目を踏み出しかけたレヴィの右太腿を貫通し、完全にバランスを失わせていた。

 意外なほど綺麗に回転しながら、床に倒れこむ。

 彼女は今度こそ笑顔を消した。細く長い悲鳴が響く。


「――よお」

 やけにイラつく声が降ってきて、俺は顔をあげる。

 猟銃を抱えた薄らハゲが、吹き抜けの二階部分からこちらを覗き込んでいた。

 傍らにはどこか不安そうな《もぐり》のマルタと、それからついでに満面の笑みを浮かべる、血まみれの《神父》の野郎。

 どいつもこいつも、今夜は相当に仕事をこなしてきてやがるらしい。


「危ないところだったな、おい、ヤシロ? 感謝していいぜ!」

 名前はちょっと忘れてしまったが、とにかく猟銃を抱えた頭の悪そうな薄らハゲが怒鳴った。図々しいやつだ。

 俺は中指を立てた。

「気安く名前を呼ぶな。馴れ馴れしいんだよ」

「ひでえなあ」

 薄らハゲは笑った。

「今日はいい夜だ。あんたももっと楽しめよ、俺らは友達だろ? 思った以上に愛想が悪いんだな、《死神》ってのは」

「お前と友達になった覚えはねえよ」


「おおい、ヤシロ! 少しは仲良くしてくれよ! 困っちまう」

 マルタが本当に困りきったような顔で手を振った。マルタは確かにいいやつではあるし、『友情』の意味もそれなりに知っている。

 だが、一般常識と法律知識がないために、その行動は致命的に反社会的である。なんでも、山奥の里で剣術一筋に育てられたため、本当にろくな現代知識を持っていないのだという。

「俺たちゃ、ヤシロ、あんたが捕まったって聞いてすっ飛んできたんだよ。飛行機の運転手さんもひとり殺しちまったし、そりゃもう大冒険だったんだぜ。でも仲間のためだろ、どうにかこうにか」


「まったくですよ、ヤシロさん」

 《神父》はその傍らで、微笑みながら何度もうなずいた。

「汝の隣人を愛せ。素晴らしい言葉ですねえ。どうかマルタさんを許してあげてください。友のためを思うゆえの行動、つまり愛なのです」

 この男は、今夜のバカ騒ぎがよほど楽しくて仕方がないらしい。

 こいつについては――語るだけ無駄だ。クズ以下のクソ野郎未満の、ただのバケモノである。人殺しをなんとも思っていないどころか、楽しんでいやがる。


 俺はこいつらを好きではない。

 むしろ嫌いだ。

 こいつらの倫理観の欠如と、未来の無さにはうんざりする。友達でさえなければ、関わっていない。


「あのさあ」

 セーラがいつの間にか俺に近づいてきていた。自分の頭を指差して、小声でささやく。目が真剣だ。

「あの人ら、絶対にココがイカれてるだろ。ネジが飛んでるっていうか――あれ、マジで言ってんの?」


「師匠、私はあのような輩と関わらない方がいいと思います」

 城ヶ峰もいつになく気分が悪そうに、俺の腕を掴んだ。

「あの方々のレベルまで師匠の精神が腐ったら、もう本格的に終わりです」


「うん」

 印堂はすこし背伸びをして、失礼にも俺の肩に手を乗せた。

「やっぱり教官には、私がついていないと。ちゃんと見張っておく必要がある」


 俺は愕然とするあまり、反論を忘れた。

 まさかこいつは、精神的には俺の指導者か保護者のつもりでいるのではないか。なぜそう思えるのか。思い上がりにも程がある。


「あっ。雪音、それってすごいダメ男に引っかかるタイプの台詞っぽいな」

「事実、その通りではないだろうか? 境遇としては非常に近い」

「言えてる。そのへんのボーダーぎりぎりだもんな」

「むしろ師匠の場合、普段の言動だけ見れば八割方アウトだと考えている」

 セーラと城ヶ峰は余計に失礼なことを言った。なので俺はこいつらを無視することにする。それどころでは無くなりつつあった。


 俺は頭上のマルタたちを見上げていた。そこで気づくことがある。

「なあ、これから、魔王を狩りに行くんだろう」

 手すりから身を乗り出し、マルタが日本刀の柄頭を叩いてみせた。

「競争しようぜ、ヤシロ。な。どっちが先にあの《嵐の柩》卿を殺すか」


「いいな」

 俺は肯定した。

「賭けるか? どうだ、マルタ?」

「そうこなくちゃ。俺はビールでいい!」

「成立だな。じゃあ、ハンデとして教えてやる」

 俺はマルタたちの背後を指さした。

「危ないぜ」


「え、あっ、うおわ!」

 さすがに、マルタは身軽に飛び退いた。薄らハゲ野郎ですら、間抜けに転がってかわした。《神父》にいたっては、イカれた猿みたいな鳴き声をあげて、笑いながら反撃を入れやがった。

 飛び退いたマルタを、どす黒く膨れ上がった巨腕がかすめた。《ネフィリム》。レヴィたちが何の役にも立たずに負けた以上は、こいつらを投入するのはもはや必然であった。

 それほど手強い相手はないが、とりあえず《E3》の使用時間を消耗させることはできる。


「なんだよこいつ!」

 マルタが文句を言いながら刀を抜く頃には、《神父》が始末をつけている。

 恐ろしく邪悪な、いっそ呪術的ですらある形状のナイフが、《神父》の手中で閃いた。腕と足、それから首を瞬時に切り落とす。相変わらず殺人に関しては、病的な腕前だ。


 しかし、続々と新手が続いていた。

 マルタたちの背後の通路から、《ネフィリム》どもが殺到してくる。それでも《神父》は、まったく穏やかに微笑んだ。

 おそらく、心の底から殺戮が好きなのだ。

「これは迷える子羊がたくさんですねえ。たっぷりと愛を教えて差し上げないと」

「言ってる場合かよ、おいっ、ヤシロ! こいつはひどいよ!」

 マルタが泣き言を口にするが、聞くに値しない。己の状況も確認せずに賭けをするから愚かなのだ。

 俺はさっさと走り出すことにした。


「行くぞ」

「えっ」

 セーラが俺とマルタたちを見比べた。

「いいのかよ!」

「セーラ。問題ない」

 城ヶ峰がわかったような顔で首を振った。続いてくる。

「彼らはまったく同情にも心配にも値しない。おそらく、なんとかする。師匠の友人なのだから」


 一方で、印堂は無言のまま、俺の一歩後ろからぴたりと続く。こいつ、本当に俺の精神的な保護者か何かのつもりなのかもしれない。走り抜ける瞬間、束の間だけ、床にうずくまるレヴィと目があった。


 俺はできる限りの悔しさを与えるべく、あえて憐れむように笑いかけた。

「かわいそうに」

 それが一番効果的だとわかっていた。こいつはプライドが高い。

「俺の慈悲で見逃してやる。改心しろよ」

 レヴィが本格的に殺意のみなぎる目で俺を見た。それでいい。レヴィみたいなやつにとって、これこそが最高の屈辱だろう。ようやく借りをひとつ返せた。

 あとは、《嵐の柩》卿だけだ。

 俺は速やかに殺意が尖っていくのを感じている。

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