第6話

 城ヶ峰とトモエとの剣戟は、おおよそ泥仕合の様相を呈していた。


 理由は明確にわかる。

 お互いの得物、性格、戦い方の特色によるものだ。

 槍を相手にした場合、手っ取り早い対処方法が一つある。槍の穂先を回避し、柄を掴むことだ。もちろん槍の使い手もそのことは把握しているし、だからこそ不用意な刺突や、無謀な踏み込みからの強打はしない。


「あれ」

 ショートステップから槍を繰り出し、トモエが小声で呟くのがわかった。

「こいつ」

 槍の穂先は銀色の軌跡を描き、城ヶ峰に届く前に打ち払われる。トモエは追撃を誘うように、槍を戻しながら半歩分だけ後退。

「なんか、ちょっと強い?」


「当然だ!」

 城ヶ峰は前進も後退もしない。ただ大声で、偉そうに怒鳴った。

「私こそは師匠の一番弟子、城ヶ峰亜希だからだ」

「うわ、面倒くさい」

 トモエは顔をしかめた。

 ここまでのところ彼女の槍はまさに基本に忠実な、小刻みな刺突を主体としている。左足を前に出す半身の構え。

 相手の隙をうかがい、あるいは隙を作るための、牽制のような刺突が多い。


 そして、そのような状況下でひたすら守勢に回らせれば、とにかく不毛なほど粘るのが城ヶ峰というやつだ。

 もともと城ヶ峰はそういう戦い方だけをしてきた。極端なカウンター狙い。北海道では《明星の帳》卿を相手にして、十合以上粘った。あの公園でもトモエの刺突を、余計な真似をするまでは捌くことができていた。

 防御だけに集中すれば、城ヶ峰は偏執的といっていいほどの粘りを見せる。

 こいつを崩すにはどうするか。セーラがやってみせたように、城ヶ峰からの攻撃を誘い出すのも手ではある。しかし、それも上手くはいかない。


「ふ」

 と、トモエが軽く息を詰めた瞬間に、大きく踏み込んだ。

 床を滑るような足運びだった。立ち込める黒煙をかいくぐる、低い軌道。槍の穂先が弧を描く。穂先から柄までを武器とする、なぎ払いを目的とした一撃だった。


 城ヶ峰は同様に体を低く沈め、トモエの一打を刃で受ける。

 というより、大きく槍を弾いた。トモエの槍の柄が大きくしなり、接近の隙ができた――ように見える。

 それでも城ヶ峰は、間合いを詰めようとはしない。ほんのわずか、互いの距離を保つように後退しただけだ。


 実際、これは悪くない対応ではある。

 槍を弾かせたのは、ただの誘いだ。トモエはあえて隙を作る。先程から、何度もそういう素振りを見せている。

 それでも城ヶ峰は踏み込んで、攻撃に移ろうとしない。

 トモエからすれば、よほど手堅い相手に見えているだろう。駆け引きに決して乗ってこようとしない。それは城ヶ峰が、相手に致命傷を負わせるのを頑なに拒んでいるせいである。

 ただそれだけだ。

 おおよそ勇者とは思えない考え方であり、とんでもない狂気だが、そのせいでトモエも攻めあぐねている。互いの戦闘ロジックの齟齬が生み出す、一時的な拮抗状態。

 この状態を崩すとすれば、俺ならば――


「思ったより、やるね」

 トモエは構えを低く保ったまま声をかけた。城ヶ峰は表情をまったく動かさず、真面目くさった顔でうなずく。

「何度も言わせるな」

 城ヶ峰は両手でバスタード・ソードの柄を握り直す。

「志ある優秀な指導者に、素直で可憐な生徒。これに優るものはない! 我々の師は、お前たちとは比べ物に――」

「あ、そう」


 口上の途中で、トモエが動く。

 トモエの槍の穂先が伸びた。

 足元をすくうような刺突。片手での深い踏み込み。

 城ヶ峰は瞬時に応じた。もともと、心を読める城ヶ峰に対し、こうした意表をつく奇襲は効果が薄い。そんなことはトモエもよくわかっているだろうし、この一撃の狙いはそこではない。

 確かに、城ヶ峰はバスタード・ソードで刺突を払い除けた。


 弾かれた勢いに逆らわず、トモエは槍を反転させる。槍はこれが怖い。手元のわずかな動きで、得物の両端が攻撃部位となる。今度は穂先でなく石突きの側が、殴りつけるように城ヶ峰の脇腹を打った。

 そして城ヶ峰は、そのような攻撃を受けた側として、典型的な反射行動をとった。

 すなわち、脇腹を打った柄を抑えるように、抱え込んでしまったということだ。


 これがいかにもまずい。

 いくら相手の心を読むことができても、自分の反射行動を抑えられるかどうかは別の問題だ。俺のように十分な思考時間があるか、反射行動を抑制する訓練を積んでいなければ、普通はそうなる。


「やっぱり」

 トモエの右手が背中に回り、腰の剣帯から何かを引き抜いた。

「笑える」

 刃渡りは四十センチ少々。刃物の部類としては、ダガーと呼ばれている。

 トモエがさらに踏み込んで、城ヶ峰の頭上から斬り下ろす。こうなると城ヶ峰は、今度はバスタード・ソードで防ぐしかない。心を読めていても意味はなく、両手が塞がる。

 一瞬の鍔迫り合いとなる――ただし、明らかに『上からの力を支える側』の城ヶ峰が不利だ。

 使い手の性格の悪さがうかがえる戦い方だった。


「馬鹿か?」

 俺は野次を飛ばした。

「知ってるだろ、それは」

 その瞬間、トモエが低く身を沈めたと思うと、城ヶ峰の体が後方に吹っ飛んだ。

 語るに落ちた、というやつだ。

 二度も同じ手に引っかかるとは。元はといえば、俺が最初に見せてやった。相手の両手を塞いでおいて、思い切り蹴飛ばす。まったく学習の成果が見られない。俺は思い切り城ヶ峰を罵倒してやることにした。


「おい、それだけか?」

 床に転がる城ヶ峰を、トモエが追い打つ。

「少しは努力しろよ。技術もセンスもないやつが、使えるものといえば」

 トモエの槍が城ヶ峰の腹部を狙っていた。穂先が銀色に輝き、まっすぐな軌跡を描いた。


 刺突。城ヶ峰はわずかに身体を捻る。芋虫がもがいたようなものだ。

 その脇腹を、槍の穂先が深く抉った。一瞬でも遅れれば、ヘソに穴が空いていただろう。城ヶ峰の顔が歪み、喉の奥から奇妙に甲高く、かすれた声が漏れる。

 それでもまだ終わりじゃない。

 トモエの左手が、ダガーを逆手に握っていた。胸を目掛けて振り下ろす。


「――まあ、それだよな」

 俺はうなずいた。

 城ヶ峰が『やめろ』とでも言うように右手の平を突き出す。その手はバスタード・ソードすら握っていない。トモエのダガーは、その中心を容易く貫く。

 だが、それだけだ。トモエがまた少し顔をしかめた。


 結局のところ、城ヶ峰みたいな阿呆にはこれしかない。

 なにも持っていないやつができるのは、身体を張ることだけだ。

 俺が城ヶ峰に対して、まったく技術的なことを指導しないのは、あまり意味がないからでもある。俺と城ヶ峰では戦い方が根本的に違う。城ヶ峰は相手を殺すところにゴールを設けていない。

 で、ある以上は、相応の代償を支払う必要がある。


 普通は、こんな危険なダメージを受けてまで戦う勇者はいないし、こんな状態から反撃するやつもいない。

 もしも俺なら、ああなってしまえば猫だましでも入れて逃げるだろう。いかに自らを安全な地点におきながら、相手を追い詰めるか。それが勇者の戦術の原則だ。

 城ヶ峰にはそれが通じない。


 ここのところを勘違いしている素人は多いが、もう一度言っておくべきだろう。

 本来、勇者は金のために戦う。城ヶ峰のようなリスクを負ってまで戦う相手は存在しないし、そんな目にあわないように殺す。城ヶ峰の戦い方は、勇者として常軌を逸している。

 トモエはその辺を誤解した。

 あとは、常日頃からどれだけ強い相手との戦いを経験しているかがモノを言う。


「うっそ」

 トモエは慌てて後退しようとするが、槍の柄は城ヶ峰によって抱え込まれている。ダガーを引き抜くこともできない。


「お前よりも」

 城ヶ峰は喉からかすれた声を絞り出した。

「師匠の方が、よほど性格が悪い! なので、強い!」

 失礼なやつだが、後半だけは合っている。

「あと、私の方がかわいい」

 さすが狂人。

 ボコボコに腫れた顔と、この状態で言うべきことじゃない。


 今度はトモエのみぞおちを城ヶ峰が蹴飛ばした。

 脇腹を抉られ、手のひらを突き刺されて、それでも痛みを無視したようにここまで動けるのはどういう原理だろうか? 単なる覚悟でできる芸当とは思えない。

 俺はてっきり、トモエの武装を奪うまでに、片腕くらいは完全に破壊されると思っていた。予想以上の健闘だった。

 その瞬間からの城ヶ峰は、まさに一匹の動物のようになった。床に転がったトモエに飛びかかり、マウントポジションを奪い、まだ無事な左拳を顔面に落とす。


 ――あとは、まさしく泥仕合。

 ダメージ自体は、明らかに城ヶ峰の方が深手である。

「この前の実技試験みたいだな」

 セーラが低く呟き、印堂が無言でうなずく。


「だと思ったよ」

 俺は笑って、その直後に加速した。


 最大速度。

 床を蹴って、バスタード・ソードを抜き、一瞬で距離を詰める。

 セーラも印堂も反応し損ねた。

 すべてはその瞬間に終わったからだ。正面にレヴィがいる。あちらもすでに曲刀を抜いていた。頭上からまっすぐ、斬り下ろす形。こちらは下段、足元から斬り上げる形だ。


 レヴィがわずかに微笑んだ。

 『斬り下ろし』と『斬り上げ』では、明らかに前者の方が有利ではある。

 人間の体の仕組み上、肩に腕がくっついていることから、上からの斬撃が先に相手へ届く。これはもう物理構造の話で、どうしようもない。位置エネルギーの話においても、上からの攻撃の方が強い。


 ――だが、俺にはそれを逆手にとる技もある。

 俺は踏み込むと見せて、全力でブレーキをかけた。

 それを見切る時間は、たっぷりとあった。左足の膝が軋むほどの急停止。少し痛む。そうして、片手でバスタード・ソードを振り上げる。

 一瞬だけレヴィが不思議そうな顔をした。

 レヴィの曲刀は両手持ちであり、片手で受けようとすれば、ただその一撃で押し込まれるだろう。鍔迫り合いで以前に見せた《寄せ》の技や、その他の技を使う余地もなくなる。


 それでも俺には片手でグリップする意味があった。

 人体の仕組み上、と言ったが、上から相手の頭をカチ割るよりも先に届かせることのできる部位がある。互いに剣を構えて対峙した場合、必然的なことだ。

 それは互いにとって、切っ先が届くか届かないか、そのくらいのギリギリの間合いで生まれる。


 その部位――つまり、剣を振り下ろしてくる相手の手首。

 多くの斬撃の場合、刃は常に手首より後にやってくる。

 俺は限界直前の間合いで急停止をかけたが、加速の勢いには逆らわない。体を伸ばして、剣の切っ先を突き出す。

 ほとんど刺突に近い。


「遅い」

 バスタード・ソードの切っ先は、まったく正確にレヴィの左手首を貫き、切り飛ばした。これができるやつはそう多くない。

 だが、万全の状態にある俺が、この条件で打ち合えば当然の結果だ。

 さすが、俺。


「二流ばっかり相手にしてると、そうなる。鈍りすぎだな」

 レヴィは甲高い声をあげて、その場に崩れ落ちた。

 これだ。

 やっぱり人間ってのは、これくらい痛がってもらわないと。人間らしさとはこういうものだ。俺ははじめてこの女に好意を持った。

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