第5話
セーラとセキの戦闘は、初手から目まぐるしく動いた。
まずはセーラが仕掛けた。黒煙を突き抜けるように突っ込むと、セキは顔を引きつらせる。やつは一歩だけ前進し、空中の足場を踏んだ。
少しでも高所を得ようとする。単純だが、効果的だ。
「トモエ」
と、セキは叫んだ。
「早くそっちを終わらせて、助けてくださいよ! 何度も言いますけど、ぼくはこんなの――」
台詞の後半は、セーラの斬撃に遮られた。
日本刀を抜き打ちに、長いリーチを活かした斬撃。素人ならば、これで終わっている。予想外に伸びてくる、片手の居合い抜きだった。
ただし、それも防御に集中したセキには届かない。
「わっ」
慌てたような声で、セキは剣の柄に両手をかけた。そのまま振り下ろした剣によって弾かれ、逃げられる。セキの足が空中へ踏み出す。後退する。
ごくわずかなステップで跳躍して、セーラの間合いぎりぎりに留まった。
こうなると、セーラは常に踏み込みながらの斬撃を強いられることになる。つまり相手に刃が届くまでの時間が、ほんのコンマ以下数秒ほど長くなる、ということだ。《E3》の使い手にとって、この時間は大きい。
さらに言うなら、セキは常に高所の利を活かすことができる。
当然のことだが、振り下ろされる剣は、斬り上げてくる刃に対して常に威力で勝る。それはセーラの腕力を殺す形となる。
「くそ」
セーラが間合いを詰める。刃が閃く。しかし届かない。再び放った斬撃を弾き返されながら、セーラは短く悪態をついた。
「逃げてんじゃねえよ」
たぶん自分に気合を入れるためだろう。あまりにも自分勝手に怒鳴って、今度は鋭い刺突を放つ。それでも、反撃を警戒しているため、極めてコンパクトな一撃にしかならない。
セーラの弱気な癖がまた出ていた。
「そりゃ逃げますよ」
セキは青ざめた顔で、その刺突から身をかわす。大きなバックステップで宙を踏み、高度を保つ。動きに余裕はないが、完全に見切っている。
「きみ、結構強いんで。アーサー王の娘さんでしょう?」
「それがどうした」
セーラは追い打ちをかけない。刃を正面に構え、ただ隙を窺う。そんなものがあれば、の話だが。
これでは相手の思うツボだ。
「いや別に。どうもしないです。ただ、ぼくは――」
セキは打ち合いを避けて、膠着状況を長引かせたいのだろう。そのために喋りまくって、少しでもセーラの手を止めさせようとしている。
「アーサー王の娘さんが、なんでこんな稼業に手をつけたのかな、と思ったから」
「黙ってろ」
吐き捨てて、セーラが斬り込む。刃をひねり、セキの手首あたりを狙う。引っ掛けるだけでいい、という刃の使い方だった。
しかしやはり、踏み込みが浅い。
セキはその斬撃を受け流し、また横にステップして距離をとる。
「すごいな」
セーラの刃をまともには受けない。
「手が痺れた――」
セキは喋りながら、片手剣を握り直す。右手だけでなく、柄に左手を添えていた。
実際、こいつは厄介だ。かなり切羽詰まった顔をしながらも、あの男のやっていることは冷静そのものだった。正面からの戦いは避けて、ひたすら相手を消耗させる。あるいは時間を稼ぐ。
もしかしたら、俺との戦いで深追いしすぎたことを学習したのかもしれない。
こうやって防御に徹するセキを崩すのは、容易いことではないだろう。
セーラにとって有利な腕力勝負で拮抗状態に持ち込まれ、空中を移動する相手には鍔迫り合いからの『技』にも持ち込めない。
セキが位置取っているのは、地上およそ五十センチの地点に過ぎないが、それだけで上等にやりづらい相手になる。
実際のところ、俺はトモエよりもセキの方がかなり手強い、というより面倒くさいと見ていた。『戦闘』よりも『殺人』に執着する人間の方が、対応に困るケースはある。セキがそれだ。
エーテル知覚もそれに向いている。相手の長所を封じて、自分が一方的に有利になれる立場から攻撃する。
実に陰険だが、これこそ勇者の戦い方だ。
このままでは、力でも技でも不利になる。疲れればいずれ押し込まれるだろう。そういう膠着状態を打破するのは、ひとつしかない。
「トモエ、はやく! こっち手伝ってください!」
セキがもう一度、悲鳴のような声をあげる。おそらく、心の底からそう思っているに違いない。セーラはその瞬間に、大きく踏み込んだ。
「うるせえっ」
間合いぎりぎりからの斬撃では、決着をつけられないと踏んだのだろう。
床を蹴っての跳躍。上段から思い切り斬り下ろす。今度は防御もさせない。腕力で押し込む、という一撃。普段のセーラではありえない、思い切りのいい攻撃だった。無謀すぎる、とすら言える。
もちろんセキは迅速に対応した。
これを待っていた、というかのような動きだった。ほかに有効打を入れる方法がないのだから、そのセーラの強打を誘い出すのは当然の戦術だ。
瞬間、セキは半歩分だけ後方にステップすると、空中から床に飛び降りた。
それだけで、セーラの斬撃の間合いから逃れることができる。これはセーラの大振りの隙をつく形になった。
こうした大胆な攻撃は、打ち終わりにどうしようもない隙をさらす。仕方がないことだ。その一瞬、セーラは唇を噛んだ。
セキの片手剣が走る。
大きく体を伸ばし、狙いは一点、セーラの首しかない。
「おあっ」
が、それはセーラも承知の上のことだった。アホみたいな雄叫びが、彼女の喉から漏れた。己の恐怖を押し殺すような叫びだった。
防御に徹する厄介な相手を仕留めるなら、どうにかして向こうも攻撃に釣り出すしかない。そこに勝機が生まれる。
そういうことを、セーラが理解していたかといえば、少し疑問だ。臆病者だのビビリ野郎だの散々言われたせいで、いい加減頭にきただけかもしれない。単なる自滅覚悟の突進だった可能性はある。
とにかくセーラは、突っ込んでくるセキとその剣に対して、まるで回避行動をとらなかった。突っ込んだ勢いを殺さず、むしろ甲高い叫び声をあげながら、逆に転ぶようにして踏み込んでいく。雄叫びのつもりだっただろうか。加速して、前へ。
それは、セキの斬撃のさらに内側だった。
刃が無効になる距離――互いに銃弾の速度で動く《E3》使いが前進し合ったら、そういうことになる。間合いが潰れる。両者はただ単に激突した。
こうなれば、体格に恵まれ、エーテルがもたらす膂力に優れた方が勝つ。あとは体勢がより安定している方。セーラの首筋に刃の切っ先を届かせるため、セキの体は伸びきっている。
つまり、セーラは思い切りセキを突き飛ばした。
「いっ」
かすかな苦悶の声とともに、セキの体が吹っ飛ばされた。
「逃がすかよ」
セーラはその機会を逃さない。追い打ちに踏み込み、刃を振るう。それは渾身の力を込めた斬撃だった。
息を呑むほど鮮やかに、鋭利な刃が一閃する。セキが防御のために片手剣を掲げようと、構わず両断するような一撃。
セーラ・ペンドラゴン。このフィジカルの強さこそが、彼女の強さだった。
誰にも真似のできない体格、膂力、天性のセンス。
そのすべてを、セーラは持っている。
「い」
セキは転がって、空中に手をかけ、逃れようとした。火事場のなんとか、というやつだ。腕一本で、自分の身体を『階段』の上へ引っ張り上げる。その生き残りへの執念は見事――だが、もう遅い。
「いやだ!」
金切り声とともに、セキの右足が膝下から斬り飛ばされた。血の飛沫が一瞬だけ弧を描く。ケリはついた。セキの肺から、昆虫のように甲高い鳴き声が吹き出す。
セーラはまるで自身が斬られたかのような顔で、セキが床に転がるのを見ていた。
セキにとっては、仕方がない。
あいつの精神は殺すことを嗜好しすぎていた。
セーラが隙を見せたとき、またそれが自分の思った通りの隙だったとき、瞬時に『殺せる』という判断を下してしまったということだ。
『殺せる』と思えば、『殺す』行動に走ってしまう。《E3》の常習はそうした精神の緩みを作る。だからこそ、俺たちは何かで自分の精神を繋ぎとめなくてはならない。
「親父のことは、もういいんだ」
セーラは、セキを見下ろしながら呟いた。
「私が勇者になるのを止めたのもわかる。でも、いまはこれも悪くないと思う。勇者はクズかもしれないけど、ただのクズじゃない――」
ため息のように、大きく息を吐いた。
俺は日本剣術にあまり詳しくないが、これが残心、というやつかもしれない。ゆっくりと刀を構え直す。こいつなりのマインドセットの方法だろうか。
「上出来だ。臆病者にしてはな」
俺はセーラに声をかけた。
彼女はこわばった顔で振り返る。なにか言い返そうとしたようだが、ただ口を開閉しただけで終わる。
人を傷つけることに慣れていないのか、緊張状態が解けて放心していたのか。どちらでもよかった。
言っておくべきことがある。
「忘れるなよ。お前は強い。簡単にそういうことができる。それと」
俺はあえて厳しく告げることにした。
「お前がどう考えていようと、やっぱり勇者はクズだよ。誰がどう見てもな」
――ここまでは、問題ない。
俺もこの二人については、それほど心配していなかった。
工夫すること。恐怖心を克服すること。どちらも勇者に必要なものだったが、印堂とセーラには致命的に欠けていた。いま、ほんのわずか、蟻の一歩ほどの距離ではあるが、それが埋まった。
ならば、まともな訓練も受けていない、勇者くずれの弟子と立ち会って負ける要素はない。
問題なのは、あとひとり。
「絶対に手を貸すなよ」
俺はセーラと印堂に聞こえるように告げた。
「貸したら俺が斬る」
印堂とセーラが、そろって城ヶ峰を振り返った。
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