第3話
炎は、すでに館の全領域に放たれていた。
黒煙をあげて壁や天井を焦がし始めている。
このあたりが《ソルト》ジョーによるエーテル知覚の欠点でもある。
攻撃が大雑把すぎて、魔王を狙い打って暗殺するのに向かない。民間人を巻き込む可能性がある場所ではもちろん使えないし、炎上のどさくさで魔王を逃がしたこともある。
俺たちの中でもっとも戦闘力は高いが、同時にもっとも失敗が多くて馬鹿にされるのも、それが原因だ。
しかし、今夜のような場合には実にふさわしい。
俺たちが駆けつけたとき、その吹き抜け状のホールにも火の手が回っていた。
一階部分から繋がる階段は炎に巻かれていたし、これもまた値の張りそうなシャンデリアは床に落下して、純白のカーテンは威勢良く燃え上がっている。
よくもまあ、これだけ虚仮威しの効いた建物を設計したものだ。中世ヨーロッパ趣味にも程がある。ダンスパーティーにでも使うつもりだったのかもしれない。《嵐の柩》卿というやつは、そういうのが本当に好きだ。
俺たちが踏み込んだのは、その大げさに豪華なホールを見下ろす二階部分――階下の様子がよく見えた。
ちょうど城ヶ峰亜希が、ホールの壁際に追い詰められ、大柄な男たちに囲まれているところだった。
しかも、銃まで突きつけられている。
包囲するやつらの数は六。いや、七。
やや離れた柱の陰から様子を伺う男まで含めて、俺は瞬時に数え上げた。どいつもこいつも、見るからにカタギではないだろう。柱の陰の男は、片手に剣をぶら下げるように握っている。もしかしたら勇者くずれかも知れない。
俺は二階の手すり越しから、そうした『城ヶ峰、絶体絶命の図』を見下ろすことになった。まずは、やつらを混乱させるべきだ。
いまにも飛び出しそうな印堂とセーラを合図で抑え、俺は声を張り上げた。
「おい、城ヶ峰! と、そこの間抜けども! ちょっといいか?」
あえて悠長に聞こえるように、我ながら間延びした声になった。
ガラの悪い男たちが全員振り返る。
「重要な情報を教えてやる。見ての通り火事になってるから、さっさと逃げた方がいい。いまこそ日頃の避難訓練の成果を示すときだぞ!」
「――はい、師匠!」
大男たちはぽかんと口を開けたが、城ヶ峰は即座に、無意味なほど清々しく声を張り上げた。
「少々お待ちください。こいつらをコテンパンにして、改心させてから脱出します!」
連中とはかなり激しい格闘戦を繰り広げたらしく、顔にはアザができていたが、その目つきの闘志は少しも衰えた様子がない。
そろそろ認めざるを得ないが、城ヶ峰はある意味で、三人の中ではもっとも強い。
希望があるからだ。
勇者に限った事ではなく、そいつが最も重要な、戦いの秘訣だと俺は思う。希望さえあれば、どんなときでも戦うことができる。
思えば城ヶ峰が闘志を弱らせたことは――それだけは、こいつと遭遇して以来、一度たりともない。
「そうか」
と、俺は簡潔に答えた。
「お前の愚行には呆れるし、ほんと嫌いだけど、俺はいいやつだからな。助けてやるよ」
「はい、師匠。少しも疑ったことはありません」
城ヶ峰はボコボコに腫れた顔で笑った。いつもの白々しい笑い方だった。
こいつの顔について、俺は新しい発見をした。
最初は大人びているというか、冷たいような印象を受けたが、基本的にやたら生真面目な顔つき以外の表情を作らないから、そう思えるだけだ。そうでなければ、作り物のような白々しく爽やかな笑顔だけ。
表情にバリエーションが極端に乏しい。
「私は最初から、少しも! まったく! 師匠を疑ったことはありません!」
「もういい。黙れ」
非常にイラつく。
わかっていたことだ。少なからず後悔しているが仕方ない。
なので俺は、城ヶ峰を包囲する男たちを順番に指差した。
「こんなやつに付き合ってると馬鹿を見るぞ、間抜けども」
何人かの間抜けは俺に向かって拳銃を向けた。何か口汚く俺を罵ったり、脅したりする言葉が続いたが、構わず喋りだす。
「差し当たって、悪いんだけどお前ら、そのまま盛大に爆死してくれ。俺の能力を知ってるか? 射程距離は七十メートル前後――正確に測ったことないけど――とっくに導火線は、お前らの足元に回ってる」
さらに何人かの度し難い大間抜けが、自分の足元に目をやった。何かを探そうと視線を動かす。
それは十分すぎる隙だ――俺は我ながらいい加減なことを喋っていると思いながら、印堂と、セーラの肩を叩いた。
「了解」
印堂が短く、しかし獰猛に唸り、瞬時に踏み出した。
姿が消えた、と思った次の瞬間には、攻撃が完了している。
城ヶ峰に銃を突きつけていた男の腕が、肘の先から切り飛ばされた。拳銃が手から落ちる。印堂の片手剣の切っ先が、血飛沫の弧を描く。
「亜希、伏せろ!」
セーラもまた、ほとんど同時に手すりから一階ホールへ飛び降りた。そして跳ねる。銃弾の速度で間合いを詰める。
日本刀が鞘走ると、瞬時に二人、斬り伏せている。
まあ、それなりに見事な手際ではないだろうか。
ようやく俺には、セーラの抜き打ちの原理が見えた。
やつは刃を抜きながら斬っている。
通常の居合術のように、抜いてから斬りつけていない。片手で鞘を払いながら抜刀――手足の長さから来るリーチを活かして、相手の間合いの外から斬る。天性の体格と、筋力トレーニングが無ければこうはいかない。
血統、プラス、恵まれた環境、プラス、クソ真面目。
そいつがセーラの強みだ。
身も蓋もない言い方だが、ライオンは生まれながらに強い、というやつの一種だろう。アーサー王の血による、天性の資質ということだ。
――もちろんその間、俺もただ観戦していたわけではない。
銃撃を回避しながら飛び降り、抜剣。再跳躍。狙ったのは柱の陰にいた男で、そいつは剣を振り上げて斬撃を受け止めようとした。そして片手を俺に伸ばしてくる。
接触することで、何らかの現象を発生させるタイプのエーテル知覚の類ではないだろうか。
しかし、片手で俺のバスタード・ソードを受け止めるのは無理だ。
俺は両手で柄を握りこみ、ありったけの力で袈裟懸けに斬り下ろす。たとえ受け止められても体勢は崩せる。あとは即座に刃をひねり、『裏刃』で相手の首筋をひっかけるだけでいい。こいつは『捻り』の技の応用にすぎない。
結果、一撃だ。
この手の《E3》使いの間抜けは、しばしば存在する。おそらく相手に触れれば勝負をつけられるタイプのエーテル知覚の持ち主だったのだろうが、根本的な対策を怠っているから、こういうことになる。
よく観察して、相手の苦手なところで勝負する。
これでこそ、俺。万全の状態だ。
自画自賛しながら振り返る頃には、もうそちらも決着はついていた。
「アキ」
印堂が城ヶ峰を助け起こしている。
「無事? 生きてる?」
「当然」
城ヶ峰は壁に寄りかかった。息が上がっている。
「この程度、師匠の弟子として――たいしたことでは、まったく――」
「何喋ってるかわかんねえって。いいから、ちょっと落ち着けよ。ほら」
セーラは城ヶ峰に肩を貸した。《E3》を一本、彼女の手に握らせながら、ひどく気まずそうな顔をする。
どんな言葉を続ければいいのかわからない、という顔だった。
「ええと、亜希。ちょっと言いたいんだけど、その――」
「いや、結構だ。気を使わないでほしい」
城ヶ峰は意外なほど素直に、セーラの肩を借りて立っていた。
「単独で華麗に師匠を救出し、一番弟子の座を確固たるものにしようと思ったが、失敗した。まさか逆に助けられようとは。非常に恥ずかしい」
「バカ」
セーラは苦笑いを一瞬だけ浮かべ、すぐに消した。今度はすぐに言葉が出てきた。
「悪かった。亜希。あのときはぜんぜん助けられなかったし」
「問題ない。こうして来てくれた。勇者とは、やはり、そうでなくては。私はパーティの一員として、きみを誇りに思っている」
「そうじゃない。やっぱ問題あるんだよ」
片手に握ったままの刀に、セーラは一瞥をくれた。
「どう考えても、私はあいつに勝ててた。たぶん。もう少し、足りなかった」
「よくわかってんじゃねえか」
俺は横から会話に割り込んだ。その必要があると思った。セーラはさらに気まずそうに俺を振り返る。
「センセイ。あのさ、私は」
「理由もわかってるな? お前は強いから、相手もビビってる」
もっとも哀れなのは、自分が強いと気づいていないライオンだ。
それを理解するべきだ。
「お前が怖いと思った分だけ、相手も怖い。何度も言うぞ。別に怖がるなとは言ってないからな。重要なのは、そのコントロールだ」
遥か昔、勇者とは、勇気があるやつのことを意味する言葉だった。
初代アーサー王が、最初の魔王を討ち果たしたときから、勇者と魔王の関係は始まっている。魔王や勇者が増えすぎた現代でも、その根本的なところは変わっていない。何も。
いまさら俺が言うまでもないが、勇気の本質は、恐怖のコントロールにある。
俺はこういう問題について、ドラマチックなただ一度のきっかけで欠点を克服できる――そんな話には懐疑的だ。必殺技をひとつ習って、それで爆発的に強くなるのと同様、まったく信用できない。
俺が信じられるのは、『少しずつ』を積み重ねることだけだ。
少しずつでも、改善へ向けて努力を重ねるしかない。
たとえ失敗しても、自分がもう少しマシになれるという希望さえ失わなければ、誰にでも『次』はある。
「お前は基本的に、自分より格上のやつとばっかりやってただろ? お前の親父とか、俺とか」
俺はさりげなく自分とアーサー王を同列に語った。セーラが気付かなかったのは幸いだ。
「それに比べれば、セキとかいったよな? あんなやつはたいした脅威じゃない。そうだろ」
「うん。まあ」
不承不承といった様子ではあるが、セーラはうなずいた。
「いや、わかるよ。でもさ」
「理屈でわかっただけじゃ意味がない。次は実際にやれ。いいな? わかったら次に行くぞ」
「――あの、師匠」
城ヶ峰が不意に口を挟んできた。
「このあたりで、私にも、なんらかのご指導はないでしょうか?」
「ああ?」
俺は可能な限りの怒りをこめて、城ヶ峰を睨んだ。
「なにがご指導だ。何言っても無駄だろ」
「そんなことはありません! 私ほど素直に師匠のいうことを聞く弟子がいるでしょうか?」
「ぶっ飛ばすぞ。だいたい誰のせいで捕まる羽目になったと思ってるんだ! あのときだよ。なんで俺を助けようとした? なめてんのか?」
「私が師匠なら、きっとそうすると思ったからです」
「しねえよ! アホか!」
「しますよ、絶対に! 《琥珀の茨》卿のときもそうでした!」
俺は返答するべき言葉を失った。
思い出したくもない――わかっている。
あの《琥珀の茨》の腕が暴走したとき、俺が印堂とセーラを助ける形になったことを、こいつは言っている。もちろん、あの行動には合理的ないくつかの言い訳は思いつく。だが、本質的には無意味だ。城ヶ峰の頭の中のお花畑を、否定するだけの説得力が足りない。
仕方ないので、俺はただ城ヶ峰を睨んだ。
怯ませてやりたかったが、無駄だった。
「確かに師匠は、ビールとかピザとかゲームとか、目先のことしか頭にない最低のクズ野郎かもしれませんけど」
城ヶ峰は喜々として俺を侮辱し、胸を張った。
「でも本物の勇者です!」
「黙れ」
「いえ、黙りません。この際だから、言わせてもらうとですね」
「黙れ。いいから」
俺は振り向きながら、バスタード・ソードを振るった。加速された知覚が、それを可能にする。
「俺は忙しいんだよ」
「あ」
かろうじてセーラも気づいた。おそらく彼女のエーテル知覚に由来するものだろう。一瞬遅れて印堂。さらに遅れて城ヶ峰だ。
俺が振り上げたバスタード・ソードは、虚空に金属音を響かせ、ついでに火花を散らした。手首から肘に衝撃が伝わる。
直後、床に転がったのは投擲用の手槍だった。
「さすが!」
ちょっと驚いたような、賞賛の声が聞こえた。
「本当に強いよね、《死神》ヤシロ。これはいよいよ大物かも?」
ホールの奥、大きく開け放たれた扉から、いくつかの影が踏み込んでくる。
陽炎と黒煙をかき分けて、その数は四つ。これはもう、予想していたことだ。《嵐の柩》卿が俺たちを足止め――もしくは消耗させるために、こいつらを繰り出してくるのは。
トモエと、セキ。ドリット。
それからやや離れて後方からはレヴィ。あのときと同じく、うすら笑いを浮かべてこちらを見ていた。どこか虚無的な笑い方だった。
《E3》依存症の患者には、よくある表情である。使用時の高揚感覚が平常になってしまって、《E3》が切れると極端な脱力状態を示す症状だ。あの女は、もう永遠に本当の意味で笑うことなどできないだろう。
「レヴィ先生、あの《死神》を仕留めたら何点くらい?」
トモエがレヴィを振り返り、弾んだ声で尋ねる。こいつは本当に楽しそうだ。おそらく性格が勇者に向いているに違いない。
レヴィはわずかに首を傾けた。
「お前があの男をやれたとしたら、百点でも足りないだろうな」
「じゃ、ご褒美用意しといてよ、先生。現金で」
トモエはいっそ無邪気に笑った。
俺は傍らのセキと目を合わせた――あいつは迷惑そうに、ひきつった笑みを浮かべてみせた。おそらくセキは、心底からトモエのようなやつが嫌いなんだと思う。
「ふむ」
城ヶ峰がかすかに呻いた。
「やつらめ、我々と同じようにポイント制を採用しているようですね。参考までに、もしも私があの生意気な女の『先生』とやらを叩きのめした場合、よくできたポイントは――」
「無駄口を叩くな」
俺は城ヶ峰の脛を蹴った。抗議される前に、その首根っこを捕まえる。
「いいか。やつら、俺たちを探し回ったって感じじゃなさそうだ。どうやった? あっちの、トモエのエーテル知覚か? もう読めてるな?」
「はい!」
あのとき逃走しながら、城ヶ峰はトモエと交戦している。ある程度は、その知覚について読心を完了しているだろう。
「あれは地図上に印をつけるように――あ、いえ、立体的な視点を含むので『図』は不正確でした。すみません。訂正します、模型のように擬似的な周辺の環境を展開――いや、構築? して、そこに印というか」
「わかった、もういい」
説明はクソみたいに下手だが、これでだいたいわかった。予想通り。それほどの脅威ではない。俺は城ヶ峰を突き飛ばすようにして、首根っこを解放した。
それから予備に吊ってあったバスタード・ソードを、彼女の足元に放り投げる。
「だったら実践だ。相手もちょうど三人いる」
俺は一歩だけ後退した。
たぶん、レヴィも同じ考えだろう。誰かを援護するために動けば、互いに隙を――というより、手の内を見せることになる。
「一人につき一人ずつだからな。安心してくれ、俺は絶対に手を出さない。野次は飛ばすけど」
まだ火の回っていない大テーブルに、俺は腰を下ろした。そろそろ暑くなってきている。煙が立ち込め、空気は悪い。
「さっさと終わらせろよ。十秒以内で頼む」
「マジかよ」
セーラが半ば否定を期待するように振り返ったが、俺は鼻で笑ってやった。
「マジだよ。ほら、前向け。来るぞ!」
「はい、師匠!」
城ヶ峰がまったくもって無意味に歯切れよく応答した。
彼女はすでにバスタード・ソードを拾い上げている。嫌になるほどまっすぐ、城ヶ峰の目はトモエを睨みつけていた。
「あの時の借りを返す。一番弟子の城ヶ峰亜希! 参ります!」
「くそっ」
セーラも悪態をつき、日本刀を握り直す。
印堂はまったくの無言で駆け出した。
そのようにして、未熟者どもの戦端は開かれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます