レッスン6:報復は容赦なく

第1話

 目覚めは最悪だった。

 なんだかひどい悪夢を見た気がする。少なくとも安眠はできなかったはずだ。二日酔いのとき以上に頭痛を感じていた。

 目を開けると、頭の片隅が溶けるような、奇妙に鈍い目眩。

 こういうときは、焦らないことだ。


 記憶をたどり、整理しながら、少しずつ身体を起こそうとする。

 予想外に、それは簡単にできた。両手を持ち上げ、ゆっくりと開閉する。無事だ。どういうことか、少し戸惑う――そして考える。

 レヴィに殴られた瞬間まで思い出してしまったが、着ているものも、あのときのままだ。拘束されていたわけでもない。

 それどころか、やたらとクッションのきいたベッドに寝かされていたようだ。かなり大きい。

 俺はそのまま視線を滑らせる。

 まるで値段の張るホテルか、旅館のような設備だ。広い室内。そのままうっかり天井近くで煌々と灯る照明――それも凝ったデザインのシャンデリアの強い光を直視してしまい、思わず顔をしかめる。


「あっ」

 室内の隅から、少し慌てた声。

「起きたんですか? 早いなあ」

 セキだ。スーツの冴えない男が、これもやたらとクラシックな椅子に腰掛け、俺を見ていた。部屋にいるのは、こいつだけだった。

 片手には注射器。どうせ《E3》だろう。俺を見張る名目で、その効果を楽しんでいたに違いない。

 たまに、そういうやつがいる。

 《E3》がもたらす高揚感や万能感を好み、常習者となってしまうやつ。


「やめといた方がいいんじゃないか」

 俺は善意で言葉をかける。セキは困ったような目で俺を見る。

「なにを、ですか?」

「《E3》の使いすぎは、脳ミソを壊す。レヴィを見ただろ?」

 セキにとって、より屈辱的に感じるように、俺は精一杯の優しさを声にこめた。

「あんな惨めな生き方、したくないだろう。ありゃもう長くないぜ。発狂するか身体を壊すか、どっちが先かってことだな」


「そんなの、ぼくらはみんなそうでしょう」

 セキは自嘲気味に笑った。投げやりな笑いだった。

「もう取り返しのつかないところで、色々やってるんですよ。ぼくたちは」

「かもな」

 俺はジャケットの内側をまさぐった。

 やはり、というか、当然というか、《E3》のインジェクターも、剣も、ベレッタもない。自然とため息が漏れた。状況は悪化し続けている。俺にとっては最悪といっていいかもしれない。

 仕方がないので、いまのうちに、できるだけセキをおちょくることにした。


「俺にもくれよ。それ。今日はまだやってないから、禁断症状が出てきそうだ」

「嫌ですよ」

 苦笑いして、セキは自分の首筋に《E3》を注入する。妥当な判断だ。室内に俺と二人きりならば、そうするしかない。

「これはぼくの分です」

「《E3》はお前を救ってくれるのか?」

「まあ、そうですね」

 挑発のつもりだったが、セキはあっさりと答えた。


「ぼくは――少なくともぼくは、これに救われました。勇者って、いい商売ですよね」

「どこがだ?」

 笑ってしまう。もっと効率のいい稼ぎ方なんて、いくらでもあるはずだ。

「クソみたいな商売だろ」

「それでもいいんです。もともと、ぼくは会社をクビになったんですよ。サラリーマンです、サラリーマン。あの頃よりマシです」

 セキは少し、饒舌になっている。

「きっかけは鬱病でした。半年ほどそんな状態が続いて、ひどかったと思います。妻が娘を連れて、家を出ていきましたからね」


 セキの喋る言葉は、うわごとに似ていた。《E3》による高揚感、もしくは酩酊感のせいだ。

 こいつは悪酔いするタイプだ、と俺は思った。

 今日何本目の《E3》か知らないが、大量の服用によって、状態がひどくなっている。

「しまいには路地裏で酔っ払って、ヤケになって暴れて、魔王の眷属に殺されそうになって。レヴィ――あの人に助けられました。そして《E3》。ほかに何ができるかわからなかったんですけどね。できました。《E3》があれば、殺せるんですよ。ぼくでも、誰かを」


「そんなもん、誰だって殺せる」

 俺は嘲笑った。

「後ろから、でかいカナヅチでぶん殴って頭を砕けばいい。それだけだ。ただの人殺しだよ」

「いいんですよ。相手は死ぬけど、ぼくは生きてる。つまり、ぼくは殺した相手より、その――生き物として、優れている。上等だって感じるんです。そういうことで、救われた気がするから」

「錯覚だろ」

 喋りながら、さらに部屋を観察する。

 家具は極端に少ない。遮光カーテンから垣間見える窓の外は、すでに暗く、夜が訪れているようだった。寝すぎたみたいだ。

「人殺しは人殺しだ、ただ相手を殺した。それだけだ。毒のある虫か何かが、生きてる人間を殺したってだけで、そりゃただの虫ケラなのは変わりない」

「ですかね」

 セキは反論しなかった。諦めているのかもしれない。

「確かに。虫ケラみたいなものかも。《E3》を使っても、上には上がいる――レヴィや、あの恐ろしい魔王たち、ネフィリム、それにぼくらのクライアントも」


「そいつらだって同じだよ。暴力を商売にするようなクソだ」

「トモエにそんなこと言ったら、殺されそうですね」

 セキの言葉は、いまいち前後の文脈がつながらない。

 大きく息を吐いて、椅子にもたれかかる。そのくせ目つきだけは鋭く、俺から逸らす気配もない。

「あの子にとって、《E3》や勇者というのは特別です。楽しんでいますよ。戦うのが好きなんでしょう、たぶん――あ、いま子供扱いしたみたいですけど、トモエには内緒で」

「トモエか。あいつ、かなり素質があるな」

 事実だ。少なくとも、印堂と同じくらい、素質がある。人を殺す素質だ。

「トモエは戦うのが好きなんですよ」

 セキは繰り返した。

「信じられませんけどね。ぼくは殺すのはいいけど、命の取り合いなんて御免だ――トモエは、あなたと、本気で戦いたがってました」

「お前は賢いよ、セキ。もしも戦ったら、十秒で俺が勝つ」


「あなたのそういう態度」

 俺が中指を立てると、セキが笑う。苛立ちをごまかすような、紙一重の笑い方だった。もうひと押しだ。

「レヴィの言葉で言うと、クライアントが気に入っていますよ。もう少し待っていてください。あなたに会いたがっていますから、ここに来ますよ」

「嫌だね」

 俺は自分にかけられていた毛布を、あえて乱暴に跳ね除けた。

 なんだか、そういう配慮のようなものが妙に余裕を感じさせる上に、気持ち悪く、この上なく不快に感じたからだ。

 だいたい分かってきた。

 俺の推測はあたっていた、ということだ。


「俺はてっきり、手錠くらいはめられてると思ったよ」

「レヴィはそう提案したんですけどね」

「クライアントが反対した。だろ」

 だいたい、つけても無意味だ。《E3》を使う相手の目を盗んで、逃げられるとは思えない。

「まあ、そういうことです。あと、不便があったら言ってください。もうすぐ本人がいらっしゃるとは思うんですけど」

「じゃあ、いますぐビールとピザを持って来い」


 俺はできるだけ余裕があるように見せかけるべく、極めて横柄に告げた。

「カードゲームはできるか、セキ? 《七つのメダリオン》だ。俺の練習台になれよ」

「無茶苦茶なことを言いますね」

 セキは俺から目をそらした。どこか湿ったような表情。口調からはわかりにくいが、相応の屈辱感を覚えているように感じた。

 ザマァ見ろ。

「ぼくはあなたを殺したり、剣を持てなくなるほど傷つけることは許されていない。確かにそうです。でも、少し痛めつけるぐらいなら、できる」

「そうしたら、あとでお前は悲惨な目にあう。クライアントがどうこう、じゃない。俺がお前を悲惨な目にあわせるってことだ。勇者の報復がどんなものか、知ってるか? こんな稼業だ。舐められたままじゃ商売ができない」

 それは確実なことだ。俺はセキを指さした。


「いいから、俺の機嫌を損ねないうちに。いまならまだ間に合う」

 彼らの『クライアント』のことなら、俺も予想がついている。

 ポイントは、この東京西部における有象無象の魔王どもの抗争によって、誰がもっとも利益を得るか、ということだ。

 たとえば、賞金目当ての勇者か。それも一理ある。

 だが、最終的に『もっとも』利益を得る者といえば、違う。

 そいつは、ただひとり。

 有象無象の魔王どもが不毛な争いによって潰しあった後に、そこに君臨する者だ。そいつがすべての成果を総取りしていく。


「さっさと《嵐の柩》に伝えろ」

 俺はその者の名を、怒りとともに告げた。

「俺が怒っている。ビールとピザの差し入れでご機嫌をとった方がいい」


 あのくだらないパーティーの日、《嵐の柩》卿が失踪した。

 ――などという話を、俺も《ソルト》ジョーも真に受けたわけではなかった。死体が見つからない以上、どうにかして生き延びているだろう、ということは容易に考えられた。

 やつは西東京で最大勢力を誇る魔王、《嵐の柩》だからだ。

 つまり、そうしたことを考慮すると、すべては茶番で、狂言だったということになる。あのパーティーの夜の乱入者も、なにもかもだ。


「あなたは」

 と、セキは怪訝そうに俺を見ていた。

「なんでそんなに態度が大きいんですか? 自分の立場をわかっているんですか? ぼくらはみんな、あの強大な《嵐の柩》卿に命を握られてるんですよ」

「見解の相違だな。城ヶ峰はどこだ? あいつもここにいるんだろう。貴重な『成功例』だ。連れて来いよ、ボンクラ使い走り野郎。あいつには説教したいことがある」


「本当に、なんのつもりなんですか?」

 セキの声に苛立ちが混じりつつある。

「自分は危害を加えられないとでも思っているんですか?」

「自信も能力もないお前には、さぞかし俺がムカついていることだろう。だが、これは精一杯の善意だ」

 事実だ。俺はセキの、今後の健康のために発言している。

「警告してやってるんだ。俺はお前のことを、あんまり嫌いじゃない。卑屈なりに立場ってものをわかってる。だからさ」

「意味がわかりません」

「つまり――」


 その瞬間、激しい爆発音が、俺の言葉の後半を飲み込んだ。

 どこか、やたら近くの方で響いた。何かが崩れ落ちる音と、誰かの怒鳴り声。それからまた爆発音――今度はもっと強く。はっきりと。この建物すべてを揺らすように。

 セキが慌てたように立ち上がった。

 俺も少々驚いていたが、余裕のある態度を崩さずにうなずいてやった。そうした方がムカつくだろう、と思ったからだ。


「これだ」

 何もかも知っていたわけではない。

 だが、それ以外に考えられない展開ではあった。

「一連の茶番を《嵐の柩》が主導していたことについて、この俺が推測できていたということは」

 何かが吹き飛ぶ重たい音。それに、けたたましい銃声。

 セキは完全に混乱した様子で、窓に駆け寄る。炎が立ち上り、夜空を焦がしていた。俺は思わず笑ってしまった。


「《ソルト》ジョーやエド・サイラスや、マルタにも推測できてたってことだ。あいつらはカードゲームの下手くそなヘボ野郎どもだが、勇者としてなら、まあ超一流の俺と同格ではある。要するに、こんなチンケな隠れ家、一瞬で見つかっちまうよ」


 正確には、マルタの記憶を探るエーテル知覚や、俺のバスタード・ソードに仕込まれた発信機、そして俺の機転を利かせた華麗な活躍のおかげでもある。

 公園で爆炎を見ながら、あのとき俺は写真を撮るついでに、場所を知らせるメールを打った。

 実際のところ、あの爆炎は目印だった。近くに《ソルト》ジョーがいるということ。俺を探しているということ。あいつは派手なのが好きだから、そういうことをしたがる。

 あのとき俺が時間を稼ごうとしていたのも、あいつらが駆けつける見込みがあったからだ。


「詳しい説明は省くが、この爆発、《ソルト》ジョーの野郎のエーテル知覚でね」

 《ソルト》ジョーは、『導火線』を見ることができる。やつの目から見れば、あらゆる物体からは、一本以上の導火線が伸びているのだという。ジョーはそれを『切る』ことで、自在に物体を爆破することができた。

 正直なところ、俺がもっとも戦いたくない相手は他でもない、《ソルト》ジョーだ。回避する間もなく、広範囲をバカみたいに爆破されれば、いくら俺でも為すすべがない。

 要するに、


「お前ら、終わりだよ」


 俺がせせら笑うと、セキが奇妙に歪んだような顔で振り返る。

 そしてそのまま凍りついた。


「――教官」

 印堂の声だった。

 いつの間にか、彼女は極端な猫背の姿勢で、部屋の片隅に佇んでいる。

 空間移動ってやつは、これだから強力だ。潜入とか侵入だとか、そういう言葉が無意味になるほど簡単に、こうして目的地へ現れることができる。

「遅くなった。ごめんなさい」

 印堂は頭を下げた。左の腕に包帯をきつく巻いており、大きな登山用のザックを背負っていた。右の手には、抜き身の片手剣。

 そして印堂は、感情の読めない黒い瞳で、セキを見つめる。

「そいつ、殺す?」

「ああ」

 俺は肩をすくめた。

「残念だ。時間切れだよ、セキ」


「――嫌だ!」

 セキは短く答えた。かすかに浅い息を吐いて、飛び出す。窓ガラスを砕いて、空中へ飛ぶ。そのまま転がるように窓の外へと消えた。


「あ」

 印堂はそれを追いかけようとして、一歩踏み出し、やめる。

 あの男に対して、空中戦は不利すぎる。セキならば、この高さからでも負傷なく逃走を成功させるだろう。

「珍しく頭を使ったな。そういうことだ。無意味に自分が不利になるような戦いはするな」

 俺は印堂を褒めた。

 印堂は無言で唇をひきつらせ、ひどく居心地悪そうにした。あるいは、彼女なりの喜びの表現だったかもしれない。何かを言いたそうだったが、すごく言いづらそうでもあったので、俺は話題を変えることにした。


「ドリットはどうした?」

「逃げられた。少し怪我をした」

 印堂は左手を掲げてみせた。


 その人差し指が、一本だけ欠損していた。この傷は、《E3》でも癒えることはない。利き腕でないとはいえ、印堂にとって、失ったものは少なくはないだろう。しかし印堂の両眼だけは、異様に強力な光を湛えていた。

 俺たち勇者は、こういう目つきを『闘志』と呼んでいる。


「でも、あいつ、きっと私より強くない。次は殺せる」

「よし」

 俺は印堂の頭を、かなり乱暴に撫でた。

「いいぞ。ここからは、本物の勇者の時間だ」

「うん」

 印堂は嬉しそうに笑った。

 いい加減、ストレスが溜まっていたところだ。まずは城ヶ峰をひどく叩きのめしてやりたい。

 それからビールとピザでカードゲームを。

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