第5話

 白いセダンから降りてきたのは、二人。

 どちらも知った顔だ。

 運転席からは、物憂げな顔をしたスーツの男――セキは、明らかに寝不足と思われるひどい顔で、腰の剣帯に手をかけていた。片手剣は抜いていない。


「どうも」

 ひどくかすれた声だった。非難の響きが多量に含まれていた。

「さっきは、ひどい目にあいましたよ」

 それから気弱に笑う。

「なんとか、そろそろ大人しくしてもらえませんかね? こちらのトモエがたいへん不機嫌でして」


「前向きに検討しよう」

 どうやら催涙弾を投げつけられたことに文句を言っているようだったが、俺はその話題に付き合うことにした。

 時間稼ぎのためだ。

「でも、もとはお前らが悪いと思うね」

 周囲を取り囲み、威嚇するように釘の牙を剥き出す『犬』どもから意識を切らないように、俺は一歩だけ後退した。城ヶ峰とセーラは互いに一瞬だけ目配せを交わし、俺の前を塞ぐように位置を取る。

 非常に気に入らないが、いまはこいつらに頼るしかない。


「お前ら、あのレヴィとかいう間抜けの生徒なのか? なにを考えてるんだ? 教育がなってないな。人の車をつけ回して、槍なんか投げつけようとしやがって。猿かよ。文明を勉強しろ、文明を」

 とにかくひたすら喋りながら、公園の中を観察する。チンケな滑り台。鉄棒。砂場、シーソーにベンチ――あまり役に立ちそうなものはない。

 もうどうにでもなれ、という気分になってきた。

 どいつもこいつも、俺に不都合なことばかりしやがる。

「そっちの助手席」

 だから俺の発言は、かなり物騒なものになった。

「猿みたいなガキは一言ぐらい謝れよ。なあ、お前らが俺たちを追う理由がよくわからない。尻尾巻いて逃げた負け犬は、この前はお前らの方だった。そうだろ」


「おい」

 セーラが噛み付くような顔で俺を振り返った。

「煽ってどうすんだよ」

「俺はああいう、弱いくせに調子に乗った猿を見ると、めちゃくちゃ馬鹿にしたくなるんだ」


「――誰が、猿だって?」

 助手席から、小柄な女が顔を覗かせる。こちらはトモエ。挑戦的、かつ攻撃的な目つきだった。催涙弾の影響か、目が充血しているため、なおさら野獣めいて見える。どこからどう見ても怒り狂う一歩手前だった。

「教育がなってないのは、そっちの生徒の方でしょ?」

 トモエは長槍を肩に担ぎ、ボンネットを片足で踏みつけた。

「どういう教え方してんの? 勇者としては凄腕かもしれないけど、うちの先生の方がずっと優秀だわ」

 態度に敵意はあるが、質問は意味不明。

 すなわち、向こうも時間稼ぎをしようとしている。目的は瞭然だ、俺たちの《E3》の残量に余裕がないと推測しているのだろう。つまり、効果が切れるのを期待している。


「どうかな」

 俺は肩をすくめ、それに付き合う素振りを見せる。

「ただの喋る猿だったこの三人を、ここまで教育するのはたいへん苦労したんだぜ。知ってるか? こいつらを捕まえてきたのは北海道の山奥でね。《ソルト》ジョーのやつが地元の猟師から噂を聞きつけて、我々捕獲部隊が――」


「セキ」

 さすがに、トモエは気づいた。

「こいつ、何か企んでる。できればドリットが戻るのを待ちたかったけど」

「まいったな」

 セキは滑らかな手つきで、腰の片手剣を抜き放った。心の底から困っている。そんな顔だった。

「トモエ、どっちやります? ぼくはできれば、あの金髪じゃない方――」

「を、私が速攻で片付けるから。金髪は二対一ね、それまで粘って」

「気が進まないんですけど」


「ちょっと待った」

 俺は可能な限り時間を稼ごうとした。

 しかし、言葉の選び方がまずかったのは言うまでもない。もう少しましな切り出し方があったはずだ。

「俺たちに何の用なのか、まだ聞いてないな」

「さあ?」

 トモエは笑った。笑うと獰猛な顔になる少女だ。

 そりゃそうだ、教えるはずがない。


「城ヶ峰、セーラ」

 俺は二人の名前を呼び、さらに一歩だけ後退した。

「あいつらはお前らより強くはない。たぶん。教わった技を使うことよりも、よく観察することに集中しろ。お前らは俺の練習台を務めたぐらいだから、相手がクソ雑魚に見えるはずだ」

「はい、師匠!」

「また調子のいいこと言いやがって」

 城ヶ峰の能天気な返事と、セーラの愚痴のような呟きはいつものことだ。

 そして、こちらのことは気にした様子もなく、一瞬だけ視線を交わし、セキとトモエが同時に動き出す。『犬』どもが身を沈め、吠え声もなく飛びかかってくる。


「防御のレッスンだ。ビビって一気に勝負を決めようとするなよ、お前らにはその辺の根性が――」

 俺のアドヴァイスは、半分以上がまったく間に合わなかった。《E3》を使う連中の速度は、瞬間的に弾丸を少し超える。

 トモエの方が先に動いた、と、思う。車のボンネットを蹴って、ひしゃげさせながら跳躍したはずだ。正確な動きを追うには、あまりにも速すぎた。


 激突音が、かなり強烈に響いた。


「あれ」

 トモエの体が、空中に弾き飛ばされていた。身体をひねると、獣じみた四つん這いで地面に着地する――しかし勢い余ってつま先が滑る。地面が抉れ、土埃が舞い上がった。

「意外。アホそうに見えたけど、結構やる」

「師匠の弟子なのだから、当然だ!」

 偉そうに返答するからには、止めたのは城ヶ峰なのだろう。おそらく。足元の地面が軽くえぐれている。

 体ごとぶつかるようにして、バスタード・ソードで受けたようだ。心を読める城ヶ峰に対して、不意をついた奇襲はあまり意味がない。うまく戦型が噛み合ったということだ。トモエの初撃を防ぎ、かつ弾き返す形になった。

 距離をとることには成功したが、俺はやめろと言いたかった。そんな使い方をしていると、すぐに刃がバカになる。


「五秒だ、悪党め」

 城ヶ峰は偉そうな大口を叩いた。

「師匠に私の成長を見せるため、貴様らには都合のいいかませ犬になってもらおう! かかって来るがいい!」

「あんた、城ヶ峰だっけ?」

 トモエは獰猛に、また少し笑った。

「真面目なところが笑えるね」

 もう一度、互いが加速する。ぶつかり合う。

 槍の穂先を、バスタード・ソードが打ち払い、跳ね上げる。連続して激突音が響く。その一撃ごとに大きく距離を離し、刃を交わしているらしい。

 しかしいまの俺の目には、ほとんど土埃の隙間をかすめる残像にしか見えない。


 一方で、セーラとセキのやりとりの方は、本格的によくわからなかった。

 攻防が速い。

 その上、接近戦だった。

 不可視の『階段』を踏んで空中へ逃れようとするセキに対して、セーラはそれを容易に許さない。斬撃のたびに前へ出ることで、セキに地上での防戦を強いている。

 悪くはない。セーラの刀身が翻り、セキの剣が受け止めるのが、減速の一瞬だけ見える程度だった。

 あとは、金属同士が激突する火花。ややセーラが優勢。


 そして俺は、やつらの戦いにばかり注目してはいられない。

 明らかに弱そうな俺を標的として、寄ってくる『犬』どもをなんとかする必要があった。

 とりあえず真正面から突っ込んできたやつの顔面を狙って、両手で構えたベレッタを二度発砲。当たらない。我ながら泣ける。

 三度目でようやく命中し、頭部を破壊――動かなくなる――なんだか異様なほど脆い。乾燥しかけの紙粘土かよ。その間に、次のやつの接近を許してしまう。肩に飛びつかれ、噛み付かれかけた。が、ここまで近ければ外すことはない。

 ほとんど銃口が触れるような距離での射撃。頭が飛び散る。二匹目。

 しかし三匹目は無理だった。


「うお」

 足に激痛が走って、俺はその場に転倒した。

 あきらかに手を抜いたデザインの『犬』が、釘製の牙でふくらはぎに噛み付いている。俺は本格的に泣きたくなったが、悲鳴の代わりに悪態をつくことで、どうにか体裁を保てたと思う。

「ブサイクな見た目しやがって!」

 発砲。三匹目も頭部をぶちまける。

 四匹目と五匹目、それから六匹目が倒れた俺に群がってくるのが見えた。


 大丈夫だ、と、俺は自分に暗示をかけることにした。

 たしかに釘の牙で噛み付かれるのは痛い。泣きそうになる。

 しかし、死ぬほどじゃない。こいつらの牙では肉は食いちぎれても、骨までは届かない。動脈や腱をやられないことを祈れ。

 四匹目が、ベレッタを握る俺の右手に噛み付いてくる。いよいよもって、格闘でどうにかしなければならない状況になってきた。ここからは悲惨な展開になることを、俺はすっかり覚悟していた。

「畜生」

 と、悪態をつくのが精一杯だった。


 ――その瞬間、四匹目の頭部が、一瞬の銀光とともに裂け、吹き飛んだ。

 俺は思考を忘れた。

 あまりに爆発的な怒りに襲われたからだ。


「師匠」

 城ヶ峰の生真面目な声が降ってきた。その右腕が剣を振るうと、五匹目、六匹目の胴体も砕ける。吹き飛んで飛び散った。城ヶ峰は一瞬だけ俺を振り返った。うんざりするほど真剣な顔をしていた。

「ご無事ですか」


 俺はもう少しで城ヶ峰に発砲するところだった。

 実際、トモエが無防備な城ヶ峰のみぞおちへ、槍の石突を叩き込まなければそうしていただろう。城ヶ峰は前のめりに身体を折り曲げ、顔を歪ませた。

 それからトモエが付き込んだ槍の穂先が、城ヶ峰の大腿部を深く引き裂いた。続いて即頭部へ、柄の方を叩き込んだのだろう。

 速すぎてよく見えなかった。

 城ヶ峰の体が崩れ落ちる。

 トモエは片手でその首根っこをつかみ、いっそ無邪気なほど清々しく笑った。

「やっぱりこいつ笑える。終わったよ、先生」


「よろしい。上出来の部類だな」

 トモエの背後で、しわがれた女の声がした。

 エーテル焼けの響き。派手な京劇風の仮面をつけた小柄な女だった。あの勇者崩れの《E3》中毒女、レヴィだ。いつの間にそこへ居たのか、いまの俺が気づけるはずもない。


 なんてことはない、こちらは最初から手詰まりだったというわけだ。

 俺のように強力なエーテル知覚使いを仕留めるなら、やはり《E3》を使う前か、あるいは欠乏を起こさせるのがベストだ。

 相手がもっとも弱い状態を狙って攻撃する。

 それは他でもない、『勇者』の手口だった。


「さて、少し手間取らせてくれたが、《死神》ヤシロ」

 レヴィの片手は、油断なく腰の曲刀の柄にかかっている。たとえ銃撃したところで、回避されるだけだろう。

「自分の足で歩くか、私にエスコートされるか、好きな方を選ぶといい」


「ああ、わかった。俺は物分りがいい」

 言いながら、俺はレヴィの頭を狙ってベレッタを発砲した。

 立て続けに三度、それが限界だった。

「降参する」

「結構だ」

 弾丸を避けたレヴィの姿が消えた。

 次の瞬間には衝撃――があった気がする。たぶん、顔面を殴りつけられた。覚えているのはこの辺りまでだ。


「おい!」

 セーラの金切り声が聞こえた。セキと切り結ぶ、火花の音。

 まだ諦めていない。

 防戦を耐え抜くという覚悟は、一気に勝負を決めるよりも勇気を必要とする。セーラも少しは根性を見せるようになったのかもしれない。

「センセイ! なにやってんだよ!」

「それは放っておけ、セキ」

 レヴィの声が遠くに聞こえた。

「クライアントの目的はこれで――」

 こいつを殺してやる、と、俺は思った。

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