第2話

 車の選択に少しだけ迷ったが、結局は、目立たない紺色のミニバンに落ち着いた。

 こちらは四人で、荷物を積み込む必要もあったからだ。

 色々と考えた挙句、なおかつ口論の末に、助手席にはセーラを座らせることにした。脅威を感知するエーテル知覚が、この状況では有効だと考えたからだ。


 選ぶべきルートは、首都高ではなく下道。高速道路では追っ手を撒くことができないし、捕捉されやすすぎる。

 よく考えてみなくても、たとえば俺が追っ手を引き連れてエドの店に到着した場合、《ソルト》ジョーあたりには盛大に馬鹿にされるに決まっているのだ。『このヘボ野郎、オレが面倒見てやらなきゃどうしようもねぇな?』とか。冗談じゃない。

 ある程度は、なんとかしておかねばなるまい。俺は慎重かつ大胆にアクセルを踏み込んだ。悪くない加速。

「なるほど」

 と、うなずきを繰り返す城ヶ峰は、俺のすぐ後ろに押し込んでおいた。

「これは師匠の背中を守れという意味ですね? 任せてください。必ずや期待に応えるでしょう! 雪音、きみには私の隣を預ける。頼んだぞ」


「それより、亜希はシートベルト締めた方がいい」

 印堂は行儀よく後部座席に収まっていた。そうやって鎮座していると、そのまま日本人形のように見える。あとは髪型をオカッパにすれば完璧だ。

「教官の運転、たぶん凄く荒いと思う。なんとなく」

「ああ、それな。マジにそうだよ」

 セーラは顔をしかめて振り返った。

「たぶん運転免許とか偽造なんじゃねーのかって思うレベル」

「えっ」

「何言ってんだ。俺、免許とってから無事故無違反だって言っただろ」

「マジでセンセイのそれ、ただ捕まってないだけだからな! カーブの度に軽くドリフト気味になってたじゃん!」

「ちょっと、待った」

「あのときは急いでたんだよ。お前が門限がどうのとか言うから」

「だからって、安全運転しないと――」


「ちょっと待て! 待ってください、それはおかしい!」

 城ヶ峰が俺の背後から、首に手を伸ばしてきやがった。おかげで少し減速するしかない。俺は慌てた。

「やめろ首を掴むな! 事故る!」

「いえ、これは重大な問題です。いまの口ぶりだと、まるでセーラを自宅まで車で送ったことがあるかのような言い草ではないですか!」

「誰がそんなヤバいことするか、家の近くまでだよ!」

「うわあああ!」

 城ヶ峰は吠えるような声をあげて、俺の首をさらに締め上げようとしてきた。

「私のことはいつも駅で放り出すのに! なぜセーラだけ不当に優遇されるのですか!」

「てめーと印堂は学校の寮住まいっつってただろ! 門限もないって!」

「それは暗に、師匠の修行を何時まででも受けることができるというアピールですよ! なぜ通じないのか! なんたる理不尽!」


 城ヶ峰の両手に、さらに力がこもった。

 正気とは思えない。本格的に情緒面が小学校低学年並みじゃないのか? 俺の推測はかなりあたっているのではないか?

「印堂、この珍獣を止めろ」

「次は私も寮まで送るなら」

「なんでもいいから! 早く押さえ込め、事故る!」

「約束」

「してもいいけど、状況考えろ! 早くしろ!」


 言った直後に、城ヶ峰の両手の感触がなくなり、南米の珍獣の断末魔のような悲鳴が聞こえた。バックミラー越しではよくわからないが、印堂がなんとかしたらしい。

 俺は咳き込みながら、アクセルを踏み込んだ。

「追われてるんだよ! 遊んでる場合か。後ろを見ろ、後ろ!」

 いかにも金のかかっていそうな、白のセダンだった。たぶんメルセデス。なかなかシャープな加速でこちらを追ってきている。

 さっきからぴたりと車間距離を保って付いてきていた――ほかに路上を走る車が少ないため、はっきりとわかる。隠そうともしていない。

 生意気だな、と俺は思った。

「セーラ、いますぐ《E3》使え」

「え、あ、私が?」

「城ヶ峰、印堂、お前らもだ。仕掛けてきたら――ああ、っと」

 喋りながらハンドルを切る。かなりスピードを出していたため、横滑り気味になった。見ようによってはドリフトっぽく見えたかもしれない。

「くそ! とにかくうまいことやれ。俺は運転に集中する」


「いや、うまいことって、うわっ?」

 首元に注射器を押し当てたままの姿勢で、セーラは窓の外を見ていた。

「――なんだよ、これ」

 助手席のすぐ真横。なにか、小さくて白く濁ったような影が、俺たちのミニバンの横を並走していた。魔王か勇者、と考えたが、違和感があった。小さすぎるし、まず有り得そうにない。

 魔王や勇者は、体内エーテルの増幅によって、弾丸を超える速度を出せる。だがそれは一瞬の話だ。持続して使うような速度ではない――試してみようとしたバカもいるが、ほんの五歩走っただけで複雑骨折を果たした。ちなみにそいつは、酔っ払ったマルタのことだ。

 筋肉と骨と神経をバランスよくエーテルで強化し、持続的に使用するのは、尋常ではないバランス感覚と集中力を必要とする。


「なんだ、犬? ってか、うわ、うわ、うわ! やばいセンセイ、こいつ」

 セーラのやつ、日本語あんまり上手じゃないな。と思ったが、それどころではない。白っぽい影が、さらに加速した。俺たちのミニバンの前へと飛び出してくる。セーラは金切り声をあげた。

「避けて!」

 一瞬だけ見えた。

 セーラの言うとおり、犬に似ていた。ただし、決定的に違うのが一点。そいつが、泥――あるいは粘土のような材質でできていることだった。俺は慌ててハンドルを切る。偽物の犬をかわす。

 より正確には、かわそうとした。

 さらに二匹、泥の犬が、また加速して割り込んでくる。一匹じゃない。こういうのを作る、もしくは生み出すエーテル知覚があるのか? 幻覚という可能性は?


 そのあたりを考慮しようとして、俺は思考速度が足りないことを悟る。《E3》がなければこの程度が限界か。かわしようがない――ぶつかる。

 するとどうなる?

 その先を考えかけたところで、二匹の泥の犬は、ほとんど同時に弾けて、アスファルトの上に飛び散った。俺たちのミニバンのタイヤは、容赦なくそれを踏みつけて甲高い音を響かせ、再加速する。


「――脆い」

 窓から身を乗り出すような姿勢で、印堂が呟いた。なにかを投擲したのかもしれない。ナイフか。いずれにせよ、《E3》のない俺には、ちゃんと知覚できない。

「ふっ! この程度、師匠の一番弟子である私には容易い!」

 城ヶ峰まで、窓から身を乗り出して喚いていた。もしかしたら、本当に万分の一の可能性で、こいつはこいつでなにか飛ばしたのかもしれない。

「調子に乗ってんじゃねえ、後ろを警戒しろ――」


 俺はバックミラーに視線をやって、思わず顔がひきつるのを感じた。

 背後には、巨人がいた。

 泥――いや、もうはっきりとわかる。粘土でできた巨人だ。見た目はかなり雑にデフォルメされており、顔らしきものは存在しない。その背丈は、ひょろりとした体格ではあるが、軽く民家ほどはあるだろう。

 そいつが大股に、かつスピーディに、俺たちのミニバンに追いすがろうとしていた。一歩ごとにアスファルトが砕けて、振動が伝わってくる。

 だが、本当にやばいのは、その巨人の肩だった。

 異様な人影がうずくまっている。フルフェイスのヘルメットを被った、猫背の巨漢。つい昨日、見たことがある。『ドリット』か。


「やつら、本気かよ」

 俺はアクセルを踏み込む。セーラがなにか悲鳴をあげて、ついでに文句を言った。

「センセイ、もうちょい安全運転を」

「お前は黙ってナビしろ! 脅威はどっちから来る?」

「いや、そりゃ――う、後ろだ! 近づいてくる! でかい!」

「知ってんだよ、そんなもん! くそっ」

 巨人が肩に乗っかるドリットを、片手で掴むのがわかった。

 放り投げてくる。


 後部座席で、城ヶ峰が片手剣を引っ張り出すのがわかった。

「師匠、ご安心を」

 剣を抜き放ち、窓から突き出すようにして宣言する。

「いまは、私が師匠を守るとき。指一本触れさせませんから!」

「百年早ぇんだよ」

「照れなくてもいいんですよ」

「くそ」

 俺は悪態をついた。

 こいつ、俺が《E3》を使っていないからって、増長していやがる。腹が立つのは、間違いなく城ヶ峰にはやる気を出してもらう必要があるということだ。最後の《E3》の一本は温存しなければならない。なぜ城ヶ峰に対して、ここまで腹が立つのか。俺はこいつをどうしたいのか。

 しかし、いまはそんなことに思考を割いている場合ではない。俺は深呼吸して、前方のルートを確認した。間もなく交差点。


「印堂! ドリットだ、あいつを叩き落せ!」

「了解」

 印堂の無機質なつぶやきが返ってくる。印堂のやることは、いつも思い切りがいい。後部座席の窓からほとんど上半身をまるごと外へ投げ出しながら、右腕を霞むほどの速度で振った。

 丸く、鈍い色に輝く物体が飛んだ。矢のように素早く。

「あっ」

 城ヶ峰が咎めるような声をあげた。

「雪音、いまのは私の盾だぞ! なんということを!」

「いちばん安定して投げやすかった」

 印堂は平然と答える。

「うまくいった。命中」


 それだけの成果はあった。

 城ヶ峰の盾は、空中で回避動作のできないドリットの頭部、フルフェイスに覆われた顔面へと見事に命中した。

 その身体を吹っ飛ばす。

 弾丸同士が衝突したようなものだ。加速がついていただけに、ドリットはうめき声すらなく弾き飛ばされる。あの巨人が何者による、どんなエーテル知覚の化物か知らないが、とんだ間抜けだ。空中に投げ飛ばすなんて、狙って撃ち落としてくれと言うようなものだろう。

 城ヶ峰がなにか文句を言っているが、印堂のナイスピッチングには、生ビール中ジョッキでも奢ってやりたいくらいだ。

 だから俺は一言だけ警告することにして、思い切りハンドルを右へ切った。

「舌を噛むなよ」


 車の数が少ないことは、この状況における唯一の幸運だった。道路は貸し切り状態に近い。俺たちのミニバンは、明らかに危険な音を響かせ、ドリフトしながら交差点を右折する。

「さすが、俺!」

 俺は自画自賛した。無事故無違反の優良ドライバーなだけはある。限界ぎりぎりの速度で、右折が間に合った。

 そう思って、バックミラーを確認した――瞬間、あらぬ方向にすっ飛んでいくドリットが、信号機の柱を片手で掴むのが見えた。

「うっそ」

「なかなか、やりますね。望むところです!」

 前者の発言は当然のようにセーラ、後者は城ヶ峰だ。


 ドリットは信号機を掴んで、空中で姿勢を制御する。

 体を傾ける。

 信号機の柱を蹴る。

 再びこちらへ飛び出してくる。次に掴むのは街灯の柱、電信柱、標識――ビル壁――そのようにして蹴り渡り、見る見るうちに距離を詰めてくる。フルフェイス・ヘルメットの前面がくだけ、妙に青白い素顔がすこしだけ覗いている。

 ぞっとするほどの無表情な男だ。まるで死人か。


「なんなんだ、あいつは」

 俺は思わず泣き言を言った。たとえば《E3》か何かで身体を強化しているとして、とても人間の動きとは思えない。

 俺たちのミニバンよりも小回りが利き、なおかつ素早い。俺がいくら無事故無違反の優良ドライバーだろうが、間もなく追いつかれるだろう。速やかに対策する必要がある。

 さしあたっては、騒がしいやつを黙らせることだ。


「城ヶ峰!」

 俺は片手で腰の剣帯を外した。バスタード・ソードを、後部座席へ放る。

「お前はこれ使え。絶対に壊すな、あと無くすな」

「えっ」

 バックミラーの城ヶ峰が、目を丸くするのが見えた。それから誰にも渡すまいとするかのように素早くバスタード・ソードをつかみ、興奮気味に掲げてみせた。

「し、師匠! ――師匠、これは、師匠!」

「片手剣と盾よりも、お前、そっちの方が向いてる。攻撃のことだけ考えろ。下手くそなんだから。叩かれる前に叩け。わかったか?」

「師匠! つまり、これは、やはり私のことを」

「ちゃんと返事をしろ! クソが。イラつかせるな。わかったか?」

「――はい、師匠!」

 城ヶ峰の胡散臭いほど律儀な返事。

「命に替えても、師匠の剣に恥じぬ戦いをご覧に入れます」

 城ヶ峰は感極まったかのように目を閉じ、小声で何か祈りのような言葉を呟いた。これでよし。

 非常識な空中機動で近づくドリットは、間もなくこちらの頭上から飛びかかってくるだろう。後方の白いセダンもじりじりと距離を詰めてきている。


 俺は印堂を振り返り、頭上を指さした。

「印堂、上だ」

「迎え撃てばいい?」

「相手はあいつだ。ドリット。やれるか?」

 やれるか、というこの言葉には、いくつかの意味があった。

 あのときのように冷静さを失わずに、最善の選択をする努力を放棄せず、戦うことが出来るか。そういうことだ。

 印堂の内面でどんなことが起きていようが、俺は知ることなんてできないだろうし、しようとも思わない。カウンセリングなんて冗談じゃない。

 できるのは、ただ印堂を、ひとりの勇者として扱うことだけだ。

 少なくとも、《ソルト》ジョーやエドやマルタやイシノオ――俺が善だと信じる世界は、そういう風にできている。

 俺の質問に、印堂は一瞬だけ沈黙した。

 眉の間に、ひときわ深いシワが刻まれた。もしかしたら怒りだったのかもしれないし、疑念だったのかもしれないし、多すぎる後悔の類だったかもしれない。だが一瞬のことだ。


「やる」

 短い答えだった。

「今度は、ちゃんとやる」

「よし。合図したら上にあがれ」

「うまくいったら、よくできたポイントは?」

「百点くらいやるよ。できたらな」

 印堂は少し笑った。ただ口の端がわずかに緩む、不思議な笑い方だった。

「約束」

 そしてナイフを引き抜く。柄を逆手に握る。やはり片手剣よりも、こちら扱いの方がはるかに手慣れている。

 問題は、これでドリットや《ネフィリム》どもを仕留めるのが難しいということだ。いまは急場凌ぎでも、このままやるしかない。


 セーラが俺の腕を、かなり強めに肘で突いてきた。

「おい、大丈夫なのかよ」

「お前はナビに集中してろ。何も見逃すな。少なくとも、印堂はお前より強い」

「そういうことじゃなくて、印堂は」

 セーラはまだ何か言うつもりだったようだが、俺は鼻で笑って黙らせた。

「いいんだよ。しくじったら後で思い切り馬鹿にしてやる。おい、城ヶ峰!」

「はい、師匠! なんでもお任せください!」

 後部座席からは、いつも以上にうるさい声が返ってくる。


「お前は攻撃。そこに転がってる黒いザックの――それを――そうだ。おい、舐めてんのか! いま頭の中を読んだろ! それができるなら、こういう修羅場ではいつもそうしてろよ!」

「えっ。それは、ちょっと、師匠! 私だって恥ずかしいですよ! 乙女なんですよ!」

「殺すぞ城ヶ峰――いや。いい。それどころじゃない」

 不意に殺意が沸いたが、どうにか堪えることができた。状況は切羽詰っている。

「合図したら、そのピン外せ。で、思い切り投げろ」

「はい! これはなんでしょう、師匠!」

「チャンスは一度だからな。あの車のフロントガラスをぶち抜いてやれ」

「はい! あの、では、よくできたポイントは?」

「お前はおこがましいんだよ。いままでのマイナス分の帳消しがせいぜいだ。いいな?」


 俺は返事を待たなかった。

 ドリットがひときわ大きく跳躍し、俺たちのミニバンの頭上に影を落とした。

 それと同時に、背後の白いセダンの助手席から、見覚えのある女の顔が覗いた。たしか、トモエと呼ばれていたはず――北海道で遭遇した少女――その手に、細長い得物を握っている。手槍だ。

 そこまでを一瞬で視認して、あとは行動に移すしかなかった。かなり穴の多い作戦だが、いまの俺にはじっくり考えている暇はない。


「いくぞ」

 俺は思い切りブレーキを踏みつけた。なるほど、いまの俺には《E3》はない。だが、時速百キロに近い速度で走る鉄の塊があった。

 あと、《ソルト》ジョーやエドあたりは大爆笑するだろうが、俺はものすごく強いし、とても凄腕の一流勇者でもある。

 白いセダンの三流の追っ手どもは、その点をちゃんと理解していただろうか?

 俺たちのミニバンが急停止する。

 その瞬間に、全ての状況が連鎖的に推移した。

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