レッスン5:命を狙われてこそ一人前

第1話

 羽田空港に降り立つと、たしかに東京はひどいことになっていた。


 《ソルト》ジョーは『戦争』と言ったが、決して誇張された表現ではない。空港の通路で、まず目に入ったのが自衛隊と警官隊。あとは緑の制服に身を包んだ、勇者くずれの公務員――それから文科省直轄の《等外剣官》。ずいぶんと、物々しい装備で空港を警備していた。

 どうも空気がちがう。航空便の発着も、だいぶ本数が減らされているようだ。それと比例するように、空港の利用客はひどく閑散としていた。


「すごく待たされた」

 と、印堂雪音は不満を漏らした。

「お腹がすいた。あと、重い」

 印堂は実に三人分の荷物を運んでいた。

 なぜならば、荷物持ちを賭けた、機内でのカードゲーム――つまり《七つのメダリオン》で負けたからだ。印堂はゲームにおいても直線的で無思慮な攻撃が目立った。自らが展開した強力なカードに兵站をバカ食いされ、自壊したようなものだ。これだから初心者は困る。


「やたら荷物検査が長かったよなあ――ってか、雪音さあ、それ大丈夫かよ」

 セーラは大きく背伸びをした。機内の《メダリオン》において、俺の山岳歩兵を撃退して最終的な勝利を収めたのは、こいつが擁する妖精騎士団であった。初心者のくせに生意気だ。

「ここから、どうすんだよ」

 セーラは俺や、なぜか城ヶ峰を、睨むように見た。

「電車とかまともに動いてんの?」


「いや。ニュースを聞いたところ、それは難しいようだぞ、セーラ。おのれ魔王どもめ、市民をこれほど苦しめるとは許せん」

 城ヶ峰は、ガラス張りの待合室から外を睨みつけていた。遠くで黒煙が上がっているのがわかる。誰かが爆破テロでも起こしたのだろう。ヘリコプターも飛んでいる。もうひとつ普段と異なるのは、道路に車が意外なほど少ないことだ。

 交通規制でも出ているのかもしれないし、ただ単にこの状況では車を走らせたいと思うやつが少数派なのかもしれない。


「師匠」

 と、城ヶ峰は俺を振り返った。

「ここは我々が獅子奮迅の働きを発揮し、事態を打開するしかないと思われます」

「まあな」

 俺は適当な相槌を打った。

「その前に、至急やるべきことがある」

 不意に、印堂と目が合った。眉間のシワが開き、目を輝かせるのがわかった。

「腹が減ったからメシを食う。奢りじゃねーから、自分のは自分で払えよ! もう旅費もぜんぜん残ってないんだ」

 ついでに、情報の整理も必要だ。これから足を突っ込むのが地獄だろうとなんだろうと、まずは何が待っているか知ることだった。心の覚悟だけではなく、どう対処するべきか。勇者という仕事は、何を置いても『計画性』が重要だ。


 そうして新聞をかき集め、ネットの情報を軽く眺めたところ、それが始まったのは、ちょうど昨日のことだったという。

 きっかけは、どこのボンクラ弱小魔王だったのか――盛大なカチ込みによる、敵対勢力の拠点爆破からはじまって、連鎖的に抗争が発生。そのまま激化した。

 ラジオで耳にした噂によると、どうやら首都圏の西側において、緊急警報も発令されているらしい。

 特に渋谷区から新宿区、ついでに目黒区と豊島区にかけては、魔王どもの抗争が過激化して、ひどいことになっている。政府も《E3》を扱える軍隊を派遣し、鎮圧を試みているようだが、あまり上手くいっていない。魔王の数が多すぎるのだ。

 これならば、勇者にとっては稼ぎ時といえるかもしれない。


 ――という現状を、俺たちは空港内の喫茶店で確認することになった。

「思ったより面倒くさいぞ」

 ピザトーストを食べながら、俺はそのように結論づけるしかなかった。とても空腹だったので、俺は一瞬の躊躇もなくピザトーストをダブルで注文した。ピザは善なる世界の食べ物だからだ。

「電車がろくに動いてないなら、車か? どこかで渋滞につかまったら最悪だな。しかし、それしかないか」


「車って、センセイ、どこに行くつもりだよ?」

 セーラは少しだけ不安そうに尋ねてくる。彼女はひと皿のサラダとヨーグルトという、極めて貧弱なメニューで空腹を満たすことができるらしい。俺たちの食事の間、ずっとイラついた目で窓の外を見ていた。

「かなりヤバそうなんだけど。センセイ、あんた昨日は『派手にやる』って言ってたよな。なんか考えでもあるのかよ」


「決まっているだろう、セーラ!」

 城ヶ峰が口を挟んだ。こいつは無意味に気力が充実しているらしく、猛烈な勢いで大盛りのカレーを平らげてしまった。

「騒乱を起こしている魔王どもを、速やかに鎮圧する! 市民はいま、この惨状におびえている。誰かが勇気をもって切り開かねばならない。そうでしょう、師匠?」

「――ああ」

 おそらく初めて、俺は城ヶ峰の言い分を肯定した。そうするしかなかった。実のところ、俺が考えていることと、そう変わらない意見だったからだ。この異常な状況にあたっては、城ヶ峰の狂気じみたヒロイズムはむしろ正常に近い。俺の考える正常。クソみたいな正常性。

 いまや状況は、まさしく『戦争』という言葉が近いように、俺には思えた。

「まあな。そんなところだな」

「さすが師匠!」

 城ヶ峰は顔を上気させ、神妙な顔で頭を下げた。

「この一番弟子の私が、地獄までお供します」


「センセイ、適当なこと言わないでくれよ。亜希がマジにするだろ」

「そうか? セーラ、ほかに名案とかあるか?」

「あー……その、一度、家に帰りたいんだけど」

「すげー名案だな、それ。そう簡単に、いまの東京都内を抜けることができるなら」

「くそ。わかってるよ!」

 煽ってやると、すぐにセーラは拗ねた。俺から目を背け、窓の向こうを睨むように見る。


「まあ、何をするにしても、だ」

 俺はセーラの態度を嘲笑うことで、そのへんの議論を誤魔化した。

 いま考えていることを口にするべきかどうか、俺にもいまだ判断がつかなかった。ひどく面倒なことに足を踏み入れてしまった気がする――が、悔やんでも仕方がないので、当面の問題を提示して、矛先をそらすことにする。

「態勢を立て直す」

 俺はコートのポケットを叩いた。

「残りの《E3》が四本。お前らに渡した分は使い切ってるから、この四本が俺たちの生命線だ。少なすぎるだろ。とりあえず《E3》を確保する必要がある。他にも武器、物資。印堂とか、貸してやった剣を折られてるしな。つまり」

 俺は窓の外を指さした。

「エド・サイラスの店だ。そこまでたどり着けば、《E3》も武器も補給できる。俺の友達もいるしな」


「――あのひとは?」

 ずっと黙々と食事に集中していたはずの、印堂が声をあげた。目の前に並んだいくつもの皿は、いつの間にか空になっていた。驚くほどの食欲。

「あの、マルタっていう人は? すごく強いと思う――たぶん。一緒に来なかったの?」

「ああ。あいつは仕方ない」

 俺は思わず笑ってしまった。

「こんな状況だろ? 東京行きの飛行機なんて、身分証出せって言われるのは目に見えてる。で、あいつそんなもん持ってないし」

 密航するかチャーターするか、あるいは強奪か。色々と手段はあるが、俺はマルタのことを心配する気はなかった。するだけ無駄だ。


「で? ほかに名案はあるか? 一気に喋るなよ。挙手して発言すること」

「東京を抜けるのは簡単じゃないって、センセイ言ったけど」

 セーラが律儀に手をあげた。

「あの店までは楽勝なのかよ。ほかに、アカデミーってのはどうなんだ? 状況が状況だし、支援活動やってると思うから、保護してくれるかも――」

「一理ある。ただ、いまはやめた方がいいな」

 できるだけ軽薄に聞こえるように、俺は声の調子を努力した。

「主にセーラがビビると思ったから言わなかったけど、さっきから尾行されてるような気がする。っていうかされてる。少なくとも、俺が連中――《半分のドラゴン》だったら、空港に着いた時点からマークするね」


 北海道で、あの連中を逃がしたのがまずかった。

 少なくとも俺のことは報告しているだろうし、《嵐の柩》卿のパーティーでレヴィと接触したときとは状況が違う。こっちの移動経路と、居場所が筒抜けになっている。空港を見張っていれば、俺たちが乗る便は簡単に割り出せるだろう。

 こうして追いかけられるのは、初めての経験ではない。命を狙われたことなら何度となくある。勇者稼業をやっていると、どうしても恨みを買う機会はあるからだ。

 こういうときのコツは、冷静になること。それしかない。

「空港内では、こんな警戒態勢だから仕掛けて来ないだろうけど」


「うえっ?」

 セーラが振り向いて見回そうとするのを、頭を鷲掴みにして止める。だから言いたくなかったんだ。そのままではあまりにも不自然なので、金髪をかき混ぜるようにして荒っぽく撫でた。

「それで、アカデミーの件を含めて、様々な事情を勘案した結果だ。最寄りの拠点であり、俺が知る限りいちばん確実で強力な援軍のいる、エド・サイラスの店にたどり着くことにしたわけだな。わかったか?」

「おっ――やめろ、おい! 変なふうに撫でるな!」

「そうです、師匠」

 城ヶ峰が頭突きをするように頭を突き出した。

「公平ではないので、私もお願いします」

「舐めてんのか」

 遊んでいる場合ではないことが、いまいち伝わっていないらしい。

 俺はおそらく、またしても命を狙われているのだろう。というりより、俺たちが。城ヶ峰の場合は、狙われている張本人の態度とは思えない。能天気すぎる。

 俺はイラつく気分を鎮めるため、最後に残ったコップの水を飲み干した。落ち着くべきだ。城ヶ峰を前にすると、どうも神経がささくれ立つ。理由は自分でもわかっている。


「印堂、お前から見てどうだ? 尾行してるやつはわかるか? ――おい、なにやってる」

 俺は結局のところ、尾行する側としては専門だが、されるのはあまり慣れていない。仮にも傭兵として暮らしていた印堂に話を振ると、城ヶ峰と同様に頭を突き出しかけていた印堂が、眉間をかすかに歪めた。

「別になにも」

「しっかりしろよ。最悪、城ヶ峰とセーラの面倒はお前が見るんだからな。で、尾行はどうだ?」

「されてると思うけど、よくわからない」

 印堂はあっさりと首を振った。

「私がよくわからないから、素人じゃない。それか、そういうエーテル知覚を使ってるか」

「かもな」

 俺は最後に残った氷を噛み砕き、コップを置いた。ついでに《E3》を三本、机の上に転がす。

「これからドライブするぞ。おやつはこれ。ひとり一本だけな」

「師匠の車で!」

 ドライブ、という単語に、城ヶ峰は著しい反応を見せた。

「では、席順を決めておきましょう! 私が助手席に座るとして、師匠の車はどちらに?」

「そんなもん、いっぱいあるだろ」

 俺は空港の駐車場を指さした。勇者には、魔王を殺したあと、逃走するための手段を確保する必要がある。そのための手段のひとつが、これだった。

 つまり『車泥棒』。セーラは口を半開きにしたし、城ヶ峰は倫理道徳的なことを喋り始めた。


 それから城ヶ峰を適当にいいくるめて、車を奪い取るまで、おおよそ十分。

 その間、ずっと誰かに見られている感覚が消えなかった――なんらかの狩猟型の動物に、物陰から見張られている予感。あるいは毒性のある爬虫類に、こっそりと近づかれている予感。

 そしてもちろん、悪い予感が予感のまま終わったことなどない。

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