第10話
結局のところ、俺は城ヶ峰に何をいうべきか思いつかなかった。
なにか意味のあることが言えるような気がしたが、それは本当に気のせいだった。それはつまり、俺が様々な要素を、集めたはいいものの整理できていないことを意味する。あるいは、何らかの要素の断片が欠けているのか。
《E3》がほしい、と俺は思った。
少し時間をかけて整理してみる必要があるのだろう。どうも頭のはたらきが鈍い。疲れているのかもしれないし、別の理由かもしれない。考えたくないだけ、という可能性もある。いずれにしても、良くない兆候だった。
「師匠」
おかげで、風呂からあがっても、城ヶ峰には執拗につきまとわれた。廊下を歩く俺の後ろを追ってくる。
「私にもぜひアドヴァイスをお願いします。雪音とセーラだけでは不公平です。それか、ほら、《明星の帳》卿との戦いではよくやったとか」
城ヶ峰は自分を指さした。
「我ながら見事に凌ぎきりました! 褒めてもいいんですよ!」
「そうかい」
俺は一度だけ振り返った。城ヶ峰のさらに後ろで、セーラは気まずそうに顔をそむけた。印堂は眉間に細いシワを作った。
三人とも、学校指定のジャージ姿だった。《神父》が用意したという浴衣も渡されたが、襟には俺もよく知らない毒薬を塗った針が仕込まれていたため、すぐに捨てさせた。たぶん筋弛緩をともなう麻酔系の毒だったのではなかろうか。
「勇者は魔王を殺してナンボの商売だ。善戦しただのって話が一円にでもなるか? あんな無謀なやり方、褒めるところ一つもねえよ」
「では、ぜひご指導のお言葉を!」
「勇者なんてやめちまえ」
俺はもっとも手っ取り早く、なおかつ、どんなときでも唯一の正解であろう指導のお言葉だけを返した。俺は急いでいた。
マルタや《神父》が宴会を繰り広げているであろう大広間へと、速やかにたどり着く必要があった。
「クソみたいな商売だからだ」
「しかし、私の父は――」
「お前の親父は人殺しのクソ野郎だった。俺もそうだ。どいつもこいつも、勇者ってのは例外なくそうだ!」
俺はそれだけ言い残して、さらに足を速めた。もう目の前は大広間だ。騒がしい連中の声が響いている。もはや手遅れだったのではないか、という疑念が首をもたげた。それでも俺は勇気をもって、戸を勢いよく開け放った。
――当然、手遅れだった。
「くそっ!」
俺は愕然として、悪態をついた。
「やあ、ヤシロ」
マルタは俺に手をあげた。すでに顔が赤い。一方の手にはカードの束を、もう一方の手にはビール瓶を握り締めていた。かなり酔っていることは、喋る前からわかった。
「悪いね!」
マルタの声には、少しも悪びれた様子はなかった。
「先に始めてたんだよね、あんたら遅いから」
宴会はほとんど終わりかけていた。
並んだ長机の上には何本も空になったビールや焼酎の瓶、それから料理の残骸が散発的に放置されていた。蟹の甲羅、大根おろし、なんらかの肉の脂や醤油で、皿はことごとく汚れているように見える。そして有象無象の傭兵どもが、広間のあちこちで寝転がり、あるいは壁にもたれかかっている。
マルタは心の底から申し訳なさそうに頭をさげた。
「ヤシロの分も残そうと思って、おれ、頑張ったんだけどさ。うまくいかんもんだ」
「ふざけるなよ」
俺は激怒した。マルタは意志が弱すぎる。こいつ、俺が知る限り人類最高レベルの剣の達人のくせに、なんでこんな意志薄弱なんだろう?
「先に始めるどころか、もう終わりかけてるじゃねえか!」
「ごめんな。おれってやつはダメなんだ、本当に。つい腹が減っちまって」
「仕方ない、仕方ないさ」
クソッタレのハゲがそれに調子をあわせた。傭兵野郎、テツのことだ。やつはマルタと向き合って、《メダリオン》での決闘の最中だった。もはや局面は終盤で、おそらくテツの優勢。
マルタは多数の軍勢を展開させているが、いずれもカードが貧弱で、相手の守備ブロックを突破できそうにない。そのことに機嫌をよくしているのか、テツの野郎は朗らかに片手のビール瓶を掲げてみせた。
「あんまりマルタを怒るなよ、ヤシロ。人生、いろいろあるからな! へっへっ」
その軽薄な態度は、俺の怒りに火を注いだ。
「おい、ハゲ。いますぐ俺と勝負しろ。《メダリオン》だ!」
「――ひどい」
俺の背後では、印堂雪音が料理の残骸を眺めていた。かつてない眉毛の下がり具合からして、非常に悲しんでいるようだった。
「温泉旅館では、色々な料理が食べられると聞いていた」
「どんだけ食べたんだよ、ここの連中」
セーラ・ペンドラゴンは呆れた顔で傭兵どもを見回していた。
「マジでなんにも残ってないじゃん」
「すまんね、本当。食ったら無くなっちまったんだ」
マルタはすでにこの問答に飽き始めているようだった。あくびをするとともに、いかにも面倒くさそうな答えを返した。
「今日はツイてなかった分、そのうち良い事あるよ、嬢ちゃん。元気出しなって。おれが保証するからさ」
「ひどすぎるだろ、これ」
奇しくも、先ほどの印堂と、セーラの意見は一致した。保証。住所不定無職、おまけに人殺しの男の保証に、どんな意味があるというのか。
そして、セーラは恨みがましい目で俺を振り返る。
「晩飯どうすんだよ、センセイ。すげー腹減ってるんだけど」
「知るかっ。俺はこれからゲームで遊ぶんだよ。水でも飲んでろ!」
「はい、師匠!」
城ヶ峰の清々しい声が聞こえた。過剰なほど清々しい声だった。
「この水、そちらの方から勧められたのですが、たいへん独特の味ですね」
「あっ」
俺は慌てた。
城ヶ峰が透明な液体の入ったコップを握っている。その傍らでは、下品な赤ら顔の傭兵が、へらへら笑ってこっちを観察しているところだった。間違いなくここにいる傭兵どもは、この三人の素性を知っている。その上で遊んでいるのは間違いない。
こいつら――特にセーラ・ペンドラゴンになにかあった場合は、俺が監督責任を問われるということを。
「おい、セーラ! 城ヶ峰を取り押さえろ。こいつにアルコールが入った場合、想像を絶して面倒くさいことになるぞ」
「堅いこと言うなって。未成年がビール飲んじゃダメなんて法律、ないだろう?」
何もわかっていないマルタが、乾杯するようにコップを掲げた。
こいつは本当に何もわかっていない。城ヶ峰にアルコールを投入したら絶対に面倒なことになるし、未成年がビールを飲んではいけない法律もちゃんとある。
「師匠、一緒に水を飲みましょう! 絶対に楽しいですよ。事実、私は楽しくなってきました――セーラどうした、離せ、なにをする。私にそのような趣味は一切ないぞ!」
「私だってねえよっ、大人しくしろ!」
「ハハハ、もちろん知っている。心を読むまでもない! だが諦めたまえ、なにしろきみは恐れ多くも私の師――」
「黙れ」
低い声で唸ったセーラは、城ヶ峰の首をチョーク・スリーパー気味に締め上げはじめる。城ヶ峰の喉からは、ジャングル奥地の怪鳥の叫びのような声が聞こえた。傭兵どもが笑い転げている――こいつら酔っ払っているから、何を見ても愉快なのかもしれない。
俺は非常に乾いた気持ちでそれを見ていた。
理由はわからないが、こいつらがふざけているのを見ていると、神経が妙にささくれ立つのを感じる。ダンプカーみたいな大型車でまとめてぶっ飛ばしたくなる。端的に言って、非常にイラつく。
俺はカードのデッキをシャッフルしながら怒鳴った。
「お前ら、さっさと部屋に引っ込め! 気が散る!」
「これはこれは、ヤシロさん」
いままでずっと黙って、部屋の隅に佇んでいた男が、いつの間にか俺の傍らにいた。《神父》のクソ野郎だ。こいつは気配を消そうと思えば、いつまでも誰にも気づかれずに消している。腕の立つ勇者、というより人殺しであるが、その技量を本当にろくなことに使わないのが《神父》という男だ。
「ご苦労されているようですねぇ。そんなあなたを見て、私はとても心が痛い」
《神父》はにこやかに微笑みながら、両手を広げるような仕草をした。
「私がお嬢様たちを、部屋まで安全にご案内いたしましょうか? そう――安全にね」
「黙ってろ」
「しかし皆様、お疲れのご様子ですし」
「わかった、取ってこい」
俺は無言でポケットから千円札を取り出し、ぐしゃぐしゃに丸めて放り投げる。《神父》は即座にそれに反応し、凄まじい速度で畳をすべり、確保に向かった。
俺が《神父》を扱ううえで、心得ていることがひとつある。
可能な限り相手にするな、だ。
――俺の携帯電話がポケットの中で振動したのは、ちょうどそのときだった。すぐに着信相手を見る。《ソルト》ジョー。
俺は軽く鼻を鳴らして、大広間を見回す。本格的にレスリングをはじめたセーラと城ヶ峰、それから素早い動きでかろうじて残った料理をかき集め、捕食している印堂。傭兵どもは完全に酔っ払っており、マルタはちょうどテツが放ったクイック・カード、《盲目の刺客》によってとどめを刺され、ゲームに敗北しているところだった。
「おい」
俺は敗北を嘆くマルタと目配せを交わした。
「あの三人を見とけよ。特にクソ《神父》から目を離すな」
「おう?」
マルタはまだ酔っ払った目で俺を見た。
「どうしたんだい」
「ジョーからだ。なにかあったかも知れない。頼んだ」
「ん」
うなずいた、マルタの目から少しだけ酔いが失せた。
そうして俺は大広間から静かに廊下へ出た。《ソルト》ジョーへとかけ直す――四回のコール。かすかに酔っ払っているような、不機嫌そうな《ソルト》ジョーの声が響く。
『ヤシロ。まだ生きてたか? こいつは心霊現象じゃないよな?』
「俺を誰だと思ってんだ」
俺も急激に不機嫌になった。いま、あまり冗談を聞きたい気分ではない。
「ふざけんのはいいから、用件を言えよ」
『いろいろ調べたが、そっちが先だ。ヤシロ。怪物どもの巣は突き止めたな?』
「ああ。俺はヘボ野郎と違って、飛行機が怖くないからな」
『てめーもふざけんな、おい』
「怪物ってのは、失敗作のことだった」
マルタは、《明星の帳》卿のデータベースから、引き出せる限りの情報を引き出した。
結論から言って、《明星の帳》卿はほんの下っ端にすぎない。《半分のドラゴン》から資金援助を受けて、魔王として君臨する代償に、ある研究に加担させられていた。どうやら間違いない。
その研究が《E4》の開発。
次世代の《E3》。四肢の欠損どころか、瀕死の肉体すら修復するドラッグ。最近、魔王業界で出回りはじめている新薬だった。
実験材料は、鮮度の高い瀕死の患者。北海道は理想的な環境だったのかもしれない。その結果として実験はある程度まで成功していた。こいつは本当に革新的なドラッグ、ということになるのだろう。
唯一の欠点は、《E4》は適応者を選ぶ、ということ。
そのように記録されていた。
適応できなければ、《琥珀の茨》卿のように、再生した四肢の暴走を起こす。あるいは、《ネフィリム》どものように、自我を失った怪物に成り下がるか。適応者の条件はいまだ不明。遺伝子情報か何かに、特定の因子が必要なのか――と、そこで実験は『なおも継続』というステータスになっていた。
だが、そんな細かい話はどうでもいい。
必要なのは、誰が《半分のドラゴン》なのか、ということだ。
「で――つまり、俺の師匠だ」
『ああ? なんだって?』
「俺の師匠が、あいつらの一員だった。《半分のドラゴン》。リストを見つけた」
『だろうな』
ジョーの反応こそ、俺の意表をついた。あまりにも憂鬱そうで、平坦な声だった。
「知ってたのか?」
『ンなわけねえだろ。調べたんだよ。城ヶ峰亜希っつったな? あいつの目玉が治った話』
「ああ」
『おかしいって、てめーも言ってただろ』
「まあな」
わかってはいた。可能性もあった。だが、あんな脳みそに砂糖菓子が詰まっているような阿呆が、俺たちの目的に関して、重大な要素を握っているとは思えなかった――ちがう。知りたくもなかっただけだ。つまり、そういうことだ。
『戸籍上の話だけどな。城ヶ峰亜希は七年前に一度、死んでるぜ』
俺は黙ってそれを聞いていた。七年前。思い出すことがひとつだけある。まだ素人だった俺が、半ば強引に鷹宮清人に弟子入りした時期だった。
『魔王どもの抗争に巻き込まれてな。つまらんチンピラに殺されてる。機関銃で撃たれて、内臓やら何やらグチャグチャにされた。病院に運び込まれた時には、もう手遅れだった――ってことになってる』
「死んでるって、どういうことだよ。俺の師匠が離婚したとき、母親に引き取られたって聞いた」
『離婚はしてるな。たしかに、その七年前の一件で。その母親にも話を聞きたかったんだが、こいつは去年に死んでる。戸籍が復活したのはそこだな。アカデミーに入学したときに』
「俺の師匠と、月に一度だけ会ってたって聞いた」
『ああ――そっちの話を聞いたら、だいたいわかった。てめーもそうだろ?』
「まあな」
ほんのかすかな頭痛を感じる。
結局のところ、何も変わらない。俺の師匠はろくでなしで最低のクズ野郎だった。月に一度、鷹宮清人はおそらく、必死になって希望の城を築きあげていたというわけだ。あるいはグロテスクな理想像。
それが何らかの救いになると思い込んでいたのかもしれない。自分と、もはや手遅れな娘に関する救いに。
「城ヶ峰亜希は《E4》の適応者だ」
俺はそのように結論づけた。
「七年前、俺の師匠は実の娘を実験材料にした。それは――まあ、だいたいうまくいった、城ヶ峰亜希は修復された」
『嫁さんとの関係はどうしようもなかったけどな』
「それと、城ヶ峰本人も、だ。本当に修復できたのかも怪しい」
『さあ? 脳に損傷があったかどうかは、わからねえぜ』
「そうじゃなりゃ、《E4》の影響だ。適応できなかったやつは、自我のない怪物に成り下がる。それとも、死んだ時にリセットされて――精神レベルが七歳児って可能性もある。ってか、そうとしか思えないね」
『あいつの脳が、まったく正常って可能性は?』
《ソルト》ジョーは笑った。まったく、こいつもたいしたクソ野郎だ。楽しんでやがる。俺はなにも答えなかった。それに笑えない。
本当のところは――どっちでもいい。どっちでも。
俺には、やるべきことがある。
「とにかく、一泊したら帰る。ここにいると、神経だけやたら使うしな」
『ああ。さっさとした方がいい』
それから《ソルト》ジョーの声は、またざらついた、不機嫌な調子に戻った。
『エド・サイラスが撃たれてな。意識不明でよ、しばらく店は開店休業だ』
その言葉の意味を理解するのに、俺は三秒ほど時間がかかった。
「――なにがあった?」
『戦争だよ。《嵐の柩》卿が消えて、勘違いしたやつが増えた。どいつもこいつも。東京の西側はひどいもんだぜ。押し込み強盗だの、無差別テロだの――だが』
《ソルト》ジョーは、露骨に明るい声をあげた。
『稼ぎ時だ。派手にやろうぜ』
ケリをつける。
《ソルト》ジョーが似合わないくらい明るい声をするときには、そういう意味がある。
なるほど、決着はつけねばならない。イシノオ。エド・サイラス。俺にとっての、善なる世界が傷つけられた。落とし前は必要だ。
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