第6話

 上空二千メートルから見下ろすと、その建造物は、闇夜でもはっきりと異様に際立って見えた。

 山岳の中腹、切り立つ崖の淵に屹立するのは、四つの無骨な石のキープ――防御用尖塔。それを囲む城塞と、城壁。見た目はまさしく中世の城である。馬鹿げている、と俺は思った。あちこちに電気式の照明がゆっくりと明滅しており、その建造物が呼吸しているように感じさせる。


 どこからどう見ても、魔王の城だった。

 黒雲を背景にまとい、わざとらしいほど邪悪にそびえ立っている。とはいえ、それほど大きな城ではない。見た目はおどろおどろしいが、大軍勢を擁する北海道のほかの魔王どもに比べると、慎ましいといっていいほどだ。

 俺は武装ヘリの強化ガラスごしに、その城を眺めていた。


「つまり、あれが《明星の帳》卿の?」

「たぶんね」

 答えたのは、さっきから貧乏ゆすりが止まらないマルタだった。笑い方もぎこちない。ずっと自分の両手のひらを見下ろしたまま、顔をあげようともしなかった。

「俺は外を見れないから無理だけど、そうだと思うよ」

 わざわざ説明するまでもないかもしれないが、マルタは高所に対して恐怖症に近いものを持っている。面白がって無理に外を見せると、気分が悪くなってゲロを吐いたこともある。それを思い出すたび、俺は不思議な気分に囚われる――なんでこいつ、こんなに強いのに致命的な欠陥ばかりをたくさん抱えているのか?


「よし、そろそろ出番だからな! 《死神》ヤシロ。あんたの腕前を見られそうだ」

 さっきからこの乗り物を操縦している男が、振り返らずに怒鳴った。昼間に俺にライフル銃を向けやがった、舐めた態度のハゲだ。俺は中指を立てた。

「黙れハゲ、気安く呼ぶな」

「なんだよ、ちょっとは感謝しろよ。意外に器の小さい野郎だな――ま、いいや。ここまで載せてきてやったんだから、うまくやれよ。マルタ、てめえは報酬忘れるんじゃねえぞ」


「大丈夫、大丈夫だよ」

 どうやら、この傭兵の男とマルタの間で、なんらかの取引があったらしい。魔王を殺した賞金の一部だか、城に蓄えた隠し資金の山分けだとか、どうせそんなところだろう。

「俺がゲロで窒息死さえしなきゃな。なあヤシロ、酒をくれねえか、もっと強いやつ」

「マルタ、もうやめとけ。音楽でも聞くか? 気が紛れるらしいぞ」

「無理だ。無理……手が震えてくるんだよお」

「落ち着けって。俺がついてる。おいハゲ、降りるときはもっと高度下げろよ!」


「――師匠、すみません。ちょっといいですか?」

 不意に、城ヶ峰が俺の腕を引っ張った。

「私もさっき高所恐怖症だったことを思い出しました。私にもやさしい言葉をかけてみてはいかがでしょうか?」

「なめてんのか」

「あっ、心なしか手が震えてきました。師匠が手を握ってくれたら治るかも。いや、きっと治ると確信できます」

「おう、そうかい」

 面倒くさすぎる、と、俺は思った。

 もし仮にそれが本当だったとしても、マルタと城ヶ峰では、戦力としての価値が違う。桁が三つか四つくらい違う。それにマルタは俺の友達だが、城ヶ峰はそうではない。


「亜希、あんまりセンセイを怒らせんのやめろよ」

 セーラが城ヶ峰をつついて、小声で諌めるのが聞こえた。

「マジで雰囲気悪くなってくるだろ」

「それは心外だ。師匠を怒らせるつもりは毛頭なかった。むしろ私は美少女なので、同情を引き、庇護欲をそそろうと考えただけだ」

「お、おこがましすぎる……亜希の自己評価の高さが羨ましいよ、かなりマジで」

「セーラに言われると照れるな」


「――いまのは別に、褒めていないと思う」

 印堂が呟いて、城ヶ峰の肩ごしに、強化ガラスの窓を覗き込んだ。黒雲の立ち込める、真夜中の魔王城がそこにある。

 まったく魔王というやつらは、この手のコケ威しが好きだ。恐怖を演出し、己を強大に見せたがる。ヤクザやマフィアだった頃の考え方からなにも進歩していない。

「これから、あれに仕掛けるの?」

「そうだ」

「どうやって?」


 答えてやると、印堂はさらに身を乗り出した。窓ガラスに顔を押し付ける。

「対空装備がありそう。迎撃されたら、このヘリの武装だと、どうしようもない」

「そりゃそうだろうけどな。とりあえず狭いから、印堂やめろ。のしかかってくるな」

「そうだ雪音、今すぐそこから退去しろ。師匠のご迷惑になるので離れるべきだ。まさかクジでこの席順になったことを根に持っているな」

「持っていない」

「いいや、嘘をつくな! それなら引っ込め! セーラ、雪音を剥がす、手伝え!」

「ってか雪音、おいっ、足をバタバタさせんな!」

「うああああああああ!」

 最後のは、マルタの悲鳴だ。甲高い声をあげ、頭を抱えている。


「もうだめだ、ヤシロ、俺を下ろしてくれよお」

「やめろ馬鹿ども、ヘリが揺れるとマルタが怖がるだろ! 放り出すぞ!」

 俺は片手で印堂を押しのけながら、三人の学生に向き直る。こいつらは暇になるとふざけはじめる。何か意識を集中させるものが必要だ――そう。授業。俺はマルタの精神の均衡のために、なんとかこの状況に相応しい教材をでっちあげた。

「いいか。この機会だから城攻めの基礎もやっておこう」

 勇者という職業は、こうした城を効率的に攻略する技術にも習熟する必要がある。俺も習った。

 都市部の城、田舎の城、僻地の城――さまざまな城がある。それぞれ攻める手段は違う。《琥珀の茨》卿のときは、都市部なので相手の居城が小規模だったし、容易に接近して侵入できた。このような山岳部では、別のやり方が必要になってくるということだ。


「こういう場合は、空爆がもっとも効果的だ。周りに民家がないから、訴えられる可能性は低い。問題はそういう装備を整えたり、傭兵を雇ったりする予算がかかるってことだな。勇者は商売だから、費用対効果に見合わない仕事はしない――じゃあ、どうするか。城ヶ峰」

「はい!」

 城ヶ峰の返事だけは、今日もムカつくくらい清々しい。

「正々堂々と正門を破り、決して油断せず、仲間を信じ、魔王の玉座まで一気に――」

「『決して油断せず』のところに工夫と進歩の形跡が見られるが、もういいや。とにかく集落から孤立したこういう城だと、近づけばすぐに見つかる」


 俺は窓ガラスを軽く小突いた。

「つまり俺たちも、とっくに向こうから見つかってるわけだな。射程距離に入ったら地対空攻撃が火を吹くだろう。ほら、セーラ、どうする?」

「どうするって。あの……地下から行く、とか?」

「おっ。それだ。よくできたポイント一点な。魔王は脱出用の地下道を用意してるケースが多いから、それも有効な場面はある。あらかじめ地下道がわかっている場合は」

「師匠。すみませんが、よくできたポイントを、私には?」

「ない。で、城の構造がわかってない場合は、搦手を使う。例えば出入りの業者に混じったり、出入りしても違和感のない人間に金と時間をかけてなりすましたりする」


 魔王やその眷属どもも、生き物であるからには食料をはじめとした消耗品が必要だ。どこかから輸送する必要があり、そうした運送業者を利用する方法がある。あるいは、設備のメンテナンス業者を実際にでっちあげ、その社員となってもいい。


「要するに、こういう空中からの強襲降下は、あまり上策とは言えないんだが――何か手があるんだろうな、マルタ。傭兵どもが慈善事業の精神に目覚めて、無料で手伝ってくれるとか?」

「ああ、あの――ええ――、うげ」

 マルタは一瞬だけ顔を上げかけたが、すぐにうなだれた。

「だめだ。テツさん、頼むよ」

「要は、取引ってやつよ。うまく纏まってよかった」

 どうやらこのハゲは、テツと呼ばれているらしい。ヘリコプターを旋回機動させながら、俺を振り返る。どことなく癇に障る、自慢気な顔だった。

「あの城の真上にかかってる黒雲、見てろよ」

「ん?」

「ここ数日、ずっと晴れてて雪も降らなかったんだ。だが――そろそろだ。目を離すなよ」


 このハゲ野郎の言葉に反応したわけではないだろうが、それから十秒と待たなかっただろう。

 俺は見た。

 魔王城の上空にかかっていた黒雲の奥が、わずかに瞬いたような気がした。そして俺が目を凝らそうとした一瞬で、強烈な閃光と、ほとんど同時の轟音が迸った。

 稲妻だ。

 光とともに夜空を焼いて、《明星の帳》卿の城塞に突き刺さる。

 それが、二度、三度――立て続けに。いや。それはほんの前触れに過ぎない――俺は再び、さらに見た。黒雲が渦を巻き、大気がある種のうねりを生んだ。猛然と風が吹き込む。

 俺たちの武装ヘリを一瞬にして通り抜け、雪上で荒れ狂い、《明星の帳》卿の城塞を焦点に結実する。すくなくとも、そのように見えた。


 そいつは大型の竜巻だった。容赦なく城壁を引き剥がし、粉砕していく。巨人の絶叫のような風。俺はぽかんと口を開けてそれを見ていた。

 ただの偶然や、自然現象という言葉では片付けられない光景だった。

 こんな芸当ができるのは、一人しかいない。北海道を根城に、独立国家レベルの勢力を誇る魔王。天候を支配するエーテル知覚の持ち主。


「《罅ぜる聖図》卿か! 大物だな……!」

「他にも、この件に噛んでる魔王はいるんだぜ。《墨の日輪》卿、《煮え立つ礎》卿――いまごろあの城の中で何人かは呪い殺されてるんじゃねえの。見ろ、眷属どもが湧いて出てきた」

 ハゲ野郎は声をあげて笑った。よく見れば、確かに。周囲の岩場に溜まった雪から、湧き出すようにいくつもの人影が現れつつある。銃火器で武装しているところを見ると、本格的にカチコミの準備をした、魔王の眷属どもだろう。

 それどころか、どこに潜んでいたのか――雪原迷彩を施した戦車、スノーモービル、俺たち以外の武装ヘリまで、あちこちから姿を見せはじめている。魔王同士の戦いとは、こういうものだ。


「なんだよ、これ。ほとんど戦争だ」

 呟いたセーラの言葉に、ハゲ野郎がせせら笑った。

「あの新入り魔王が潰れることは、みんなの利益になるってわけだ。魔王稼業も大変だな!」

「じゃ、《明星の帳》野郎の首は早いもの勝ちってことで、いいんだな?」

 俺は運転席を小突いた。ハゲ野郎は大きく操縦桿を傾けた。

「金目のモノには手をつけるなよ。やつの隠し資金は、魔王どもの間で山分けってことになってる。おいマルタよ、いつまで震えてやがるんだ! もう降りるぞ。これだけ派手にやれば、ヘリポートにベタ降りできる。ダイビング必要なしだ」

「二十秒待ってくれ、いま酒を飲む。そしたら大丈夫になるんだよ。なあ、ヤシロ? そうだろう?」

「酒はダメだ、お前が使い物にならなくなる――さて」

 俺はマルタから酒を取り上げ、三人の学生を振り返った。


「北海道まで来た甲斐があったな。強化合宿だ、俺たち正義のパーティーで魔王を仕留めるぞ。勝手なことはするなよ。特に、」

「はい! わかりました!」

 名前を呼ぶ前に、城ヶ峰はいつもの返事で答えた。

 そのとき感じた俺の不安を馬鹿にするかのように、またもう一撃、稲妻が迸った。

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