第9話
師匠は、しばしば大間抜けの阿呆みたいなことを口にした。
それは俺への指導とか、そういうものとは無関係な、妄想のような話だった。
「勇者なんて、本当、クズみたいな商売だけどよ」
と、いつも言い訳のように師匠は前置きをした。
「でも俺は、ガキの頃からバカだったからな。憧れたんだよ。アーサー王とか、いるだろ? 桃太郎でも、指輪物語でもいいや。とにかくそいつらは勇気があって、悪いやつと戦うんだよ」
よほど恥ずかしいのか、酔っ払うと、師匠はそんなことを早口で喋った。
「いまでも、そんなやつがどこかにいるといいと思って、それで、こんな商売やってる」
自分がそうなりたいとは、決して言わない男だった。
しかし、夢物語のようなことを信じていた。エド・サイラスもイシノオもジョーも、俺たちはみんな師匠を馬鹿にした。師匠はそういうとき、怒鳴って俺たちに暴力をふるった。乱闘になることもしばしばあって、酔っ払うと有耶無耶になった。
思えば師匠は、本当に大間抜けの阿呆だったのかもしれない。
俺は加速した思考で、状況が動いていくのを認識する。
孤立したセーラが、こちらに引き返そうとしている。印堂はひたすら自分の仕事を果たそうとしていた。セーラを狙って飛びかかる、怪物の腕を引きちぎり、転がって反撃をかわす。そしてまた次の獲物を。まるで猟犬の戦い方だ。
そして城ヶ峰は、床に血をこぼしながら、片手剣を握り締めた。呼吸が荒い。
「行きます。ここは一番弟子の私に、任せてください」
「舐めたマネしやがって」
俺は城ヶ峰の肩をつかみ、ついでに殴って止めたかったが、まだ左腕が動かなかった。右手はバスタード・ソードを握り締めている。
「計画が台無しだ。全員死ぬぞ」
「いえ。全員で帰りましょう」
城ヶ峰は立ち上がった。
「勇者とは希望だと教わりました」
正面から、また別の巨人が近づいてくる。城ヶ峰の精神論で、もう一匹を片付けることはまず不可能だろう。それが現実ではあるが、そこを糾弾するのはお門違いというところだ。もういい――城ヶ峰はそういうやつなのだ。
仕方がない。俺は一瞬だけ目を閉じ、ありったけの意志の力を引き出した。
《E3》を、重ねて使う。
負傷はおそらく三秒とかからず治るだろう。間抜けな怪物どもを片付ける。
そのあとは――いまは、『あとのこと』を考える余裕はない。
おそらくは俺の意志と、あと少しの幸運が必要になる。《E3》を多重投与した場合、そのまま感覚がおかしくなるとか、脳内物質の分泌に異常をきたして戻らなくなるケースは多い。その割合は、だいたい六割。
俺はどっちの人間だろう?
「城ヶ峰」
俺はバスタード・ソードを投げ捨て、ポケットに手を伸ばした。《E3》がある。
「下がれ。寝てろ。俺がやる」
「私は勇者です」
城ヶ峰は頑なだった。真面目くさった顔で、突撃してくる巨人を見ていた。
「そうでなければ、いったい何者でしょうか」
知るか、と思った。
巨人が近づいてくる。俺は《E3》のインジェクターを引っ張り出し、首筋に近づけた。その先端が触れる一瞬で、すべての状況が劇的に変わった。
それは鼓膜を鉄の棒で貫くような、金属的な音だった。
笛の音だ、と、少し遅れて気づく。あまりにも音が鋭利すぎて、脳の中心まで突き刺されたような衝撃。もっともこれは体感時間を引き伸ばして分析することのできる俺だから、かろうじて咄嗟に判別できただけで、城ヶ峰もセーラも、印堂ですら、原始的な反応を見せた。
すなわち、耳をふさいで、その場にうずくまる。
異形の巨人たちには、もっと効果的だった。
やつらは猿を思わせる異様な悲鳴をあげて、その場に転がった。もしかしたら、やつらの神経に特殊な刺激を与える笛でもあったのかもしれない。そのくらい過剰な反応だった。
――そして、そいつは崩れた二階から飛び降りてきた。小柄な影だ。首から、長細い筒のようななにかをぶら下げている。たぶん、笛だろう。さきほどの恐ろしく耳障りな音を発生させた笛。
そいつは瓦礫の上に降り立ち、そいつは俺たちを尊大に見下ろした。
「いつまでも巨人どもが――こんな場所で手間取っていると思えば」
京劇に使うような、おそらく不気味さを演出するための派手な仮面で顔を隠してはいるが、その声には聞き覚えがあった。女だ。しかも、エーテル焼けのせいでしわがれた声。
レヴィ、と呼ばれていた。
「お前か」
レヴィははっきりと俺を見ていた。あの晩は俺も覆面をしていたが、この女は、城ヶ峰の言うことが本当だとすれば、『匂い』を覚える。あのときの俺だと、識別できているのだろう。
「面倒ばかりかけてくれる。巨人どもが、時間を無駄にした」
レヴィのしわがれた声には、かすかに憂鬱そうな響きがあった。
「やはり不適合な素体は駄目だな。知性も知能も低すぎる。こんな連中に関わっている暇はないというのに」
周囲の異形どもを見回すと、レヴィはわずかに首を振った。
「おかげで、難儀な仕事になった。お前たちのせいだな――さて、どうしてくれようか?」
「師匠、下がって。守ります」
城ヶ峰は顔の左半分を抑えながら、低く唸り声をあげた。こいつは本当に、ふざけた弟子だ。大真面目に言ってやがる。俺は城ヶ峰を無視した。ここが瀬戸際だとわかっていた。
「――取引だ。レヴィ」
俺は片手の《E3》を示した。
「俺は見ての通りの有様だが、《E3》の手持ちには余裕がある」
「では、使うつもりか?」
嘲るような声だった。
「運良くいけば、私のようになれるかもしれないな」
レヴィは腰の曲刀に手をかけ、抜刀の素振りを見せた。事実だ。俺は彼女の言い分を受け入れ、うなずいた。
「運が悪ければ、俺は発狂して、お前と死ぬまで戦うことになるかもな。俺みたいな一流の勇者を相手にしてるほど暇か? どう思う?」
ほんの数秒間、俺とレヴィは睨み合った。
レヴィが鼻を鳴らして、曲刀から手を離すまで。
「時間の無駄だ」
それだけ言い捨てて、彼女は俺に背を向けた。
そうなると思っていた。状況から考えて、こいつの標的は、俺やセーラや、ましてや城ヶ峰や印堂でもない。《嵐の柩》卿以外に有り得ない。
「待て! 勇者として、見逃すわけには――」
城ヶ峰がなにか、とても城ヶ峰らしく、死ぬほどくだらないことを言いかけた。その台詞を、再び響いた笛の音が遮る。鋭い音。先程よりも強い。一瞬、耳の奥に痛みを感じたほどだ。城ヶ峰は頭を抑えて、よろめいた。
俺はかろうじて、城ヶ峰を支えることができてしまった。この反射的行動について、なにか言い訳をしたかったが、何も思いつかない。
レヴィは、エントランスホールの奥へと早足に去っていく。どういう仕組みになっているのか、巨人どもはゆっくりと、緩慢な動きで、彼女に追随する。セーラと印堂が何かをわめきながら近づいてくるのが見えた。
しかし、俺は極端に鈍化した知覚力で、それを見た。
城ヶ峰の顔の、左半分。
痙攣するように蠢きながら、左の眼球が回復しつつある。歪んだ左眼が、城ヶ峰を支える俺の顔を見た。
「師匠」
城ヶ峰がそのとき、何を言ったかはあまり覚えていない。
ただ、俺は城ヶ峰の左眼がゆっくりと修復されていく様子を、呆然と見ていた。思うことはただひとつ。《E3》の効果では、四肢の欠損や、失われた器官を修復することは、決してできない。
城ヶ峰亜希。
こいつは、本当に人間なのだろうか?
その日、《嵐の柩》卿は失踪した。
東京西部が、再び従来の紛争地帯と化したのは、この夜が境目であったといえる。
エド・サイラスの店も忙しくなり、たくさんの新顔が姿を見せた。魔王の活動が活発になったいま、一攫千金を目指す勇者どもが現れるのは道理だ。
だが、相変わらずエド・サイラスはろくに商売するつもりはないらしく、俺やジョーやマルタ相手に、カードゲームで遊ぶだけだった。新しく来店する客とは、ほとんど愛想もなく、会話もしたがらなかった。そういう男だ。
――その夜の俺たちは、そんな風に、カード・テーブルをにらみ合いながら話をした。俺には、エドに聞かなければならないことが、たくさんあった。
「お前の師匠のことか?」
と、エド・サイラスは言った。
「付き合いは長いが、俺もよく知らん」
「嘘だろ?」
「あいつは阿呆だったからな――おい、俺の《燃える騎兵》のお通りだぞ。その歩兵どもをどけろ」
「待て。師匠が結婚してたって話、あれはマジなんだろ?」
「馬鹿か」
エドは鼻で笑った。
「あいつが結婚なんてできるかよ。おい、歩兵どもが片付いたら、次はヤシロ、お前だ。さっさと歩兵をどけろ!」
「そうはいくか。まだ《銀の馬防柵》があるさ――あの師匠、娘がいるんだろ?」
「知るかよ。そのクソ《馬防柵》、これで終わりだ。エレファントが出るぞ。本陣ごと叩き潰してやる」
「くそ」
俺は悪態をつきながら、エドの顔を睨んだ。
「なあ、エド。《馬防柵》はどかすから、本当のことを言ってくれよ。俺の師匠はなんだったんだ? あいつ、ただの間抜けじゃないのか?」
「俺が知る限り、最強の勇者だったよ」
エド・サイラスは、大きくタバコを吹かした。
「つまらんことで死んだ」
「そいつは知ってる。ちゃんと言えよ」
「駄目だ――約束がある。でもまあ、後悔はなかっただろうな」
煙を吹きながら、エドは顔を歪めた。
「最後の最後で、やりたかったことができたんだからよ」
笑ったのか、怒ったのか、俺には判別できない。
しかし、ひとつわかった。
俺には、俺のやるべきことがある。
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