第8話

 まず必要だったのは、俺自身の意志の集中だった。

 俺はほんの一瞬だけ目を閉じた。

 この負傷を、もっと素早く治す方法はある。《E3》をもう二本くらい、立て続けに使用することだ。あの晩、『レヴィ』と呼ばれた勇者くずれがやってみせたように、骨折だってすぐに治癒してしまえるだろう。


 だが、弊害は大きい。

 そもそもの《E3》の値段の高さと、急性エーテル汚染による中毒症状。特に後者は無視できない。過剰で安易な《E3》摂取は、あまりにも容易に廃人を生み出す。勇者稼業についてまわる問題の一つだ。

 ゆえに、俺はまず《E3》の摂取による高速治癒という選択肢、それがもたらす攻撃衝動を切り捨てる必要があった。


 俺は善なるものに意志を集中させた。友達とのカードゲーム、冷たいビール、熱いピザ。心の中で繰り返し、目を開ける。状況を把握する。

 ちょうど異形の巨体のひとつが、こちらに気づき、のっそりと接近しつつあるところだった。


「どうすんだよ!」

 セーラが怒鳴っている。城ヶ峰は狂気じみて清々しい目で、それに応じた。

「突撃するぞ! 我々は師匠を守りながら、退路を――」

「やめろバカ」

 俺はその辺を転がっていた瓦礫の欠片を投げ、その愚行を止めた。背中に直撃を受けた城ヶ峰は何か抗議めいたことを口にするが、当然のように構っていられる状況ではない。

「いま俺のことは忘れろ。自分でどうにかする。何があっても絶対にこっちをカバーするなよ、本当にムカつくから」

「しかし、師匠」


「黙ってろ。まずは城ヶ峰。お前が突っ込んで膝を狙え。体勢を崩す。で、セーラは腰。相手に攻撃の隙を与えるな。ビビって連携が遅れたら死ぬ――で、」

 それから、俺は印堂を突き飛ばすようにして、襟首を解放した。

「お前は攻撃のカット。セーラと城ヶ峰を援護しろ。お前がしくじると、ふたりとも死ぬ。わかったか?」

「わかる。それは困る」

「よし」

 印堂雪音は、とてもシンプルに返答した。こちらに気づいた巨人が、もう完全に俺たちのことを獲物だと認識したらしい。床を砕くような踏み込みで加速し、突進してくる。最後になるかもしれない。ひとつアドヴァイスをしてやろう、と思った。


「コツがある。剣が刃物だってことを考えろ」

 この点は、こいつらの組手の相手をしていて、俺がたびたび思ったことだ。

 模擬剣で訓練しているせいか、得物を叩きつけるような、ある種の斧とか鉈みたいな使い方ばかりする。それではあまりに非効率だし、剣もすぐにダメになる。

「相手の体にくっつけて、滑らせる――いや違うな、潜らせる? ん? まあいいや。しくじったらどうせ死ぬし、まずやってみな」

 俺も城ヶ峰のことはあまり声高に糾弾できない。説明が下手なのは自分でもよくわかる。とにかく、もう異形の巨人は眼前に迫っている。

 セーラが緊張のあまり、唇を強く噛むのがわかった。緊張感があるのは悪くない。そろそろ解放してやろう。

 俺は大声で怒鳴った。


「実戦訓練だ、やれ!」

 真っ先に、城ヶ峰が走り出した。恐怖という感覚が壊れているかのような加速だった。セーラが一瞬だけ遅れてそれに続く。印堂はすでに空間を跳び、姿を消している。


 あまり心配はなかった。

 三人がチームとして機能する場合、かなり厄介な殺人装置となることは先ほどの連携でわかっていた。

 要するに、それをどう組み立てるか、というところに、問題がある。やつらにはそれぞれの性格があり、あまりにもその個性、というか癖が強すぎた。三人とも、自分の性格に見合った役割を担当しようとする。

 それが間違いだ。


 おそらくアカデミーでは矯正できなかった――というより、矯正しようとした結果が、印堂が初手を仕掛け、城ヶ峰がフォローし、セーラが止めを狙うという形なのだろう。そのパターンで硬直させてしまうのが手っ取り早かった。

 ほとんどの相手なら印堂が仕留めるだろうし、セーラという重要人物をもっとも安全な位置における。

 城ヶ峰は――あいつはたぶん、戦力としてカウントされていなかった。そりゃそうだ。扱いにくすぎる。適当な位置で援護させたほうがいい。そのために盾まで持たされた。


 だが、あの三人のあるべき姿は違う。

 能力を含めた特性、得物、技術に見合った役割を担うべきなのだ。状況にあわせて、特性を活かしつつ、癖や性格は殺す。誰かがそのやり方を教えてやる必要があった。

 つまり、臨機応変。


「行くぞ!」

 と、城ヶ峰は短く言った。

 膝下を狙った、恐ろしく直線的な突進だった。

 真っ先に飛び込む一番槍の役割を果たす者として、城ヶ峰はあまりにも無防備すぎた。異形の怪物が振り上げる拳をまったく意に介していない。体ごと投げ出すような斬撃。

 まるで鉄砲玉だ。しかし、印堂が援護に回ることで、その一撃が成立する。城ヶ峰を戦力としてカウントすることができる。

 城ヶ峰を迎え撃つべく振り回された腕は、空間を跳躍した印堂雪音によって引きちぎられ、すでに宙を飛んでいる。そして城ヶ峰の一撃。


 ごっ。

 と、鈍く硬質な音がして、異形の巨人の左膝から下が吹き飛んだ。

 認めるのは不本意だが、恐怖というリミッターが外れたような城ヶ峰の突撃は、十分な援護さえあれば対処に困るほど強力な武器だった。どんな状況でも、どんな素人でも、捨て身の一撃は一流の達人にも届くことがある。


「セーラ!」

 城ヶ峰はその名を呼んで、体勢を崩す怪物の頭部を、さらに盾で殴りつける。まるで蛮族じゃないか。その瞬間に、カタがついた。意味不明なわめき声とともに放たれたセーラの一太刀が、怪物の腰を深々と切り裂いて、破壊している。

 セーラを止めの役として使うのは、まあ間違いではない。

 問題はそのタイミングだ。城ヶ峰と印堂の連携の様子を見ながら、飛び込むタイミングを測る――なんてのは、こういうときは戦力を遊ばせておいているだけだ。ほとんど同時の連携でなければ意味がない。


「よし」

 俺はちゃんとした教育者なので、珍しく褒めてやることにした。

「それだ、忘れるなよ」

 その連携があれば、もう一、二匹くらいは片付けられるだろう。囲まれる前に、一匹ずつ葬っていけば、そう簡単に遅れはとるまい。

 問題は、俺だ。

 動かない俺に目をつけて、巨人が接近しつつある。徐々に速度を増している。これはもう仕方のないことだ。固まって迎撃すれば、たちまち囲まれて潰されてしまっただろう。そうなる前に、三人のクソ弟子どもを離しておく必要があった。

 なんとかするしかない。


 必要なのは希望だ――うまくいくという希望。

 俺は心の中で、希望の城を築き上げた。友達とのカードゲーム、冷たいビール、熱いピザ。チーズを山ほどトッピングしてやろう。追加の《E3》には手を出さない。このまま戦う。左脚はまだまだ動かない。

 左腕なら、変な方向に曲がってはいるが、かろうじて持ち上げることができる。

 こいつを、犠牲にする。


 俺に迫る怪物が、いびつな鉤爪のついた腕を振り上げていた。あまり鋭くはないのが好都合だ。この鉤爪に左腕をひっかけ、そのまま払いのける。もちろん腕はちぎれるだろうが、大丈夫。たぶん。

 俺なら痛みを受ける瞬間を、何倍にも引き伸ばし、じっくりと痛みを克服した上で攻撃に移ることができる。

 地獄の痛みにはなるだろうが――、大丈夫だ。

 俺ならできる。

 時間が鈍化し、鉤爪が振り下ろされる。思わず転がって回避したくなるが、そいつは悪手で、ジリ貧だ。左腕にお別れを告げてでも、足を切り飛ばし、その衝撃で転ばせる。俺は剣を構えた。


 俺は、この計画がうまくいくように祈った。

 だが、考えるべきだった。俺のいい加減な祈りなんて、神様が聞き入れるはずがない。日頃の行いが悪すぎる。いつだってそうだ。こんな仕事に転がり落ちたのも、そのせいかもしれない。

 このときは、最悪の要素が俺の計画を破壊した。


「師匠、ご安心を!」

 城ヶ峰の剣が、振り下ろされる怪物の腕に突き刺さった。

「私が救出します」

 両断はできない。高速で振り回される腕を、正確に切り飛ばせるのは、こいつらの中では印堂くらいのものだ。

 なんてことをしやがる、と、俺は思った。

 凄まじい攻撃衝動が沸いた。実際、足と腕が無事なら、その衝動に屈していただろう。そのくらい、まずい一手だった。およそ最悪の手だったといえる。


 城ヶ峰の一撃は、中途半端に怪物の注意を引いた。そして、当然のように逆の腕が城ヶ峰に反撃を返す。頭部だ。城ヶ峰は盾で防ごうとした――無茶だ。盾は砕かれ、鉤爪が城ヶ峰の顔の左半分をえぐりとった。

 鮮血が飛んだ。

 城ヶ峰は弾き飛ばされ、俺の足元に転がった。

 このとき、俺がとった行動は、間違いのない一手だったといまでも言える。


 城ヶ峰は放っておいて、体を伸ばす。上半身のひねりで、バスタード・ソードを叩きつける。強靭な刃は、怪物の左大腿部を断ち切り、その勢いで右の膝まで砕いた。怪物が崩れ落ち、突進の勢いで転がっていく。

「もう大丈夫です」

 と、城ヶ峰は言った。

 顔の左半分が破壊されていた。潰れた眼球から流れる血は、赤いパーティードレスに滴り、混じり合う。《E3》といえども、欠損した器官を治癒することはできない。

 城ヶ峰はそういう顔で笑う――俺は再び恐怖を感じた。

 こいつは何者なんだ?

「師匠になにかあったら、私は、何のためにいるのかわかりません」

 城ヶ峰は、剣を杖にして起き上がろうとしていた。

「やっと目標に会えたのですから」


 いくつも疑問が湧いたが、解決できたのは、もっとも簡単な一つだけだった。

 つまり、そのとき俺は、城ヶ峰への激しい怒りの正体を知った。

 極めて個人的なものだ。

 城ヶ峰のやろうとしていることは、俺の理想だ。誰も殺さない勇者だ。俺にできないことをやろうとしている。そんなこと、絶対に無理だと思う自分がいる。俺には無理だった。人殺しなんかで金を稼ぐクズではなく、もう少しマシな人間になりたかったのに、できなかった。

 ただの八つ当たりだ。

「宇宙飛行士になりたい」

 とか、

「サッカー選手になりたい」

 とか――

 そういうことを言い出すやつを、馬鹿にしたくなる気持ちと同じだ。

 俺は、城ヶ峰が羨ましい。

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