第7話

 最初は、熊かと思った。

 が、加速した俺の知覚は、そいつらの姿をほとんど完全に捉えた。黒く、巨大で、かろうじて人型。かろうじて、というのは、あまりにも全身の節々が異様なほど膨れ上がり、ねじくれていたからだ。

 死体だ、と、俺はなぜかそう思った。


「……これ」

 印堂雪音が静かに呟いた。目を見開いて、声を絞り出したような響きだった――そのあとに何か続けたようだったが、そいつは崩落の轟音にかき消された。

 それは頭部ですら、人間の形状からかけ離れていた。眼球が膨張して、顔面に青黒い血管が浮かび、しかもムカデのように蠢いている。そいつの肉体が所有するすべての器官が、どこか歪んでいた。


 なにか強烈な悪意をもって象られた、いびつな巨人の人形。あるいは、子供の悪ふざけのようなデザイン。

 そいつが、いくつも――瓦礫とともに降ってくる。あちこちで絶叫があがった。

 俺はそいつらの異形に既視感を覚え、その原因にもすぐにたどり着いた。

 《琥珀の茨》卿の、あの黒い腕だ。俺が切り飛ばしたはずの腕の代わりに生えた腕。


 ちょうど、あの腕に似ている。そんな俺の推測を裏付けるように、このとき異形の人型どもは、あの《琥珀の茨》卿の腕とまったく同じ挙動を示した。つまり、周囲の人間を手当たり次第に襲いだした、ということだ。

 巨大な腕が動く。叩き潰す。

 瓦礫に潰されて動けなくなった男が、その餌食になった。

 最初の犠牲者の血と悲鳴をきっかけにして、ひどい喧騒がはじまった。


「おい!」

 俺は学生の三人を振り返るが、少し遅かった。思えば、間抜けなセリフを言ったものだと思う。

「勝手に動くなよ! 特に城ヶ峰――」

「いや、違うって、くそっ」

 悪態をつき、セーラが俺の肩を掴んだ。前を見ろ、ということだ。

「雪音だ、あのバカ!」

「雪音、単独では危険だ」

 続けて城ヶ峰が叫んだ。そして走り出す。

「戻れ!」


 お前が戻れ、と言いたかった。せめてセーラと固まっていろ、と。しかし本当の問題はその先にあった。

 印堂雪音だ。落ちてくる瓦礫にもまったく頓着せず、異形どもに向かって駆け出すのが見えた。それは野生の動物が襲いかかる動作に似ていた。踏み出して、一歩、それで雪音の姿は消えた。空間を超える瞬間移動。

 少し意外な気がした。

 こういうとき、真っ先に愚かな行動をとるのは城ヶ峰だと思っていた。


「どいつもこいつも」

 勝手に動きやがる。俺は他の二人にも聞こえるように、舌打ちをして動き出す。

「セーラ、離れるなよ! 続け!」

 実際にセーラがどう動いたか、確認する余裕はなかった。

 印堂雪音が空間を跳躍し、異形の怪物の背後に回り込んでいる。狙ったのは、その首筋だった。両手のダガーで挟み込むように突き刺し、ひねる。

 ばちん、と、肉と骨を立つ異音が響いた。

 怪物の首は百八十度ほど回転し、ねじ切られて飛ぶ。


 印堂雪音は無感情な顔で、返り血を浴びる。どす黒く濁った、泥のような血だった。鮮やかな手際といえるだろう。しかし、それでも不十分だ。未知の相手と戦うときは、警戒しすぎるということはない。

 そんなことは、印堂雪音ならばわかっていると思っていた――次の一瞬、彼女はわずかに眉をひそめた。

 首を失ったはずの怪物が、勢いよく腕を振り上げたからだ。

 印堂はかろうじて防御体勢をとるが、間に合わない。

 そのまま殴られて、床に叩きつけられた。小柄な印堂の体がバウンドし、首のない怪物が追撃する。


「雪音」

 城ヶ峰が短く名を呼んで、踏み込んだ。

「師匠が下がれと言っている! 下がれ! ステイだ!」

 怪物の追撃に、盾をぶつけるようにしてそらす。そして剣。肉切り包丁のような分厚い刃は、深々と肘の付け根に食い込み、断ち切っている。


 なるほど。

 俺はそのときはじめて、こいつらの剣術が三人でひとりの敵と戦闘するために訓練されていたことを知った。アカデミーでは、こういうやり方をするのか。

 個人技術よりも、集団戦闘。先手を打つ印堂を、城ヶ峰がカバーする。セーラが止めを刺す役割を担うのだろう。

 どこかいびつな気がしたが、うまく言葉にできない。

 だから俺は喋るよりも先に、加速して、バスタード・ソードを旋回させた。首と腕を失ってなお動こうとする怪物の、腰の部分へ一撃を加える。骨を断ち割る。

 腰を砕かれれば、物理的に起き上がれない。


「馬鹿か。なにをやってるんだ」

 俺は素早く印堂の襟首を掴んだ。また瞬間移動されては面倒だ。

 彼女は咳き込みながらも、再び立ち上がろうとしていたところだったため、これはうまくいった。

「やめて」

 印堂は俺の手から逃れようと身をひねった。

 かなり激しい抵抗だった。まるで陸にあげられて暴れる魚のようだったが、誰が逃がすか。さらに強く襟首をひねりあげると、印堂は眉間をひくつかせて不満の意を示した。しかも、俺を蹴飛ばしてきやがった。

 咄嗟に肘打ちで捌かなければ、肋骨くらい折られていたかもしれない。


「私は、今度こそ戦える」

 要領を得ないどころか、まったく意味のわからない返答だった。恐ろしく人付き合いの苦手なやつだ、と俺は思った。《E3》の効果のせいで、苛立ってくる。

「なにをやってるんだ?」

 もう一度尋ね、俺は印堂の目を覗き込む。

 怯えているような――あるいは、どうすればいいのかわからないような目だ。この目にも、なぜか既視感がある。そうだ。《琥珀の茨》卿のところで、彼女がこんな目をする瞬間を見た。あれは、《琥珀の茨》卿の、変異した左腕から――不本意ながら、俺が庇った瞬間の――

 思い出した瞬間、印堂は短く呟いた。

「北の篝火」

 そして、俺たちの頭上に影が落ちた。


 ひときわ巨大な影だった。他の個体の五割増しくらいで大きい。特に危険さを演出しているのは、その腕だ。胴体に対してやたら大きいし、剣のような鉤爪が生えている。錆が混じった砂嵐のような、ひどく耳障りな咆哮があがった。

「あれ――ネフィリム。鉤爪つきの、大型」

 印堂がなにか言った。もがきながら、巨大な影を振り返ろうとする。

「くそ」

 俺は瞬時の迷いと、思考と、判断の末、印堂雪音の襟首から手を離した。ほとんど同時に、印堂の小柄な影が跳ね、着地し、消えた。空間を跳びやがった――俺は非常に呆れた。無謀すぎる。

 仕方なく、俺はあまり当てにできない友軍に怒鳴った。


「城ヶ峰、援護! 読め!」

 読め、とは俺の思考を読め、という意味だったが、どこまで通じたものか。俺は動きはじめるしかない。

 ――印堂と巨人との戦闘は、ほんの二秒ほどでカタがついた。


 初手。

 印堂の攻撃は、とても正確だった。驚くほどスマートな、背後から右腕への一撃。

 悪くない。首を切断しても動く相手なら、四肢を破壊して戦力を削いでいくべきだ。とはいっても、彼女の正確さは、あくまでも人間相手の正確さだった。

 両手のダガーを肩の付け根に突き刺し、《E3》で強化された腕力で捻り込み、引きちぎるように切り裂こうとする。

 しかし異形の巨人の腕は、あまりにも太く、強靭すぎた。

 印堂のダガーは綺麗に突き刺さったが、半分ほど腕を引きちぎりかけたところで止まった。当然、怪物からの反撃を許す。小動物を振り払うような原始的な動き。印堂の体は簡単に吹き飛んだ。そして鉤爪。再び城ヶ峰も割り込もうとしたが、全く無意味だった。

 なにかアホくさい喚き声をあげながら、盾ごと突き飛ばされ、その場に転がる。


 三人での連携技術の弊害だ。

 どこかの一手がしくじれば、連鎖的に他のやつの行動が失敗する。セーラも駆け寄ってくるのを感じるが、印堂を救うには間に合わない。巨人のちぎれかけた腕が、どす黒い体液をまき散らしながら、素早く振り下ろされる。その先端に鉤爪。

 俺は覚悟を決めた。

「ふざけんなよ」

 できたことは、せいぜい悪態をつくことぐらいだった。


 俺は最大速度で駆け込んだ。振り下ろされる鉤爪ではなく、その手首のあたりを、左肘でブロックするように受ける。

 異様な破壊音。ちぎれかけた腕でも、これほどの衝撃があるか。さすが、印堂の蹴りとは比べ物にならない。骨が痛烈に砕けただろうが、痛みをちゃんと認識するよりも、体に染み付いた行動が完遂される方が早い。


 右のバスタード・ソードで一撃。

 巨人の重心を支えていた左脚の、膝から下を切断する。

 異形の怪物は金切り声をあげ、その場に崩れ落ちた。苦し紛れに左の鉤爪を振り回してくるが、もちろん予想している。

 バスタード・ソードを振り上げる動きで振り払う――こっちも切断――で、ちぎれかけの鉤爪が、もう一度。これはどうしようもない。


 俺は巨人に背を向ける。我ながら、まったくもって大胆な判断だった。印堂を抱えるようにして、思い切り飛び退いた――つもりだったが、単に床をごろごろ転がっただけに終わった。左足に焼けるような衝撃を感じた。


 鉤爪で引っ掛けられたのだろう。骨まで達したか。肉がめくれあがり、爆ぜたようになっていた。立ち上がろうとしてもうまくいかない。左腕に至っては、まったく動かなかった。左脚、左腕。いくら俺が凄腕でも、こいつはよくない。

 異形の巨人はもう動けないようだったが、まだまだエントランスホールには、他の怪物どもがうろうろしている。しかも、逃げ遅れた間抜けなパーティー客を探していた。もうこのホールには、怪物以外に人間など四名しかいない。

 つまり俺と、印堂と、城ヶ峰。それからセーラのことだ。


「師匠」

 城ヶ峰は、ムカつくことに俺を守るように立った。

「どうぞ休息を。ここは一番弟子の私が凌ぎます! 一番弟子の! 私が!」

 その声からは、恐れというものが微塵も感じられなかった。俺はゾッとした。印堂ですら、たったいま、恐怖らしきものを見せたというのに。


「っていうか、マジかよ、センセイ!」

 セーラ・ペンドラゴンは、本人は否定するだろうが、もっと露骨に怯えていた。彼女はすでに刀を抜き放ち、城ヶ峰の背後を守るように構えている。青い目が、俺の左脚に注がれていた。

「それ、めちゃくちゃ折れてるだろ! 血も出てる! どうすんだよ!」

「たいしたことない」

「そんなわけあるか!」

 セーラが怒鳴る。ビビっている、というより、本当に怒っているように聞こえる。


 確かに、俺は動けない。セーラの指摘は事実だ。骨を砕かれると、程度にもよるが、《E3》使用中でも自己治癒には時間がかかる。数十秒か、数分か。どちらにしてもこの状況では絶望的だ。

 よって俺は、明らかに軽薄で、なおかついい加減なことを言うくらいしかできなかった。


「ちょうどいいレッスンになる。緊張感あるだろ?」

 しくじれば彼女らが死ぬのは当然として、俺も死ぬ。文字通り死ぬほど本気で指導しなければならないわけだ。

「まず手始めに、そうだな――こいつだ。おい。何を固まってやがる」

 俺は印堂の襟首を掴み、揺すった。こわばった顔で、俺の傷口を見ていたからだ。立ち上がろうとすらしていなかった。


「お前が一番働けよ。事情は後で聞く。次に勝手な真似をしたら」

「わかる」

 俺が恐ろしいペナルティの存在を最後まで告げる前に、印堂はうなずいた。本当かよ、と俺は思った。

「わかる」

 俺の心を読んだように、印堂は繰り返した。

 城ヶ峰の『はい、わかりました』とは雲泥の差だ。

「今度は戦う」

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