第6話

 気づけば、あたりは静まりかえっていた。

 空調の音だけが響き、あれだけ騒然としていた客も、うめき声をあげていた傭兵どもですら、その主である女の登場に言葉を失っていた。俺にしたって、少し息苦しいように感じた。さすが、一流の魔王は、威圧感溢れる演出というものを心得ている。


 そんな場で、最初に声をあげたのは、意外にもセーラ・ペンドラゴンだった。

「なんだよ」

 呟いた、その声が少しかすれていた。

「あいつ。おかしいだろ」

 瞳孔が大きく開いている。《E3》の副作用と考えることもできたが、明らかにそれ以上の動揺だった。俺はセーラを肘でつついた。

「《嵐の柩》卿だ。頭もイカれてるが、実力もイカれてる。わかるのか?」

「ああ、その――私のエーテル知覚」


 一瞬だけ迷ったようだが、セーラは俺にだけ聞こえるような、極端な小声でささやいた。

「あんまり役にたたないんで、詳しい説明は省く。いちおう、かなり曖昧なレベルだけど、そういうのがわかる」

「お、マジに役に立たなさそうだな。強そうな奴を見てビビるだけの能力か」

 実際には使い方次第だろうが、あえて俺はおちょくってみた。しかし、セーラ・ペンドラゴンは真面目な顔で《嵐の柩》卿を睨んだまま、ほとんど反応を返さない。

「わかるんだよ。あれは、確かに《琥珀の茨》どころの話じゃ、ない」


「強いの?」

 と、そこで口を挟んだのは、印堂雪音だった。彼女はいつの間にか俺の傍らにいた。冷淡すぎる瞳で《嵐の柩》卿を見ていた。

「教官。あれが今夜の本番? 私が最初にやっていい?」

「あいつ自身と戦うつもりはない。お前らじゃ、なにをどうやっても無理だ」

「無理?」

 印堂雪音は眉間をひくつかせ、わずかな不満を示した。徐々にわかってきたことがある。彼女の感情は、眉間にあらわれる。

「私たちじゃ無理なら、教官は?」

「状況次第で、一対一なら、まあ」

 俺はいい加減な答えを返した。少し自信過剰が過ぎるかもしれないが、そう思わせておくのも悪くない。それに、半分くらいは本気だった。俺はそこそこの剣の腕があり、なにより《E3》使用時のエーテル知覚が強い。


「――師匠、気をつけて」

 城ヶ峰は振り返らず、緊張の限界を感じさせる声をあげた。

「非常に邪悪な相手です。心を読めばわかる。いまここで確実に、再起不能にしておくべきだと思います」

「お前、いまの俺の話を」

 言いかけて、やめた。不毛だ。聞いていなかったに違いない。それより、注意しなければならない相手がいる。


「改めて。ごきげんよう、ヤシロ様」

 と、《嵐の柩》卿はわざとらしく挨拶した。微笑んでいるが、その笑顔が妖怪じみていて気持ちの悪さしか感じない。

「その珍獣どもとのご歓談、もうよろしいですか?」

「珍獣だと! おのれ魔王。我々は誉れ高きアカデミーの――」

「城ヶ峰、黙れ。蹴るぞ」

 警告の直後、実際に脛を蹴った。城ヶ峰はかなり笑える顔をしたが、いまそれどころじゃない。俺は《嵐の柩》卿との距離を、一歩だけ詰めた。


「別にあんたの招待で来たわけじゃない」

 それだけは、最初に宣言しておく必要があった。

「つくづく迷惑してるからな、直接文句を言いに来た。月に百通くらい招待状送ってきやがって。振り込んだ金も使うわけねえだろ。俺の口座でロンダリングするな」

「心外ですね」

 《嵐の柩》卿は、本当に傷ついたような顔をしてみせた。

「私は本当に《死神》ヤシロ様と語らい、互いに信頼関係を築きたいだけなのに」

「冗談じゃねえよ」

 俺は《嵐の柩》が勢力の拡大に熱心なことを知っている。ここ数年続いていた、東京西部の抗争をまとめて平らげるつもりでいるのは確実だ。隠そうともしていない。そのために手下となる魔王や、勇者をかき集めている。

 そんなバカバカしいことに、俺は付き合うつもりなかった。


「なにが気に入らないのですか?」

 こういうとき、《嵐の柩》は、まるで聞き分けのない子供を説得するような口調になる。

「もしもあなたが望みさえすれば、私の近衛の騎士として、一生暮らしに困らない保護を約束します」

「イカれてるな」

 俺はうんざりした。魔王はエーテル増強手術の結果、例外なく精神に変調をきたす。この《嵐の柩》卿にしてもそうだ。俺はそのことを思い知った。


「こんな仕事、一生やりたくねえよ」

 それこそ悪夢だ。

 死ぬまで、あるいは殺されるまで、『殺人』を商売にして神経をすり減らす。しかも誰かに指図されて。そんなやり方は断固として拒否したい。まとまった金が手に入ったら、ハワイかスイスか、そのあたりで適当に暮らすのが俺の唯一の希望だ。


「あら。残念ですね。今夜はついに私の誠意と想いが通じたと思ったのですが――違うとしたら――あの《死神》ヤシロ様が動く理由は」

 そうして、《嵐の柩》は微笑んだ。きたぞ、と、俺は思った。

「彼のことですね? 《音楽屋》の、イシノオ」

 断定的な言い方だった。

「あなたが個人的な理由で動くとすれば、他に要因が見つかりませんから」

「知ってるんだな?」

「顔を半分に割られたドラゴン。実際のところ、私も迷惑しています」


 俺は《嵐の柩》卿の表情から、できる限りの真意を読み取ろうとした。だが、無理に決まっている。あとで城ヶ峰に聞くのがいいだろう。死ぬほど面倒くさい城ヶ峰を、ここまでがんばって連れてきた苦労が報われる。

 俺は続けて質問する。

「あの連中の、何を知ってる?」

「それは、色々と」

 《嵐の柩》卿は心の底から楽しそうに見えた。ブラフかどうか判断できない。彼女はじつに愉快そうに笑う。

「ちょうどパーティーの最中でしたから。座興をひとつ、お願いします」


 これだ。

 乗ってきたぞ、と俺は思った。《嵐の柩》卿は、他の魔王と同様にイカれている。

 彼女の場合は、闘争そのものが好きだ。自分が争うのも、他人のそれを見るのも、異常なほどに愛好している。絶対に俺を戦わせようとしてくると思った。おそらく相手は彼女の親衛隊、年棒一億は下らないと噂される『嵐の衛士』。


「戦うのは噂に名高い《死神》ヤシロ様と、私の忠実な『嵐の衛士』」

 それから《嵐の柩》卿は、わざとらしく俺と、俺の周りの三人を眺めた。気分が悪くなるような、悪意のある目だった。

「それから、そちらの可愛らしい珍獣たちにも、立ち会っていただきましょう」

「待て」

 俺は少し慌てた。

「こいつらはヘボすぎて、座興にならない」


 印堂雪音については善戦するだろうし、少なくとも殺されはしないだろう。

 だが、他の二人はどうか。セーラ・ペンドラゴンが回復不能なダメージを受けたり、万が一のことがあったりした場合、父親によって俺が殺される。城ヶ峰は戦力として論外だ――が、これから《嵐の柩》に質問する必要がある。心を読むエーテル知覚が必要だ。

「俺が四人分やってもいい」

「そんなに、その珍獣どもが大事ですか? どのような関係か気になってきました」

 それはつまり、《嵐の柩》が、いままでこいつらを路傍の石か虫けら程度にしか認識していなかったことを意味する。

 しばらくそのままでいて欲しかった。《嵐の柩》卿は、尊大な態度で城ヶ峰と、セーラと、それから印堂を見た。


「あなたたちは、ヤシロ様にとっての、何者?」

「魔王に名乗る名などない!」

 真っ先に反応し、宣言したのは、やはり城ヶ峰だった。そうだと思った。前々から思っていたが、こいつ、恐怖心が壊れているとしか思えない。間違いなく《E3》の影響だけではなく、もっと根本のところに狂気がある。

 そして、城ヶ峰は俺を振り返った。迷惑なことに、その目は戦意に溢れていた。

「私はあの《嵐の柩》とやります、師匠」

「お前、本当に人の話聞いてないな。そもそもお前はやらせない」

「教官。私はやれる」

「ああ――そうか。そうだな。印堂、やれるか?」

「うん」

「待て、印堂。一番槍は私だ! 師匠の未来のため、あの大将首を取る」

「うるせえ! 印堂、こいつ黙らせてろ」

「うん」

「待ってください師匠、私は――うわっ! 印堂、なにをする!」


 城ヶ峰はほうっておくとして、俺は逡巡した。

 印堂雪音と組んで戦う。それは悪くない。問題は持って行き方だ。いま、《嵐の柩》は、俺に嫌がらせをするために、どうしても四人全員の参加か、俺ひとりでの『座興』を要請するだろう。どこかで妥協が必要だ。タッグマッチでも提案して――何か賭けるか。


「待った、センセイ」

 不意に、セーラ・ペンドラゴンが俺の腕を掴んだ。

「お前はそのへんで寝てろ。ちょっとやり方を考えてる」

「違う」

 セーラは視線を左右に彷徨わせた。

「外だ――あっちか? 違う、けど、近づいてる。でかい――なんだ、これ」

「何を言ってんだ、俺は考えるのに忙しい。ちょっと黙ってろ」

「だから、私のエーテル知覚は、曖昧にしかわからないんだよ! やばい! これって」


 怒鳴ってから、セーラは何かに殴られたような顔をした。息を詰めて、頭上を見上げる。エントランスホールの高い天井。俺も釣られてそちらを見た。

 ちょうど、天井に亀裂が入るところだった。

「あら」

 と、《嵐の柩》卿が頭上を仰いだ。異様に硬質な音が、天井全体に走った。振動。いまいち現実感のない、亀裂の拡大。破壊の感触。そうした予兆が決定的なものになる頃には、もうエントランスホール全体が騒然となっている。


「またお客様。今日は楽しい日ですね」

 《嵐の柩》卿は目を細めた。信じがたいことに、少し嬉しそうに見えた。

「まずいな」

 俺は三人娘の肩を引っ張る――ぎりぎりで間に合ったと思いたい。次の瞬間、天井が崩れて、吹き飛び、新しい『お客様』一同が降ってきた。

 つまり、ここに至って、俺の今夜の計画は完全に吹き飛んだということだ。俺の場合はいつもそうだ。立てた計画がうまくいった記憶がない。

 それでもなんとかするのが、勇者という商売だ。

 仕方がない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る