第5話

 誰かが何かを叫んだ。

 一瞬にしてエントランスホールが騒がしくなる。賢明な客は無言で避難をはじめ、さらに賢明な客は、遠巻きに俺たちを眺めて見物の構えに入る。俺たちを排除しようとするのは警備スタッフだけで、それも当然だ。

 こんなテロ騒ぎに巻き込まれて、誰も怪我なんてしたくないだろう。


「やめろ、撃つな! 客に当たるぞ!」

 喧騒の中、焦ったような怒鳴り声が聞こえる。

「《E3》を使うぞ。相手は勇者だ、傭兵どもに任せろ」

 ど素人の警備スタッフが拳銃でも構えたのだろう。俺はその怒鳴り声をあげたやつへ、一瞬で接近した。振り返る前に、大腿部を深く切り裂いて突き飛ばす。怒鳴り声は悲鳴に変わり、もう起き上がれない。

 より警戒するべきは、こんな連中ではない。


 エントランスホールの隅で、素早く首筋に注射器を近づけたやつらだ。《E3》の使い手。魔王に雇われた、勇者崩れの警備員、さっきのやつの言葉を借りれば傭兵というところだろう。俺は圧縮された知覚で、そいつらの数を認識する。ホールの中には、あわせて四人。ちょうどいい数だ。

 まずは、もっとも素早く《E3》をぶちこんだやつが、邪魔な客を突き飛ばすように向かってくる。髪を赤く染めた、いかにも獰猛そうなチンピラ野郎――悪くない。もっとも強そうな戦力、つまり俺を見極め、真っ先に狙ってきた。お手本にしてやろう。


「これ、基本技だからな。見とけよ」

 俺は三人の学生へ、というより、主にセーラ・ペンドラゴンに聞こえるように宣言した。バスタード・ソードの切っ先を床に向けて構え、両手で握り、迎え撃つ。

 赤髪のチンピラ野郎は、両手使いの剣を大上段に振りかぶっていた。その構えでわかる。ろくな剣術をやったことがないやつだ。《E3》で身体能力を増幅させて、ただ単に切りつける。

 《E3》を使っていないやつが相手なら、その戦法で十分に通じたかもしれない。なにしろ銃弾より早い速度で攻撃できるのだから、相手が武装していても、まず後れはとらない。


 しかし、同じ《E3》使用者同士の戦いならば、別だ。

 赤毛野郎の剣が振り下ろされる一瞬、悲鳴のような金属音が響いた。かすかに火花。はね上げた俺のバスタード・ソードが、刃の側面で受け止めている。

 同時に、受けながら剣を滑らせ、力を散らす。

「絶対にぶつけるなよ。流せ」

 俺は短く、しかし非常に役に立つアドヴァイスをした。俺たちの腕力で振り回される剣は、他の剣とまともにぶつかれば、ほとんど必ず損壊する。


 こうした勇者が使う剣の刀匠に言わせるとすれば、

『現代技術と伝統技術の粋を活かして、可能な限り強度を高めている』

 らしいが、壊れるものは壊れる。


 だから防御するときは、相手の力を受け流すように受ける必要がある。このとき、赤毛野郎の一撃は、俺の剣に防がれて狙いを外した。そして、急激には振りおろす勢いを止めらない。

 この一瞬が腕の見せどころだ。

 防御側が圧倒的に有利になる瞬間。

 俺は相手の剣を伝うように刃を滑らせ、鍔元で切っ先をひねる――ここだ。相手は反射的に剣を引っこめようとするが、それが間違いだ。

 鍔が外れて、切っ先が自由になった。そのまま相手の指に引っ掛けて、引き裂く。相手の顔が激痛に歪み、甲高い悲鳴とともに剣が地面に転がる。

 さっきまでそいつを握り締めていた指と、血とが飛び散った。


「指切り。日本の古流剣術にもあるな」

 格上にはほとんど通用しないが、ろくに剣術を習ってない相手なら別だ。俺は崩れ落ちた赤毛野郎の顔面に、サッカーボールキックを叩き込んだ。それで終わりだ。倒れて、動かなくなる。

「相手の武器にあわせて、鍔のところで適当にひねるのがコツ。で、指切って剣さえ握れなくなれば怖くない。やってみていいぜ」


 俺は城ヶ峰とセーラを顎で促した。他に二人。こちらとの間合いをゆっくり詰めてきている連中がいる。一方は正面、もう一方は俺の動きを探るように、時計回りに右から回り込んでくる。もう一人いたはずだが、たぶん印堂が始末しているだろう。

「いきなり実践だ。嬉しいだろ。俺が無意味な素振りとか基礎トレとかさせない、いい師匠でよかったな」


 俺は非常に適当なことを言っている。

 ここから先へ備え、体力はできるだけ温存しておきたい。問題はわかっている。《嵐の柩》卿直属の、通称『嵐の衛士』だ。選りすぐられた五名から成り立つ、高い金で雇われている一流の勇者。それに備えるための、こいつら。学園の三人娘だ。雑魚の相手は、できるだけ任せるつもりでいる――これは言うなれば、授業料の一種だ。

 しかし、そういう本音を思い切り見なかったことにして、踏み込んでくるやつもいる。


「はい、師匠!」

 城ヶ峰は、最初から全力で加速した。

「わかりました!」

 下段に剣を構え、正面の相手へ肉迫する。つまり、わかってない。受け流しからの指切りは、相手の攻撃の勢いをそらし、その間隙をついて攻める技だ。

 よって、バカ正直に突き出された城ヶ峰の片手剣の一撃は、相手によって痛烈に弾かれている。その直後に相手から返される斬撃を、城ヶ峰は楯でどうにか凌いだはいいものの、そのまま体勢が崩れた。完全に受けに回る羽目になる。


 この相手が使うのは両手剣による斬撃だ。片手の楯と剣では受けきれない。二度、三度と防御するうち、次第に体勢が崩されていく。受け流しからの反撃を、試みる余裕がなくなる。

「馬鹿か」

 俺は受付のカウンターに座り、野次を飛ばして観戦することに決めた。

「攻めろよ。体勢が崩れてても、お前は両手がある。攻めろ! 相手に死を意識させろ!」


 実際、そうできるチャンスはいくつもあった。たとえば、楯で防御しながら、腹部へ向かって剣を突き出す――頚動脈を狙う振りを見せる。だが、城ヶ峰はそうしなかった。代わりに、俺のありがたいアドヴァイスを受けておきながら、楯で相手の頭をぶん殴ろうとしやがった。

 馬鹿だ。


 相手はその打撃をほとんど意に介さなかった。楯が直撃。こめかみから出血しながら、イカれた獣のような叫び声をあげ、両手剣を横薙ぎに振り回してくる。

 それは片手剣では防ぎきれないし、受け止めたとしても、下手したら剣が折れる。

 対して、城ヶ峰は単純な回避方法を選んだ。その場に転がって、横殴りの刃をかわす。これも、まずい手ではある。相手に追い打ちを許すし、ろくな防御も攻撃もできない。あるのは脛斬りくらいだが、その前に頭上からの一撃を食らう。

 間違いなく、城ヶ峰の「詰み」が近い。


「馬鹿すぎる」

 俺は思わず舌打ちをした。

 仕方がないので手を貸してやろうと、一瞬だけ腰を浮かしかける――その直前で、セーラの長くて目障りな金髪が翻った。彼女はその上品な見た目からは想像できないほど、その状況を激しく罵った。

「――こ、の、クソ野郎!」

 セーラの刀は、城ヶ峰の頭上に殺到した剣を弾いた。というよりも、受け流すように切っ先が動いた。横から不意をついたとはいえ、理想的な受け方だった。

 そして、そのまま相手の手元へ流れ、ひと呼吸で一閃。

 相手の中指と人差し指を、まとめて切り飛ばした。


「お」

 俺は笑った。

「やるな」

 ついでに、さっきまでセーラが相手にしていた方の傭兵を見る。そちらはすでに倒れ、動かない。その右腕を深く切り裂かれて、骨が見えている。なるほど。俺のアドヴァイス通りにやろうとしたのなら、上出来な結果だ。


 一方で、城ヶ峰の方は。

 荒い息をつきながら、起き上がる彼女を覗き込む。

「で、お前は? なにをやってるんだ?」

「実践――を」

 城ヶ峰は脂汗のしたたる顎を、手の甲でぬぐった。

「試みました」

「どこがだ? 相手の命を取る構えがなかった」

「師匠。勇者というのは――」


「どうでもいいんだよ。お前が人殺しのクズになりたくなかろうが、そんなのは勝手にしろ。重要なのは、その姿勢を見せることだ」

 俺は城ヶ峰の襟首を掴んだ。城ヶ峰はとても辛そうな顔をしたが、気にしてはいられない。

「舐めてるのか? 自分だけは俺たちとは違う、クソみたいな人殺しじゃない。もっとお上品な存在だって、そう言いたいのか? 自分なら、いつだってこんな風に仲間に助けてもらって、うまいこと手を汚さずにやれるって?」

「違います! 私は――」

「俺の心を読んでみろ」

 城ヶ峰の首を、締め上げる。彼女は少し泣きそうな顔になった。あまりよくないな、と俺は考える。《E3》のせいで、攻撃的になっている自分がいる。それがわかる。どうにか抑制しなければ、とは思ったが、止まらなかった。

「怒ってるんだよ」

「師匠」


「――教官」

 印堂の冷えた声。しかし止まらない。薬のせいだ。そう思いたい。

「黙ってろ、印堂! 俺は――いや、そういうことじゃない。ただ――こいつは――」

「教官」

 印堂は、強く俺の腕を掴み、ひっぱった。苛立ちに痛む頭を軽く振って、俺はそちらに目を向ける。印堂の背後には、喉を掻っ切られた男の死体があった。

 やりやがる。彼女は、白すぎる頬に一滴の返り血だけを浴びていた。

 彼女は、なんだか不満そうに俺を見ていた。

「教官。あれ、誰?」


「あ」

 セーラが慌てたような声をあげた。

 受付の奥の通路から、えらく長身の人影が接近してきていた。白く翻る衣装。豪華というより、ただひたすらに派手なパーティードレス。青白い頬に、底冷えのする青い瞳。髪の毛は黄金色に発光しているようだった。

 その女の姿に、俺は見覚えがあった。


「久しぶりね」

 よくないタイミングだった。

 こんなにはやく、この女が出てくるとは。

「《死神》のヤシロ様。パーティーにお越しいただけて、とても光栄です」

 と、その女《嵐の柩》卿は微笑んだ。爬虫類を思わせる、冷たい微笑みだった。

「一ヶ月に百通も招待状を贈った甲斐がありました。それとも、月に一千万ずつの振込が功を奏したのかしら? いずれにせよ、ようこそ、ヤシロ様。そして見知らぬ小娘ども。とりあえず歓迎いたします」


 その笑い方に、俺は非常にうんざりした。印堂は相変わらずなにを考えているかわからない顔で《嵐の柩》卿を見つめていたし、セーラ・ペンドラゴンは目を丸くして俺と《嵐の柩》卿とを交互に見た。城ヶ峰は――なにを勘違いしたのか、楯と剣を構えて、俺の前に立った。

 俺が一人でこのパーティーに来たくなかった理由は、これだ。

 《嵐の柩》卿は、ちょっとイカれている。

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