第2話
その日、俺には済ませておくべき用事があった。
目が覚めたのはちょうど夕方頃で、太陽はあまりにも赤く、シャワーを浴びて外に出ると目まいを感じた。そして、冬の鋭い寒さがあった。おそらく今夜も、冷え込む夜になるだろう。
向かったのは、練馬区の片隅にある、薄汚くてチンケな倉庫群のひとつ。《音楽屋》のイシノオが使っていた、勇者としての仕事道具を保管する『ガレージ』だった。
イシノオという男は、勇者のご他聞に漏れず秘密主義ではあった。それでも仕事で手を組む羽目になったとき、一度だけ、この『ガレージ』に案内されたことがある。
俺と《ソルト》ジョーは、そこに期待をかけた。
「おう」
と、俺が顔を出すと、《ソルト》ジョーは汗だくのスキンヘッドを覗かせた。すでに先に『ガレージ』を探っていたらしい。両手でやたらとでかいコンテナを抱えている。
「悪いが、先にガサ入れさせてもらったぜ」
この日のジョーは、ひどく機嫌が良かった。片手でコンテナを撫でる。
「あいつ、イシノオの野郎、やっぱり変態だったな。こんなに火薬を溜め込みやがって。戦争でもするつもりだったのかよ。ヤシロには悪いが、オレの独り占めだからな」
「そっちはいいよ。俺は元ヤクザのお前と違うんだ、信用できる取引相手なんていないから」
俺は倉庫の中に足を踏み入れる。薄ら寒い暗がりを、濁った黄色の電球が照らしている。倉庫内はなかなかに広く、電球の明かりは頼りない。
なんだか邪悪な気配がするが、それはイシノオの魂が汚れていたせいだろう。
「それより、カードだろ、カード。あったか?」
俺が尋ねているのは、俺たちが顔をあわせる度に遊んでいたカードゲーム、《七つのメダリオン》のカードのことだ。レアなカードともなれば市場価値も高いし、ゲームで使えるし、なにより、エドやマルタたちに自慢できる。
俺の質問に、ジョーはさらに笑みを深めて答えた。
「もちろん、宝の山だったぜ」
「マジかよ。ジョー、あとでそれ賭けてゲームだからな」
「《疫病の斥候》なら、タダでやるよ」
「俺だっていらねえよ、毎回そいつに苦しめられたからな。見るだけでうんざりする」
「最低の変態クソ野郎だったな、イシノオは。じゃ、《蜂起する密林》はどうする?」
「ああ――いや待て、それよりも気になるのは、《津波》はあったのか? あいつの主力――」
「――あのさあ」
うんざりした声が、背後から聞こえた。
「さっきから話が脱線しまくってんだけどさ」
セーラ・カシワギ・ペンドラゴンが、心の底から迷惑そうな顔で立っていた。彼女がそういう顔をすると、まるで喧嘩を売っているように見える。今日は学生服に、マフラーを巻いているだけという身なりなので、なんだか寒そうだった。
「こっちは学校サボってまで来てやってんだよ」
と、セーラは威嚇するように唸った。
「センセイが雑談してるだけなら、帰るからな」
「悪かったよ。だから拗ねるな」
「拗ねてる? アホか!」
セーラはかなり本気でムカついたようだった。もちろん、そういう態度をとるなんて、《ソルト》ジョーを笑わせるだけだ。やつはクシャミでもするように、遠慮なく笑った。
「おい、ヤシロ、こいつ、いまどき珍しい生き物だな! ウケるぜ」
「だろ。俺の弟子だし、アーサー王陛下の一人娘らしいから、壊すなよ」
「お前の弟子なら仕方ねえな。師匠に似て、チョロい鴨になってくれよ。おい、《メダリオン》はもう習ったか?」
「え、ああ――いや」
唐突すぎる質問に、セーラは目を白黒させた。どうもセーラは人見知りの要素があるらしく、《ソルト》ジョーにはかなり微妙な態度で接していた。
「習ってない、かな。――おい、センセイ、《メダリオン》ってなんだよ?」
「勇者の極意のひとつだ。近いうちに教える。それはおいといて」
俺は声を低めた。
「この前の夜のことだ。俺たちが喧嘩を売ったあの二人組。どっちも教師じゃなかったんだな?」
「まあ、たぶん。うちのアカデミーの教師なんて、全員知ってるわけじゃないけど」
「だったらアカデミーに関係してる業者か何かか? あるいは、泥棒なら何が目当てだ? ただの散歩で不法侵入する場所じゃないだろ」
「だから知らねえって」
「パパには話したのか?」
「……あいつとは」
セーラの声が、露骨に凶悪なものになった。
「クチを聞きたくないんだ。何考えてるかわからねえし。でも――あの夜にあったことは、知ってる可能性は高い、と思う」
「それはなんでだ?」
「わからない。そういうエーテル知覚とか、あるのかもしれない。私がセンセイに助けられたことだって、別に言ってなかったのに知ってた」
「――そうかもしれないな」
考えるべきことはたくさんある。いまは、そのための材料を集めることが必要だ。
「じゃあ、セーラ。お前ちょっとアカデミーで変な噂を集めといてくれ」
「変な噂ァ?」
「なんでもいいや。変な噂。アカデミーで不審なこととか、なんかあるだろ? 臨機応変にやってくれ。その辺はアテにしてる」
「いい加減すぎるだろ。ってか、なんで私?」
「城ヶ峰と印堂に頼めるとは思えないからな」
「あー」
曖昧にうめき声をあげ、セーラは遠まわしに俺の発言を認めた。それから複雑そうな顔になる。
「それで、私だけ呼んだわけ? なんか微妙だな……それ」
「いや、もうひとつ」
俺は倉庫の隅を指さした。いかにも頑丈そうなロッカーがある。かなり大きい。傍らには、《ソルト》ジョーがニヤニヤしながら立っている。
「あれだ――ジョー! 鍵開けてあるよな?」
「ああ。ぶち壊した」
ジョーは軽くうなずいて、ロッカーを引き開けた。
そこには、たくさんの服が吊るされていた――それも、女物の。学生服のようなものから、メイド服、着ぐるみのようなものまで、おおよそなんでもあると思われる。
セーラはすごく気持ちが悪そうな顔をした。
「なんだよ、それ」
「イシノオの趣味だ」
なんの趣味かは言わないでおいた。きっと気分が悪くなるだろう。
「そこから服を選んでくれ、パーティーか何かに出れるようなやつを。三人分」
「あ?」
セーラは少し躊躇した。
「なんでだよ」
「パーティーに出るから。社会科見学って言っただろ」
「よく話が見えないんだけど」
「命にかかわる問題だからな。できるだけそれっぽいのを選んだ方がいい。高級なやつだ。これこそ城ヶ峰と印堂には頼めそうにない」
「はあ」
またしてもセーラは遠まわしに俺の発言を肯定した。それから、首をかしげながらロッカーへと向かう。本人は怒るだろうが、セーラは上流階級の令嬢であり、それなりのセンスはあるだろうというのが俺の目算だった。
少なくとも、城ヶ峰や印堂に任せるよりは、はるかに『正解』となる可能性は高いはずだ。
「――半分のドラゴン、の話だがな。例のバッヂだ」
不意に、ジョーが低い声で話しかけてきた。
「そういう連中がいる。よくわからんクソどもだ。ドラゴンの顔を半分にして、割符替わりに使ってるんだとよ。魔王どもの間で、改造した《E3》を売りつけてるらしいぜ」
「その話」
俺もまた、小声で答える。
「どうやった?」
「イシノオのことを売ったやつがいる。《覗き屋》のマツギだ。妙なことを調べてるバカがいるって、半分のドラゴンの連中に教えたんだとよ」
「生きてるか?」
「まあ、なんだ、一応な。それ以上のことはマジに知らなさそうだからな。今夜には断末魔を録音するぜ。ヤシロ、どうする?」
「用事がなきゃ良かったんだけど」
俺はため息をついた。神経がささくれだっている。《覗き屋》のマツギは、勇者としての同業者だ。どう考えてもイシノオと同様、最低のクズ以下の野郎だったから、エドの店で会ってもあまり親しくは話さなかった。
結論は、こうだ。俺は《ソルト》ジョーの顔を正面から見た。
「この件を知ってるのは、俺とお前、マルタとエドだけ。そういうことにした方がよさそうだ」
「だな」
ジョーもつまらなさそうにうなずいた。こいつは派手な大騒ぎが好きだ。こういうのは好みではないのだろう。俺にもその気分がわかる。何事も、派手なのに限る。その点、今夜は少し派手になるだろう。俺はセーラを見た。
彼女の手が、喪服を連想させる黒いパーティードレスを選んだ。
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