レッスン3:民間人を盾にとれ

第1話

 少しだけ忙しく、冴えない気分の日が続いた。

 こういうときは天気も憂鬱になってくるもので、空は毎日のように曇り、たまに雨が降り、夜になれば冷蔵庫の中よりも冷え込んだ。誰も口には出さなかったが、通夜のような日々だった。


 エド・サイラスは店を閉めがちになったし、《ソルト》ジョーはあちこちを『徘徊している』としか言いようのない行動をとっていた。本人に言わせれば、『情報収集』だとでも主張するかもしれない。マルタは相変わらず姿を見せたり、見せなかったり――よくわからない。

 俺はといえば、もっと明白にやることがあった。

 できる男というのは、計画を建てて、機敏に行動をするものだ。《音楽屋》イシノオが探っていたのはなにか。どんなヘマをして、あんな目にあったのか。

 そして、半分に割られたドラゴンの紋章。


 考えること、調べることはいくらでもあった。

 特に欠かせないのは、月曜日の夕方、エド・サイラスの《グーニーズ》に顔を出すことだ。

 決して息抜きのためにビールを飲み、ゲームをしたいという刹那的な欲望だけではない。エド・サイラスか《ソルト》ジョーか、もしかしたらマルタの誰かが、新しいニュースを持ってくる可能性があったからだ――本当だ。


 その日はあいにく誰もいなかったので、エド・サイラスとアホみたいな顔で野球の中継を眺めながら、氷と水で薄めたビールばかり飲んでいた。

 俺はあまり野球を知らないが、とにかく店長のエドが好きなので見るしかない。

 エドが応援する東海ディアーズは、八回裏で三点差をつけられていたものの、ちょうど逆襲の二塁打を放ったところだった。


 このときばかりは、仏頂面のエドもうめき声をあげてビールジョッキを空にした。

「いいぞ! 見たか、ヤシロ、津島の小僧がやったぞ!」

「よく打てたな。レフトまで飛んだろ」

「次が勝負だ。打順は井ノ原か――面白くなってきたじゃねえか」

「今日はせこいヒットばっかりだろ、井ノ原。大丈夫かよ?」

「何も知らねえクソ野郎は黙ってろ。井ノ原って男は、やるときはやるんだよ」

 エドが俺をすごい目つきで睨んだ。


 そいつらは、ちょうどそんなときにやって来た。

「――あ! 師匠!」

 その声が聞こえた途端に、エドは渋い顔になって野球中継の音量を上げた。「悪い」と、俺は謝ったが、聞いていなかっただろう。仕方がない。入口の方を振り返れば、鈍い鐘の音を響かせて、学生服の二人組が入ってくるのが見えた。

 城ヶ峰亜希と、印堂雪音。

 印堂の方は相変わらずぼんやりした無表情だったが、城ヶ峰はなんだか不満そうな顔をしていた。なんとなく、面倒そうだと思った。


「師匠! どういうことですか!」

 案の定、城ヶ峰は面倒そうな切り出し方で近づいてくる。俺が思うに、城ヶ峰には理論的な言語展開という概念が欠如しているとしか思えない。いったいどんな脳細胞を形成しているのだろう? 神経組織もかなり面白い形をしているのではないか?

 そんな風に俺が観察していると、彼女は間近に仁王立ちとなり、俺の顔を覗き込んできた。

「試験は先週の金曜日だったんですよ!」

「あ?」

「試験です!」

「なんの?」


「……剣術格闘の、実技試験」

 印堂が小声で付け足して、いつの間にか俺の隣に座っていた。それで理解できた。

「ああ」


 俺もあれから二度ほど、こいつらの『特訓』の相手になっていた。

 もちろん、理由がある。こいつらを使って、引き出したい情報があったからだ――アカデミー。あのとき、体育館にやってきた二人組。

 特に『レヴィ』と呼ばれた女が身につけていた、金色のバッヂ。イシノオの死体が握り締めていたものと同じだった。

 ここには、いくつもの疑問を挟む余地があった。


 つまり、なぜ? アカデミーに、あんな勇者まがいの女がいたのか? あのバッヂが意味するものはなにか? アカデミーと何か関係があるのか? そういうことだ。こいつらと、いまの俺は、互いに利用できる部分があった。

 イシノオを殺した連中を、探り出して、死ぬよりも悲惨な目にあわせる。

 それが『勇者』という、俺たちのような最低のクズ野郎にできる、唯一のことだった。どう考えてもそれ以外にない。


 死んだ人間は復讐など望んでいない、とか、よく言われる。だがこの場合は別だ。イシノオならば、きっとこう言うだろう。

 絶対に復讐しろ。

 地獄以上に悲惨な目にあわせ、ついでに苦痛の声を録音しろ、と。


「――ですから、師匠」

 少し考えているうちに、城ヶ峰は話を続けていた。

「なぜ師匠は、我々が試験に挑む勇姿を見に来ていただけなかったのですか?」

「行くわけがない。プロ野球の試合じゃねえんだから」

「気後れしているのならば無用です。師匠のようなみすぼらしい身なりの方でも、アカデミーの試験は一般開放されておりますので、観覧していただけます。なにより!」

「おい、誰がみすぼらしいって――」

「師匠の身なりをとやかく言う輩は、この私が必ずや粉砕したでしょう! この弟子の敬愛と思慕の念、深くご理解ください!」

「お前が粉砕されろ」

 城ヶ峰は演説状態に入ると、基本的に誰の話も耳に入らなくなるらしい。エド・サイラスは無言のまま、テレビにヘッドホンをつなぎ、自分だけ野球中継に集中しはじめた。


 仕方がないので、俺は印堂に尋ねることにする。

「で? こいつの成績は? せめて合格したんだろうな。それとも、めでたくも落第したか」

「追試になってた」

 雪音は淡々と告げた。

「失格じゃなかっただけ、マシ。試合は引き分け」

「組み合わせの相手は、じつに強敵でした」

 何か深遠な歴史を思い出すように、城ヶ峰は天井を振り仰いだ。油でべとべとの、薄汚いエド・サイラスの店の天井だった。

「撃っては退き、退いては撃ち返す。紙一重の攻防――火花が散り、神経が震える激戦だったといえるでしょう。ぜひ師匠にお見せしたかった」

「本当かよ、印堂?」

「うん――」


 少しの沈黙。やや色素の薄い両の眼が細められ、それから印堂は首をかしげる。

「相手は、普通? ぐらい? だったと思う。ほとんど泥仕合――」

「いや、待ってくれ、雪音」

 城ヶ峰は即座にそれを遮った。

「師匠の前だ。私の活躍を少し誇張してもらいたい」

「ん……そう?」

 いまひとつ納得できなさそうだったが、とにかく印堂は黙った。代わりに城ヶ峰がぺらぺらと喋り始める。

「私が戦った、榊原エレナはかなりの使い手だった。最優のAクラス所属でもあり、雪音、きみと同じく常に実技成績の上位を占めている。補足するならば、彼女は筆記試験も上位だ」


「その補足いらない」

 印堂は強く顔をしかめた。しかし城ヶ峰は気にしない。そういうやつだ。

「Aクラスの実力と日々の研鑽――学ぶべきところがあった。私も改めて感嘆させられたな」

「それは、つまり、あれか?」

 俺は鼻で笑ってしまった。

「それに引き分けた自分もすごいと言いたいわけだな」

「いや、それほどでもありません」

 皮肉のつもりで俺は言ったが、城ヶ峰は本気で照れたようだった。わずかに首筋のあたりが赤くなり、生真面目に一礼してくる。

「私に眠る才能にも一因はありますが、ほとんどは師匠のご指導のおかげかと」

「そうだな」

 城ヶ峰に皮肉を理解させるのは面倒だ。俺は努力を放棄し、うなずいた。


「印堂が『普通』って言ってるんだから、まあ、相手もそこそこ使えるやつなんだろ」

「その言い方ですと、なぜか私の発言がまったく評価されていないばかりか、雪音に対する信頼度だけが一方的に高いような気がするのですが」

 事実そうだ、とは言わない。さらに面倒だからだ。俺は城ヶ峰を指差す。

「お前、結局、俺の教えた弱点がぜんぜん改善されてないだろ。泥仕合になったってことは、相変わらずの消極カウンター狙いで点数を稼いだな」

「はい! しかし、師匠の教えは活かしたと自負しています」

「その自負がムカつく」


「この前、師匠が見せてくれた武装解除の技――剣道で言うところの、小手打ちですね。あれを積極的に活用しようと思いました! 不殺の心、たしかに伝わりました」

「それは違う……」

 馬鹿か、と思った。たしかに俺はあの夜、レヴィを無力化するために積極的に小手打ちを狙っていったが、それは相手が法律に守られていたからだ。魔王でもない相手に、武装して《E3》を使用した勇者が、正当防衛を主張して勝てるケースは皆無である。

 殺すわけにはいかない相手の四肢を破壊するのは合理的だが、不殺の心などとは程遠い。むしろ、あんな面倒な相手、殺せるならば殺したい。


「お前、人の心が読めるなら、定期的に読め。俺を。なにが不殺の心だ、蕁麻疹が出る」

「し、師匠の心を――そんな」


 城ヶ峰はそのとき、予想もしない珍味を飲み込んだような顔をした。あるいは、頭を棍棒で殴られたような。

 どのような心理的な変調が起きたのかしらないが、彼女は大きく深呼吸をした。

「――いえ。やっぱり、淑女の嗜みとして、そういうのは濫用してはいけないと思います。まだ時期尚早です! そのような関係は! いけません!」

「おっ、想定をはるかに超えて面倒くさいリアクションだな。まあいいや」


 本当にもう、どうでもよかった。もっと気にしなければならないことは腐るほどある。たとえば、今日は姿を見せていない三人目とか。

「それで」

 と、俺はやや強引に話題を変える。

「セーラの方はどうだった? ってか、あいつ今日はどうした?」

「はい。師匠のご教示の成果もあって、セーラは合格しました。本日の彼女はアカデミーで清掃当番にあたっているため、少し遅れるとのことです」

「アーサー王の娘が、清掃当番か」

 やはり、セーラの立ち位置は特権的とは程遠いものらしい。彼女を経由して、アカデミーに強引な探りを入れることは現実的ではなさそうだ。


「なので、彼女の分まで」

 城ヶ峰は『やすめ』の姿勢で、堂々と告げた。

「こうして、師匠のもとへお礼を申し上げに参った次第です」

「あ、そう。じゃあもう役目終わりだな」

「いえ! あわよくば、こうやって師匠をできるだけおだてて、今日の授業をお願いしたいと思っています! 私の追試が控えていますので!」

「お前正直すぎて友達少ないだろ。ムカつくからやだよ」

「なぜそれを!」


 そのくらいわかる。俺は城ヶ峰ではなく、印堂の方を見た。彼女の無言の視線を感じたからだ。訴えるような目でこちらを見ている。

「私にも授業してくれるって、この前言ってた」

「言ったっけ?」

「言った。完全に言った」

「そうか」

 俺は少し考えた。正直なところ、俺もこいつらを使って、やるべきことをやっておきたい。


「すみません、どうも雪音と私の扱いに差を感じるのですが」

 城ヶ峰が不満そうに言ったが、俺は気にせず思考を進める。いま考えている情報収集には、人手が必要だ。俺だけでやるよりも効率がいいし、安全性も高まる。少し危険な橋を渡ることには違いないが――

 まあ、いいか。

 俺はこいつらを徹底的にこき使ってやることに決めた。


「お前ら、明日の夜とかヒマ? もし空いてるなら――」

「はい! たいへんヒマです!」

 俺が要件を言う前に、城ヶ峰は食い気味に言葉を挟んできた。

「学校があろうと天変地異があろうと、お付き合いいたします!」

「わかったわかった――で、印堂、ついてくるか?」

 俺は城ヶ峰を八割方くらい無視して、印堂雪音に尋ねた。彼女は一度だけ瞬きをした。

「どこに?」

「えー……社会科見学」


 嘘ではない。しかし事実とはかけ離れているかもしれない。印堂はその微妙なニュアンスをまったく意に介さず、首をかしげた。

「それって、強くなれる?」

「実戦形式だからな。お前ら次第だ」

「行く」

 印堂雪音は即答した。決まりだ。俺は携帯電話を取り出した。

「じゃあ、夜七時に池袋だな。メシは食ってくるなよ。セーラには連絡しとく」

 それを聞いたとき、城ヶ峰の目が丸くなった。


「はい? あの、いま?」

「メシ食ってくると吐くかもしれないからな」

「いえ、そうではなく。セーラに連絡を? どのようにして?」

「いやメールで」


「メール!」

 悲鳴じみた声だった。城ヶ峰はその場に崩れ落ちかけて、寸前のところでカウンターに手をついて止まった。

「なぜセーラのメールアドレスをご存知なのですか」

「交換したからだけど」

「非情! 私とはアドレスを交換していないのに!」


 それはそうだろう、とは思ったが、口に出す前に印堂が俺のコートの袖を強く引っ張った。

「教官」

「なんだよ」

「私もアドレス交換したい」

「いいけど、そもそも携帯持ってるのかよ?」

「……たまに」

 印堂は少しの沈黙のあとにうなずいた。本当かどうか怪しいところだが、普段から常に持ち歩いていないというスタイルは、かなり印堂雪音らしさを感じる。

 本当に持っていたとしても、おそらく使いこなせていないだろうと思わせる浮世離れした何かが、印堂にはある。


 そして、横から城ヶ峰が俺の肩を鷲掴みにしてきた。

「師匠! 私とも交換をお願いします」

「え。城ヶ峰と?」


 たぶん、俺はとてつもない嫌悪感を表情に出してしまったのではないかと思う。城ヶ峰とのメールなど、想像を絶するレベルで面倒くさいことになるのが目に見えるようだった。城ヶ峰は泣きそうな顔をした。

「印堂と私において、師匠の対応に断絶的な格差を感じます」

 それはそうだろう、と俺は再び思った。

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