第7話

 師匠について、俺はいくつかのことを思い出す。

 どれも、あまりいい記憶ではない。あの男について考えるとき、いつも不快感だけが残る。


 本人が自称するところの、《九本指》の鷹宮清人。

 あの男にであったのはいつの頃だったか。たしか、俺が――高校を個人的な都合で退学したために実家を追い出され、職を探すべく上京し、ふらふらしていた時期だ。そのとき俺は手取りがいいからと、池袋界隈のチンケな魔王の下でアルバイトをしていた。

 新宿・渋谷と、池袋の一帯はここ数年、中小の魔王が抗争を頻発させる危険地帯となっている。

 そのどれもが、新参者の成り上がりだ。最新の強力なエーテル手術によって、個々人の戦闘能力自体は高いが、魔王という職業において警戒するべきノウハウを知らない。


 ゆえに、勇者にとってもちょうどいい狩場であった。つい最近、強力な魔王が台頭してきたために統廃合が盛んだというものの、いまだに東京で最大の激戦区で有り続けている。数年前の当時は、毎日のように街のどこかで暴力沙汰が発生していた。

 そこへのそのそと現れ、魔王を殺して俺の職業を奪ったのが《九本指》の鷹宮清人である。


「冗談じゃない」

 と、俺はそのとき思った。

 雇い主の魔王が死んでしまっては、その月の家賃と生活費はどうなるというのだろう?

 仕方がないので俺は強引に『弟子』という形で、あの男の助手を務めることにした。鷹宮清人は押しが弱く、いつも何かに怯えており、すこし大きな声を出されると泣きそうな顔をする。そういう男だった。

 思えばそれは勇者に必要な素質だったのかもしれない。


「私は父を尊敬しています」

 城ヶ峰は俺の後ろを歩きながら、そのように断言した。

 付いてきて欲しくはなかったが、大通りに出るまでは、この狭い路地だ。ほかに道はない。俺は彼女のムカつくほど屈託のない声を聞きながら、無言で歩くしかなかった。

「父は弱いひとの気持ちがわかる人物だったと思います。そして勇者としての理想を、私に語ってくれました。その仕事の罪深さと、それでも最善を追い求める意思――」


 そのクソみたいな台詞を聞いたときには、俺は鼻で笑いたくなった。

 人の心を読めるエーテル知覚の使い手だからって、なんでも理解できるわけじゃないだろう。

 くだらない話だ。

 師匠はたしかに、精神的には弱いところを見せがちな男だったかもしれない。しかし、だからこそ周到で、慎重で、冷酷だった。隙というものがなかった。


 そして、「勇者は最低のクズがやる商売だ」と、いつも師匠は言っていた。

 長く続けられる商売じゃない。適当な仕事でまとまった金を手にしたら、ハワイあたりに別荘を建てるのがいいだろう。あとは魚でも釣りながら過ごせばいい。

 こんなクズみたいな仕事からは早く足を洗った方がいいぜ――と。

 そう言っていた師匠本人も、つまらない事件でヘマをして魔王に殺された。

 俺自身、勇者という稼業にうんざりしている。

 師匠が死んでから、もう、何年も。


「父からは、あなたの――師匠の話をうかがっていました」

 城ヶ峰の声が追ってくる。雨は徐々に強くなりつつあったが、彼女の声をかき消してくれるほどではなかった。

「素晴らしい才能がある、前途有望な勇者だと。父と一緒に魔王どもと戦ったお話も。《光芒の蛇》卿や、新宿での六・一七抗争――」

 しゃべるのをやめてほしかった。振り返り、殴って黙らせることができるものなら、そうしたかった。いまの俺は殺してしまう可能性が高い。

 俺が師匠から課された、数々の無理難題、訓練と称した拷問の数々を思い出してしまう。いったい師匠はこいつになにを喋ったのか。この二面性はいったいどういうことか。俺の知っている師匠とぜんぜん違う。


「はじめてヤシロ師匠と会った時は、あまりにもチンピラじみていて信じられませんでした。しかし、師匠はたしかに私たちを助けてくれたので、やっぱり父に似てチョロいな、と思いました。今夜も、《琥珀の茨》卿のときもです」

 俺は何も聞こえないように、ひたすら無言で歩き続けた。

 やがて大通りに出る。車が目の前をかすめて走っていった。傘をさしていない俺は、通行人から不審に思われるかもしれない。早いところ、どこかコンビニにでも立ち寄るべきだった。もう、コートがずぶ濡れになりかけている。


「師匠!」

 と、少し強い声で城ヶ峰が俺の名を呼んだ。

 俺は振り返った。さっさと消えろ、と言うつもりだった。しかしそれは少し、不用意すぎる反応だった――一瞬、鋭い閃光が走り、俺は咄嗟に顔を庇った。なにかの攻撃かと思ったし、実際、それは大差なかった。

「写真です」

 城ヶ峰は、なんら装飾の気配もないスマートフォンを掲げていた。

「せっかくなので撮影させていただきました。これがファン心理です」


 彼女は笑ってそう言ったと思うが、不機嫌が最高潮に達していたため、ろくに覚えていない。

 はっきり認めると、師匠の話をされて、俺はひどく惨めな気分になっていたと思う。『写真を消せ』だの、『やめろ』だの、そんなぼんくらな台詞で応じるつもりにはなれなかった。そして通行人の目もあったので、暴行を加えることもできない。

 俺は必死で《E3》がもたらす攻撃衝動に逆らって、どうにか一言だけ口にできた。


「帰れ」

 このとき願ったのは、ただそれだけだ。



 雨の中を歩いた末に、たどりついたエド・サイラスの店には、予想外の顔が待っていた。


「――遅えよ」

 獰猛な犬のように不機嫌そうな顔をした、セーラ・カシワギ・ペンドラゴンである。雨に降られたらしく、金色の髪は濡れており、顔色は白いを通り越して青白かった。カウンターにもたれかかるように座っている。

 残念なことに、店内に他の客はおろか、マルタも、エド・サイラスすらいなかった。また店を放ってどこかに出かけたのか。信じられない店長がいたものだ。

 仕方ないので、俺は無言でセーラの隣に腰を下ろした。セーラは不機嫌そうに尋ねてくる。

「なにやってたんだよ、あんた」


「腹が減ってたから、ハンバーガー食ってた」

 あまりいい返答ではなかったが、ひどく気分がささくれだっていたので、そう答えるのが精一杯だった。《E3》の効果が後を引いている。案の定、セーラは俺を睨んだ。

「嘘つけよ」

「本当だ。エド――店長は?」

「知らねえよ。腹減ったから店番してろっつって、どこか行った。マルタってひとも一緒に」

「なんだよ、もうちょい早く来ればよかった」


 俺もカウンターにもたれかかる。異様に疲れた。半分以上は城ヶ峰のせいだ。俺は文句を言いたくなった。

「お前こそ、こんなところを徘徊しやがって。もう夜遅い。不良かよ、なにやってんだよ」

「普通、あんなふうに逃げ出したら、心配するだろ」

 セーラは真顔で言った。

「あんたが無事かとか。足止めしてたんだろ――そのくらいわかる」


「お前」

 驚いた。なので、俺は少し言葉を選んだ。

「すごく普通だな」

 それを聞いた瞬間に、セーラは噛み付きそうな顔をした。

「おい! なんだよ? 喧嘩売ってんのか?」

「いや、褒めてる。まともな感性持ってるって意味だ。お前、思いやりのあるいいやつだよ」

「黙れ」

 吐き捨てるように言った、セーラの耳が赤くなっているのがわかった。俺は声をあげて笑ってしまった。


「さっきよりは、少しはマシな精神状態になったな」

「うるせえんだよ!」

「言っとくけど、俺の師匠いわく、相手を怖がるのは悪いことじゃない。問題はそれをコントロールしないと死ぬってことだな。印堂や城ヶ峰みたいなタイプは例外だ、マジで」

「慰めかよ」

「ああ。いま、すごい適当なこと言ってる」

 ほんの数秒、にらみ合う。それでも俺がへらへら笑って眺めていると、やがてセーラは顔を背けた。


「クソ! 馬鹿にしやがって。たしかに、あのときは――そうだ、ビビってたよ、私は。勇者に向いてねえって思ってるんだろ」

「ああ」

 このことは本当に、心の底からそう思う。

「お前いいやつだから、勇者なんてやめろ」

 俺が真剣にアドヴァイスしてやると、セーラは顔を背けたまま、なにかぶつぶつと不明瞭な言葉を呟いた。そのほとんどが『知るか』とか『クソ』とかの無意味な悪態だったと思う。

 だが、俺はカウンセラーじゃないし、セーラの抱える個人的な問題に首をつっこむつもりはない。

 代わりに、話を変えてみることにした。どうしても気になることがあった。


「そういえば、あの城ヶ峰」

「ああ?」

 セーラの聞き返し方は、完全にヤンキーのそれだった。こいつは確実に言動で損をしている。

「あいつ、なんなんだ?」

「なんだって、なんだよ」

「メチャクチャだろ。色々と――いや、全部か。よくあんなのリーダーにして平気でいられるな。俺だったら暗殺を企てるレベルだ」


「それは、まあ」

 なにを思い出しているのか知らないが、セーラは複雑そうな顔をした。

「そうなんだけど」

「だけど?」

「あいつと、印堂だけだった。私とまともに話してくれたのは。私は、ほら――こんな事情で――こういう感じだろ」

「消去法か。なら納得できる」


「あと、それから」

 今度は、セーラの方が言葉を選んでいたようだった。何度か眉をしかめたり、額を抑えたりしながら、口を開く。

「いや……よくわかんなくなってきた。あいつも、まあ、いいやつなんだよ。変な意地がある。いらないお節介焼くし、絶対に役に立たねー状況なのに勝手に助けに来るし。それに」

 なんどもつっかえながら、セーラは非常に言いにくそうだった。まるで言い訳のような説明だと、俺は思った。


「城ヶ峰、心が聞こえるんだろ? でも、私たちのは聞かないことにしてるみたいなんだ。能力使って聞いたときは、『聞いた』って言うしな。初対面のときだけは――チャンネル遮るのが難しいから聞こえちまう、みたいなこと言ってた。そんな感じで、変な意地を百個くらい持ってる」

 セーラは無理に笑うような表情を作った。

「だからなんだ、って思うかもしれないけどな。私は別に、嫌いじゃねえんだよ、城ヶ峰」

「俺は嫌いだね。いいか、お前はいいやつだから言っといてやる。ああいう――」


 その点、まったく譲るつもりはなかった。俺はセーラを指差し、念のための忠告をしておこうと思った。せめて、仲間は選べってことだ。そのときだ。

 不意に、店の入口が開き、鈍くて野暮ったい鐘の音が響いた。


「お」

 見慣れたスキンヘッドが、開いたドアの隙間から突き出た。相変わらずの犯罪者ヅラだ。目つきも悪ければ態度も悪い。《ソルト》ジョー。俺は思わず立ち上がっていた。

「なにしに来たんだよ」

 俺はまずジョーを馬鹿にしてやろうと思った。

「エド・サイラスならいないぜ。仕事じゃなかったのか? こんなところで油売ってていいのか? 早くも失敗したか?」


「うるせえよ」

 すこしかすれた声で言って、《ソルト》ジョーは足音も荒く入店する。なんだかいつも以上に不機嫌なようだった。雨でジャケットが濡れているせいだろうか。よく冷えた外の風が、一瞬だけ店内に流れ込み、渦を巻いた。

 なんだか不吉な予感がした。

「あ――ども」

 ジョーの雰囲気に押されながらも、セーラはすこし頭を下げた。やはり常識的なやつだ。《ソルト》ジョーは彼女に一瞥をくれただけで、ほとんど無視した。


 どうも様子がおかしいぞ、と俺は思った。やつの肩を叩いてみる。

「どうだ、ジョー、もうメシは食ったか? 店番はこいつに任せて、ハンバーガー買いに行かないか? ここのビール勝手に飲んじゃおうぜ。マルタも戻ってくるはずだから、《メダリオン》でも一戦――」


「いや」

 ジョーは俺の言葉を遮って、目を覗き込んできた。

「ヤシロ、お前、どうする?」

 ジョーの目はひどく乾いた色をしている。俺はあえてそこから感情とか、思考とかを読まないようにした。なるほど。城ヶ峰も少しは苦労しているのかもしれない。

「どうする、ってなんだよ?」

「ちょうど仕事あがりに、ニュースで見たからよ。それから詳しいやつに聞いてきた」

「何を?」

「夕方ごろの話な。東京湾で、間抜けヅラの男の死体が浮かんでたんだとよ」

「そいつは」


 俺は返答に迷った。その挙句に、少し笑うことにした。

「さぞかし悲惨な間抜けヅラだったんだろうな」

「たぶん笑えるぜ。俺は写真で見た――首がこんなに裂けててよ。化けて出ても喋れねえぜ、あの感じだと。ザマァ見ろ」

 ジョーは自分の首を掻ききるジェスチャーをしてみせる。彼もまた少しだけ笑っていた。


「それから、これな」

 不意に、写真を突き出してくる。

「死体が握りこんでたらしい」

 そこには、金色に光る何かが撮影されていた。俺は思わず、かすかにうめき声をあげただろう。半分に割られた、獣、というよりバケモノのバッヂ。

 いまなら、はっきりとわかる。これはドラゴンの顔を模したものだ。角が生え、顔面を鱗が覆い、牙が覗いていた。

 さきほど見たばかりの代物だった。


「今年始まって以来のいいニュースだろ?」

 《ソルト》ジョーは写真を引っ込め、俺の肩を叩いた。俺は力強くうなずいた。

「ああ。ムカつくやつが死んだからな」

「まったくだ、葬式パーティーはいつにするんだ?」

「そうだな。やることやってからだな」

 和気あいあいと俺たちが会話していると、不意にセーラ・ペンドラゴンが割り込んできた。


「なんだよ? なにがあったんだ?」

 彼女はひどく不安そうな顔をしていた。

「ひどい顔してるぞ、あんた」

「気のせいだ」

 俺はセーラの顔を押して、遠ざけた。

 《ソルト》ジョーと俺は顔を見合わせて、もう特にこの話題で話しておくべきことが何もないことを知った。やることをやるだけだ。葬式のパーティーは笑えるものになるだろう。

 《音楽屋》のイシノオは、こうして死んだ。

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